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――あの日、私は確かに笑われた。
「貧乏人とでも結婚すれば? 君にはそれくらいがお似合いだ」
王太子であるエドワード殿下の冷たい言葉が、まるで氷の刃のように胸に突き刺さった。
その場には取り巻きの貴族令嬢たちがいて、皆そろって私を見下ろし、くすくすと笑っていた。
――婚約破棄。
私、アリア・レインフォードは、王命によりエドワード殿下の婚約者として育てられたが、今や用済みらしい。
父の領地は戦の影響で疲弊し、寄付金を止めたことで王家からの評価も下がった。
つまり、私は「貧乏くじ」になったのだ。
「……分かりました。では、貧乏人とでも結婚します」
そう答えた時、私の声は驚くほど静かで、自分でも他人事のように思えた。
――まさかその“貧乏人”が、隣国の英雄になるなんて、あの時の誰が想像しただろう。
それから一ヶ月後。
私は国を出て、隣国ルグランの小さな村で暮らし始めていた。
行く当てもなく、せめて自立しようと小さな宿屋で働いていたところ、ある日突然、宿の扉を叩く音が響いた。
「……アリア嬢だな?」
振り返ると、長身の男が立っていた。
灰色の外套に身を包み、瞳はまるで鋼のような深い青。
彼の名前は――カイン・アルベルト。
隣国ルグランの“英雄”と呼ばれる男だった。
……とはいえ、最初はただの宿の客だと思っていた。
旅の途中で立ち寄っただけのはずだったのに、なぜか滞在を延長し、朝食を一緒に食べ、薪を割り、私の仕事を手伝ってくれるようになった。
「アリア、無理はするな。そんな重い皿、俺が運ぶ」
「大丈夫です。これくらい慣れていますから」
「……その言葉、信じないことにする」
そう言って、私の手から皿を取り上げてしまう。
不器用な人だと思いながらも、その手の温かさに、いつの間にか心がほぐれていた。
最初は、ただ優しい人だと思っていた。
けれど、彼の視線が真剣で、時々こちらを見つめて口を閉ざすたびに、何かを隠しているような気がしてならなかった。
そんなある日のこと。
市場で食材を買っていた私の耳に、信じられない噂が届いた。
「ねぇ聞いた? 隣国の王都で、前の王太子殿下が新しい婚約者に逃げられたんだって!」
「ええ!? あの人、確か前にも婚約破棄してたわよね?」
「そうそう、『貧乏人とでも結婚すれば?』って言った令嬢がいたとか……あの人、今どうしてるのかしら?」
私は立ち止まり、笑いをこらえきれなかった。
――どうやら神様は、思ったより気まぐれらしい。
その日の夜、宿の裏庭で月を眺めていると、カインが隣にやってきた。
「アリア。笑っていたな、今日」
「え? 気づきましたか?」
「ああ。市場の帰りに、嬉しそうな顔をしていた」
彼の観察眼は本当に鋭い。
私は少し迷った末、打ち明けることにした。
「昔、婚約していた方がいて……ええと、私を『貧乏人とでも結婚すれば』って言ったんです。でも、今日その方が――困っているみたいで」
「ふむ」
「ちょっとだけ、ざまぁみろって思いました」
自分でも可笑しくなって、笑ってしまった。
けれどカインは真剣な顔のまま、静かに私の頭を撫でた。
「それでいい。お前はよく耐えた」
「……っ」
胸の奥がじんわりと温かくなり、涙がこぼれそうになる。
彼の手が優しく、でも確かに支えてくれているのがわかった。
数日後、宿に王都からの使者が現れた。
使者は私を見るなり、目を丸くした。
「ま、まさか……本当にこちらにおられたとは! アリア・レインフォード様!」
「え? はい、そうですが……」
「王太子殿下が再び婚約を――」
その言葉の続きを言う前に、カインが一歩前に出た。
鋭い青の瞳が、使者を射抜く。
「彼女はもう、ルグランの民だ」
「っ、ルグランの……!? ですが殿下は――!」
「王太子の“元婚約者”だろう? 今は“俺の妻”になる」
……え?
あまりにも自然に言われて、頭が真っ白になった。
けれど使者は顔面蒼白で震え、深々と頭を下げて逃げるように去っていった。
私だけが、その場で固まったまま、何も言えずにいた。
「カイン、今の……」
「本気だ。ずっと言う機会を探していた」
彼はそう言って、私の手を取り、静かに唇を寄せた。
「お前が笑っていられる場所を、俺が守りたい」
言葉が、心の奥に沁みた。
貧乏人とでも結婚すれば――あの日の嘲笑が、まるで遠い昔の夢のように思える。
けれど、私たちの物語はまだ始まったばかりだ。
彼の瞳の奥には、まだ秘密がある。
英雄と呼ばれるその男が、なぜ私を探していたのか。
そして、王国から届く新たな使者たちの影――。
「貧乏人とでも結婚すれば? 君にはそれくらいがお似合いだ」
王太子であるエドワード殿下の冷たい言葉が、まるで氷の刃のように胸に突き刺さった。
その場には取り巻きの貴族令嬢たちがいて、皆そろって私を見下ろし、くすくすと笑っていた。
――婚約破棄。
私、アリア・レインフォードは、王命によりエドワード殿下の婚約者として育てられたが、今や用済みらしい。
父の領地は戦の影響で疲弊し、寄付金を止めたことで王家からの評価も下がった。
つまり、私は「貧乏くじ」になったのだ。
「……分かりました。では、貧乏人とでも結婚します」
そう答えた時、私の声は驚くほど静かで、自分でも他人事のように思えた。
――まさかその“貧乏人”が、隣国の英雄になるなんて、あの時の誰が想像しただろう。
それから一ヶ月後。
私は国を出て、隣国ルグランの小さな村で暮らし始めていた。
行く当てもなく、せめて自立しようと小さな宿屋で働いていたところ、ある日突然、宿の扉を叩く音が響いた。
「……アリア嬢だな?」
振り返ると、長身の男が立っていた。
灰色の外套に身を包み、瞳はまるで鋼のような深い青。
彼の名前は――カイン・アルベルト。
隣国ルグランの“英雄”と呼ばれる男だった。
……とはいえ、最初はただの宿の客だと思っていた。
旅の途中で立ち寄っただけのはずだったのに、なぜか滞在を延長し、朝食を一緒に食べ、薪を割り、私の仕事を手伝ってくれるようになった。
「アリア、無理はするな。そんな重い皿、俺が運ぶ」
「大丈夫です。これくらい慣れていますから」
「……その言葉、信じないことにする」
そう言って、私の手から皿を取り上げてしまう。
不器用な人だと思いながらも、その手の温かさに、いつの間にか心がほぐれていた。
最初は、ただ優しい人だと思っていた。
けれど、彼の視線が真剣で、時々こちらを見つめて口を閉ざすたびに、何かを隠しているような気がしてならなかった。
そんなある日のこと。
市場で食材を買っていた私の耳に、信じられない噂が届いた。
「ねぇ聞いた? 隣国の王都で、前の王太子殿下が新しい婚約者に逃げられたんだって!」
「ええ!? あの人、確か前にも婚約破棄してたわよね?」
「そうそう、『貧乏人とでも結婚すれば?』って言った令嬢がいたとか……あの人、今どうしてるのかしら?」
私は立ち止まり、笑いをこらえきれなかった。
――どうやら神様は、思ったより気まぐれらしい。
その日の夜、宿の裏庭で月を眺めていると、カインが隣にやってきた。
「アリア。笑っていたな、今日」
「え? 気づきましたか?」
「ああ。市場の帰りに、嬉しそうな顔をしていた」
彼の観察眼は本当に鋭い。
私は少し迷った末、打ち明けることにした。
「昔、婚約していた方がいて……ええと、私を『貧乏人とでも結婚すれば』って言ったんです。でも、今日その方が――困っているみたいで」
「ふむ」
「ちょっとだけ、ざまぁみろって思いました」
自分でも可笑しくなって、笑ってしまった。
けれどカインは真剣な顔のまま、静かに私の頭を撫でた。
「それでいい。お前はよく耐えた」
「……っ」
胸の奥がじんわりと温かくなり、涙がこぼれそうになる。
彼の手が優しく、でも確かに支えてくれているのがわかった。
数日後、宿に王都からの使者が現れた。
使者は私を見るなり、目を丸くした。
「ま、まさか……本当にこちらにおられたとは! アリア・レインフォード様!」
「え? はい、そうですが……」
「王太子殿下が再び婚約を――」
その言葉の続きを言う前に、カインが一歩前に出た。
鋭い青の瞳が、使者を射抜く。
「彼女はもう、ルグランの民だ」
「っ、ルグランの……!? ですが殿下は――!」
「王太子の“元婚約者”だろう? 今は“俺の妻”になる」
……え?
あまりにも自然に言われて、頭が真っ白になった。
けれど使者は顔面蒼白で震え、深々と頭を下げて逃げるように去っていった。
私だけが、その場で固まったまま、何も言えずにいた。
「カイン、今の……」
「本気だ。ずっと言う機会を探していた」
彼はそう言って、私の手を取り、静かに唇を寄せた。
「お前が笑っていられる場所を、俺が守りたい」
言葉が、心の奥に沁みた。
貧乏人とでも結婚すれば――あの日の嘲笑が、まるで遠い昔の夢のように思える。
けれど、私たちの物語はまだ始まったばかりだ。
彼の瞳の奥には、まだ秘密がある。
英雄と呼ばれるその男が、なぜ私を探していたのか。
そして、王国から届く新たな使者たちの影――。
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