貧乏人とでも結婚すれば?と言われたので、隣国の英雄と結婚しました

ゆっこ

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 ――王命による拘束命令。
 それが届いた翌朝、屋敷の空気は凍りついていた。

 リース執事が苦い顔で報告する。
「第一王国の使者が、国境を越えました。おそらく、今夜にはルシエルに入るかと」

 私は指先が冷たくなるのを感じた。
 どれほど逃げても、過去が追ってくるのか。
 けれど、もう逃げない。あの日、決めたから。

「カイン様、私……覚悟はできています」
 まっすぐに彼を見ると、彼も穏やかに微笑んだ。
「俺もだ。――だからこそ、今夜、正式にお前を迎えたい」

 その言葉に、胸が熱くなる。
 彼の手が私の頬に触れ、そっと囁いた。
「王命がどうであれ、俺たちは夫婦になる。誰にも壊させない」

 そのまま唇が触れた。
 静かな誓いのように、優しく、確かに。



 夜。
 ルグランの古い教会に、ろうそくの灯りが揺れていた。
 見守るのは神父とリース執事、そして二人の親しい友人だけ。

 白いドレスを身にまとった私は、花束を胸に抱き、ゆっくりと祭壇へ進む。
 そこに立つのは――私の“貧乏人”と呼ばれた、世界で一番尊い人。

 カイン様が差し出した手を取り、指輪がはめられる。
「誓いますか?」
「はい」
 声が震えたけれど、心は揺るがなかった。

 その瞬間、教会の扉が勢いよく開いた。
 冷たい風とともに、金の髪が揺れる。

「やめろ!!」

 エドワード殿下だった。
 息を切らし、憎々しげにこちらを睨む。
「アリア、まだ間に合う! お前を連れ戻しに来たんだ!」

 カイン様が一歩前に出た。
「――遅い」

 その声は低く、冷たい刃のようだった。
 エドワード殿下は苛立ったように叫ぶ。
「お前は他国の男だ! アリアは我が王家の血を引く女! 返してもらう!」

「返す? 面白い言葉だな」
 カイン様の声が静かに響く。
「彼女はもう、俺の妻だ。お前が見捨て、辱めたその日から、彼女はお前のものではない」

 エドワード殿下の顔が歪む。
「……俺は間違っていた! あの日、彼女を選ぶべきだった! やり直そう、アリア!」

 ――やり直す?
 笑えてしまった。

「殿下。あなたが言いましたよね? “貧乏人とでも結婚すれば”と」
「そ、それは……」
「はい。あなたの言葉どおりにしました。
 でも今の私は、心の豊かな方と結婚します。だから、後悔はありません」

 穏やかに微笑みながらそう告げた。
 殿下の唇が震える。
「……お前、俺を見下しているのか?」
「いいえ。もう“見て”いないんです」

 その言葉に、殿下は絶句した。
 目の前で、彼の世界が崩れていくのがわかった。

 カイン様が私の肩を抱き、ゆっくりと祭壇の前へ導く。
 神父がもう一度祈りを唱え、指輪がはめられた。

「――夫婦として結ばれました」

 その瞬間、鐘の音が鳴り響いた。
 エドワード殿下は呆然と立ち尽くし、やがて何かを言いかけて、そのまま背を向けた。
 扉が閉まる音が響き、風が静まる。



 翌朝。
 第一王国からの拘束命令は正式に撤回された。
 ルグラン王国の第二王子が、正統な婚姻としてアリア・レインフォードを迎え入れた――という王令が発布されたからだ。

 王の印章つきの命令書を手に、リース執事が微笑む。
「これで、誰にもアリア様に手出しはできません」
「……ありがとうございます」

 その時、カイン様が背後からそっと抱きしめてきた。
「これで本当に自由だ。過去も、鎖も、全部終わりだ」
「……はい」

 胸の奥から涙が溢れた。
 けれど、それは悲しみではなく、ようやく得た安らぎの涙だった。



 ――それから、季節は移り変わった。
 春。
 庭の花々が咲き誇り、青い空の下で、私たちは穏やかな日々を過ごしていた。

 私はルシエルの孤児院で花を教える仕事を始めた。
 子どもたちに囲まれながら笑っていると、いつもカイン様が迎えに来てくれる。

「アリア、今日はどんな花を?」
「ラベンダーです。“あなたを待っています”っていう花言葉なんですよ」
「……ふ、俺には少し酷な言葉だな。お前を待つのは長い」
「それでも、待っていてくれるでしょう?」
「もちろんだ」

 彼の笑顔を見るたびに思う。
 ――あの日、貧乏人とでも結婚すれば、と言われてよかった。

 あの言葉がなければ、私はこの人と出会えなかったのだから。



 ある日の午後。
 庭園のベンチで、私たちは紅茶を飲んでいた。
 風に揺れる花々、遠くで子どもたちの笑い声。

「アリア」
「はい?」
「今でも時々、あの王太子のことを思い出すか?」
「もう、思い出す必要もありません」

 そう言って微笑むと、カイン様は満足そうに頷いた。
「……ならいい。お前には、これからの笑顔だけが似合う」

 彼が私の指にキスを落とす。
 指輪が月光を受けて、静かに輝いた。



 その夜。
 私は寝室の窓から、遠くの国境に光る街明かりを見つめていた。
 もう、戻ることのない国。
 けれど、不思議と心は穏やかだった。

「アリア」
 背後からカイン様の腕が回される。
「これからもずっと、一緒に笑ってくれるか?」
「ええ。あなたとなら、何度でも」

 その言葉に、彼がそっと微笑み、唇を寄せる。
 夜風が揺れて、月明かりが二人を包み込んだ。



 ――数年後。
 ルシエルの春祭りの日。

 街を歩く人々が、花で飾られた馬車を見上げて歓声を上げていた。
 馬車の上には、微笑む二人の姿。

「見て! ルグランの新しい王妃陛下よ!」
「レインフォードの奇跡って呼ばれてる人だ!」

 アリア=レインフォード=アルベルト。
 貧乏人とでも結婚しろ、と笑われた令嬢は、今やルグランの慈愛の女王として愛されていた。

 馬車の隣に立つ王――かつて“英雄”と呼ばれた男が、穏やかに妻の手を取る。
「アリア。俺たちは、ようやく同じ夢を見られるな」
「ええ。平和で、優しい夢を」

 花の雨が降り注ぎ、鐘の音が響く。
 それは、かつて彼女が失ったもの――
 そして今、手に入れたすべてを祝福する音だった。



 ――「貧乏人とでも結婚すれば?」

 あの日の嘲笑が、今では懐かしい。
 私が結婚した“貧乏人”は、心の豊かさで世界を満たしてくれる人。
 だから私は、これからも笑って生きていく。

 どんな言葉よりも、愛しい人の手を取って。

 ――永遠に、共に。
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