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――その扉が開いた瞬間、時間が止まった気がした。
豪奢な絨毯を踏みしめて、姿を現したのは、かつての婚約者――レオンハルト王太子。
その後ろには、数名の護衛と、薄紅のドレスを纏った女――新しい婚約者リリアナ・ベルトラン侯爵令嬢の姿もある。
レオンハルトは堂々とした態度を見せながらも、私を見た途端、足を止めた。
その視線が、露骨に揺れる。
……そうでしょうね。
あの日の私とは、もう違うのですから。
私はローデリア王妃候補として、国王陛下の隣に立っている。
背筋を伸ばし、金の髪飾りを輝かせながら、堂々と見返した。
――誰も愛さないと笑われた女が、今、王の隣にいる。
「お久しぶりですね、殿下」
私は穏やかに微笑んで言った。
レオンハルトは一瞬言葉を失い、ぎこちなく笑みを作る。
「……アンナ、いや……アンナ・リヴィエール。君がここにいるとは思わなかったよ」
「そうでしょうね。私も、二度とお会いするつもりはありませんでしたから」
淡々と返すと、カイル陛下――私の隣の人が、ゆっくりと立ち上がった。
琥珀色の瞳が、鋭く光る。
「ようこそ、アルメリアの王太子殿下。ローデリア王、カイル・ヴァルディアだ。……歓迎しよう」
「は、初めまして、陛下。僭越ながら、私は友好と通商の再確認を目的に参りました」
言葉こそ丁寧だが、その声の端には焦りが混じっている。
カイルはそんな彼をじっと見据え、静かに微笑んだ。
「そうか。しかし不思議だな。噂では、君は一度“アンナ・リヴィエール”という令嬢との婚約を破棄したと聞くが?」
空気が一瞬、張り詰めた。
周囲の貴族たちの間から、ざわめきが漏れる。
レオンハルトの顔に汗が滲む。
「そ、それは……誤解でして。アンナは、その……ふさわしくなかっただけで……」
「ふさわしくなかった?」
低く響くカイルの声に、空気が震える。
「このローデリアの王妃候補に、ふさわしくないと?」
「なっ……!? ろ、王妃……候補……?」
レオンハルトの表情が固まる。
隣のリリアナが、信じられないという顔で私を見た。
「そう。彼女は、私が選んだ女性だ」
カイルは淡々と告げ、私の手を取って指先に口づけた。
「誰も愛さないと笑われた彼女を、私は愛している。――それが王の答えだ」
その言葉に、会場がどよめいた。
私の頬が熱くなる。
レオンハルトの顔は、怒りと動揺で真っ赤に染まっていた。
「そ、そんな……! 陛下、これは一体……!」
「何か不満でも?」
「い、いえ……! ただ……まさか、本当に……!」
「本当に? 何だ? “誰もお前なんか愛さない”と言い捨てた女が、愛されるはずがないとでも?」
カイルの声が低く響き、広間に緊張が走る。
私はその言葉に胸が熱くなった。
代わりに怒ってくれる人がいる。
私を“守ってくれる”人がいる。
それが、たまらなく嬉しかった。
その日の夜。
謁見が終わり、私はバルコニーで冷たい夜風を受けていた。
王城の庭園には、無数の灯が浮かび、遠くの星々が静かに瞬いている。
「……大丈夫か?」
背後から、静かな声。
振り向くと、カイルが立っていた。
いつもの威厳ある表情ではなく、どこか心配そうに見つめてくる。
「少し……緊張しました。でも、もう平気です」
「よく頑張った。あの場で怯えずに笑った君を、私は誇りに思う」
彼はそっと私の肩に手を置き、穏やかに抱き寄せた。
広い胸の中に、静かな安心感が広がる。
「アンナ。……本当は、あの王太子を処罰したいくらいだ」
「そんな……陛下……」
「だが君が笑っているのなら、それでいい。私は復讐のために君を迎えたわけではない。……君を愛したからだ」
その言葉に、胸が締めつけられた。
温かくて、優しくて、泣きたくなるほどに。
「……私も、陛下に出会えてよかったです」
そう告げると、彼の瞳がわずかに揺れた。
「その言葉を、もっと聞かせてくれ」
低い声が、そっと耳元で囁く。
その距離の近さに、息が止まる。
「私を名前で呼んでくれ、アンナ。……“カイル”と」
「……カイル」
その名を口にした瞬間、彼の手が私の頬を包み、唇が触れた。
柔らかく、優しい口づけ。
だけど確かに、心を奪うほどの熱が宿っていた。
世界が、彼と私だけになったような錯覚。
涙が零れそうになるほどに――幸せだった。
しかし、幸福の影には必ず闇が潜む。
翌朝、宰相が血相を変えて報告に来た。
「陛下! アルメリアの使節団が、王都の市場で騒ぎを起こしました!」
「騒ぎ?」
「彼らが、王妃候補――アンナ様の出自を侮辱したのです!」
カイルの表情が一瞬にして凍る。
立ち上がる彼の背に、怒気がはっきりと見えた。
「詳細を話せ」
「『地味でつまらない令嬢が王妃だとは笑わせる』と……殿下の側近が」
その瞬間、空気が張り裂けるような静寂に包まれた。
「……許さん」
低い声で呟いたカイルの瞳が、冷たい光を帯びる。
「ローデリアの王妃を侮辱することは、この国そのものへの侮辱だ。……アンナ、見ていろ。私は、“ざまぁ”の意味を彼らに教えてやる」
その声音に、背筋が震えた。
怒りでも恐怖でもない。
私のために怒ってくれるその姿が、ただ――嬉しかった。
「ですが……争いにはなってほしくありません」
「大丈夫だ。……争うまでもなく、彼らは膝をつくことになる」
その夜、王命が下った。
――アルメリアの使節団、無期限滞在禁止。
――王太子の発言に対する謝罪を要求。
さらに、外交文書にはこう記された。
『ローデリア王は、アンナ・リヴィエール嬢を王妃候補として正式に認め、彼女を侮辱した行為を王家への敵対とみなす』
アルメリア王国は混乱に包まれた。
そして、怒りと焦りを募らせたレオンハルトは、密かに動き始める――。
「彼女を取り戻す」
夜の王宮で、レオンハルトは拳を握りしめた。
「何を馬鹿なことを……!」と、リリアナが止めようとする。
しかし彼の瞳には狂気が宿っていた。
「カイル王が何者だろうと関係ない。アンナは俺のものだ。あんな男に渡してたまるか!」
その執念が、やがて大きな陰謀を呼び込むことになる――。
一方その頃、私はカイルと並んで王城のテラスにいた。
冷たい風が頬を撫で、夜空には無数の星が瞬いている。
「アンナ、怖いか?」
「いいえ。……陛下がそばにいてくださるなら、何も怖くありません」
「強くなったな」
「陛下のおかげです」
カイルはそっと笑い、私の髪を撫でた。
そして、まるで祈るように囁く。
「どんな嵐が来ようと、君だけは私が守る」
その言葉を聞いた瞬間、私は心の中で誓った。
もう二度と、誰にも自分を貶めさせない――と。
しかしその翌日。
届いた一通の書簡が、すべての始まりを告げた。
――『アンナ・リヴィエールの過去に関する重大な真実を知っている。至急、会いたい』
差出人の名は、リリアナ・ベルトラン。
豪奢な絨毯を踏みしめて、姿を現したのは、かつての婚約者――レオンハルト王太子。
その後ろには、数名の護衛と、薄紅のドレスを纏った女――新しい婚約者リリアナ・ベルトラン侯爵令嬢の姿もある。
レオンハルトは堂々とした態度を見せながらも、私を見た途端、足を止めた。
その視線が、露骨に揺れる。
……そうでしょうね。
あの日の私とは、もう違うのですから。
私はローデリア王妃候補として、国王陛下の隣に立っている。
背筋を伸ばし、金の髪飾りを輝かせながら、堂々と見返した。
――誰も愛さないと笑われた女が、今、王の隣にいる。
「お久しぶりですね、殿下」
私は穏やかに微笑んで言った。
レオンハルトは一瞬言葉を失い、ぎこちなく笑みを作る。
「……アンナ、いや……アンナ・リヴィエール。君がここにいるとは思わなかったよ」
「そうでしょうね。私も、二度とお会いするつもりはありませんでしたから」
淡々と返すと、カイル陛下――私の隣の人が、ゆっくりと立ち上がった。
琥珀色の瞳が、鋭く光る。
「ようこそ、アルメリアの王太子殿下。ローデリア王、カイル・ヴァルディアだ。……歓迎しよう」
「は、初めまして、陛下。僭越ながら、私は友好と通商の再確認を目的に参りました」
言葉こそ丁寧だが、その声の端には焦りが混じっている。
カイルはそんな彼をじっと見据え、静かに微笑んだ。
「そうか。しかし不思議だな。噂では、君は一度“アンナ・リヴィエール”という令嬢との婚約を破棄したと聞くが?」
空気が一瞬、張り詰めた。
周囲の貴族たちの間から、ざわめきが漏れる。
レオンハルトの顔に汗が滲む。
「そ、それは……誤解でして。アンナは、その……ふさわしくなかっただけで……」
「ふさわしくなかった?」
低く響くカイルの声に、空気が震える。
「このローデリアの王妃候補に、ふさわしくないと?」
「なっ……!? ろ、王妃……候補……?」
レオンハルトの表情が固まる。
隣のリリアナが、信じられないという顔で私を見た。
「そう。彼女は、私が選んだ女性だ」
カイルは淡々と告げ、私の手を取って指先に口づけた。
「誰も愛さないと笑われた彼女を、私は愛している。――それが王の答えだ」
その言葉に、会場がどよめいた。
私の頬が熱くなる。
レオンハルトの顔は、怒りと動揺で真っ赤に染まっていた。
「そ、そんな……! 陛下、これは一体……!」
「何か不満でも?」
「い、いえ……! ただ……まさか、本当に……!」
「本当に? 何だ? “誰もお前なんか愛さない”と言い捨てた女が、愛されるはずがないとでも?」
カイルの声が低く響き、広間に緊張が走る。
私はその言葉に胸が熱くなった。
代わりに怒ってくれる人がいる。
私を“守ってくれる”人がいる。
それが、たまらなく嬉しかった。
その日の夜。
謁見が終わり、私はバルコニーで冷たい夜風を受けていた。
王城の庭園には、無数の灯が浮かび、遠くの星々が静かに瞬いている。
「……大丈夫か?」
背後から、静かな声。
振り向くと、カイルが立っていた。
いつもの威厳ある表情ではなく、どこか心配そうに見つめてくる。
「少し……緊張しました。でも、もう平気です」
「よく頑張った。あの場で怯えずに笑った君を、私は誇りに思う」
彼はそっと私の肩に手を置き、穏やかに抱き寄せた。
広い胸の中に、静かな安心感が広がる。
「アンナ。……本当は、あの王太子を処罰したいくらいだ」
「そんな……陛下……」
「だが君が笑っているのなら、それでいい。私は復讐のために君を迎えたわけではない。……君を愛したからだ」
その言葉に、胸が締めつけられた。
温かくて、優しくて、泣きたくなるほどに。
「……私も、陛下に出会えてよかったです」
そう告げると、彼の瞳がわずかに揺れた。
「その言葉を、もっと聞かせてくれ」
低い声が、そっと耳元で囁く。
その距離の近さに、息が止まる。
「私を名前で呼んでくれ、アンナ。……“カイル”と」
「……カイル」
その名を口にした瞬間、彼の手が私の頬を包み、唇が触れた。
柔らかく、優しい口づけ。
だけど確かに、心を奪うほどの熱が宿っていた。
世界が、彼と私だけになったような錯覚。
涙が零れそうになるほどに――幸せだった。
しかし、幸福の影には必ず闇が潜む。
翌朝、宰相が血相を変えて報告に来た。
「陛下! アルメリアの使節団が、王都の市場で騒ぎを起こしました!」
「騒ぎ?」
「彼らが、王妃候補――アンナ様の出自を侮辱したのです!」
カイルの表情が一瞬にして凍る。
立ち上がる彼の背に、怒気がはっきりと見えた。
「詳細を話せ」
「『地味でつまらない令嬢が王妃だとは笑わせる』と……殿下の側近が」
その瞬間、空気が張り裂けるような静寂に包まれた。
「……許さん」
低い声で呟いたカイルの瞳が、冷たい光を帯びる。
「ローデリアの王妃を侮辱することは、この国そのものへの侮辱だ。……アンナ、見ていろ。私は、“ざまぁ”の意味を彼らに教えてやる」
その声音に、背筋が震えた。
怒りでも恐怖でもない。
私のために怒ってくれるその姿が、ただ――嬉しかった。
「ですが……争いにはなってほしくありません」
「大丈夫だ。……争うまでもなく、彼らは膝をつくことになる」
その夜、王命が下った。
――アルメリアの使節団、無期限滞在禁止。
――王太子の発言に対する謝罪を要求。
さらに、外交文書にはこう記された。
『ローデリア王は、アンナ・リヴィエール嬢を王妃候補として正式に認め、彼女を侮辱した行為を王家への敵対とみなす』
アルメリア王国は混乱に包まれた。
そして、怒りと焦りを募らせたレオンハルトは、密かに動き始める――。
「彼女を取り戻す」
夜の王宮で、レオンハルトは拳を握りしめた。
「何を馬鹿なことを……!」と、リリアナが止めようとする。
しかし彼の瞳には狂気が宿っていた。
「カイル王が何者だろうと関係ない。アンナは俺のものだ。あんな男に渡してたまるか!」
その執念が、やがて大きな陰謀を呼び込むことになる――。
一方その頃、私はカイルと並んで王城のテラスにいた。
冷たい風が頬を撫で、夜空には無数の星が瞬いている。
「アンナ、怖いか?」
「いいえ。……陛下がそばにいてくださるなら、何も怖くありません」
「強くなったな」
「陛下のおかげです」
カイルはそっと笑い、私の髪を撫でた。
そして、まるで祈るように囁く。
「どんな嵐が来ようと、君だけは私が守る」
その言葉を聞いた瞬間、私は心の中で誓った。
もう二度と、誰にも自分を貶めさせない――と。
しかしその翌日。
届いた一通の書簡が、すべての始まりを告げた。
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