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第二章 悪役令嬢物語の始まり

19 とある従者たちの苦悩

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「え?寝込んでる…?」
「…。」


 翌朝の空模様は曇天だった。
 湿気もあり、薄寒い。信繁の感情を表したかのようにどんよりとしている。
 
「はい…。申し訳ございませんが、昨日ご帰宅後倒れてしまいまして、それから熱発しているのです…。妖よりも人間に見てもらった方がよいかと、信繁様に伝えようと申したのですが、いいの一点張りで…。」
「…。」
「…はは。」

 明らかに責任を感じ、ズーンと落ち込んでいる主人を横目に、佐助は空笑いしか出なかった。


「…今は大谷陣屋のモノ以外会いたくないようなのです…。何かあったのですか?」
「…。」
「いやー、あれですよ。痴話げんかみたいな。」
「まぁまぁ…。」
「…。」

 志野ははんなりと手を口元に添えると視線だけを信繁へ向けた。なんともいえない空気が流れる。すると突然、志野がぼふんっと煙をあげ、青い小さな蛇の形へと変化した。

「「…!?」」

 驚く二人をよそ眼に志野はにょろにょろと移動しながら言葉を残す。

「人間が来るようです。わたくしからは伝えきれないので、信繁様方、伝えていただいてもよろしいですか?体調がよくなるまでは一人で居たいとのことでしたので…。」
「……分かった…。」



 玄関先に残された信繁と佐助。佐助は落ち込んだ様子の主人にどうしたもんかなと後ろ頭を掻いていると、門の外から砂利を踏む音が聞こえてくる。

「あ、鈴。」
「あ!信繁様、佐助様!今日はお早いのですね。」
「まぁね。」
「今から、…徳姫様に会いに?」

 質問しながらも、鈴が信繁の表情をうかがっているのが見て取れる。昨日の信繁と徳のことが気になっているのだろう。

「いやー、今から城へ向かうところ。姫さん熱発して寝込んでるんだって。今は誰にも会いたくないんだってさ。」
 佐助の返事を聞くやいなや鈴の表情は一変し、あわあわと慌てだす。

「えぇ!?大丈夫なんですか?」
「まぁ…、屋敷の管理者がいるから大丈夫なんじゃない?」
「そうでしょうか…。管理者さんも日中は帰ってしまうのであれば、徳姫様一人になってしまいます…。」
「あー、大丈夫大丈夫。寝込んでいる間はずっと陣屋に居てくれるみたいだし…。」
「…でも…。」

 それでも鈴は心配なようで、陣屋を眺めながら不安げは表情だ。
 鈴が居れば妖たちも自由にできないし、何よりきっと徳は信繁や鈴のことで悩んでいるのだろう。絶対に今会わせないほうが良い。
 今にも陣屋に乗り込みそうな鈴の背を押し、佐助は門へと進む。

「誰にも会いたくないって言ってるんだから、そっとしておいてあげよう。姫さんも具合悪い時に人と会ったら気を遣うかもしれないしさ。」
「わっ!」
「さぁさぁ、今日はもう行こうか。」
 












「…あれ?幸村さん、頬に傷が…。」

 その傷に鈴が気づいてしまったのは門を出た時だった。
 男のくせに肌理きめの細かい、陶器のような頬についた赤いひっかき傷が目立っているのだから無理はない。

「あぁ…。」

 すると、余計にズーンと落ち込んだ様子の信繁。普段人にどう思われようと気にしない信繁が、こうも落ち込むのは珍しい。


「「「…。」」」


 シーンと静まり返る空気に、鈴は純粋な瞳できょとんとしているが、佐助の心情は穏やかではない。

(お、お願い、鈴!今主様ガラス細工みたいに繊細だから。そこには触れないであげて…!!)

「大丈夫ですか?ひっかいてしまったのですか?」
「…いや、ひっかかれたというか…、ひっかかせてしまったというか…。」

 佐助の心の叫びなど聞こえるはずもなく、鈴はくりくりとしたかわいらしい瞳で心配そうに信繁を見つめている。

「ひっかかせた…?」
「いや、猫だよ猫!三毛猫がいてさ、抱っこしたらひっかかれちゃったんだよね!」
「あぁ!三毛猫!私もこのあたりでよく見ます。徳姫様のお屋敷の塀で日向ぼっこしてますよね。」
「あー…うん。そうだね!」
「ふふっ。幸村さんが猫に引っかかれたんですか?意外ですね。」

 鈴の言うその三毛猫はきっと厘のことなんだろうが、とりあえず鈴が納得してくれて佐助は助かった。




 佐助がほっと一安心したのも束の間、正面から見知った姿が見えてくる。

「おーおー、いつも朝に来るって聞いてたが、お前らだいぶ早い時間にここに来てたんだな。」

 向いからやってくるのは紺瑠璃こんるりの派手な肩衣袴かたぎぬばかまを召している伊達政宗と、その横で宗伝唐茶そうでんからちゃの地味な袴姿の小十郎だ。
 相変わらず政宗はどこに居ても目立つ。明るい表情を浮かべながらこちらに近寄ってくる政宗とは対照的に、負のオーラを一層強める自身の主に佐助はひきつる頬を抑えきれない。



「…なんの用ですか?」

 信繁は、此度の『押し倒し事件』の引き金となった政宗を睨みつけた。まぁ、自身の気持ちに気づけたいいきっかけでもあったのだが。

「おいおい。なんだよ、機嫌が悪いな…。…俺、今度の朝鮮への船に乗ることになったんだよ。だから今俺の陣屋も忙しくてさ、今朝時間が出来たから徳に挨拶しておこうと思って。」
「…徳?」

 信繁がぴくっと反応して政宗を睨む瞳に鋭さが増す。

「あ?」
「なんであなたが大谷の姫のことを徳と呼び捨てにしているんですか?」
「別に、仲良くなったんだから呼び捨てだろうが何だろうがお前に関係ないだろ?」

 佐助は黒いオーラがビシビシと体に突き刺さる。恐ろしくて横にいる主に視線を送ることさえ出来ない。政宗は知ってか知らでか飄々と答えているが、それもまた信繁を刺激するのだろう。

「と、とりあえず、今は誰にも会いたくないみたいなんです!ささっ!政宗様も今日は帰りましょう!」
「マジかよ…、次いつ会えるか分かんなねぇのに…。」

 佐助は「いや、もう来るな。お願いだから!」と心の中で返事を返して話を変える。

「政宗様がいなくなるのは残念だなー。で?いつの船で出発するんですか?」
「…本当に残念がってんのかよ…。…2日後だな。昨日急に言われてよ。俺の陣屋は昨日から大忙し。ま、ここにきてずっと暇だったからやっとって感じだぜ。真田には話はまだ来てねぇの?」
「いんやー、今のところそんな話はないですよ。ねぇ?主様。」
「……………あぁ。」
 不承不承ふしょうぶしょうと返事を返す信繁に、佐助は頭痛が止まらない。

(…ほんと、姫さんのことになったら厄介っ!)



「あの、政宗様は…、いつ戻られるんですか?」
 そんな中、佐助にとっては救いの声が響いた。鈴だ。鈴の可愛らしい声が一気に空気が軽くする。

「ん?それは分かんねぇんだわ。…様子見て戻ってくると思うけど。」
「そうなんですね…。では、本当に次いつ会えるか分からないんですね…。」
「おいおい、そんな悲しそうな顔するなよ鈴ちゃん。かわいい顔が台無しだぜ?」
「もう!政宗様はすぐそういったこと言う!」
「はは!照れんなって。」
 政宗はぷんぷんと頬を赤らめて怒る鈴の髪をわしゃわしゃと撫でまわす。

「ひゃっ!や、…やめてくださいー!」
「…政宗様。徳殿に会えないのでしたら、そろそろ陣屋へ戻りましょう。」
「はいはい…。せっかく時間作ってきたってのによー。」

 本当に挨拶程度のわずかな時間を作ってきたようだ。小十郎に声をかけられた政宗は、徳へ会うことは諦めたらしい。


「あ、そうだった、信繁…。」
 政宗が思い出したように信繁の耳元へ顔を近づける。






「―――――――――――――。」




「…っ!?」
「ははっ、じゃあな。お前らも元気でやれよ。」
 政宗が何を言ったのか分からない。しかし、信繁が一気に殺気だつ。
 しかし、それを無視して、耳元から離れる際に肩をポンポン叩くと政宗は笑顔でその場を去っていった。








「…えーっと、大丈夫?主様…。」
「…。」
 佐助の声も聞こえていないのか、政宗を睨みながら信繁は動かない。
 その隣で不安そうに信繁を見つめる鈴。





(あーーー、もーーー、頭痛いよ!!!。めんどくせーーー!!!!)






 政宗が何を言ったのかは分からない。しかし、十中八九『大谷徳』についてだろうと察した佐助は、もはや何角関係になっているのか分からない現状に心の中で叫んだ。












◇◇◇◇◇


「政宗様、信繁殿で遊ぶのはいかがなものかと…。」
「あぁ?」

 政宗は時間がなくともゆっくり城下を見ながら歩くのが好きだ。チャクラなどは使わず、人々の活気を肌で感じながら伊達陣屋を目指す道中、小十郎が渋い顔で政宗をたしなめた。

「…何のことだ?」
「先ほど信繁殿につぶやいた言葉です。何を仰ったのかははっきりとは分かりませんが、徳殿についてでありましょう?」

 こちらも流石自身の主についてだ。何を発言したのか雰囲気で察した小十郎は渋い顔のままで話を進めた。

「そうそう。信繁と徳って婚約してんだろ?なんで隠してんのか分かんないけど。そんな様子も全くないし、信繁は信繁で鈴と仲良くやってるし。あいつら何やってんだかな。」
「…お二人の関係が心配なのは分かりましたが、あまり刺激しない方がよろしいかと…。」
「は?何言ってんの?」
「…?」
「俺、本気で徳のこと気に入ってんだけど。」
 その一言で、小十郎は鳩が豆鉄砲を食ったような表情を浮かべた。
「…は!?ま、政宗様!あなたには愛姫めごひめ様が…。」
「だってみんな側室側室うるせぇんだもんよ。愛姫も愛姫で俺に対しては滅茶苦茶冷たいしよ。」
 その発言に小十郎は「うっ」と言葉に詰まり、ごにょごにょと喋りだす。

「…それは、あなた方がご結婚されて13年にもなりますが、お世継ぎがいらっしゃらないのと、夫婦仲があまり…。」
「俺は愛姫に優しくしてるぞ?…ってか、俺ら結婚したの12、13歳だぜ?結婚が嫌であの態度なのかと思ったけど、流石に大人になったらもう少しは和らいでもいいだろ…。…たくっ、愛姫ほど何考えてんのか読めないやつは居ねぇよ…。」
「愛姫様は少し気難しいと言いますか…、嫌ってはいないとは思いますが…。」
「でも、今のままじゃさすがにまずいんだろ?おれも当主になっちまったし、世継ぎ世継ぎってうるせぇのなんの。それに、大谷家だと俺たちにとっても損じゃねぇし。」
 政宗の意見はごもっともなのだが。小十郎は頬を掻きながら政宗を見やる。

「いや…、しかしながら…信繁殿の婚約者とは…。」
「だから、一応忠告してやったの。今すぐに奪おうなんざ思ってねぇよ。……でも、このままの状況だったら俺がもらっちゃおうかなぁって思っただけ。側室でも悪い待遇にはしないさ。…徳にどんな秘密があろうと別にどうでもいい。……俺は徳が気に入っちゃったからなぁー。」
「…。」

 「話終了!」とでも言うように政宗はニカッとまぶしいほどの笑顔を浮かべ歩調を早めた。

「…あなた様が何処まで本気か分かりませんが、真剣に考えてらっしゃるのならば致し方ありません…。」
「おいおい。何だよその言い方…。ってか、雨降ってねぇ?」
「む…。確かに、ぽたぽたと…。」
「げっ早く帰ろうぜ。今風邪ひいちゃいられねぇよ!」

 曇天からついに雨が降ってきた。街並みを見ながらゆっくりと歩いていた伊達主従は、チャクラを使ってその場を後にした。
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