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4.オルブライト侯爵の嘘

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「あの……!」

 パトリスは決心して声を上げる。

「そのお役目、私が引き受けてよろしいでしょうか?」

 一介のメイドに、仕事を選ぶ権利は与えられていない。アンブローズと執事長の頭の中には、パトリス以外の誰かの名前が浮かんでいるかもしれない。
 そうとわかっていても、好きな人のもとにいられるチャンスを諦めたくなかった。三年越しの待望の再会なのだ。
 
「ホリングワース男爵が目の見えない生活に慣れるまででも構いません。ホリングワース男爵のもとで働いて、お手伝いしたいのです」 
「もしかしてその声は……パトリス?」
 
 ブラッドに名を呼ばれたパトリスは、びくりと肩を揺らす。ブラッドの力になりたいという思いが高じて立候補したが、ブラッドにはメイドをしていることを知られるのはまだ抵抗が残っている。
 心の中で様々な想いが複雑に交差し、パトリスの行動を制止させた。

「パトリス、ここにいるのかい?」 
 
 ブラッドはもう一度、パトリスの名を呼ぶ。
 ゆっくりと、声の名残を辿るように、顔をパトリスに向けた。しかし橄欖石のような瞳がパトリスの姿を映すことはない。パトリスがどこに立っているのかわからないため、彼女の姿を探して視線を動かしている。
 たとえ見えないとわかっていても、パトリスの姿を映そうとしているようだった。その姿に、パトリスは胸を痛めた。
 
 押し黙ってしまったパトリスの代わりに答えたのはアンブローズだった。
 
「違うよ。その子は三年前からうちで働いている、ハウスメイドのリズだ」

 息をするようにごく自然と嘘をつくと、パトリスに向かってパチンとウインクしてみせる。自分がこの場を収めるから安心しなさいと、言っているようだった。
  
「そうでしたか。知り合いと声が似ているので、勘違いしてしまいました。申し訳ございません」
「いえ、どうかお気になさらないでください。声だけだとなおさらわかりにくいかと思いますので……」

 パトリスはホッと胸を撫でおろす。ブラッドを騙して申し訳ないが、彼に気づかれなくて安心した。
 
「うん、わかったよ。それじゃあ、メイドはリズにしよう」
 
 アンブローズの宣言に、パトリスは心の中で両手を挙げて喜んだ。しかし押さえたところで表情にはありありと喜びが滲んでいる。
 そんな彼女の姿を、アンブローズは紫水晶のような瞳を眇めて見守った。

「リズは優秀なメイドだから手放すのは惜しいが、愛弟子の助けとなるならぜひ送り出したい」
「……優秀ならなおのこと、俺の家で働かせるのは申し訳ないです。リズさんの言う通り、俺が目の見えない生活に慣れるまでの契約にさせてください。慣れてからは、執事もメイドも俺の方で雇いますから」

 心優しいブラッドは、会ったばかりの架空のメイドのリズことパトリスを心配してくれている。
 侯爵以上の高位貴族の屋敷で働くのであればまだしも、下位の爵位である男爵家の屋敷で働かせると、リズの職歴に影響が出ると考えているのだ。
 
 その気持ちは嬉しいが、ブラッドのために申し出ているパトリスには不要の気遣いだ。

 できることなら永遠にブラッドのもとで働きたいと思う一方で、期限をつけて引くべきだとも思う。
 爵位と領土を賜ったブラッドは、貴族の一員となった。それに付随して彼も政略結婚を結び、自身の立場を強固にしなければならない。

 妻を迎えたブラッドを見るのは、さすがに耐えられそうもない。
 
「リズ、下がっていいよ。荷物をまとめてきなさい。今日からブラッドの家で働くといい」
「ありがとうございます。それでは、荷物をまとめるため失礼します」
「執事長はシレンスに説明してきてくれ」
「かしこまりました。すぐに伝えます」

 温室を出たパトリスは、屋敷の西側の三階にある自身の寝室へと向かった。
 寝室はホリーとの相部屋だ。部屋の中央を境に左右対称になるようにベッドとクローゼットと机が置いてある。

 パトリスは飴色のクロゼットの両扉を開け放つと、一番下の段に置いていた焦げ茶色のトランクを取り出て床の上に広げる。これは、三年前に実家のグランヴィル伯爵家を追い出された時に持っていたのものだ。
 この三年間は全く使う機会がなかったため、顔を合わすのは久しぶりだ。

「お仕着せと、下着と、寝間着と……執事長とホリーから貰った本も持っていこう」

 あれもこれもと詰めていると、荷物がトランクから盛り上がってしまう。
 
「う~ん、蓋が閉まりそうにないから、いくつか置いていかないといけないわね……」
 
 パトリスはしゃがみ込んだ状態で頭を抱えた。この屋敷に来たばかりはトランク一つで済んでいたのに、今は思い出の品がたくさんあって入りきらない。
 この屋敷に来てから、パトリスはたくさんの楽しい思い出と温かな贈り物を得たのだ。

 居残りさせる荷物を決めるべく荷物とにらめっこをしていると、扉を叩く音が聞こえてきた。返事をして扉を開けると、目の前にアンブローズが現れる。
 
「旦那様!」
「準備は順調かな?」
「トランクに入りきらないので、なにを置いていこうか迷っています」
「迷う必要はないよ。そういうときは、この大魔導士アンブローズ様に任せなさい」

 アンブローズが指先で宙をなぞると、パトリスのトランクの周りに金色の光の粒子が現れた。アンブローズがトランクに魔法をかけたようだ。

「魔法でトランクの内部を拡張したから、これでたくさん入るよ」
「ありがとうございます! やっぱり、旦那様の魔法は世界一です!」
「可愛い愛弟子にそう言ってもらえると嬉しいよ」 
 
 アンブローズはふわりと微笑むと、腕を組んで扉に寄りかかる。そうして、荷造りをしているパトリスの横顔を眺めた。
 
「本当に、期限はブラッドが目の見えない生活に慣れるまででいいのかい? パトリスは、ブラッドを好いているだろう?」
「……ご存じだったのですね」
「愛弟子たちのことは世界で一番知っていると自負しているからね。パトリスが私の腰ぐらいの背丈だった頃からブラッドに想いを寄せていることに気づいていたよ」 
「――っ!」 

 パトリスは弾かれたように顔を上げ、アンブローズを見た。まさか、恋に落ちた頃から知られているとは思ってもみなかったのだ。
 
「このままずっと、ブラッドへの想いを隠すのかい?」
「そのつもりです」
「どうして?」
「……ブラッドは私の初恋で――今もずっと想い続けています。だけど、愛しているからこそ、私の想いを伝えて困らせたくないんです」

 パトリスは眉尻を下げると、今にも泣きそうな顔で無理やり笑みを取り繕った。
 泣いてしまうと、アンブローズが心配するとわかっている。そうならないよう、無理やり頬の筋肉を動かして耐える。
 
「魔法が使えない落ちこぼれの私が、爵位を得て貴族となったブラッドに想いを伝える権利なんてありません」
「……魔法使いたちが君に、いくつもの疎ましい魔法をかけてしまったようだね」

 アンブローズは、パトリスには聞き取れないほどの小さな声で呟いた。腕を組む力が強まり、彼のローブにくしゃりと不格好な皺を作った。
  
「そうだ、パトリスに渡す物があって来たんだよ」

 アンブローズがパチンと指を鳴らすと、パトリスの首に銀色の華奢な鎖のネックレスが現れる。ネックレスの先には、アンブローズのピアスと同じ青色の魔法石がついている。

 アンブローズは魔法で手鏡を取り出すと、パトリスの前に移動させる。鏡を覗き込んだパトリスは感嘆の声を零した。
 
「私の髪色が変わっている?!」

 鏡に映るパトリスの髪の色は栗色になっている。パトリスは自分の髪をツンと指先でつついた。

「その魔法具で髪色を変えたんだ。君の銀色の髪は目立つから、この屋敷の外にいる間は必ずこの魔法具で隠しておくんだよ?」 
「わかりました。素敵な贈り物をありがとうございます。ふふっ、旦那様のピアスとお揃いですね」
 
 パトリスは嬉しそうにネックレスを手に取り、青い石を見つめる。パトリスが久しぶりに見せた無邪気な微笑みに、アンブローズは頬を緩ませた。
 
「辛くなったら、いつでも戻っておいで。この屋敷はパトリスの職場である以前に、パトリスの帰る家なのだから」
「――っ、ここを家だと思って、いいんですか?」
「当然だ。だから、荷物は全部持っていかないようにね。ここが空になってしまうと、私が寂しくなってしまう」

 そう言い、アンブローズは目元に手を当てて泣き真似をした。
 師匠であり主人でもあるアンブローズのわざとらしい演技に、パトリスは思わず笑い声を零した。

「旦那様は私に甘すぎます」
「師匠は愛弟子に甘い生き物なんだよ。覚えておきなさい」

 世の魔法使いの師弟がそのようなものだとは思えない。実家にいた時はレイチェルが彼女の魔法の師と一緒にいるところを見たことがあるが、彼女たちの関係性はパトリスとアンブローズとはかなり違っていた。

 レイチェルの師の名前はトレヴァー・プレストン。伯爵家の当主で、年齢はアンブローズより年上の五十代。
 パトリスの父親と同様に表情に乏しい人物で、パトリスは遠目からでも彼の顔を見ると、その場で震えるほど怯えた。

 トレヴァーのレイチェルへの接し方は、まるで雇い主とその使用人のようだった。トレヴァーはいつもレイチェルに命令口調で、自分の後ろにレイチェルを付き従わせていた。

 ずっと昔にブラッドから聞いた話によると、トレヴァーは王立魔法使い協会のトップ――大魔法使いの座を狙っていたが、前大魔法使いがアンブローズを後任にしたことで夢が破れたらしい。
 そのためか、表面上はアンブローズと仲良くしているが、彼らが揃うと空気がピリピリとするらしい。

「旦那様、ひとつお願いを聞いていただいてもいいでしょうか?」
「言ってごらん。贐として叶えよう」
「庭園のお花を少し、いただきたいです。手紙と一緒にして……奥様に渡してもらうよう執事長にお願いしようと思います。ずっと、お見舞いができたらと思っていたんです」
「……うん、いいよ。好きな花を摘んでおいで。ここで待っているから、持って来るといい。私からレイチェルに渡そう」
「ありがとうございます!」

 パトリスはアンブローズに礼をとると、軽やかな足取りで部屋を出た。
 
「自分を捨てた家族のために見舞の花と手紙を用意するなんて、私では考えられないよ。パトリスは本当に、心優しい素敵な女性に育ってくれたね。色々なしがらみがなければ、ぜひ養女として迎えたかったものだ」

 アンブローズはパトリスのいなくなった室内を見渡す。室内の中央にポツンと佇む焦げ茶色のトランクを見ると、脳裏に三年前のパトリスの姿が過った。
 そっと溜息を吐き、目元を手で押さえる。
 
 全てを失い、絶望に打ちひしがれていたあの水色の瞳を思い出すと、やるせなさと怒りが込み上げてくるのだ。
  
「魔法使いとは、傲慢で愚かな生き物だよ。威張り散らしているくせに、肝心なものを守れやしない。馬鹿馬鹿しくてならないよね?」

 アンブローズは、開いた扉の外に目を向ける。そこにいる人物に同意を求めた。
 
「レイチェル、君もそう思うだろう?」 

 扉の外にいたレイチェルは、返事の代わりにアンブローズを睨みつけた。
 パトリスと同じ色、しかし氷の剣のような冷たさと鋭さを併せ持つ、水色の瞳で。
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