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5.オルブライト侯爵の過去
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「レイチェル、君もそう思うだろう?」
扉の外にいたレイチェルは、返事の代わりにアンブローズを睨みつけた。
パトリスと同じ色、しかし氷の剣のような冷たさと鋭さを併せ持つ、水色の瞳で。
レイチェルは黒地に銀糸の刺繍が施されたマーメイドドレスを着ており、金色の美しい髪は結婚した貴婦人らしく結い上げている。
年上の大魔導士に嫁いだ年若い妻の雰囲気はなく、むしろ侯爵夫人としての風格が現れている。
「たしかに魔法使いの中にはそのような者もいますが、全員ではありません。ひとまとめに批判するのはいかがかと思います」
レイチェルは眉一つ動かさず、水色の瞳にアンブローズを映す。彼の心を見透かそうとしているような眼差しだ。
「ところで、私に黙ってパトリスを外に出すとは、どういうおつもりなのです?」
「なんだ、もうバレてしまったのか。温室に盗聴魔法でもかけていたの?」
アンブローズはわざとらしく肩を竦める。パトリスの刃のような視線も、彼にとっては痛くも痒くもない。
「あの子の願いを叶えてあげたいだけさ」
「気まぐれなことを。時が来たらあの子をオルブライト侯爵領の領主邸で働かせると、婚約する時に言っていたではないですか!」
「事情が変わったんだよね。まあ、どのみちパトリスがこの屋敷を空けるからいいだろう?」
「約束が違うわ……!」
「口約束で残念だったね。どうしても守ってほしいのであれば、契約書に書くべきだった」
アンブローズはレイチェルに歩み寄ると、体を屈めて彼女の顔を覗き込む。水色の瞳には不敵な笑みを浮かべたアンブローズが映り込む。
「私はパトリスの師として、あの子の意思を尊重したいんだよ。師匠というのはね、弟子のためなら卑怯者にもなれるんだ」
怒りでわなわなと震えるレイチェルに畳みかけるように、彼女の耳元に口を寄せる。
「パトリスと君はもう赤の他人だ。パトリスがなにをしようと、口出しする権利はないはずだよね? それとも、今からパトリスを捕まえて、みんなの前で姉らしく振舞って止めるつもりかい? それは得策ではないと思うよ」
「――っ」
レイチェルは歯を食いしばると、黙って踵を返す。
アンブローズは去り行く妻の背を眺めながら、ほろ苦く笑った。
「我ながら大人げなかったな。おまけに、救いようがないほど性格が悪い」
そっと溜息をつくと、耳元で揺れるピアスに指先で触れた。
「レイチェルを見ていると師匠を思い出してしまうから、どうも大人らしく振舞えないんだよねぇ……まあ、ただの言い訳になってしまうけれど」
ゆっくりと瞼を閉じると、今は亡き師匠の姿を思い浮かべるのだった。
***
他の魔法使いと同様に、アンブローズにも師匠がいた。彼の場合は事情があって他の魔法使いたちより早くに弟子入りしたのだった。
アンブローズは生まれつき保有する魔力が多く、三歳の頃から魔力暴走に苦しめられていた。暴走した魔力が爆発のような魔法を引き起こし、オルブライト侯爵家のタウンハウスの一室が黒焦げになったことさえある。
魔力の暴走は持ち主の感情によって誘発される。怒りや悲しみだけではなく、喜びさえも暴発のきっかけとなった。
いつ爆発するかわからない爆弾のような子どもに、使用人たちは怯えてしまった。アンブローズの両親――前オルブライト侯爵夫妻は息子の体を心配し、魔力暴走を止める方法を探した。
この世界では神官が治癒魔法で傷や病を癒しているため、彼らに助けを求めることもあった。しかしどの方法も、アンブローズの魔力暴走を止められなかった。
打つ手がなくなってしまった前オルブライト侯爵夫妻は、悩んだ末にアンブローズが魔力暴走を止められるまで彼を防御結界を施した部屋に閉じ込めることにした。
三歳の子どもにとって、部屋に閉じ込められるのは耐えがたいものだった。おまけに人との関わりも最小限に抑えられていたため、結果としてアンブローズの不安を感じ取った魔力が暴走し続けるのだった。
魔力暴走は暴走させている本人の体に大きな負担をかけるもの。息子を苦しみから救いたいオルブライト侯爵夫妻は、当時の大魔法使いであるオーレリア・エアルドレッドに相談した。
オーレリアは平民ながら魔法の才覚を表して歴代最年少の二十代で大魔法使いに就任した天才だ。栗色の髪と青い瞳を持つ、華やかさはないが上品な美しさがある女性だった。
彼女の実力を買った前代の大魔法使いの使命で大魔法使いとなったが、平民出身で年若い彼女の就任に、プライドが高い貴族の魔法使いからの反発がなくはなかった。それでもオーレリアは委縮せず、凛とした態度で根気強く彼らと向き合い、老若男女と身分を問わず王立魔法使い協会に所属する魔法使いたちを牽引した。
実力があるとはいえ、侯爵位を持つ高位貴族が平民出身の彼女に頼るのは気が引けた。しかし背に腹を変えられないオルブライト侯爵夫妻は、彼女に頼ることにしたのだ。
オーレリアはアンブローズを弟子として引き取り、自身の邸宅に住まわせた。オーレリアは未婚だったが、忙しい両親に代わり妹の世話をしていた経緯もあり、アンブローズを弟のように大切に育てた。
これまでアンブローズを遠巻きに見ていた家族や使用人たちとは異なり、オーレリアは一日のほとんどをアンブローズと一緒にいてくれた。そしてアンブローズが魔力暴走を起こしそうになると、溢れ出そうになる魔力をオーレリアが自身の体内に移すことで暴走を防いだ。
常人なら許容を超える魔力が流れ込んでくると体内の組織が破壊されてしまうため決してできない手法だが、オーレリアは魔力のコントロールに優れていたため成し得た対策だった。
いつアンブローズの魔力暴走が起こっても対応できるよう、オーレリアはいつもアンブローズの手を繋いでいた。
孤独を抱えていたアンブローズにとって、その手は温かく特別なものだった。幼い頃のアンブローズはいつも、雛鳥のごとくオーレリアの後をついていた。
オーレリアは真面目で曲がったことが嫌いだったため、周囲の人間や弟子のアンブローズにも真摯に接した。
彼女のそのような性格は長所でもあるのだが、時としてその真っ直ぐな性格故に狡猾な貴族たちに足元を掬われそうになることもあった。オーレリアを慕うアンブローズはそんな彼女を助けたいと思い、貴族らしい腹の探り合いを習得するのだった。
アンブローズが八歳になる頃には、オーレリアへの想いは師への敬愛から愛する女性への恋に変遷した。その恋心が強いあまり、彼は貴族の責務である婚姻を躊躇った。とはいえ師を愛しているから結婚はできないとは言えず、研究に打ち込むことを理由にして誤魔化した。
十五歳を過ぎる頃からは両親からは跡継ぎについてほのめかされたが、いずれ親戚から養子をとると言って逃げるのだった。
アンブローズはオーレリアの助けになりたかったし、彼女の願いならなんでも叶えたいと思っていた。だからこそ、オーレリアが密かに企てていた復讐の計画を知ると、力になりたいと申し出たのだった。
オーレリアが復讐したがっている相手は、前プレストン伯爵家の当主。後にレイチェルの師匠となるトレヴァー・プレストンの父親だった。前プレストン伯爵はその昔、オーレリアの妹を不慮の事故に見せかけて昏睡状態にしたのだ。それ以来、彼女は目を覚ましていない。
オーレリアの妹は、平民には珍しく銀色の髪を持って生まれた。エスメラルダ王国では銀色の髪は王国が祀っている慈愛の女神であるグレースと同じ髪色として特別視されていた。
稀に両親が銀色の髪ではなくとも銀色の髪を持って生まれる子どもが現れ、彼らは神官よりも高度な癒しの魔法を使えた。そのため、銀色の髪を持つ者たちは神秘的な存在だった。
オーレリアの妹もまた、両親の髪色とは異なり突然銀色の髪を持って生まれ、優れた癒しの魔法を使えた。神官では切り落とされた腕を治すことはできないが、オーレリアの妹は成すことができた。――しかしそれには、相応の代償が必要だった。
高度な癒しの魔法は、使い手の体力を削る。そのため本来は神官たちによって保護され、有事以外は行使させないようにしていた。そのことを、平民のオーレリアたちは知らなかった。平民には知らされていない事実だったのだ。
銀髪の平民が神官顔負けの癒しの魔法を使えるという噂を聞きつけた前プレストン伯爵は、オーレリアたち一家の前に現れた。その当時、オーレリアは十歳で妹は五歳だった。
前プレストン伯爵は言葉巧みに一家を騙し、オーレリアの妹を弟子入りさせるという名目で預かった。その三か月後、オーレリアの妹は眠ったままの状態で帰ってきた。
妹が元気な姿で帰ってきてくれることを心待ちにしていたオーレリアは、変わり果てた妹の姿に絶句した。三カ月前までは元気に走り回っていた妹はやつれており、青白い顔で眠っていたのだ。明らかに、たった一度の事故が原因には見えなかった。
後にオーレリアの妹を不憫に思ったプレストン伯爵家の使用人が見舞いに来て、オーレリアたちに真実を告げる。
前プレストン伯爵はオーレリアの妹を、研究材料としてひたすら魔法を行使させていたのだ。事故などではなく、小さな体で魔法の代償を受け続けたことが原因だった。
真実を知っても、平民であるオーレリアたち一家と使用人たちは、前プレストン伯爵を断罪することができなかった。証拠を隠されているうえに、身分の壁が彼女たちの前に立ち塞がっていたのだ。
幸にも妹は一年後に目を覚ましたが、彼女はもう二度と魔法が使えない体になっていた。魔法の代償に蝕まれ、魔法を使うと体が拒絶反応を起こすようになってしまった。
妹の仇を討つために、オーレリアは大魔法使いになること決意した。大魔法使いは実力があると平民でも就くことができ、その地位は高位貴族に等しいものだ。オーレリアは前プレストン伯爵も、彼が妹を酷使していること止めなかったプレストン伯爵家の家人たちも許せず、彼らを没落させるために大魔法使いを目指したのだった。
そうして大魔法使いになったオーレリアは、復讐をするために妹が酷使されていた証拠やプレストン伯爵家の弱みを探っていた。しかし決定的に彼らを没落させられる証拠を見つけられず、気づけば三十代に差し掛かっていた。
その時、アンブローズは十五歳の青年に成長していた。八方塞がりなオーレリアを助けたい一心でその想いを伝えたが、オーレリアは大切な弟子を自分の仇討ちに巻き込みたくなかった。度重なるアンブローズの申し出を断り、逃げるように参加した魔物討伐で、仲間を庇って命を落としたのだった。
遺されたアンブローズは師の無念を晴らすために、仇討ちを引き継いだ。たとえオーレリアが望んでいないとわかっていても、彼女の悲願を叶えたかった。
アンブローズはその八年後に大魔法使いになると、前プレストン伯爵がオーレリアの妹にした悪事の証拠を集めて事件を明るみに出した。すると前プレストン伯爵は家族に裏切られ、彼一人だけが監獄に送られることとなった。
アンブローズは抜かりなくプレストン伯爵家に慰謝料を請求し、そのお金をオーレリアの妹に渡した。依頼、彼女をオルブライト侯爵領で匿っている。
彼の師が望んでいないのに勝手に仇討ちを進めたというのに、師の望み通りの復讐ができなかった。
使命感で動いていたアンブローズは、胸に残る虚しさとやるせなさで気落ちしていた。そんな時、彼の同期で交流があるグランヴィル伯爵――パトリスの父親が、アンブローズにパトリスの名付け親になってほしいと頼んだことで、アンブローズはパトリスと出会った。
グランヴィル伯爵に案内されてパトリスのいる部屋へ行くと、彼女の姉のレイチェルがいた。グランヴィル伯爵が言うには、レイチェルは妹を可愛がっており、片時も離れようとしないらしい。
レイチェルはアンブローズに気づくと、水色の瞳でじっと彼を見つめた。二歳の子どもらしくない透徹とした眼差しにいささか引っかかりを覚えたが、グランヴィル伯爵にパトリスを見せられたことで、その不可解さは霧散した。
初めてパトリスと対面したアンブローズは、パトリスの銀色の髪を見て一抹の不安を感じたのだった。
パトリスの髪色は彼女の母親から遺伝したものであり、パトリスの母親は銀色の髪を持つ者特有の癒しの力を持っていない。それでもパトリスがその力を持つかどうかはわからないのだ。
もしも師匠がこの赤子を見たら、どうするだろうか。
アンブローズは、オーレリアの真っすぐな眼差しを脳裏に描く。
(きっと、この子は不幸な目に遭わないよう、守ろうとするはず――……)
だからこそ彼女の代わりに、自分がその役目を担おう。
「――決めた。君の名前はパトリスだ。時が来たら私の弟子にする。それまでは決して、誰の弟子にもなってはいけないよ?」
アンブローズはパトリスに微笑むと、指の背でそっと、彼女の柔らかな頬を撫でた。
扉の外にいたレイチェルは、返事の代わりにアンブローズを睨みつけた。
パトリスと同じ色、しかし氷の剣のような冷たさと鋭さを併せ持つ、水色の瞳で。
レイチェルは黒地に銀糸の刺繍が施されたマーメイドドレスを着ており、金色の美しい髪は結婚した貴婦人らしく結い上げている。
年上の大魔導士に嫁いだ年若い妻の雰囲気はなく、むしろ侯爵夫人としての風格が現れている。
「たしかに魔法使いの中にはそのような者もいますが、全員ではありません。ひとまとめに批判するのはいかがかと思います」
レイチェルは眉一つ動かさず、水色の瞳にアンブローズを映す。彼の心を見透かそうとしているような眼差しだ。
「ところで、私に黙ってパトリスを外に出すとは、どういうおつもりなのです?」
「なんだ、もうバレてしまったのか。温室に盗聴魔法でもかけていたの?」
アンブローズはわざとらしく肩を竦める。パトリスの刃のような視線も、彼にとっては痛くも痒くもない。
「あの子の願いを叶えてあげたいだけさ」
「気まぐれなことを。時が来たらあの子をオルブライト侯爵領の領主邸で働かせると、婚約する時に言っていたではないですか!」
「事情が変わったんだよね。まあ、どのみちパトリスがこの屋敷を空けるからいいだろう?」
「約束が違うわ……!」
「口約束で残念だったね。どうしても守ってほしいのであれば、契約書に書くべきだった」
アンブローズはレイチェルに歩み寄ると、体を屈めて彼女の顔を覗き込む。水色の瞳には不敵な笑みを浮かべたアンブローズが映り込む。
「私はパトリスの師として、あの子の意思を尊重したいんだよ。師匠というのはね、弟子のためなら卑怯者にもなれるんだ」
怒りでわなわなと震えるレイチェルに畳みかけるように、彼女の耳元に口を寄せる。
「パトリスと君はもう赤の他人だ。パトリスがなにをしようと、口出しする権利はないはずだよね? それとも、今からパトリスを捕まえて、みんなの前で姉らしく振舞って止めるつもりかい? それは得策ではないと思うよ」
「――っ」
レイチェルは歯を食いしばると、黙って踵を返す。
アンブローズは去り行く妻の背を眺めながら、ほろ苦く笑った。
「我ながら大人げなかったな。おまけに、救いようがないほど性格が悪い」
そっと溜息をつくと、耳元で揺れるピアスに指先で触れた。
「レイチェルを見ていると師匠を思い出してしまうから、どうも大人らしく振舞えないんだよねぇ……まあ、ただの言い訳になってしまうけれど」
ゆっくりと瞼を閉じると、今は亡き師匠の姿を思い浮かべるのだった。
***
他の魔法使いと同様に、アンブローズにも師匠がいた。彼の場合は事情があって他の魔法使いたちより早くに弟子入りしたのだった。
アンブローズは生まれつき保有する魔力が多く、三歳の頃から魔力暴走に苦しめられていた。暴走した魔力が爆発のような魔法を引き起こし、オルブライト侯爵家のタウンハウスの一室が黒焦げになったことさえある。
魔力の暴走は持ち主の感情によって誘発される。怒りや悲しみだけではなく、喜びさえも暴発のきっかけとなった。
いつ爆発するかわからない爆弾のような子どもに、使用人たちは怯えてしまった。アンブローズの両親――前オルブライト侯爵夫妻は息子の体を心配し、魔力暴走を止める方法を探した。
この世界では神官が治癒魔法で傷や病を癒しているため、彼らに助けを求めることもあった。しかしどの方法も、アンブローズの魔力暴走を止められなかった。
打つ手がなくなってしまった前オルブライト侯爵夫妻は、悩んだ末にアンブローズが魔力暴走を止められるまで彼を防御結界を施した部屋に閉じ込めることにした。
三歳の子どもにとって、部屋に閉じ込められるのは耐えがたいものだった。おまけに人との関わりも最小限に抑えられていたため、結果としてアンブローズの不安を感じ取った魔力が暴走し続けるのだった。
魔力暴走は暴走させている本人の体に大きな負担をかけるもの。息子を苦しみから救いたいオルブライト侯爵夫妻は、当時の大魔法使いであるオーレリア・エアルドレッドに相談した。
オーレリアは平民ながら魔法の才覚を表して歴代最年少の二十代で大魔法使いに就任した天才だ。栗色の髪と青い瞳を持つ、華やかさはないが上品な美しさがある女性だった。
彼女の実力を買った前代の大魔法使いの使命で大魔法使いとなったが、平民出身で年若い彼女の就任に、プライドが高い貴族の魔法使いからの反発がなくはなかった。それでもオーレリアは委縮せず、凛とした態度で根気強く彼らと向き合い、老若男女と身分を問わず王立魔法使い協会に所属する魔法使いたちを牽引した。
実力があるとはいえ、侯爵位を持つ高位貴族が平民出身の彼女に頼るのは気が引けた。しかし背に腹を変えられないオルブライト侯爵夫妻は、彼女に頼ることにしたのだ。
オーレリアはアンブローズを弟子として引き取り、自身の邸宅に住まわせた。オーレリアは未婚だったが、忙しい両親に代わり妹の世話をしていた経緯もあり、アンブローズを弟のように大切に育てた。
これまでアンブローズを遠巻きに見ていた家族や使用人たちとは異なり、オーレリアは一日のほとんどをアンブローズと一緒にいてくれた。そしてアンブローズが魔力暴走を起こしそうになると、溢れ出そうになる魔力をオーレリアが自身の体内に移すことで暴走を防いだ。
常人なら許容を超える魔力が流れ込んでくると体内の組織が破壊されてしまうため決してできない手法だが、オーレリアは魔力のコントロールに優れていたため成し得た対策だった。
いつアンブローズの魔力暴走が起こっても対応できるよう、オーレリアはいつもアンブローズの手を繋いでいた。
孤独を抱えていたアンブローズにとって、その手は温かく特別なものだった。幼い頃のアンブローズはいつも、雛鳥のごとくオーレリアの後をついていた。
オーレリアは真面目で曲がったことが嫌いだったため、周囲の人間や弟子のアンブローズにも真摯に接した。
彼女のそのような性格は長所でもあるのだが、時としてその真っ直ぐな性格故に狡猾な貴族たちに足元を掬われそうになることもあった。オーレリアを慕うアンブローズはそんな彼女を助けたいと思い、貴族らしい腹の探り合いを習得するのだった。
アンブローズが八歳になる頃には、オーレリアへの想いは師への敬愛から愛する女性への恋に変遷した。その恋心が強いあまり、彼は貴族の責務である婚姻を躊躇った。とはいえ師を愛しているから結婚はできないとは言えず、研究に打ち込むことを理由にして誤魔化した。
十五歳を過ぎる頃からは両親からは跡継ぎについてほのめかされたが、いずれ親戚から養子をとると言って逃げるのだった。
アンブローズはオーレリアの助けになりたかったし、彼女の願いならなんでも叶えたいと思っていた。だからこそ、オーレリアが密かに企てていた復讐の計画を知ると、力になりたいと申し出たのだった。
オーレリアが復讐したがっている相手は、前プレストン伯爵家の当主。後にレイチェルの師匠となるトレヴァー・プレストンの父親だった。前プレストン伯爵はその昔、オーレリアの妹を不慮の事故に見せかけて昏睡状態にしたのだ。それ以来、彼女は目を覚ましていない。
オーレリアの妹は、平民には珍しく銀色の髪を持って生まれた。エスメラルダ王国では銀色の髪は王国が祀っている慈愛の女神であるグレースと同じ髪色として特別視されていた。
稀に両親が銀色の髪ではなくとも銀色の髪を持って生まれる子どもが現れ、彼らは神官よりも高度な癒しの魔法を使えた。そのため、銀色の髪を持つ者たちは神秘的な存在だった。
オーレリアの妹もまた、両親の髪色とは異なり突然銀色の髪を持って生まれ、優れた癒しの魔法を使えた。神官では切り落とされた腕を治すことはできないが、オーレリアの妹は成すことができた。――しかしそれには、相応の代償が必要だった。
高度な癒しの魔法は、使い手の体力を削る。そのため本来は神官たちによって保護され、有事以外は行使させないようにしていた。そのことを、平民のオーレリアたちは知らなかった。平民には知らされていない事実だったのだ。
銀髪の平民が神官顔負けの癒しの魔法を使えるという噂を聞きつけた前プレストン伯爵は、オーレリアたち一家の前に現れた。その当時、オーレリアは十歳で妹は五歳だった。
前プレストン伯爵は言葉巧みに一家を騙し、オーレリアの妹を弟子入りさせるという名目で預かった。その三か月後、オーレリアの妹は眠ったままの状態で帰ってきた。
妹が元気な姿で帰ってきてくれることを心待ちにしていたオーレリアは、変わり果てた妹の姿に絶句した。三カ月前までは元気に走り回っていた妹はやつれており、青白い顔で眠っていたのだ。明らかに、たった一度の事故が原因には見えなかった。
後にオーレリアの妹を不憫に思ったプレストン伯爵家の使用人が見舞いに来て、オーレリアたちに真実を告げる。
前プレストン伯爵はオーレリアの妹を、研究材料としてひたすら魔法を行使させていたのだ。事故などではなく、小さな体で魔法の代償を受け続けたことが原因だった。
真実を知っても、平民であるオーレリアたち一家と使用人たちは、前プレストン伯爵を断罪することができなかった。証拠を隠されているうえに、身分の壁が彼女たちの前に立ち塞がっていたのだ。
幸にも妹は一年後に目を覚ましたが、彼女はもう二度と魔法が使えない体になっていた。魔法の代償に蝕まれ、魔法を使うと体が拒絶反応を起こすようになってしまった。
妹の仇を討つために、オーレリアは大魔法使いになること決意した。大魔法使いは実力があると平民でも就くことができ、その地位は高位貴族に等しいものだ。オーレリアは前プレストン伯爵も、彼が妹を酷使していること止めなかったプレストン伯爵家の家人たちも許せず、彼らを没落させるために大魔法使いを目指したのだった。
そうして大魔法使いになったオーレリアは、復讐をするために妹が酷使されていた証拠やプレストン伯爵家の弱みを探っていた。しかし決定的に彼らを没落させられる証拠を見つけられず、気づけば三十代に差し掛かっていた。
その時、アンブローズは十五歳の青年に成長していた。八方塞がりなオーレリアを助けたい一心でその想いを伝えたが、オーレリアは大切な弟子を自分の仇討ちに巻き込みたくなかった。度重なるアンブローズの申し出を断り、逃げるように参加した魔物討伐で、仲間を庇って命を落としたのだった。
遺されたアンブローズは師の無念を晴らすために、仇討ちを引き継いだ。たとえオーレリアが望んでいないとわかっていても、彼女の悲願を叶えたかった。
アンブローズはその八年後に大魔法使いになると、前プレストン伯爵がオーレリアの妹にした悪事の証拠を集めて事件を明るみに出した。すると前プレストン伯爵は家族に裏切られ、彼一人だけが監獄に送られることとなった。
アンブローズは抜かりなくプレストン伯爵家に慰謝料を請求し、そのお金をオーレリアの妹に渡した。依頼、彼女をオルブライト侯爵領で匿っている。
彼の師が望んでいないのに勝手に仇討ちを進めたというのに、師の望み通りの復讐ができなかった。
使命感で動いていたアンブローズは、胸に残る虚しさとやるせなさで気落ちしていた。そんな時、彼の同期で交流があるグランヴィル伯爵――パトリスの父親が、アンブローズにパトリスの名付け親になってほしいと頼んだことで、アンブローズはパトリスと出会った。
グランヴィル伯爵に案内されてパトリスのいる部屋へ行くと、彼女の姉のレイチェルがいた。グランヴィル伯爵が言うには、レイチェルは妹を可愛がっており、片時も離れようとしないらしい。
レイチェルはアンブローズに気づくと、水色の瞳でじっと彼を見つめた。二歳の子どもらしくない透徹とした眼差しにいささか引っかかりを覚えたが、グランヴィル伯爵にパトリスを見せられたことで、その不可解さは霧散した。
初めてパトリスと対面したアンブローズは、パトリスの銀色の髪を見て一抹の不安を感じたのだった。
パトリスの髪色は彼女の母親から遺伝したものであり、パトリスの母親は銀色の髪を持つ者特有の癒しの力を持っていない。それでもパトリスがその力を持つかどうかはわからないのだ。
もしも師匠がこの赤子を見たら、どうするだろうか。
アンブローズは、オーレリアの真っすぐな眼差しを脳裏に描く。
(きっと、この子は不幸な目に遭わないよう、守ろうとするはず――……)
だからこそ彼女の代わりに、自分がその役目を担おう。
「――決めた。君の名前はパトリスだ。時が来たら私の弟子にする。それまでは決して、誰の弟子にもなってはいけないよ?」
アンブローズはパトリスに微笑むと、指の背でそっと、彼女の柔らかな頬を撫でた。
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