毒入りゴールデンレトリバーの冒険

一本島宝町

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七章

幸せなゴールデンレトリバーのよだれ

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 シクシクシクと真っ暗な闇の中で誰が泣く声が聞こえてきた。声や音が聞こえたのは気を失ってからこれが初めてで、もしかすると僕は死んだのかなと思ってしまう。かなりの時間が経過したことはなんとなくわかった。きっと今はお葬式の途中で、誰かが僕のそばで泣いてくれているのだろう。僕のために泣いてくれてありがとう。そう声をかけたかって抱きしめたかったけど、僕の体は壊れたドローンみたいになんの反応もない。
 今の状況を分析すると、死んでも意識はあるようだ。てっきり死後は意識のない状態で焼かれて灰になるのかなって思っていたけど違うようだ。
 あれ?だとすると僕は焼かれることも体験することになるのだろうか。翔子ちゃんの毒も苦しかったけど、焼かれるなんてそれ以上に苦しいだろう。ヤバい。それはヤバい。絶対に痛いよ、そんなの。なんで人生の最期でそんな地獄を味わわなきゃいけないのか。気分は過去最悪に落ちていく。
 シクシクシク。
 絶望の中でも悲しい鳴き声は聞こえてくる。だんだんとムカついてきた。おい、こっちはこれから焼かれるんだぞ。すごく痛い目に合うんだぞ。心の準備を整えたいからちょっと静かにしてくれよ。そう思うのだけど、やっぱりその言葉は届かずに、シクシクシクと悲しい鳴き声が聞こえ続けている。ああ、なんだか耳元でセミが泣き続けているくらいにうっとおしくなってきた。
「おいっ、ちょっと静かにしてくれよ!」
 怒りに任せて声を出すと、今度はちゃんと声が出た気がした。すると一瞬にして泣き声は止む。あれ?聞こえた?もしかして、僕、生きてる?
 そんな意識が芽生えると、世界がぼんやりと明るくなってきた気がした。太陽の光が地表を照らすみたいに、下の方から徐々に明るくなっていく。真っ白なその光の中心に小さな影が見えた。どうやら泣いていた人らしい。
 その姿は僕よりも子供に見える。もしかして翔子ちゃんなのかと思ったけど、翔子ちゃんよりもずいぶん小さいし、なにより髪の毛が短かった。
 姿は影にしか見えなくて、なんとか目を凝らして誰なのかを確かめようとしたのだけど、指してきた光の逆光で見えることはない。光はどんどん強くなっていき、まぶしすぎて目が痛いくらいだ。もう目視で確認することはできないだろう。
「ねえっ!だれ?君は誰?」
 必死になって声をかけるけれど、子供の影からの返事はなかった。そのかわりにその子供の独り言のようなセリフが耳に届いた。
「…さびしい、さびしい」
 シクシクシクとまた泣き出している。あまりの切なさに抱きしめたくなって近づこうとしたけど、僕の足は一歩も動かなかった。むしろ、引きずられるように子供から離れていく。なにか声をかけたいけれど、何を話せばいいのかもわからずにどんどん引き離されていった。そして僕の視界は真っ白になる。

「ヒロスケ…、ヒロスケッ!」
「うわっ」
 目を開けるとびっくりするくらい至近距離に顔があった。ただ、顔があっただけでも驚くのにそれが女の子の顔だから驚きは倍増する。近すぎて最初はわからなかったけど、よく見ると翔子ちゃんだった。しかも翔子ちゃんの顔は涙と鼻水で汚れてキラキラしている。さらに言うと長い金髪が垂れ下がって僕の顔を覆っているので黄金に囲まれたようにまぶしい。
「お、おお。翔子ちゃん。僕、生きているの?」
「生きてるっ!生きてるよぉ!…ふえぇ、よかったぁ」
 そう言うと翔子ちゃんは僕の顔に自分の顔をこすりつけながら泣いた。
 アー!アー!アー!
 まるで赤ちゃんのような泣き方だった。号泣しながら顔をグリグリとこすりつけてくるものだから、僕の顔は納豆のように糸を引いていた。
「うん。だいじょうぶ。だいじょうぶ」
 僕は片言になりながらも彼女をそっと引き離して体を起こした。僕が寝かせられていたのは病院のベッドのようで真っ白なシーツから消毒剤の匂いが感じられる。どうやら救急搬送されたようだ。
「うん。匂いを感じるって素晴らしい!ちゃんと生きてるって感じがする」
「よかったぁ、よかったぁ…」
 そう言って顔をブンブンと振るけれど、その分、僕の服に鼻水がくっついた。
「うん。よろこんでもらえてぼくもうれしい。だけどぼくのふくにはなみずをつけないで」
 つい抗議の言葉が片言になってしまう。
「ん。ごめん」
 謝ったくせに僕の服のすそでズビーと鼻をかんできやがった。さすがに怒ってもいいよね?
 鼻がスッキリしてようやく落ち着いたのか、翔子ちゃんはようやく僕から体を離してくれた。
「僕は何時間くらい気を失っていたの?」
「五時間くらい。翔子が毒を出しちゃって、ヒロスケとおじさんたちが倒れたの。そしたらユウジが救急車を呼んでくれて」
「そっか。ということはあの男の人たちもここに入院してるの?」
「知らない。でもユウジが警察と話してたよ」
 翔子ちゃんがそう話しているとガラッと扉が開くと、都合のいいことにゆうじ君が入ってきた。
「お、起きたか」
「おはよう。よかった、ゆうじ君は普通だ」
 さすがに男に鼻水はつけられたくない。
 僕が軽口をたたくものだから、ゆうじ君は呆れた表情になった。
「なにが普通だよ。お前、死にかけたんだぞ」
「そうなんだ」
「まあ、無事に生きててよかったよ。病院の先生にお礼を言うんだな」
 一連の会話を黙って聞いていた翔子ちゃんだったが、なぜか急に牙を剥きだしにした。
「なによっ!偉そうに。あんただってここの患者でしょ」
 するとゆうじ君までムキになりだした。
「うるせえ。お前のせいでこうなったんだからな」
「へん。銃を撃ったのは翔子じゃないもんねぇだ」
「反省してないのかっ」
「べー」
 バチバチと二人はにらみ合っているのだけど僕には訳がわからない。
「ねえ。いつの間に仲が悪くなったの?」
 そう聞くと二人は同時にお互いに指をさした。
「「だって、こいつがっ!」」
 声をそろえてそう言うと、二人はにらみ合って再び火花を散らした。意味がわからない。意味はわからないけど無事ならそれでいいや。
 翔子ちゃんとゆうじ君は十分ほどケンカしてようやく満足したようで、翔子ちゃんは病室の椅子に腰かけ、ゆうじ君が僕のそばに立った。そして彼が僕が気を失ってからのいきさつを説明してくれた。
 翔子ちゃんが生み出した毒の竜巻は僕だけでなく、一緒にいたスーツの男二人も巻き添えにしたそうだ。二人は僕と同じく救急搬送されて僕よりも早く意識を取り戻していた。今は治療中ということだけど、数日のうちに銃刀法違反の罪で逮捕されるそうだ。これで一安心だと思ったけど、一つだけ懸念事項があった。それはゆうじ君が縛り上げていた宮下という男が消えていたということ。確かに翔子ちゃんの元に向かうことを優先して宮下を放っておいたまま公園に向かった。その直前に警察に通報したのだが、警察官が駆け付けた時には宮下は姿を消していたそうだ。強引に解いて逃げたのか、あるいは誰か仲間に助けてもらったのか。僕にはよくわからないけど、あの宮下って人は気弱な性格のようだからもう追ってはこないだろう。少なくとも銃を持った人間が逃亡しているということで警察の警戒は強まるから当面は大丈夫だと思う。そう思うのはのんき過ぎるかもしれないけど、ひとまずは安心といったところだろうか。
 安心した僕はだんだんと眠くなってきた。きっと薬の副作用だと思うけど。
 せっかく寝ようとしているのに、また翔子ちゃんとゆうじ君はギャーギャーと騒ぎ始めた。
 ゆうじ君が叫ぶ。
「てめえ、さっきも言ったが、そのおかしな体質を早く警察に説明しろ。誰も俺の説明を聞きやしねえ」
 ゆうじ君も少雨子ちゃんから毒が出るのをしっかりと見ていた。そのことを警察に伝えたそうだけど信じてもらえなかったらしい。確かに人間から毒が出るなんて夢物語でしかない。
 それに対して翔子ちゃんは吠えてかかる。
「べー、だっ!言わないでって言ったのにチクリやがってっ。信じてもらえなかったのはいい気味だ。翔子は自由がいいのっ。だから言うわけないじゃん。警察にばらしたら捕まって里に戻されちゃうよ」
「家出少女のくせに自由なんて生意気なんだよ。こっちは家出のことは黙ってやってるってのによ。早く白状して田舎へ帰れ。このままだと広助に迷惑がかかるだろうが」
「あー、もしかしてヒロスケを取られるのが悔しいんだー。ヒロスケしか友達がいないから寂しいんでしょ。やーい、やーい。さびしんぼう」
「なんだと、このガキが」
「うるさいっ、この筋肉ダルマっ!」
 そういって二人で頬をつねりあっていた。仲が良くていいことだ。
 今の話を聞く限り、翔子ちゃんが毒を出して被害を出したことは警察には知られていないようで安心する。僕は翔子ちゃんの毒にやられてしまった。彼女の危険性は重々に理解できたけれど、僕は彼女を故郷へ帰してはいけないと思い始めている。このまま帰してしまったら、彼女は何一つ夢を叶えることなく閉じ込められてしまうから。そして再び世間と断絶されることで今まで以上に強い孤独が彼女を襲うだろう。その姿は昔の僕を見ているようだった。握った手はお父さんに振り払われ、近づいたお母さんの手に押し返されて転んだ過去を思い出す。そんな悲しい環境は翔子ちゃんには似合わない。パンケーキを食べた時のように、いつまでも笑っていた方が翔子ちゃんらしい。
 翔子ちゃんとゆうじ君のケンカはうるさいけれど、今の僕には賑やかで楽しく感じた。いつまでも楽しく過ごせたらと思う。たとえそれが翔子ちゃんが旅立つまでの一時の楽しさだとしても。僕は楽しい未来を期待して目をつむることにした。
「それじゃあ僕は寝るから。おやすみなさい」
 うるさいけど温かい雰囲気のおかげで僕はすぐに眠りにつけるだろう。いい夢が見れそうだ。
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