魔王さま、今度はドラゴンです!

通木遼平

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第二章 妃選び

30.偽る者

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 連日のぐずついた天気が嘘のようにその日はよく晴れていた。降りそそぐ陽の光が地面にできた水たまりや木々の葉にまだその身を留めている水滴に反射して庭園を穏やかに包み込んでいるようだった。

 軽い生地で作られた薄い水色のワンピースを風がさらりとなでていく。愛らしい小花の模様が描かれた木の皮でできた靴は庭園の飛び石を踏むたびに軽やかな音を立てていた。ふわりと毛先にかけて金から白になるグラデーションの髪が揺れる――。

 軽やかな音が止み、見上げた紫水晶の瞳に映るのは申し訳程度に石が敷かれた小道に影を落とす、どこか鬱蒼とした自然のアーチだった。“白い庭”は雨の日も晴れの日も変わらず静かにそこにある。
 ためらうことなくアーチをくぐり、“白い庭”へと足を踏み込めば地面いっぱいに広がった“星の涙”が落ち着かなさげにざわざわと揺れた。“白い庭”には当然誰もいなかった。たった今通り抜けてきたアーチの方から、かさりと足音が聞こえるまでは。





***   ***





 しわくちゃの手を、骨ばった美しい手がそっと握った。整えられた爪は色づいていて、彼の額から生える角を見なくても彼が人ならざる者だとよくわかった。握り返したいけれど、彼女にはもうそれほど力をこめることができなかった。

「ずっと君の傍にいたい」

 すがるような声だった。

「傍にいて欲しいんだ……」
「……わたしもよ」

 見つめ合った金色の瞳がやわらかく瞬き、それをそらすことなく、重なった手に彼は頬を寄せた。

「でもとても難しいことだわ……あなたの人生はまだこの先もつづいていくもの。きっと新しい出会いもあるわ」
「そんなこと言わないでくれ」

 願うような口づけを手の甲に落として彼は言った。

「俺には君だけだ……君だけが、俺を見てくれた――他の誰にも、こんな気持ちにはならない。君だけが、俺の心の幸いなんだ」





***   ***





 頭が重い。

 ミモザは眉間に思いっきりしわを寄せてぼんやりと天井を見上げた。昔の――前世の夢を見ていた。一番最初、彼と出会った時の夢だ。はあと大きく息を吐きながら両手で顔を覆う。指先に、順調に伸びてきている角がこつんと触れた。



――でも陛下がミモザに向ける視線は明らかに他と違いますよ
――ミモザは陛下のこと、何とも思ってないの?



 ガーディアが参加した雨の茶会の日から数日、ミモザはもう何度もティンクやアンナベルに言われた言葉を思い出していた。あの日、二人の言葉に答えて口にした自分の言葉に嘘はない。
 だからガーディアがミモザの前世の姿となったフィアレンセと最初に顔を合わせた時に見せた動揺に――彼がまず彼女の名前をたずねたことに――傷ついたし、今でも胸の奥に何か苦く重い感情が残っている気がする。

 これは嫉妬だと、ミモザはわかっていた。そしてこの気持ちは、表に出すべきではないと考えていた。

 窓の外はまだ薄暗い。時計を見るとそろそろ夜明けの時間だった。いつもならもう少ししたら起きなければいけない時間だが、今日は休みのため起きるには早すぎる。でも二度寝をすればまた昔の夢を見てしまいそうだ。
 もう一度ゆっくりと息を吐き、ミモザは起き上がった。寝ぐせのついたやわらかな髪が肩からふわふわとこぼれ落ちていく。薄暗い部屋の中、ミモザの毛先にかけて白くなる金髪は淡く光っているようだった。

 視界につるりとした肌の、手の甲がある。夢の中、前世の自分のしわくちゃの手の甲で彼の口づけを受けた場所に触れる。小さな爪は瞳の色に似た薄い紫色をしていた。人間の時と違う色。

 夜明けに近い時間のはずなのに、夜の気配を身近に感じる。ベッドから起き上がり窓辺によってそっとカーテンを開けた。外は静寂に包まれ、時折鳥の声や誰かが動く気配がする。早朝に届く荷物を受け取るための準備をしているのだろうか? 中枢区には毎日他の地区の商店から食料を含めた様々な荷物が届く。夜番の使用人は大抵その荷物を受け取って一日の仕事を終えるのだ。



 ガーディアに会いに行こうと、ここに来てからはじめてミモザは思った。ただ、会って話がしたい――。



 いつもより丁寧に身だしなみを整え、私服に着替える。シンプルだが清潔感のあるシャツと、ゆったりとしたデザインのパンツだ。そうしている間に外は明るくなっていき、それでも朝食までに時間があったので散歩をすることにした。
 使用人寮の周りは森のようになっていたし、そこから王宮とは逆方向に向かえば視界は大きく開け、広い畑と牧場があった。誰の気配もない畑には鳥の姿だけがある。今日の天気はよさそうだ。大きく伸びをして伸ばし、朝の空気を堪能した後は来た道を引き返した。
 その頃にはもう早朝から仕事がある使用人の姿が見えた。中枢区の入口から荷物を積んだ商店の馬車がごとごととあまり整備の済んでいない道を進む音が離れたところから聞こえてくる。

 使用人寮の調理場の傍にも荷馬車があり、朝食のいい匂いが辺りを包んでいた。一度部屋に戻って以前アンナベルからわけてもらった茶を飲みながらひと息つく。休みの者は朝食の時間はずらして取るのが暗黙の了解になっている。廊下を足音がいくつも通り過ぎるのを聞きながら時間をつぶしてやっと使用人寮が静かになった頃にミモザは食堂に向かった。
 朝食をとり、少し考えて余りものを使ったサンドイッチの弁当と、水筒にハーブ水を用意した。一度部屋に戻って身だしなみをチェックする。同期で休みが重なっているメンバーはいないらしく、親しい顔には会わなかった。

 使用人寮を出て真っ直ぐに“白い庭”に向かう。そこにミモザが行けばガーディアは呼ばなくても来てくれるのはわかっていた。とはいえ休みですという格好でそこに行ったのが知られれば余計な妬みを生むのもわかっていたのでできる限り目につかないようにだけは気をつけたが。



 足元を風が走り抜け、“星の涙”の透き通った花びらを揺らした。



 一瞬足元に向けた視線を上げて、ミモザはその歩みを止めた。“白い庭”はいつもと変わらぬ静けさに包まれている――しかしその中で一点、いつもと全く違う光景がある。

「えっ?」

 見慣れた、毛先に向けて白くなる金色の髪がミモザの紫色の瞳に飛び込んできた。同じ色の瞳がぶつかる。いや、同じなのは髪と瞳だけではない――その姿かたち、折れた角さえも瓜二つの存在が、ミモザの目の前に立っている。
 違うのは服装と、ミモザの手の中にある荷物、それから彼女の髪についている“妖精の雫”だけだ。フィアレンセからいつもする花の香りが薄れ、不快な気配が強くなっていた。

「……ここで何をしているんですか? ここは立ち入り禁止のはずです。この近くも」

 きっぱりとミモザは言った。今では使用人はもちろんのこと、中枢区にいる者はシトロンとミモザを除いて全員が立ち入り禁止を言い渡されていた。妃候補も例外ではない。それにフィアレンセはガーディアから直接そう告げられている。

「わたしは立ち入る権利がありますから」

 声まで同じ――ミモザは眉間にしわを寄せた。

「どうしてそんな嘘ばかりつくんですか?」
「嘘?」
「姿も何もかも偽りに固めている」
「それはあなたでしょう?」

 ミモザの姿をしたフィアレンセは微笑んだ。

「わたしの偽物さん」
「自分がどんな姿をしているのか、わかってるんですね」
「何のことかしら?」

 自分らしくないしゃべり方がますます不愉快だ。

「わたしは陛下の最愛の生まれ変わりなの。あなたの方が、それを知ってわたしの姿をマネているんでしょう?」
「……彼がそれを信じると思っているの?」

 フィアレンセの瞳が鋭くミモザを射抜いた。

「彼だなんて随分となれなれしいのね」
「偽りばかりのあなたを、彼が見てくれると思っているの? まだ本当の姿で勝負した方がいいと思うけど」

 ミモザだってそれならば、ここまで不快にならなかっただろう。フィアレンセがフィアレンセとしてガーディアの心を得ようと努力して、それでガーディアが彼女を選んだらきっと――さみしくは思うけれど――納得した。

「う、うるさい! 偽物のくせに……わたしの姿が偽りだなんて証拠、どこにあるの!?」
「その“妖精の雫”の力でしょう?」

 フィアレンセは青ざめた。

「そんな……そんなもの知らない! これがわたしの本当の姿よ! わたしこそあの方の運命なの。あの方に見つめてもらえるのはわたしだけ。あなたなんか――」

 足元で“星の涙”がざわりと揺れてフィアレンセの言葉を遮った。ハッとしてミモザが振り返ると、そこにはガーディアが立っていた。いつもと違い、その表情は氷のようだ。

「陛下!」

 ミモザが振り返った先にガーディアの姿を見つけたフィアレンセは喜色を浮かべ、立ち尽くすミモザとは対照的にガーディアに駆け寄った。ミモザの姿、ミモザの顔で――その光景を、ミモザは見ていなかった。

 ただ、恐ろしいほど静かなガーディアの金色の瞳だけがミモザの紫色の瞳に映っている。

 伸ばされた細い腕は音もなく拒絶された。「えっ……?」とか細い声が小さな庭に響き、ミモザはハッと我に返った。ガーディアの視線はフィアレンセに向けられている。

「なぜお前がここにいる? その姿は何だ?」
「へ、陛下……」
「ここは立ち入り禁止だと言ったはずだ」

 その声の冷たさは、空気を軋ませるようだった。すっかり青ざめ、怯えたフィアレンセの表情はミモザからは見えない。しかしその震える声は、充分にその感情を伝えてきた。

「ここに立ち入りを許したのは子どもたちとミモザだけだ。誰であろうと許さない」
「わ、わたしは――わ、わたしがミモザです! そう、あの者がわたしの姿を勝手に――」
「しゃべり方くらいマネたらどうだ? もっとも、ドラゴンとそうでない者の気配の違いですぐにわかるが」
「へ、陛下……」
「しゃべるな。不快だ。お前も、その“妖精の雫”も―――ミモザの声も姿もミモザのものだ。ミモザだけじゃない……他の姿も彼女だけのものだ。こんなことをして俺の怒りを買うとは思わなかったのか?」

 何かがひび割れるような音が響いた気がした。ガーディアののどから聞こえるその音は、彼の怒りを示していた。ドラゴンの声だ。

 ふらりと、一歩、二歩、フィアレンセがガーディアから離れる。フィアレンセの横顔がミモザにも見える位置に来た時、その横顔が真っ白になっていることがわかった。絶望がはっきりと現われている。



 何もかもガーディアに気づかれてしまったと、フィアレンセは覚った。


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