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第二章 妃選び
58.悪臭(2)
しおりを挟む珍しい人が来たとマリエルは驚いた。侍女たちを連れて図書館に現れたのはリリアナで、マリエルは彼女と図書館で会ったのははじめてだ。ほとんど入り浸っているので、きっとリリアナがここに来たのもはじめてだろう。
リリアナはいつもあまり表情が変わらないが、今日はなんだか難しそうな顔をしていた。視線があったのであいさつをすると、何を思ったのかリリアナはマリエルの目の前の席に座っていいかたずねてきた。
「わたくしのことは、マリエルと呼んでください王女殿下」
リリアナが目の前の席に座るとマリエルはそう言った。公爵令嬢と呼ばれるのはあまり好きではないし、ザルガンドに滞在している間、マリエルはただのマリエルでいたかった。
リリアナの侍女たちは少し離れたところで待機している。リリアナはせっかく図書館にいるというのに本を一冊も持っておらず、マリエルは内心首を傾げた。
「……マリエル様はいつもこうして図書館にいるのですか?」
何となく手を止めてリリアナの反応を待っていると、意を決したように彼女は口を開いた。
「茶会などがない時にどう過ごされているのか気になって……」
マリエルから見てリリアナは年齢の割に落ち着いていて王女らしい人だったが、こうして控えめに瞳を伏せていると年相応に見えた。確か、マリエルとそう変わらない年齢だったはずだ。ローズは少し年上だし、アンナベルやミモザは魔族なので見た目と実年齢は違うだろう。
「わたくしはほとんどこうして図書館にいます」
マリエルは微笑んだ。
「トロストにいる父に知られたら怒られるでしょうけれど、わたくし自身は正直妃選びに関心がなくて……純粋にこの魔族の国に興味があってここにいるのです」
「興味?」
「ええ、このザルガンドはわたくしたち人間の国では考えられない不思議なことが多いと思いませんか?」
そういう風に考えたことはなく、リリアナは目を瞬かせた。
「トロストでは魔法はほとんど存在しません。アルディモアとの交流もありますし魔法を信じていないわけではありませんでしたが、ここでは当たり前に存在して……魔法以外の不思議なこともたくさんあります。この国のことに興味があるのです。知りたいのです」
「父はお金儲けがしたくてわたくしを妃候補にしたのですが」とマリエルは困ったように笑った。
「わたくしは……ザルガンドとイシルマリの国交を開くことを望んでいます。王妃に選ばれなくてもそれが叶えばと……」
「殿下は国のことをよく考えていらっしゃるのですね」
「でも何もうまくいっていません。陛下と会う機会も得られず……それに……王妃には、あのミモザという使用人の方が選ばれるのだと……」
「そうなのですか?」
「噂になっているようなのです」
そのことを口にすると、どうしてかリリアナの胸は大きく痛んだ。その理由がわからず、どうしてか無性に大声で泣き叫びなくなる。
「噂……でもわたくしは、陛下は誰も選ばないと思っていました」
「えっ?」
「この国には黒いドラゴンと人間の恋物語があるのですが、それが陛下のお話らしいのです」
「恋物語……?」
「そのドラゴンは死んでしまった恋人の生まれ変わりを捜して、二人はまた出会い恋に落ちてまた結ばれる――というお話です」
「ああ……」
そういえばこの国に来たばかりの頃、そんな話を聞いたことがある。
「殿下も親切な方から教えていただいたのですね」
マリエルは苦笑いした。
「本当のことなのでしょうか?」
あまり信じられないが。
「わかりませんが、それをモデルにした物語がいくつもあるようです。お芝居も。アンナベルさまから本を借りたのですが、お貸ししましょうか? アンナベルさまに確認してからになりますが……」
「時間をつぶすのにも読書はいいと思いますよ」とマリエルは言った。読書を全くしないわけではないが、専門書などが多く純粋に趣味としての読書をリリアナはほとんどしてこなかった。もちろん、物語なども子どもの頃に読んだくらいだ。
「あの使用人の方が、実は生まれ変わりということはないのでしょうか?」
ふと、リリアナはそうたずねていた。
「えっ? どうでしょう――どの物語も黒いドラゴンの恋人は人間ですが……」
もし噂が事実ならミモザが? それとも妃選びを終わらせるために当たり障りない使用人を選ぼうとしているのだろうか――結局婚姻が取りやめになっても、一番しがらみはないだろう。
噂は噂だろうが、マリエルは少し興味がわいた。アンナベルなら何か知っているだろうか? リリアナの何か思い悩んでいるような様子も気になったが、気晴らしにとマリエルはとりあえず全く関係のない民話集をリリアナにおすすめすることにした。
***
噂というものは放っておくといつの間にか広がっていくものなのだとミモザはこの数日で改めて実感した。以前にもこの王宮で自分に関する噂が流れたことはあったが今回はその時よりも何となく気になってしまう。ガーディアに関することだからだろうか?
実際、ガーディアがこの妃選びをどうするつもりなのか確かめたかったが、ベレナングレンが帰って来てからずっと忙しい様子で、ミモザが“白い庭”に行っても姿を現さないことがあるほどだった。
その日は日当たりのいいサンルームで茶会が行われる――もちろん、いつもの妃選びの茶会だ。準備が早めに終わったためアンナベルを誘って予定の時間より早くサンルームに向かうと、早すぎたようでちょうど使用人たちが会場の準備を終わらせようとしているところだった。
邪魔にならないようにサンルームから一歩庭園に出る。ちょうど傍にベンチがあるので、魔法で寒さを防いで並んで座りながら準備が終わるのを待つことにした。今日のミモザの髪方はスティナの自信作で、アンナベルが褒めてくれたので、お礼の代わりにいつも下ろした状態のアンナベルの髪をいじってあげた。角がきちんと生えてからはミモザ自身もよく髪型をいじるが、アンナベルは普段からあまりそういうことをしないので茶会でも下ろした状態らしい。妃選びの時に着ているドレスが趣味ではなかったから余計におしゃれをする気持ちになれなかったのもあるだろう。
夜会の後からアンナベルは自分の趣味に合ったドレスを着るようになっていた。どうやら今まで勝手に衣装を用意して強引にアンナベルに着るように命じていた父のドゥーイが忙しく、それどころではなくなっているらしい。ベレナングレンが帰ってきて好き勝手するのが難しくなったからだろうか?
「母から聞いたんですが、商会の方で問題が起きたみたいなんです」
ミモザに髪をいじられながらアンナベルが言った。
「こちらの仕事よりも商会の対応の方が大変そうだと……その上、祖父も話を聞きつけてあれこれ言ってきたみたいで」
アンナベルの祖父母はこのザルガンドでも有名な商会を営んでいて、ドゥーイの商才を認めて娘――アンナベルの母親だ――と結婚させた。ドゥーイの商会は彼が昔に立ち上げたもので取引以外の関りはないが、それでも親族ではあるのでよくない噂がささやかれ出すとすぐに確認の連絡が来たらしい。
きっとガーディアやベレナングレンが調べている行方不明事件のことだろう……話していいことかわからなかったので、ミモザはただ相槌をうつだけに留まった。アンナベルは父親と関わっていない方が表情も明るいのはうれしかった。
「ミモザ」
準備が終わったと声をかけられて立ち上がったタイミングで声をかけられて振り返ると、いつの間にかそこにはガーディアが立っていた。表情が少し疲れて見えるのは気のせいではないだろう。「先に中に入っていますね」と気をきかせたアンナベルにちょっと眉を下げてうなずき、ミモザはガーディアを見上げた。
「どうしたの? もうすぐお茶会だけど……」
「茶会のために来たわけじゃない。ミモザに会いたかった」
ガーディアののどから微かにあの澄んだ音がして、ミモザは少し困った顔をした。
「……噂を聞いただろう?」
「まあ、それなりに」
「俺がもう少し考えて行動していれば……それに、ベレナングレンも煽ったらしい……すまない、そんなつもりはなかったんだ」
ベレナングレンへの文句は忘れなかったが、随分と気にしていたようだ。ミモザが気にしていないと言うとガーディアはほっとした顔をした。
「ミモザとの関係で、外堀を埋めるような真似をしたくないんだ」
「うん」
そう思ってくれていることは素直に嬉しかった。もっとも、だからこそ妃選びをどうするのかは気になるところだが……それを聞く前にサンルームに誰かが近づく気配がして、ガーディアは少し名残惜しそうにその場を後にした。茶会に顔を出すつもりがないのに、候補者に姿を見られたら面倒だからだ。
ミモザがサンルームに入ると、リリアナが侍女と共にサンルームを訪れたところだった。庭園の方から来たミモザに少し怪訝そうな顔をしたが、特に何も言うでもなくいつも座る席に腰を下ろした。その後も謹慎中のシシー・バラガンを除いて候補者たちが続々と訪れ、最後に少し遅れてロスソニエルがやって来ていつものように決して居心地がいいとはいえない茶会がはじまった。一応、シトロンがガーディアが来ないのを告げに来るのもいつも通りだ。
そう、いつも通りのはずだった。
冷たい風が庭園の木々を切り裂くように進んでいく音が、サンルームにも聞こえてきた。いつも通りの茶会の中でミモザはいつもと違うものを感じていた。ロスソニエルからの視線だ。彼女が妃候補たちに厳しい視線を向けているのはいつもと同じ。誰かの発言に食ってかかるのもそうだった。
でも、今日は――ミモザを呼び止めた彼女の、湖を思わせるエメラルドグリーンをじっと見つめた。肌を刺すような空気だった。茶会が行われたサンルームには対峙する二人と遠巻きに様子をうかがう使用人たちしかいない。
今日もアンナベルと共に残り、他の候補者がいなくなった後で立ち去ろうとしたミモザはロスソニエルに突然呼び止められたのだ。その厳しい視線に不穏なものを感じ、心配そうにするアンナベルには先に帰るように伝えた。茶会の給仕のために控えていた使用人たちはそのまま片づけに入るつもりだったのにこの剣呑な雰囲気に動けずにいる――あとで謝らなければと、ミモザは思った。
「お前……茶会の前に陛下と共にいたな?」
何の用かと聞く前に、ロスソニエルの低い声が響いた。ミモザはほんの少し眉をひそめた。ロスソニエルは少し遅れて来たからまさか見られているとは思わなかった――いや、もしかしたら彼女はもともと庭の方から来て、ミモザがガーディアと一緒にいるのを見て引き返したせいで遅れたのかもしれない。
遠巻きにしている使用人たちの探るような視線も感じ、ミモザはどう答えるべきか迷って押し黙った。一緒にいたのは事実だが、余計なことを言えばまた噂がひどくなるし、何より自分が何者なのかを広めたくはなかった。
「どんな手を使って陛下に取り入ったのかは知らないが、身の程をわきまえろ。陛下のとなりにふさわしい方はただ一人だけだ」
「……それを決めるのは陛下です」
ミモザは静かに反論した。ロスソニエルは確かにミモザの前世である王妃を慕ってくれていたと思う。しかしもう亡くなった人間だ。
「王妃さまが亡くなって百年以上がたちます。陛下自身が王妃さまを想いつづけることを望んでいるならともかく、周囲がそれを押し付けるのは間違っています。彼女はもう、亡くなったんですから」
「黙れ!!」
涼やかな顔立ちが歪んだ。
「お前がわかったような口をきくな! 陛下のとなりにふさわしいのは――この国の王妃にふさわしいのはあの方だけだ!! ぽっと出の妃候補どもではなく、人間でも民から慕われるあの方だけ……!!」
妙な臭いが鼻を突いた気がして、ミモザは眉間のしわを深くした。
「お前のようなドラゴンがこの国の王妃になるなんて許されない――!!」
空気を裂くような声と共に、吐きそうになるくらいの悪臭がミモザを襲った。それは鼻を刺す、何かが腐った臭いに似ていた。
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