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男たちは計謀する。
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その建物は延琉にあっても趣を異にする。
周囲が昔ながらの延唐の伝統に則った建築法で建てられているが、そこはまるで西方にあると言う国の建築物を丸々運んできたかのように異質で、優美だ。
然もあろう、それは異国より運んできた建築材料で異国の建築方式で異国の建築家が彼の国の基準に則って建てたものであるからだ。
そこは、大使館と呼ばれる建物で延唐に於いて外国と扱われる特別な建物である。
建物の内外は異国の様式であり、その内に一歩でも足を踏み込めば異国の法が支配する、延唐で治外法権が通用する建築物なのだ。
あくまで外壁は白く、優美な曲線と直線、そして数々の彫刻や絵画に彩られ、床材には様々な石材を組み合わせて幾何学模様が描かれている。
両開きの扉の向こうには中庭があり、噴水や規則的に配された植物がそこを訪れた人の目を楽しませていた。
そこの三階の奥まった部屋で、安楽椅子に腰かけながら煙管を燻らせてゆったりと目を瞑って傍らの蓄音機から流れる管弦楽団の演奏に耳を傾けつつ、蒸留酒の入った複雑なカッティングのグラスを傾ける白髪の男は、長く白い髭をゆっくりとその手で扱きながら秘書の報告を聞いていた。
「延唐の東宮が薨去して、即次の東宮の立太子が行われるとは、なかなかに隙を見せないですね、当代の皇帝は」
片隅にだらしなく脚を投げ出すように組んで腰かける男が感想めいた言葉を放つ。
上司が会話を始めたのを察して、傍に居た秘書が毛足の長い絨緞を踏んで蓄音機に近寄り、音量を下げた。
会話も自然と音量が下がり、耳に快い声が聞こえる。
「あれでも長年この国を治めている名君らしいですからね。ただ、この国じゃだれが皇帝に立っても名君らしいが」
安楽椅子の男はくつくつと咽喉の奥で笑う。
「で、どうするんです?」
ソファにだらしなく腰掛ける男は、起き上がって卓に置いてあった蒸留酒の瓶を掴むと片手でグラスに注ぐ。
ネクタイもほどいてジャケットも脱いでその辺りに放ってあるし、三つ揃いのベストのボタンも外してある。
シャツも胸元が見えるくらいに外してしまっているから、自室でくつろいでいる姿と変わりない。
整髪剤で整えた髪も乱れ、無駄な肉のない引き締まった肉体は退廃的な色気を放っている。
「あのアホな官僚をそそのかして、食糧を高値で取引させて差額の半分を夏大司農の懐に納めさせて、その半分を我が国の手数料と言う形で頂きましたけれど、この国はまだまだ豊かだ。それだけでは我が国はまだまだ国民を食わせるには足りませんよ」
男は蒸留酒の入ったグラスを煽ると、おぼつかない足取りのまま安楽椅子に近寄る。
そのままどさり、と白いひげを伸ばした男の安楽椅子のひじ掛けに腰かけると、もう片方のひじ掛けに手を置いて男を覗き込んだ。
「このままでは我が国の予算確保には心もとない。あともう少し儲けが欲しい」
覗き込んだ男の額からぱらぱらと髪が落ちて、顔に影を作った。
それを見上げる男は、片手を伸ばして頬を撫でた。
「そのようにがっつくとははしたないですね。紳士であるならばもっとスマートにいかねば」
白い髪を安楽椅子の背に散らし、ゆっくりと頬を指の背で撫で続ける。
時たま煙管を口にして、紫煙を燻らせる男を上から見下ろしながら軽く眉根を寄せて眇めるように見る。
「がっつかねば、手柄は手に入りません」
その答えを聞いて白髪の男は目じりに皺をよせながら優雅に微笑んだ。
「紳士なら、もっと優雅に。美しく舞いながら確実に止めを刺すのです」
渋面を作る男の額の皺をくにくにと伸ばしてやる。
そして、煙管の吸い口を口に含み、肺に一杯にその煙を吸い込んだ。
ふう、とゆっくりと口から吐き出しながら、切れ長の青い瞳で男を見上げる。
「あなたなら、できるのではありませんか?」
そう言われた男はますます眉根に皺を寄せて、男の上から上体を起こし、立ち上がろうとした。
その腕を掴んで白髪の男は耳に口を寄せる。
「できないとは、言わせませんよ。その為に連れてきたのですから」
それを聞いて、男たちの視線が絡み合う。
青く底の見えない瞳と、暗く陰った茶色の瞳。
暫く無言の攻防を繰り広げた後、すっと視線を外したのは、先ほど白髪の男に絡んだ方の男だった。
「やりますよ。それくらい」
ちっ、と舌打ちをしながら、その暗い色の髪を掻きあげて立ち上がる。
丁度入室してきた執事からのメモを部屋の隅に控えていた秘書が見て、安楽椅子に座る主人に耳打ちをすると、軽く目を見開くようにしてから、その目が弧を描いた。
「裏に秘された園から蝶が飛んできたらしい。君に預けるから、面倒を見てやってください」
にこやかに命じつつ、両手を組んで目を閉じた。
は? と訝し気に見る男は説明を求めて秘書を見るが、秘書は涼しい顔を眉ひとつ動かさない。
その向こうで執事が主人に向かって優雅に一礼して、男に退室を促した。
それを目にしてソファの上に放ってあったジャケットを乱暴な仕草で肩に掛けると、長い脚を動かして部屋を出て行く。
やがて聞こえてきた扉の開閉音に今のこの館の主は眉を顰めた。
「いつまで経っても粗野な振る舞いが直らないのは問題ですね。あれでは上に引き上げてやろうにも、社交界からはじき出されてしまいます。もっと優雅な動きを身に付けさせねばなりませんねぇ……」
そう言いつつ、指で秘書に合図すると、秘書が主人に近寄り耳を近づけてきた。
「先ほどの蝶の様子と、あの子の動きを知らせなさい。あの蝶をどうするか考えねばなりません」
「……どうなさるおつもりです?」
「そんなもの」
ふふっと男は笑って目を開け、その青の瞳で秘書を見やった。
「どうとでもなります。いざとなれば好事家もたくさんいますし、それこそ奴隷として売ってもいいですしね。ですが、今は後宮の情報が必要です。延唐の政府には存在を知られないように隠して、情報を得やすくするように丁重に扱いなさい」
それを聞いて、秘書は一礼して部屋を出て行く。
緩やかに流れる音量を少々落とした管弦楽の調べに耳を傾けながら、男は髭を扱き脳裏に幾つものパターンを思い描く。
「あの夏と言う男、俗物ですけれどもそれなりに金を運んでくれてそこそこのバカで使い勝手が良かったんですけどね。後宮に入ったって言う娘が欲を掻かなければなお良かったんですけれど…仕方ありませんねぇ」
煙管の吸い口に口を付けて、肺にその煙を吸い込み、吐きだす。
「もう少し手を貸してやりますか。確かに儲けは必要ですからねぇ」
そう言えば、あの夏と言う男、不敬を働いたとかで牢に入れられたとか。
未だ出てこないところを見ると関係先を調べられているはず。
ここは治外法権だから、捜査の手が延びることはないけれども警戒するに越したことはない。
男は瞑っていた目を開いて、呟く。
「全く面倒なことになりましたね。さっさと始末してしまいましょうか」
傍の小卓の上に置いてあった硝子と銀を組み合わせた優美な花の形を模した鈴を左右に振ると、硬質だが可愛らしい音を立てた。
それを聞いて、部屋の外に控えていた使用人が一礼して入ってくる。
「君、これを届けてください」
さらさらと用意してあった便せんに何やら書きつけて、ヘッドドレスとエプロンドレスを付けたメイドに封蝋をして渡した。
宛先は書かないが、これもいつものこと。
メイドも承知している。
暫くすると、館で使い走りをしている少年が小さなカンテラを下げて走って行った。
それを窓から見送ると、よく手入れをされた白い髭をまた扱く。
「取りあえずは、こんなものでしょうかね。新東宮とやらも優秀だとすると、面倒ですねぇ」
男は煙管を燻らせながら思索に耽った。
*
後宮から逃げ出してきた、と言う少女を保護したとの知らせが来たのはつい30分ほど前の話だ。
男の前には、細く手足に骨が浮き、あかぎれだらけの手に温かいミルクのマグカップを与えられ、身体に毛布を巻き付けて甲斐甲斐しく世話をされる幼い少女の姿がある。
男は壁に背を凭れさせてその様子を見ていた。
ろくに食事も与えられていないのか、少女の身体は細く小さい。
元々が小さな体躯をした人種なのかもしれないが、痩せて目ばかりがぎょろぎょろとしている。
これでは時たま欲を発散させに行く妓楼の禿の方がよほどいいものを食べているだろうことは想像にかたくない。。
手足が冷え切った少女を温める為もあって、メイドが足湯をして泥に汚れた足先を洗っているのを見て、男はどこかほっとした。
少女は、纏足をされていない。
纏足をされていないからこそ、選ばれて外へ逃がされたのかもしれない。
助けを乞うと言う目的があったにせよ、歩ける、走れると言う手段を持つのはいいことだ。
この旧い習慣が未だ息づく延唐では、良い結婚を求める条件の一つとして、幼い娘に纏足をさせる習慣がある。
纏足をしないのは妓楼で働く女だと言う位には一般的だが、ここ何代かの皇帝の施策で徐々にそれも薄れてきたと言うが、まだまだ健在だ。
まだ年端もいかない幼女の骨が柔らかくみずみずしいうちに無理やり関節を折り、腱を伸ばして小さな足に変形させてきつく布を巻き付けて固定させる。
これで足が壊死して亡くなる少女も多いと聞く。
少女が温めたミルクを飲み干し、柔らかく煮た穀物の粥とスープを飲み終えたのを見たところで、男は簡単な質問を始める。
だが、少女は外国語は一切できないし男は未だこの国の言葉には明るくない。
いらいらとしながらもできるだけの情報を得たい、とは思うが、先に少女の体力が尽きた。
それもそうだろう、後宮から夜陰に紛れたとは言え、見つかれば即その場で斬り殺されても文句の言えない立場でもあるのだ。
それをいくら主の命とは言え、抜け出すのは勇気が要ったことだろう。
身体が温まってうとうととし始めた少女を寝かせてやるよう、メイドに指示を出すと男は部屋を出た。
「……あんな幼い子供に命を託すなんて、余程なんだろうな」
男はひとりごちる。
既に整えた髪も崩れているがいっそうがりがりと掻きむしって風呂に向かう。
身体に染みついたタバコの臭いくらいは消して、あの少女と話をしてやった方がいいだろう。
男性には良い匂いでも女性にはそう感じないという事もあるだろうから。
男はそう考えて、顔を顰めた。
会ったばかりの子供に何故そこまで気を遣う?
だが、色々情報を聞き出すには色々と身だしなみを気を使った方がいいかもしれない。
そう自分に納得させて、メイドに風呂を用意するように指示を出した。
周囲が昔ながらの延唐の伝統に則った建築法で建てられているが、そこはまるで西方にあると言う国の建築物を丸々運んできたかのように異質で、優美だ。
然もあろう、それは異国より運んできた建築材料で異国の建築方式で異国の建築家が彼の国の基準に則って建てたものであるからだ。
そこは、大使館と呼ばれる建物で延唐に於いて外国と扱われる特別な建物である。
建物の内外は異国の様式であり、その内に一歩でも足を踏み込めば異国の法が支配する、延唐で治外法権が通用する建築物なのだ。
あくまで外壁は白く、優美な曲線と直線、そして数々の彫刻や絵画に彩られ、床材には様々な石材を組み合わせて幾何学模様が描かれている。
両開きの扉の向こうには中庭があり、噴水や規則的に配された植物がそこを訪れた人の目を楽しませていた。
そこの三階の奥まった部屋で、安楽椅子に腰かけながら煙管を燻らせてゆったりと目を瞑って傍らの蓄音機から流れる管弦楽団の演奏に耳を傾けつつ、蒸留酒の入った複雑なカッティングのグラスを傾ける白髪の男は、長く白い髭をゆっくりとその手で扱きながら秘書の報告を聞いていた。
「延唐の東宮が薨去して、即次の東宮の立太子が行われるとは、なかなかに隙を見せないですね、当代の皇帝は」
片隅にだらしなく脚を投げ出すように組んで腰かける男が感想めいた言葉を放つ。
上司が会話を始めたのを察して、傍に居た秘書が毛足の長い絨緞を踏んで蓄音機に近寄り、音量を下げた。
会話も自然と音量が下がり、耳に快い声が聞こえる。
「あれでも長年この国を治めている名君らしいですからね。ただ、この国じゃだれが皇帝に立っても名君らしいが」
安楽椅子の男はくつくつと咽喉の奥で笑う。
「で、どうするんです?」
ソファにだらしなく腰掛ける男は、起き上がって卓に置いてあった蒸留酒の瓶を掴むと片手でグラスに注ぐ。
ネクタイもほどいてジャケットも脱いでその辺りに放ってあるし、三つ揃いのベストのボタンも外してある。
シャツも胸元が見えるくらいに外してしまっているから、自室でくつろいでいる姿と変わりない。
整髪剤で整えた髪も乱れ、無駄な肉のない引き締まった肉体は退廃的な色気を放っている。
「あのアホな官僚をそそのかして、食糧を高値で取引させて差額の半分を夏大司農の懐に納めさせて、その半分を我が国の手数料と言う形で頂きましたけれど、この国はまだまだ豊かだ。それだけでは我が国はまだまだ国民を食わせるには足りませんよ」
男は蒸留酒の入ったグラスを煽ると、おぼつかない足取りのまま安楽椅子に近寄る。
そのままどさり、と白いひげを伸ばした男の安楽椅子のひじ掛けに腰かけると、もう片方のひじ掛けに手を置いて男を覗き込んだ。
「このままでは我が国の予算確保には心もとない。あともう少し儲けが欲しい」
覗き込んだ男の額からぱらぱらと髪が落ちて、顔に影を作った。
それを見上げる男は、片手を伸ばして頬を撫でた。
「そのようにがっつくとははしたないですね。紳士であるならばもっとスマートにいかねば」
白い髪を安楽椅子の背に散らし、ゆっくりと頬を指の背で撫で続ける。
時たま煙管を口にして、紫煙を燻らせる男を上から見下ろしながら軽く眉根を寄せて眇めるように見る。
「がっつかねば、手柄は手に入りません」
その答えを聞いて白髪の男は目じりに皺をよせながら優雅に微笑んだ。
「紳士なら、もっと優雅に。美しく舞いながら確実に止めを刺すのです」
渋面を作る男の額の皺をくにくにと伸ばしてやる。
そして、煙管の吸い口を口に含み、肺に一杯にその煙を吸い込んだ。
ふう、とゆっくりと口から吐き出しながら、切れ長の青い瞳で男を見上げる。
「あなたなら、できるのではありませんか?」
そう言われた男はますます眉根に皺を寄せて、男の上から上体を起こし、立ち上がろうとした。
その腕を掴んで白髪の男は耳に口を寄せる。
「できないとは、言わせませんよ。その為に連れてきたのですから」
それを聞いて、男たちの視線が絡み合う。
青く底の見えない瞳と、暗く陰った茶色の瞳。
暫く無言の攻防を繰り広げた後、すっと視線を外したのは、先ほど白髪の男に絡んだ方の男だった。
「やりますよ。それくらい」
ちっ、と舌打ちをしながら、その暗い色の髪を掻きあげて立ち上がる。
丁度入室してきた執事からのメモを部屋の隅に控えていた秘書が見て、安楽椅子に座る主人に耳打ちをすると、軽く目を見開くようにしてから、その目が弧を描いた。
「裏に秘された園から蝶が飛んできたらしい。君に預けるから、面倒を見てやってください」
にこやかに命じつつ、両手を組んで目を閉じた。
は? と訝し気に見る男は説明を求めて秘書を見るが、秘書は涼しい顔を眉ひとつ動かさない。
その向こうで執事が主人に向かって優雅に一礼して、男に退室を促した。
それを目にしてソファの上に放ってあったジャケットを乱暴な仕草で肩に掛けると、長い脚を動かして部屋を出て行く。
やがて聞こえてきた扉の開閉音に今のこの館の主は眉を顰めた。
「いつまで経っても粗野な振る舞いが直らないのは問題ですね。あれでは上に引き上げてやろうにも、社交界からはじき出されてしまいます。もっと優雅な動きを身に付けさせねばなりませんねぇ……」
そう言いつつ、指で秘書に合図すると、秘書が主人に近寄り耳を近づけてきた。
「先ほどの蝶の様子と、あの子の動きを知らせなさい。あの蝶をどうするか考えねばなりません」
「……どうなさるおつもりです?」
「そんなもの」
ふふっと男は笑って目を開け、その青の瞳で秘書を見やった。
「どうとでもなります。いざとなれば好事家もたくさんいますし、それこそ奴隷として売ってもいいですしね。ですが、今は後宮の情報が必要です。延唐の政府には存在を知られないように隠して、情報を得やすくするように丁重に扱いなさい」
それを聞いて、秘書は一礼して部屋を出て行く。
緩やかに流れる音量を少々落とした管弦楽の調べに耳を傾けながら、男は髭を扱き脳裏に幾つものパターンを思い描く。
「あの夏と言う男、俗物ですけれどもそれなりに金を運んでくれてそこそこのバカで使い勝手が良かったんですけどね。後宮に入ったって言う娘が欲を掻かなければなお良かったんですけれど…仕方ありませんねぇ」
煙管の吸い口に口を付けて、肺にその煙を吸い込み、吐きだす。
「もう少し手を貸してやりますか。確かに儲けは必要ですからねぇ」
そう言えば、あの夏と言う男、不敬を働いたとかで牢に入れられたとか。
未だ出てこないところを見ると関係先を調べられているはず。
ここは治外法権だから、捜査の手が延びることはないけれども警戒するに越したことはない。
男は瞑っていた目を開いて、呟く。
「全く面倒なことになりましたね。さっさと始末してしまいましょうか」
傍の小卓の上に置いてあった硝子と銀を組み合わせた優美な花の形を模した鈴を左右に振ると、硬質だが可愛らしい音を立てた。
それを聞いて、部屋の外に控えていた使用人が一礼して入ってくる。
「君、これを届けてください」
さらさらと用意してあった便せんに何やら書きつけて、ヘッドドレスとエプロンドレスを付けたメイドに封蝋をして渡した。
宛先は書かないが、これもいつものこと。
メイドも承知している。
暫くすると、館で使い走りをしている少年が小さなカンテラを下げて走って行った。
それを窓から見送ると、よく手入れをされた白い髭をまた扱く。
「取りあえずは、こんなものでしょうかね。新東宮とやらも優秀だとすると、面倒ですねぇ」
男は煙管を燻らせながら思索に耽った。
*
後宮から逃げ出してきた、と言う少女を保護したとの知らせが来たのはつい30分ほど前の話だ。
男の前には、細く手足に骨が浮き、あかぎれだらけの手に温かいミルクのマグカップを与えられ、身体に毛布を巻き付けて甲斐甲斐しく世話をされる幼い少女の姿がある。
男は壁に背を凭れさせてその様子を見ていた。
ろくに食事も与えられていないのか、少女の身体は細く小さい。
元々が小さな体躯をした人種なのかもしれないが、痩せて目ばかりがぎょろぎょろとしている。
これでは時たま欲を発散させに行く妓楼の禿の方がよほどいいものを食べているだろうことは想像にかたくない。。
手足が冷え切った少女を温める為もあって、メイドが足湯をして泥に汚れた足先を洗っているのを見て、男はどこかほっとした。
少女は、纏足をされていない。
纏足をされていないからこそ、選ばれて外へ逃がされたのかもしれない。
助けを乞うと言う目的があったにせよ、歩ける、走れると言う手段を持つのはいいことだ。
この旧い習慣が未だ息づく延唐では、良い結婚を求める条件の一つとして、幼い娘に纏足をさせる習慣がある。
纏足をしないのは妓楼で働く女だと言う位には一般的だが、ここ何代かの皇帝の施策で徐々にそれも薄れてきたと言うが、まだまだ健在だ。
まだ年端もいかない幼女の骨が柔らかくみずみずしいうちに無理やり関節を折り、腱を伸ばして小さな足に変形させてきつく布を巻き付けて固定させる。
これで足が壊死して亡くなる少女も多いと聞く。
少女が温めたミルクを飲み干し、柔らかく煮た穀物の粥とスープを飲み終えたのを見たところで、男は簡単な質問を始める。
だが、少女は外国語は一切できないし男は未だこの国の言葉には明るくない。
いらいらとしながらもできるだけの情報を得たい、とは思うが、先に少女の体力が尽きた。
それもそうだろう、後宮から夜陰に紛れたとは言え、見つかれば即その場で斬り殺されても文句の言えない立場でもあるのだ。
それをいくら主の命とは言え、抜け出すのは勇気が要ったことだろう。
身体が温まってうとうととし始めた少女を寝かせてやるよう、メイドに指示を出すと男は部屋を出た。
「……あんな幼い子供に命を託すなんて、余程なんだろうな」
男はひとりごちる。
既に整えた髪も崩れているがいっそうがりがりと掻きむしって風呂に向かう。
身体に染みついたタバコの臭いくらいは消して、あの少女と話をしてやった方がいいだろう。
男性には良い匂いでも女性にはそう感じないという事もあるだろうから。
男はそう考えて、顔を顰めた。
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