謝漣華は誘惑する。

飴谷きなこ

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龍祥、襲撃される。

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 外廷も内廷も、外宮も内宮もすべてが喪に服している。
すべての色を覆い隠すかのように、喪を示す白で覆われている。
室内の装飾も、何もかも。

 それなのに先ほどまで龍祥りゅうしょうに向かってを差しかけていた、宦官が白い喪服を着ているというのにその背を赤く染めて倒れている。
時たま、びくりと動きはするが、誰も彼を助けたりはしない。
ただひたすらに、龍祥を輿に載せたまま走るに近い速度で露瑛宮ろえいきゅうから照涼殿しょうりょうでんへの道をひた走る。

 すでに露瑛宮ろえいきゅうははるか後方にあり、今から行列を露瑛宮ろえいきゅうまでひきかえさせるには、刺客が宦官を害した以上、逃げた方が得策と言うことだろう。
輿の担ぎ手は小走りに壁で囲まれた通りを駆け抜け、その前後を護衛の近衛が辺りを警戒しながら走っていく。

 龍祥はぎり、と歯噛みした。
置いてきてしまった宦官は見たことがない。
今日初めて見かけたが、あのような目に遭わせるために龍祥の供として選ばれたわけではないはずだ。
龍祥は己のために誰かが害され、命を奪われようとするこの状況がひどく腹立たしい。

 泉下へと旅立ってしまった兄は、毒を盛られた。
もらったのだと言う菓子を食べてから兄は寝ついたが、肝心の菓子そのものからは目立ったものは検出されていない。
その菓子を自分の宮の女官に持たせて訪れたのは、梅貴人であると言うのだけはわかっていたので、被害者が先の東宮ということでもあり徹底的に調べられた。
しかし、見事なほどに全く何も出てこなかった。

 あまりに不自然な兄の死。
そして、今まさに自分の命が狙われている。
しかも白昼堂々とこの宮中で矢を射かけられている。
龍祥はさきほど見た背に矢を突き立て、だんだんと動きが鈍くなっていく宦官の姿を思い出す。
その姿が死の直前の兄の姿に重なって、龍祥の胸を不愉快に灼いた。

 龍祥が口にするものは、すべてにおいて毒見されて供される。
さすがに一介の技官であった頃はそういったものは省いてはいたが、今は立場が許さない。
先だって供された夕食で、柔らかく蒸しあげられた豚肉の煮物を毒見で口にした侍女の一人が、口に含んだ直後真っ黒な血を吐いてすぐに死んだ。

 食事はすべて下げられ、龍祥は自室に隔離され、その間に徹底的にそれこそ舐めるように調べられたが毒物の混入経路は一切わからず、今も調査中だ。
その事件も今朝、父帝にご機嫌伺いに赴いたところ、端的に指摘され「不徳の致すところにてまことに申し訳ございません」と謝罪をしてきたところだ。
父帝の表情から何かをうかがい知ることは至難の業ではあるが、特に叱責があったわけではない。
元々多くを語ることのない人なだけに普段の表情の微妙な変化であったり、いったい何を考えているのかが非常に読みづらい。
父帝の内面を知っているのだとしたら、その秘書かもしくは側で用をこなす執事かそれとも。

 祖母とは話をそうしたい、とは思わないがとにかく逃げ込ませてもらおう。
それくらいさせてもらっても構わないはずだ。

 龍祥を狙った矢は宦官に当たった一矢だけだったのかはわからないが、行列は無事に凛門りんもんを越えた。
警備が厳重なはずの宮中で射かけられた一本の矢。
人が一人、怪我をさせられたというのに警備の衛士すら来ないこの宮中。
龍祥は宮中に棲むと言う魔の話を思い出していた。

 初代皇帝の御代の頃だというから、すでに数百年は昔の話になる。
ある地方から宮女の募集に応じて、後宮に納められた娘が居た。
名はすでに伝わっていないが、後宮での話をまとめた『後宮夜話』と言う古びた本にひっそりと載っていた。
娘は、よく気の付く性格で明るく微笑みを絶やさず、主となった妃嬪の為に来る日も来る日もよく働いた。
しかし、ある時、皇帝の寵愛を欲した妃嬪がほかの妃嬪を呪詛する、という事件を起こした。
主の罪に連座して、娘も獄に繋がれ、やがて処刑された。

 それから、後宮には怪異が起こるようになった。
具体的な記載はないが、「怪異が起こる」とだけ記されている。
その怪異いったい何なのか、龍祥は徹底的に文書を漁ったことがある。
しかし、主の罪に連座して処刑された娘が起こした怪異の話として、時代を下ったある皇帝の御代に、後宮内において暗殺と思わしき事件があった。
もちろん徹底的に調べ上げられたが、犯人はおろかそれに繋がる証拠すら出てこなかった。
しかし、ある日娘が暮らしていた房の前を通りがかった女官がその房に明かりが灯り、誰かが小声で話をしているのを聞いた。

 不思議に思って近づくと、声はしなくなった。
房の扉を恐る恐る開けてみると、そこには暗殺に使われた凶器と同じものが粗末な卓子テーブルの上に置かれてあった。

 それからもこの事件は徹底的に調べられたらしいが、ほかに有力な証拠も証言すらなく、闇へと葬り去られる。
そして歴代王朝の宮中においてはよくある話なのだろうが、身分の高い人物が不審な死を遂げ、証拠も何もかも見つからない時には大抵この娘の祟りだ、とされることがままある。
 この娘の祟りである、とされる場合には必ず凶器と同じものが宮中のどこかに置かれてるのを誰かが発見する、と言うのがお定まりである。

 今回の先の東宮暗殺事件もそうだ。
龍祥は東宮の死因は毒によるもの、と考えているし事実亡き兄の遺体からは毒が検出されている。
しかし、毒を盛ったと思える梅貴人の宮からは何も出てこなかったし、その毒の入手経路も全く不明だ。
そして何より、その肝心の毒さえまだ特定できていない。

 もしかしたら、東宮あにの死は、ただの病死として処理されることになるのかもしれない。
龍祥はひどく腹立たしかった。
もしかしたら。
あの宦官の死も、頓死とんしとして処理されるのだろうか。

 龍祥を乗せた輿の行列は、照涼殿しょうりょうでんの門を開けさせ、中に吸い込まれた。




 皇太后である馮氏は女官から耳打ちされ、飲んでいたお茶を口元に運ぶのをピタリと止めた。
そのまま、卓子テーブルへと戻し、手巾をつかむ。

「して、東宮は」
「ご無事に凛門りんもんを通りまして、たった今照涼殿しょうりょうでんの前庭に」

 先の東宮に引き続き、もう一人の孫をも襲った災禍に思わず立ち上がろうとして、視界がくらりと回るのを感じる。そのままひじ掛けをつかもうとして、侍女に支えられる。

「皇太后さま」
「大事ない。東宮はご無事か」

 思わぬ報せに、声に緊張が混じる。

「皇太后陛下、お召しによりまかり越しました。ご機嫌麗しゅう存じまする」

 優雅な礼と辺りの不安を薙ぎ払うように、凛とした声を響かせたのは老女がその身を案じていた龍祥だった。
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