35 / 51
皇太后馮氏、孫を案じる。
しおりを挟む
突然孫を襲った災禍を聞かされた皇太后の取り乱しようは、当の本人である龍祥をも驚かせ、孫の為に侍医を呼ぶように申し付けておきながら、自分が侍医に薬湯を処方されている。
苦い薬湯を飲み下す様子を見ながら、龍祥は半ば呆れていた。
「襲われたのは確かですが、私は傷ひとつありませんのでご安心ください、おばあさま」
「だって……」
よほど苦いのかしかめ面しながら薬湯を吹き冷ましつつ飲んでいる姿は、すでに孫が居ると言われても信じられないほどに若々しく美しい。
「下官のひとりがやられました」
すっと苦笑いをしていた顔を戻し、報告する。
ちょうど薬湯を飲み終え、口もとを手巾で拭った皇太后は眉をひそめた。
「……その者は?」
「今、人手をやりました。運が良ければ助かるかと」
龍祥が凛門を越える前に見たその宦官は、血の海の中ですでに動かなくなっていた。
周りは血で赤く濡れ、命のともしびを消し去っていたとしてもおかしくはない。
「もし、亡くなっていたのなら良いようにしておやり」
「かしこまりまして」
軽く握った片手をもう片手で包み、了承の意を表す。
「龍意に引き続いて、あなたまで襲われたと聞かされましたから、気が気ではありませんでしたよ」
背あてにぐったりと寄りかかり、先日身罷ったばかりの前東宮の名を口に出した。
いつもはかくしゃくとして優雅な姿勢を崩さない祖母が今にも消え入りそうで、龍祥は慌ててそのほっそりとした手を取る。
「おばあさま。大丈夫ですよ。今後は身辺警護の近衛なども増えることにはなるでしょうが、十分に気を付けますので」
「ほんとうに?」
自らの目を覆っていた手を外して、孫を見つめる祖母に微笑んで見せる。
「……本当に……本当に、お前は……!!」
祖母の目じりに光るものを見つけて、龍祥は慌てて口にする。
「おばあさま、ところで急のお呼び出しとはいかがなさったのでしょうか?」
話を逸らそうと口にしたことで、皇太后の目がきらりと光った。
「そういえば、龍祥。お前、謝家の息子に求婚したそうですね」
あっと言う間に居住まいを正し、威厳を纏わせた皇太后は孫に問いかける。
「先日謝家の家刀自からお手紙を頂きました。そこで、揮亮暁将軍と謝家の末子に求婚したと聞き及びました。それはまことですか?」
目じりにうっすらと滲むものがあるが、威厳を纏い龍祥に問う祖母に面喰いながら龍祥は肯定した。
「お耳のお早いことで。ええ、求婚して簪を贈っております。返答はまだもらってはおりませんが」
「ゆくゆくはどうなさるのです。確か、謝家の末子は男児であったと記憶しております。世継ぎの問題が必ず出てまいりますよ」
きりきりと引き絞られた弓弦のような祖母の眉を見ながら、龍祥はさてどうしたものか、と思う。
「子については、もし恵まれなければ弟の諒を養子に迎えてもいいですし、他にもおじい様の血筋の男児なら何人かおりますし構わないでしょう」
それを聞いて、皇太后は眉をひそめた。
「諒ですか」
今上皇帝の第三皇子である諒は、先日父親の罪に連座して位を妃から嬪へと引き下げられ、旺昭儀となった夏遥の息子である。
生まれて一歳になるのだったか、まだ歩くこともできない。
この時代、年齢は誕生日が来たら一歳と数える満での年齢ではなく、数えである。
ゆえに、実質生まれてまだ一年未満の諒皇子が一歳と言うことでも全く問題はない。
「旺昭儀は蟄居閉門中ですね。まだ父親の尋問は進まないのですか」
「ある程度進んではおりますが、もともとがあまり出来が良くないようで。けれど、人がいいものだからどんどん金品をもらうだけもらっていろいろと都合していたようですね」
「なんとまあ……そんな愚か者に大司農の重職を任せていたのですか」
祖母の呆れた声に、龍祥は苦笑する。
まったくだ。
「ええ。ですから、関係したところすべて書類も人員も洗い出してる最中です」
実際、夏を逮捕してから関係者も部署もすべて調べたら出るわ出るわ、不正の証拠が山盛り。
だが、実際に夏が関わった件と言うのは非常に少ないだろうと龍祥は見ている。
夏をお山の大将に担ぎ上げた下の者が少しずつくすねていったのが積もりに積もって表に出てきたにすぎない。
「そのあたりを衛所に頼んで証拠と証人を抑えてもらってます」
「そう……」
ふう、とため息をついて、侍女が差し出した茶器を受け取り、蓋をずらして優雅に飲む姿は、一幅の絵になるだろう。
「ところでですね、おばあさま」
「なあに?」
「そろそろ蜃気楼で働くの、おやめになってこちらでのんびり優雅にお暮しになってはいかがですか?」
「なんで?」
「なんで、って」
皇太后馮氏は、高貴な身分でありながら、蜃気楼の女将もやっているのだ。
二つの草鞋を器用に穿き分け、後宮と蜃気楼をこっそりと行き来している。
「私の身を案じて戴けるのは大変ありがたいのですが、さすがにおばあさまが妓楼の女将と言うのは」
「いいじゃない、わたくしがあの妓楼と買い上げて花街に行くようになってからものすっごく治安とかも改善したじゃない」
いったい何の不満があるのか、とぷくっと頬を膨らませて見せた祖母を見ながら、「この親にしてあの子ありだな」と父親である皇帝を思った。
苦い薬湯を飲み下す様子を見ながら、龍祥は半ば呆れていた。
「襲われたのは確かですが、私は傷ひとつありませんのでご安心ください、おばあさま」
「だって……」
よほど苦いのかしかめ面しながら薬湯を吹き冷ましつつ飲んでいる姿は、すでに孫が居ると言われても信じられないほどに若々しく美しい。
「下官のひとりがやられました」
すっと苦笑いをしていた顔を戻し、報告する。
ちょうど薬湯を飲み終え、口もとを手巾で拭った皇太后は眉をひそめた。
「……その者は?」
「今、人手をやりました。運が良ければ助かるかと」
龍祥が凛門を越える前に見たその宦官は、血の海の中ですでに動かなくなっていた。
周りは血で赤く濡れ、命のともしびを消し去っていたとしてもおかしくはない。
「もし、亡くなっていたのなら良いようにしておやり」
「かしこまりまして」
軽く握った片手をもう片手で包み、了承の意を表す。
「龍意に引き続いて、あなたまで襲われたと聞かされましたから、気が気ではありませんでしたよ」
背あてにぐったりと寄りかかり、先日身罷ったばかりの前東宮の名を口に出した。
いつもはかくしゃくとして優雅な姿勢を崩さない祖母が今にも消え入りそうで、龍祥は慌ててそのほっそりとした手を取る。
「おばあさま。大丈夫ですよ。今後は身辺警護の近衛なども増えることにはなるでしょうが、十分に気を付けますので」
「ほんとうに?」
自らの目を覆っていた手を外して、孫を見つめる祖母に微笑んで見せる。
「……本当に……本当に、お前は……!!」
祖母の目じりに光るものを見つけて、龍祥は慌てて口にする。
「おばあさま、ところで急のお呼び出しとはいかがなさったのでしょうか?」
話を逸らそうと口にしたことで、皇太后の目がきらりと光った。
「そういえば、龍祥。お前、謝家の息子に求婚したそうですね」
あっと言う間に居住まいを正し、威厳を纏わせた皇太后は孫に問いかける。
「先日謝家の家刀自からお手紙を頂きました。そこで、揮亮暁将軍と謝家の末子に求婚したと聞き及びました。それはまことですか?」
目じりにうっすらと滲むものがあるが、威厳を纏い龍祥に問う祖母に面喰いながら龍祥は肯定した。
「お耳のお早いことで。ええ、求婚して簪を贈っております。返答はまだもらってはおりませんが」
「ゆくゆくはどうなさるのです。確か、謝家の末子は男児であったと記憶しております。世継ぎの問題が必ず出てまいりますよ」
きりきりと引き絞られた弓弦のような祖母の眉を見ながら、龍祥はさてどうしたものか、と思う。
「子については、もし恵まれなければ弟の諒を養子に迎えてもいいですし、他にもおじい様の血筋の男児なら何人かおりますし構わないでしょう」
それを聞いて、皇太后は眉をひそめた。
「諒ですか」
今上皇帝の第三皇子である諒は、先日父親の罪に連座して位を妃から嬪へと引き下げられ、旺昭儀となった夏遥の息子である。
生まれて一歳になるのだったか、まだ歩くこともできない。
この時代、年齢は誕生日が来たら一歳と数える満での年齢ではなく、数えである。
ゆえに、実質生まれてまだ一年未満の諒皇子が一歳と言うことでも全く問題はない。
「旺昭儀は蟄居閉門中ですね。まだ父親の尋問は進まないのですか」
「ある程度進んではおりますが、もともとがあまり出来が良くないようで。けれど、人がいいものだからどんどん金品をもらうだけもらっていろいろと都合していたようですね」
「なんとまあ……そんな愚か者に大司農の重職を任せていたのですか」
祖母の呆れた声に、龍祥は苦笑する。
まったくだ。
「ええ。ですから、関係したところすべて書類も人員も洗い出してる最中です」
実際、夏を逮捕してから関係者も部署もすべて調べたら出るわ出るわ、不正の証拠が山盛り。
だが、実際に夏が関わった件と言うのは非常に少ないだろうと龍祥は見ている。
夏をお山の大将に担ぎ上げた下の者が少しずつくすねていったのが積もりに積もって表に出てきたにすぎない。
「そのあたりを衛所に頼んで証拠と証人を抑えてもらってます」
「そう……」
ふう、とため息をついて、侍女が差し出した茶器を受け取り、蓋をずらして優雅に飲む姿は、一幅の絵になるだろう。
「ところでですね、おばあさま」
「なあに?」
「そろそろ蜃気楼で働くの、おやめになってこちらでのんびり優雅にお暮しになってはいかがですか?」
「なんで?」
「なんで、って」
皇太后馮氏は、高貴な身分でありながら、蜃気楼の女将もやっているのだ。
二つの草鞋を器用に穿き分け、後宮と蜃気楼をこっそりと行き来している。
「私の身を案じて戴けるのは大変ありがたいのですが、さすがにおばあさまが妓楼の女将と言うのは」
「いいじゃない、わたくしがあの妓楼と買い上げて花街に行くようになってからものすっごく治安とかも改善したじゃない」
いったい何の不満があるのか、とぷくっと頬を膨らませて見せた祖母を見ながら、「この親にしてあの子ありだな」と父親である皇帝を思った。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし
かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし
長屋シリーズ一作目。
第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。
十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。
頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。
一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。
別れし夫婦の御定書(おさだめがき)
佐倉 蘭
歴史・時代
★第11回歴史・時代小説大賞 奨励賞受賞★
嫡男を産めぬがゆえに、姑の策略で南町奉行所の例繰方与力・進藤 又十蔵と離縁させられた与岐(よき)。
離縁後、生家の父の猛反対を押し切って生まれ育った八丁堀の組屋敷を出ると、小伝馬町の仕舞屋に居を定めて一人暮らしを始めた。
月日は流れ、姑の思惑どおり後妻が嫡男を産み、婚家に置いてきた娘は二人とも無事与力の御家に嫁いだ。
おのれに起こったことは綺麗さっぱり水に流した与岐は、今では女だてらに離縁を望む町家の女房たちの代わりに亭主どもから去り状(三行半)をもぎ取るなどをする「公事師(くじし)」の生業(なりわい)をして生計を立てていた。
されどもある日突然、与岐の仕舞屋にとっくの昔に離縁したはずの元夫・又十蔵が転がり込んできて——
※「今宵は遣らずの雨」「大江戸ロミオ&ジュリエット」「大江戸シンデレラ」「大江戸の番人 〜吉原髪切り捕物帖〜」にうっすらと関連したお話ですが単独でお読みいただけます。
日露戦争の真実
蔵屋
歴史・時代
私の先祖は日露戦争の奉天の戦いで若くして戦死しました。
日本政府の定めた徴兵制で戦地に行ったのでした。
日露戦争が始まったのは明治37年(1904)2月6日でした。
帝政ロシアは清国の領土だった中国東北部を事実上占領下に置き、さらに朝鮮半島、日本海に勢力を伸ばそうとしていました。
日本はこれに対抗し開戦に至ったのです。
ほぼ同時に、日本連合艦隊はロシア軍の拠点港である旅順に向かい、ロシア軍の旅順艦隊の殲滅を目指すことになりました。
ロシア軍はヨーロッパに配備していたバルチック艦隊を日本に派遣するべく準備を開始したのです。
深い入り江に守られた旅順沿岸に設置された強力な砲台のため日本の連合艦隊は、陸軍に陸上からの旅順艦隊攻撃を要請したのでした。
この物語の始まりです。
『神知りて 人の幸せ 祈るのみ
神の伝えし 愛善の道』
この短歌は私が今年元旦に詠んだ歌である。
作家 蔵屋日唱
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる