謝漣華は誘惑する。

飴谷きなこ

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皇太后馮氏、孫を案じる。

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 突然孫を襲った災禍を聞かされた皇太后の取り乱しようは、当の本人である龍祥をも驚かせ、孫の為に侍医を呼ぶように申し付けておきながら、自分が侍医に薬湯を処方されている。
苦い薬湯を飲み下す様子を見ながら、龍祥は半ば呆れていた。

「襲われたのは確かですが、私は傷ひとつありませんのでご安心ください、おばあさま」
「だって……」

 よほど苦いのかしかめ面しながら薬湯を吹き冷ましつつ飲んでいる姿は、すでに孫が居ると言われても信じられないほどに若々しく美しい。

「下官のひとりがやられました」

 すっと苦笑いをしていた顔を戻し、報告する。
ちょうど薬湯を飲み終え、口もとを手巾で拭った皇太后は眉をひそめた。

「……その者は?」
「今、人手をやりました。運が良ければ助かるかと」

 龍祥が凛門りんもんを越える前に見たその宦官は、血の海の中ですでに動かなくなっていた。
周りは血で赤く濡れ、命のともしびを消し去っていたとしてもおかしくはない。

「もし、亡くなっていたのなら良いようにしておやり」
「かしこまりまして」

 軽く握った片手をもう片手で包み、了承の意を表す。

龍意りゅういに引き続いて、あなたまで襲われたと聞かされましたから、気が気ではありませんでしたよ」

 背あてにぐったりと寄りかかり、先日身罷ったばかりの前東宮の名を口に出した。
いつもはかくしゃくとして優雅な姿勢を崩さない祖母が今にも消え入りそうで、龍祥は慌ててそのほっそりとした手を取る。

「おばあさま。大丈夫ですよ。今後は身辺警護の近衛なども増えることにはなるでしょうが、十分に気を付けますので」
「ほんとうに?」

 自らの目を覆っていた手を外して、孫を見つめる祖母に微笑んで見せる。

「……本当に……本当に、お前は……!!」

 祖母の目じりに光るものを見つけて、龍祥は慌てて口にする。

「おばあさま、ところで急のお呼び出しとはいかがなさったのでしょうか?」

 話を逸らそうと口にしたことで、皇太后の目がきらりと光った。

「そういえば、龍祥。お前、謝家の息子に求婚したそうですね」

 あっと言う間に居住まいを正し、威厳を纏わせた皇太后は孫に問いかける。

「先日謝家の家刀自からお手紙を頂きました。そこで、揮亮暁きろうぎょう将軍と謝家の末子に求婚したと聞き及びました。それはまことですか?」

 目じりにうっすらと滲むものがあるが、威厳を纏い龍祥に問う祖母に面喰いながら龍祥は肯定した。

「お耳のお早いことで。ええ、求婚して簪を贈っております。返答はまだもらってはおりませんが」
「ゆくゆくはどうなさるのです。確か、謝家の末子は男児であったと記憶しております。世継ぎの問題が必ず出てまいりますよ」

 きりきりと引き絞られた弓弦のような祖母の眉を見ながら、龍祥はさてどうしたものか、と思う。

「子については、もし恵まれなければ弟の諒を養子に迎えてもいいですし、他にもおじい様の血筋の男児なら何人かおりますし構わないでしょう」

 それを聞いて、皇太后は眉をひそめた。

「諒ですか」

 今上皇帝の第三皇子である諒は、先日父親の罪に連座して位を妃から嬪へと引き下げられ、旺昭儀おうしょうぎとなった夏遥かようの息子である。
生まれて一歳になるのだったか、まだ歩くこともできない。
この時代、年齢は誕生日が来たら一歳と数える満での年齢ではなく、数えである。
ゆえに、実質生まれてまだ一年未満の諒皇子が一歳と言うことでも全く問題はない。

旺昭儀おうしょうぎは蟄居閉門中ですね。まだ父親の尋問は進まないのですか」
「ある程度進んではおりますが、もともとがあまり出来が良くないようで。けれど、人がいいものだからどんどん金品をもらうだけもらっていろいろと都合していたようですね」
「なんとまあ……そんな愚か者に大司農の重職を任せていたのですか」

 祖母の呆れた声に、龍祥は苦笑する。
まったくだ。

「ええ。ですから、関係したところすべて書類も人員も洗い出してる最中です」

 実際、夏を逮捕してから関係者も部署もすべて調べたら出るわ出るわ、不正の証拠が山盛り。
だが、実際に夏が関わった件と言うのは非常に少ないだろうと龍祥は見ている。
夏をお山の大将に担ぎ上げた下の者が少しずつくすねていったのが積もりに積もって表に出てきたにすぎない。

「そのあたりを衛所に頼んで証拠と証人を抑えてもらってます」
「そう……」

 ふう、とため息をついて、侍女が差し出した茶器を受け取り、蓋をずらして優雅に飲む姿は、一幅の絵になるだろう。

「ところでですね、おばあさま」
「なあに?」
「そろそろ蜃気楼で働くの、おやめになってこちらでのんびり優雅にお暮しになってはいかがですか?」
「なんで?」
「なんで、って」

 皇太后馮氏は、高貴な身分でありながら、蜃気楼の女将もやっているのだ。
二つの草鞋を器用に穿き分け、後宮と蜃気楼をこっそりと行き来している。

「私の身を案じて戴けるのは大変ありがたいのですが、さすがにおばあさまが妓楼の女将と言うのは」
「いいじゃない、わたくしがあの妓楼と買い上げて花街に行くようになってからものすっごく治安とかも改善したじゃない」

 いったい何の不満があるのか、とぷくっと頬を膨らませて見せた祖母を見ながら、「この親にしてあの子ありだな」と父親である皇帝を思った。
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