FIGHT AGAINST FATE !

薄荷雨

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Ride or Die

25・御馳走の自覚(※性的描写あり)

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 退勤後、良太は自宅で軽く夕食をとり、シャワーを浴び身支度を整えてからバイクを走らせた。行き先は賀萼町ががくちょうにあるアパート〔コーポ館花〕。
 目的地に到着し、二◯三号室のチャイムを鳴らせば銀髪の恋人が出迎えてくれる。彼の涼やかな気配は相変わらずだが、心なしか沈んだような雰囲気がある。頭痛はもう良くなったと聞いていたが、実はまだ治っていないのだろうか。

 榊さんの体調が悪かったら、しない。

 良太はそう決めている。健康は性交渉よりも優先されるべきことで、たとえ彼が誘惑をしてきても跳ね除ける決意を固めていた。
「飯、食ってきたか」
 と訊かれたので端的に「はい」と答える。自宅で夕食を済ませてくるよう連絡があったのでそれに従ったのだ。デートをする日にしては珍しい要望だった。
 廊下の前を行く彼の残り香から、入浴してそう時間が経過していないことが嗅ぎ取れる。もう抱かれる準備はしてあるとみて間違いない。とはいえ、いきなりベッドへ直行なんてことはないはず──
「じゃあやるか」
 ないはずなかった。いきなりきた。
「えっ、もうですか⁉︎」
 良太は思わず驚きの声を上げる。
「大丈夫なんすか」
「なにが」
「頭痛とかって……」
 もう治ったと言ったろ、と榊は躊躇なく寝室のドアを開けた。
 ベッドには大型の防水シーツ、掛け布団と枕はおそらくクローゼットに仕舞われていて、なるべく寝具が汚れないようセッティングされている。しかもサイドテーブルにはローションとウェットティッシュ、タオルまで。用意がよすぎることに、良太は少し面くらってしまった。
 榊がややぞんざいに、自身の身体を投げ出すようにしてベッドに腰掛ければスプリングで弾んで軽く上下する。
「どうする?脱がすか、それとも脱いだ方がいいか」
 なんだかやけに青白い肌が際立ってやつれて見える。声にも力がなくて生気に欠けるようだ。
 良太は榊の隣に静かに腰を下ろし、ゆっくりと抱きしめる。抑えきれない欲情のためではなく、触診するような具合で。体温が若干、低いような気がする。
「はやくしろよ、それともやっぱり男は嫌か。キャンセルする?」
「急がないでください。榊さん今日ちょっと元気ないですね。体調悪いんならしませんから」
「別に、どこも痛くも痒くもねえよ。仕事も普通にしてたし」
 本当に?と良太は榊の目にまっすぐ視線を撃ち込む。
 漆黒の睫毛に縁取られた黒曜石の瞳には、外殻を穿うがち隠した本音を暴くような圧力がある。
 榊は今の自分に通常の活気がないことを自覚している。が、それは頭痛や悪寒といった体調不良が続いているせいではない。数日前から受け入れの準備をしてきたための、生理反応のようなものなのだ。
「緊張くらいするし恥ずかしいんだっての。お前に抱かれるために準備してきた、なんだその、中洗う器具みたいなの買ったりして」
 嘘はついていないし本音でもある。良太の背中に腕をまわし、肩のあたりを優しく叩いて事の進展を促す。早く抱けと。
 身体を離した良太はベッドの上に正座しなおし、本当にいいんですね、と念を押す。榊は頷くだけだ。いつも通り照明の明度を下げて、とリモコンに手をかけようとしたところで、
「最初に決まりごと確認しませんか」 
 と良太に阻まれた。
「まず、俺が入れる側ということで」
「ああ、そうだな」
 異論はない。
「コンドームはつけます。ローションも持ってきました。それ用ってのがあって、こだわりとか無ければ多分、こっちのほうが乾燥しなくていいらしいです」
 これです、とバッグの中から取り出した潤滑油は肛門性交に適したものらしい。榊はそれを手に取り成分表示を見てみたが、一体なにがどう適しているのか知らないので、
「任せる」
 とだけ言って良太に返した。
「気分が悪くなったら教えてください」
「分かった」
「痛いのも我慢しないで」
「分かったって」
「俺、男の人とやるの初めてだから」
 私もそうだよと答えられない事実に、榊は少し胸が痛んだ。
「なるべく丁寧にしたいんですけど、気持ちに技術が伴わないかもっていうか……つまりその、榊さんが嫌だったり、血が出たら止めます」
 もしものときのために、と良太はなにやら市販薬とワセリンをローションの横に置いた。薬は某有名製薬会社の、いわゆる切れ痔用の塗り薬というやつ。
「あと電気はつけといた方がいいと思うんすよね」
 この提案に榊は難色を示す。今まで互いの裸体も見てきたし、それなりに性的な接触をしてきた仲とはいえ、後ろの恥部を明るみに晒すのはさすがに躊躇われる。
「暗いと血が出たかどうか分かりづらいし、見えないと危ないですよ」
 悔しいがその意見は合理的に思えたので榊はこれを、
「色が分かる程度に薄暗いならいい」
 という条件をつけて承諾した。
 その他にもなにか異変が起きたら中断しようと良太は言う。
 排泄器官に男根を突っ込む行為自体がもう異変だろ、とも思うのだがここで興を削いでも始まらない。榊はさっさと始めたい、ともすれば終わらせたい理由があるのだ。
「良太くんもさあ、なにか違うと思ったらそこでやめていいんだからな」
 べつにそれで嫌いになったりしないから、と良太に向き直る。彼の膝の上で握られている拳を包むように手を置けば、その上に熱いてのひらが重ねられた。
 良太は榊の右手を両手で握り込み、祈りのように胸元に寄せ、
「よ、よろしくお願いします!」
 などと、まるでスポーツの試合前のような礼儀正しい挨拶をしたのだった。榊は空いている方の手で良太の上腕を軽く叩き、
「よろしく」
 と応じた。頼むぜ、とでもいうように。
「っし、やるか」
「はい!」
「おいで」
 と軽く両腕を広げる榊に抱きついた良太は甘えるように頬を擦り寄せた。
 
 焦って破いたり汚さないよう、良太は慎重に榊の上着をたくし上げていく。
 順番に露わになってゆくきめ細やかな皮膚、腹や胸が、呼吸の度に波打つのが目に入る。早くそこを撫でて感触を味わいたい、肌の香りを堪能したいと、逸る気持ちを抑えるのにはなかなかの自制心を要した。
 榊は両腕を頭のすぐ上あたりまで持ってきて、手首を揃え、大人しく脱がされるのを待っている。その二つの手首を縛ってベッドに繋いでおきたいなんて、邪な妄想に囚われないように良太は努めて正気を保つ。
 すっかり上半身を裸に剥かれた榊は、次はこっちのばんだというふうに良太のシャツの裾を掴み、
「はい、バンザーイ」
 と子供に話しかけるような口調でふざけて笑った。よくできました、などと。
「ガキ扱いとか」
「拗ねんなよ良太くん」
 大人だもんな?と榊は良太の顎を掴み積極的なキスで煽った。
 負けじと応じる良太も唇を貪り、舌を絡め、相手の弱点の上顎を重点的に責め立てる。程なくして榊の身体が脱力して、蕩けるように揺らぐ。あらぬ方向に崩れ落ちないようにしっかりと抱きしめて、恭しく、布張りの化粧箱に硝子細工を収めるような丁重さで押し倒していった。

 柔らかな寝具の上に縺れ込んでからは、良太があらゆる愛撫を丹念に施した甲斐あって、榊は前戯の段階で一度吐精に至っている。
 秘所を注意深く慣らし慎重にことを進めれば、榊は気を利かせて身体を反転させ後ろを向こうとしたが、良太は正常位を譲らなかった。背中や尻が見えないのは惜しいけど、正面が見えないのは勿体無いし、初めて一つになるときに彼の表情が読み取れないのは不安だったのだ。
 それに、Ωと番契約するような格好になるのは避けたかったというのもある。αがバックでΩの生殖器に挿入し、うなじに噛みつくときと同様の体勢になるのは嫌だった。Ωと同じ姿勢で抱くなんて、βの榊に対しても失礼なんじゃないかと思ったのだ。
 受け入れの際に、榊は良太の雄の証を拒絶することはなかったが、痛みと違和感のためか耐えるように表情をこわばらせていた。無理はさせたくないから、と半分あたりで進行を止めようとした良太だったが、
「いいから最後までやれ」
 といわれるままに奥まで貫くことを求められ、繰り返しの抜き差しの末に中で果てることが叶った。
 榊は後ろだけで達することはなかったが、二度目には良太が陽茎を弄いいらって奉仕したおかげもあり、中を穿たれながらも昇りつめることができたのだった。そして事後──

「バスルーム先に使っていいから」
 そう言って、めずらしくシャワーを浴びないまま部屋着を身につけた榊が、ふらりと寝室を出ていく。
 残された良太が聞き耳を立てていれば、水道を使う音から始まり冷蔵庫を開けたり換気扇の回る音など、台所でなにかやっていることが分かる。夜食か?だったらここは自分が何か作ってあげるべき!と良太は居ても立っても居られなくなり、慌てて服を着てキッチンに向かった。
 案の定、榊はコンロに鍋をかけている。中身は雑炊かおじやのようだ。
 洗面所で手を清めてきた良太が、
「俺、代わりましょうか」
 と話しかけると、鍋に集中していたらしい榊は一歩遅れた反応で「大丈夫」とだけ答えた。
 何か役に立ちたい良太がせめてもの気遣いで汁椀を渡そうとしたのだが、
「それじゃなくて」
 そっちのがいい、と指されたのは漆器の丼椀。
 今まで夕餉の延長で少々の酒類や肴を口にすることはあったが、この量の夜食となると珍しい。
「榊さんもしかして……」
 思い当たる今夜の榊の違和感。急かすような態度も、若干低い体温も緊張や恥ずかしさのためではなく、
「ご飯食べてないの?」
 空腹だったからじゃないのか。
 榊はバツが悪そうにするでもなく、そうだよ、と簡単に認める。火を止め器におじやを満たし、ついでのようにハムを何枚か添えた。テーブルについて、いただきますと小さく挨拶して食べ始める。
 良太もまた正面に座る。威圧感を漂わせているが、あいにく榊は食うのに忙しくてガンをつけられたくらいでは動じない。
 すっかり食べ終えて血色の良くなった榊が「ごちそうさま」を言い終わるや否や、良太は素早く食器と鍋を洗って片付けた。次いでソファに移動した榊の横に重々しく寄り添い、
「なんでご飯、食べてなかったんですか」 
 と問う。
「んー?後にするつもりだったから」
「なんで食べてなかったの」
「中身空っぽにしといたほうがいいと思って、なるべく」
 何の中身かと訊けば、腹の中身だという。食事を抜くことで排泄物のトラブルを回避しようとしたわけだ。
 なにやってんすか、と良太は文字通りに頭を抱えた。
「それって今日だけじゃないっすよね、いつからやりました?絶食」
「水曜かな。おかげで無事に終わってよかっただろ」
 水分補給もしていたし、サプリメントでミネラルやビタミンの摂取もしていたというが、だから問題ないというわけではない。
「なんっか榊さん元気ねえなって……」
 気付いていたのに抱いてしまった。欲に目が眩んで違和感から目を背けなかったとはいえない。
「私がしたくてしたことだからいいんだよ。抱いてほしいってのも本当だったし」
「だからって無理させたくありませんでした」
「無理じゃねえし」
「次からはちゃんと食べてください」
 お願いしますといっても榊は不服そうだ。こういうとき気持ちと勢いだけで、心配いりませんよ、なんて付け足しても信用は得られないと良太は心得ている。
「あのー、俺いちおう事前にネットとかで調べてみたんですけど、便意がなければ中はきれいだし、短時間のプレイだったら漏れることはないって」
「らしいな」
 それくらいは経験の浅い榊でも分かる。ただし良太といえども、いよいよ明確に雄側として振る舞って行為をした場合、豹変しないとは限らない。あの男──かつてβの榊を運命のΩだと錯覚しつがいにしようとした狂人、左凪閨介のように。
 左凪が榊の記憶に残した爪痕は、αの男がβの男とする性交はああいうもの、という強い先入観を形成してしまったのだ。その上で、良太だったら受け入れようと覚悟をして、食事を抜き中を洗浄しベッドを整えて待っていた。
 しかしいざ事に及んでみたら存外、おそらく男同士の性交としてはそこそこ普通の範囲内で、本番は済んでしまった。
 長時間にわたる拘束もなければ、出血が伴うほど手酷く扱われることもなかった。αがΩを番にするようにうなじを噛まれることもなかったし、そこ以外に歯を立てられたりもしなかった。さすがに慣れていないため痛みや圧迫感はあったが、身体には痣ひとつついていない。

 やっぱり駄目だったか。

 αの神経を昂らせる性フェロモンの分泌もなく、自然に濡れないために潤滑油の使用や慣らしが必要になるなど、理性と手順を要するβ男性との交合はαにとって煩わしかったはずだ。つがいの獲得という終着点の存在しない虚しさも際立ったことだろう。
 いくら口で「Ωは不快」「番はいらない」と嘯いたところで、αの肉体と本能を満たすには自分じゃ力不足、Ωでなくては駄目なのだと榊は確信を持った。
「遠慮させてしまったみたいで……」
 だから謝った。予約するだの早く抱けだの自分勝手にせがんだくせに、つまらないセックスしかできなかったから。食事制限をしたのも却って気を遣わせてしまった。
「すまなかった。悪いと思ってる」
 これを聞いて良太は、ヤバい、と直感した。一体なにがどうなってその発言に至ったのか。ここで適当にあしらってはいけない、誤解されてはいけないという警報が、頭の中で心臓の鼓動と連動し鳴り響いている。
「遠慮って、なにがですか」
「今からでも考え直してみないか、Ωのこと」
「はあ?」
「どうしようもない部分ってのはある」
「だ、だから、なにが……」
 良太は上下の奥歯が震えて音を立てないよう、感情的にならないよう、顎に力を込めて戒める。
「こっちからΩを紹介したりしないって決めたけど、αとしての性質を抑えて無理に私と付き合わなくていい」
「なに言ってんすか、さっきから」
「池占さんの番号、アドレスから消して着拒したんだ。だから探したいときは着信拒否登録の一覧にあるから」
 二人の仲もようやくここまで進展したと思ったら実は後退していた、という訳のわからなさ。

 さっきので、やっぱ抱かれる側は嫌だったから、遠回しにΩとやれって意味?
 俺のこと好きだって、もうΩを推しつけないって言ったよな。
 池占ってΩの弟だろ?関係ねえじゃん。
 無理に付き合わなくていいってなんなんだよ。

 良太はΩなんて眼中にない。榊がもう受け入れたくないのなら金輪際しないし、誓約書を作ってもいい。性行為を禁じるために貞操帯をつけろと望むならそうする。生殖器を切除しろと命じられれば従うつもりだ。それでも離別するのだけは、どうしても避けたかった。
「すみません!嫌だったんですよね、気付かなくてごめんなさい。もうしませんから……」
 捨てないでと懇願する間もなく、
「別に嫌じゃなかった」
 と榊は返す。
「じゃあっ、なんで!Ωがどうとか、無理に付き合わなくていいとか言うんですか」
 それとも俺自体もう要らないという意味なのか、と良太は詰め寄る。
「悪いとこあったら直します。セックスしたくないなら、今後いっさいしないって誓約書も書く。できないように手術しろっていうならそうする」
「勘違いすんな飛躍しすぎだろ、なんだ手術って。そういうことじゃない。悪いのはこっちのほうで、物足りなかっただろうなと……」
 どういうことかと黙って聞いていれば、Ωが相手ならもっと夢中で楽しめたはずだというのだ。
 Ωなら潤滑油を用意したり煩わしい準備をする必要もないし、丈夫な肉体は長時間の激しい性交に耐えうる強度もある。発情期でなくとも常時分泌しているフェロモンはαの本能を刺激し、うなじに噛みつけば番にすることもできる。束縛して囲っておけばΩは喜び、αの強い執着心も支配欲も満足させられる。さらには例えとして、
「肉食動物に雑草食わしてるみたいで、申し訳なくて」
 なんてことまで。
 浮かれないように冷静に、がっつかないようにと頑張った結果が裏目に出た。良太は確かに、劣情や性欲だけのところでいえば、もっと触れ合って深く激しく濃厚に、αの執着と精力を彼にぶつけたかったのだ。でも──

 できるわけねえだろ、そんなこと。

 優しくしたかっただけなのに、抑制と淡白さが誤解を与えてしてしまったのは本意ではない。
「俺はレイプとか暴力とか、そういうことをしたいわけじゃありません。Ωのこと考え直せっていいますけど、仮に考えが変わってもΩが気色悪い生き物なのは事実ですから」
「だとしても現実問題として、その……」
 榊は言葉に詰まる。
「正直、加減はしました、榊さんを大事にしたいから」
「それはありがたい、けど」
「けど、なんですか?好きな人に優しくするのは当然ですよね」
「欲求不満のままってのは……」
「不満はないです、嬉しかったし気持ちよかったんで。でもまだ余裕はありますよ?」
 雑草だなんて思わせたままじゃいられない。
「御馳走だって自覚、持ってください」

 覚え込ませていかないと。
 今夜でなくてもいい、急がなくていい。
 この先じっくりと時間をかけて、分からせなきゃ。
 

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