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不敵な笑みを浮かべる魔主
しおりを挟む生唾を呑み込み漆黒に染められた場所をみつめる。
魔主が向こう側で待ち構えているのだろうか。
ほら、どこからか声がしてきた。
「おいで、こっちへおいで」
まずい、眠くなってきた。そう思ったら、加奈と康也が歩道橋の階段をゆっくり上りはじめていた。僕は慌てて追いかけてふたりの肩を掴む。
「ふたりとも」
呼びかけたところで異変に気がついた。
ふたりの目はとろんとして焦点が合っていない。魔主の仕業に違いない。さっき感じた眠気がきっとそうだ。僕だけ術を解くことができたみたいだ。なぜだろう。
『我が解いた。だが、いいか。悟られるでないぞ。術にかかったフリをして一緒にあそこへ行け』
なるほど、そういうことか。
猫地蔵が解いてくれたのか。けど、どこにいるのだろう。僕の中にいるのか。いや、それはないか。まあいい。どっちにしろ、見守ってくれているのなら心強い。
「おいで、こっちへおいで」
まただ。
よし、今度は一緒に行こう。
僕はふたりのあとについていくことにした。同じペースで歩いたほうがいい。ふたりが前にいれば、隠れられるし魔主も騙せるかもしれない。そう思っていた。それなのに、なんだか眠気が強くなって頭がぼんやりしてきてしまった。
おかしい。術は解かれたはずなのに。
身体がフラフラする。
あっ、漆黒の闇が目の前に。まるで黒い扉がそこにあるみたいに景色が四角く切り取られて闇が存在する。
『ユヅル、気をつけろ。何かが変だ。魔主だが、魔主ではないような』
えっ、どういうこと。
猫地蔵にそう訊ねたのだが、すでに気配はなかった。
加奈と康也は迷うことなく闇の中へ消えていく。まずい、追いかけなきゃ。躊躇していたら怪しまれてしまう。一歩踏み出し、闇の中へ。
仄暗い世界がそこにはあった。ビルも道路もない。もちろん、車も走っていない。目の前にあるのは鳥居と小さな社。なんとも不思議な光景がそこにはあった。黄昏時みたいな暮れゆく景色があたりを包み込んでいる。
おや、あそこに誰かが立っている。
魔主なのだろうか。
きっとそうだ。作戦は成功しているのだろうか。ぼんやりする頭で考えているせいか、どうだっていいとの思いが浮かんできてしまう。
僕は何をすればよかったのだろう。思い出せない。
ここで、魔主と話せばいいのだろうか。それとも、戦えばよかったのだろうか。やっぱり思い出せない。ああ、なんだか眠い。
「ほら、こっちだ。おいで」
手招きする誰か。
姿がはっきりしない。
突然、こめかみが疼き、手で押さえた。すぐに治まったが誰かが叫んでいるように思える。この声は魔主なのか。なんと言っているのだろう。誰かがいたと思われたのに、近づくにつれて姿が朧げになり消えてしまった。
どうなっている。俺の頭では理解が追いつかない。
おや、どこかで軋む音がしてくる。あそこからか。
社へと視線を移すと扉がゆっくりと開いていく。あまりにもゆっくり過ぎて気づかなかった。何者かの気配を感じる。何かが出てくるのかもしれない。魔主なのか。
黒い煙が扉の隙間から天に昇っていく。煙を目で追っていたら、いつの間にか目の前に赤い目を光らせた白狐がいた。複数の尻尾を揺らめかせている。九尾の狐なんてものを本で読んだことがあるが、九本尻尾があるかはわからない。
ああ、眠い。このまま寝落ちしてしまいそうだ。ダメだ、俺はしっかりしなきゃ。
あいつが、きっと魔主なのだろう。
気づくと、加奈と康也が魔主のほうへ歩き出そうとしていた。慌てて肩を掴み、引き止める。
「来たか。おまえたちがどんなに足掻こうが不幸は訪れる。そうでないとわらわは納得できぬ。恨むのならおまえらの先祖を恨め」
あいつが、やっぱり魔主のようだ。
身勝手なこと言いやがって。
眠気と戦いつつ、俺は魔主に目を向ける。だが、声を大にして言い返すことは出来なかった。
「ほほう、まだわらわに対抗できるのか。だが、おまえの未来は変えられないぞ。素直にわらわに従え」
ううっ、ダメだ。魔主の瞳に宿る濁ったものが、俺の中へと入り込んでくる。
目が離せない。
意識が遠のいていく。ここまで力が強いのか。猫地蔵の力も効果がないのか。無理なのか。それならば、稲山様とみのりに早く五芒星を作ってもらうしかない。
「ふん、狐神も地蔵も役には立たぬ。他の神々に力を貸してもらおうとしたところで意味はない。すべて、わかっているからな。五芒星は完成しない。いや、完成させてやってもいいか。そうだ、おまえたちにも見せてやろう。絶望が増すであろうからな。ふふふ」
見せる。いったい何を。
「ほら、見て見ろ」
魔主のその一言で不思議と眠気が吹き飛んだ。加奈と康也は目がとろんとしたままだ。俺だけ術を解いたのか。なぜだろうとの疑問が湧くが「見ろ」との言葉も気にかかる。いったい何を見ろというのだろう。そう思っていたら、いつの間にか足元に水たまりができていてそこに映像が見えはじめた。
稲山様とみのりだ。
どこにいるのだろう。
新宿十二社熊野神社のようだ。あたたかな空気感が包み込んでいるのがわかる。そのせいか、魔主は眉間に皺を寄せて水たまりに映るふたりを睨みつけている。
順調じゃないか。けど、魔主がこの事実を知っているということは順調とは言えないのか。黙って見ているはずがない。それじゃ、今ふたりの様子を見せているのは、何か起そうとしているということか。
あっ、走り出した。
次の場所へ向かったのだろう。確か次は、稲荷鬼王神社だ。
チラリと魔主を見遣ると、口角を少し上げていた。やはり、何か企んでいる。稲山様たちは大丈夫だろうか。見た感じ、異変はなさそうだけど。
それにしてもふたりの移動速度が速い。流石だ。
あっ、あれは西武新宿駅。
新宿十二社熊野神社から稲荷鬼王神社に行くには西武新宿駅を通るのか。いまいち位置関係がよくわからない。ただ、魔主がいるこの近くを通るってことになる。大丈夫なのだろうか。魔主が何か画策しているのだとすれば、西武新宿駅あたりとしか考えられない。
ほら、見ろ。しめしめという顔をしている。気のせいじゃない。
ふたりに向けて叫ぼうとしたのだが、声が出なかった。
くそっ、声を封じられているようだ。
「馬鹿な奴らだ。わらわに敵うはずがなかろう。何べんやったところで意味はない。なぜ、わからぬ。まあ、いいか。何べんでも付き合ってやろう。ふふふ、来た。来た。飛んで火にいる夏の虫とはこのことだな」
どうしたらいいのだろうか。
作戦はすべて魔主に気づかれている。
水たまりに映る稲山様とみのりをみつめて、祈る。
魔主はいったい何をするつもりなのだろう。ふたりが危険だ。そうだ、俺が邪魔すればいい。魔主に体当たりでもすれば。いや、そんなことをしても意味はない。時間稼ぎにもならないだろう。それじゃ、どうする。
気持ちが焦る。何かしなくちゃ。水たまりを見遣り、魔主へと目を移す。少しでも気を逸らそうと俺は魔主に話しかけようとした。
声が出ないんだった。
「ふん、わらわを甘くみるなよ。人間には何もできぬ。狐神でさえ、わらわの力を持ってすれば赤子同然。わらわは、人間どもの恨みつらみをすべて吸収して力を増したのだ。わらわを捨てた人間どもなど、どうなったっていい」
なんて奴だ。そう思ったのだが、どこか悲しい目をしたのを見逃さなかった。
まだ、魔主にも心が残っているのではないのか。そうだとしたら、何かやりようがあるのではないのか。
必死に声を出そうとするが、やっぱりダメだった。これじゃ、何もできない。
気づくと、稲山様とみのりが稲荷鬼王神社に着いていた。
あれ、何も起きなかったのか。それどころか、あたたかな気が水たまりの向こう側から伝わってきた。おかしい。何か企んでいたはず。魔主は何もしなかったのか。それとも、何か仕掛けたのか。わからない。余裕たっぷりって感じだ。
まさか、五芒星を完成させても魔主には通じないなんてことはないだろう。
「ふふふ、どうかしたか。その目はなんだ。まあいいか。そのうち、わかる。ゆっくり、見ていろ」
『そのうち、わかる』か。
稲山様とみのりは次の成子天神社でも無事祝詞を唱えて花園神社へと向かっていく。大丈夫みたいだけど。
あっ、また西武新宿駅に近づいている。
どうなる。何か起きるのか。じっと、水たまりの映像をみつめてふたりが駅前を通り過ぎていくのを確認してホッと息を吐く。
大丈夫だったか。
そう思った瞬間、心臓に痛みを感じた。
身体が震える。額から脇から汗が滴り落ちる。
何が起きている。
助けてくれ、誰か。俺は、死ぬのか。そんな馬鹿な。頼む、早く五芒星を。
目が霞み、視界が狭くなっていく。身体に力が入らない。
もうダメだ。
意識が遠のいていく。
目の前が暗転するその瞬間、加奈と康也の倒れる姿を目にした。水たまりに映る稲山様とみのりに黒い影が差して、一瞬動きが鈍くなった。その向こう側で不敵な笑みを浮かべる魔主。あれ、魔主ってあんなに大きかっただろうか。
そんなこと、今考えても仕方がない。
もう終わりだ。
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