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第一章『悲しみから笑顔へ』

やさしい、やさしい園音様

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「ほら、ほら。泣かないで子猫ちゃん」
「うん」
「この辺は怖いおじさんがいっぱいいるからね。気をつけなきゃいけないよ」
「うん」

 涙で濡れた頬を優しく嘗めてくれるお姉さん猫に目を向けた。なんだか身体が光っているみたい。不思議だ。

「あっ、でもね。さっきのムムタは口が悪いだけでそんなに悪い猫ではないからね。それに、あなたのお母さんも酷い猫じゃないわよ」 
「えっ、本当に」
「ええ、本当よ。きっとあなたはひとりだちする時期だったのよ」
「ひとりだちって、なに」
「そうね。一人前の猫になれるようにわざと離れるの」

 一人前の猫。心寧はその言葉を反芻はんすうしてブルブルと頭を振った。まだ一人前になんてなれなくていい。あたたかいぬくもりを感じていたい。お兄ちゃんといっぱい遊んでお母さんのおいしいミルクも飲みたいのに。

「子猫ちゃん。お母さんがいなくなる前になんて言っていた。覚えているかな」
「えっ、えっと。『がんばって』って」
「そうでしょ。それなら一人で生きて行けるようにがんばらなきゃ」
「でも、でも、でも。寂しいもん」
「他にはなにか言っていなかった」
「えっと、えっと。『がんばっていれば良いことがある』って」
「そうでしょ。お母さんのその気持ちにこたえなきゃ」

『お母さんの気持ち』か。

 そうだ。がんばらなきゃ。

「わたし、がんばる」
「そうそう、そうでなきゃ」
「あの、その。ところでお姉さんは誰なの。なんで光っているの」
「あら、ごめんなさいね。私は園音。すぐ近くの傘猫堂神社で猫神様をやっているの」
「猫神様」
「そう、猫も人もみんな幸せになりますようにって願っているのよ」

 そうなのか。お姉さんは神様なのか。それで光っているのか。すごい、すごい。猫神様に会えるだなんてすごい。あっ、嫌だ。神様になれなれしくしちゃった。
 心寧はすぐに伏せをして頭を下げた。

「あら、そんなにかしこまらなくてもいいのよ」
「けど、猫神様なんでしょ。わたし、わたし。えっと、その。園音様、わたしがんばります」
「いい子ね」

 なんだか心臓がドキドキしている。そりゃそうだ。神様と向き合っているんだもの。緊張きんちょうして当然だ。いや、緊張というよりも興奮しているのかも。
 んっ、あれ。ちょっと待って。がんばるって何をがんばればいいのだろう。

「あの、そのちょっといてもいいですか」
「いいわよ。なんでも答えてあげる。けど、敬語じゃなくていいからね」

 敬語ってなんだろう。

「あの、その。敬語ってなんですか」
「ああ、そうね。相手に敬意をもって話す言葉かな。わからないかな。とにかく友達みたいな感じで話してもいいってことを言いたかったんだけどな」

 なるほど、友達か。けど、いいのかな。神様がいいって言うんだからいいのか。

「うん。じゃじゃ、わたし、なにをがんばればいいのかな」
「あら、それは答えられないわね。自分で考えなきゃ」
「自分で」
「そう、なにをしたらいいかは誰かに決めてやるものではないのよ。なにをやりたいのか。なにをがんばっていったらいいのか。子猫ちゃんが自分で決めなきゃね」
「そうなんだ」

 心寧は一生懸命考えた。なんだろう。なにをがんばったらいいだろう。やりたいことって……。うーん、うーん、うーん。
 おいしいごはんを食べたい。違う、違う。それはがんばることとは違う。
 チョウチョやバッタを追いかけて遊ぶ。それも違う。
 お母さんみたいになりたい。これもちょっと違うのかも。いや、違くはないのか。
 心寧は目の前にいる園音様に目を向けてハッとした。
 そうだ、自分も猫神様になれたら……。

「あの、わたし、わたし。園音様みたいになりたい。猫神様になりたい」
「あら、私みたいに。うれしいこと言ってくれるわね。けど、神様って大変よ」
「わたし、がんばる。そう決めたの。自分で決めたの」

 そう、自分で決めた。そんなことしたのはじめてだ。なんだか気持ちいい。そうと決まれば猫神様に絶対になる。けど、なれるだろうか。ダメダメ、がんばるんでしょ。

「本気みたいね。それなら、猫神学園に紹介状を書いてあげましょう」

 キュルキュルキュルゥ~。

「あら、猫神学園に紹介状書く前にごはんをくれる人を紹介したほうがよさそうね」
「はい、お願いします」

 大きな声でそう口にしたところで心寧は急に恥かしくなって頭を掻いた。

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