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プロローグ
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おお、あるある。
書店に入ってすぐのところに平積みされている話題の本。『猫は寝て待て』と『猫にごはん』のタイトルに思わずにんまりしてしまう。こんな特等席に置かれていると思うと感無量だ。ここの書店員に感謝したくなる。というか、すでに何度もお礼の美味しいスィーツの差し入れをしている。決して大型書店ではなく、街に溶け込んでいるくらい馴染みのある懐かしさを感じさせるこじんまりとした書店だ。人の良さそうなおばちゃんと可愛いらしい女の子の書店員二人だけの書店だ。二人は親子だ。
いろいろとお世話になった書店だから恩返しもしたい。
「あら、来ていたの」
「ええ、まあ」
やってきましたおばちゃんだ。新藤美津子だ。
使い古したエプロンが年季を感じさせる。これぞ下町の書店だ。あまり書籍の在庫はないだろうが、常連のお客の好みを知っていてそのお客の手に取るであろう本は揃っている。
もちろん、自分が好きな作家の新刊本も必ず棚に存在する。そういう気配りが嬉しくてここへ通ってしまう。まあ、それが個人の店が生き残る術なのだろう。
「それで、差し入れは?」
「いきなり、そこですか」
田所真一は『手ぶらですよ』とばかりに両手を見せて頬を緩ませた。このなんでもないやり取りがまたいい。自分の家にでも帰ってきたみたいでホッとする。
「なんだ、残念」
わかりやすく項垂れる。けど、口角は上がっていてどうみても笑っている。いつものことだ。とそこへ、もうひとりの店員が顔を出す。
「あ、田所さん。今日の差し入れは?」
真一は思わず、プッと吹いてしまった。おばちゃんもつられて笑い声をあげる。やっぱり親子だ、同じこと口にする。
「な、なんですか。もう」
新藤美樹は、頬を膨らませて不貞腐れているみたいだった。
「ごめん、ごめん。おばちゃんと同じこと言うもんだからさ」
「そうなんですか」
美樹は顔を赤らめて照れ笑いをしていた。
「今度は持ってくるから、今日のところは勘弁してくれ」
「はい、よろしくお願いしますね」
美樹の笑顔はいつみても癒される。もちろん、おばちゃんの笑顔も負けてはいない。親子だから当然なのかもしれないが。
「それはそうと、あんたの本すごい売れ行きよ。まさに救世主ね、あんたは」
「またまた、救世主だなんて大袈裟だよ」
おばちゃんはかぶりを振って言葉を続けた。
「大袈裟じゃないよ。小さな本屋にとって一冊売るのも大変なご時世に、あの猫の本のおかげで毎日数冊の購入者がいるんだよ。ありがたいってもんだよ。肉球印本様様だね」
そうそう、サイン本ならぬ、肉球印本を配布している書店は数店舗だけだ。限定二十名様というレア本だから、わざわざここに買いにくる者もいるのだろう。肉球印は幸運を呼ぶなんて噂も囁かれているらしい。残りはというと、あと二冊か。確かに売れ行き好調と言える。今日の朝に到着したばかりのはずだ。午前中に残り二冊はすごい。ここはわかりにくい小さな書店でこの売れ行きは快挙だと言えるかもしれない。
「ほんと、真一くんにこんな文才あったとはね。知らなかったわよ」
真一は頭を掻きつつ苦笑いを浮かべた。
自分が書いたんじゃないんだけどな。美津子も美樹も俺の創作したものだと勘違いしている。訂正するのも面倒でそのままにしているけど。
チラッと本の帯に目を向けて少しだけ口角をあげる。
それにしても、この帯は引き付けるものがある。良い帯だ。
『世界初、猫の小説家誕生!』という帯の言葉。猫好きも本好きも目が釘づけになること請け合い。
この文句が気にならない者はいないだろう。だが、この言葉を信じる者が果たしてどれくらいいるのだろうか。おそらく誰も信じてはいない。それでいいとは思っている。ネットではこの本に関して言いたい放題書かれているが、気にすることはない。嘘偽りのないことなのだから。
真実は奇なりというではないか。猫も小説を書く時代なのだ。日向ぼっこして寝転んでいる猫ばかりじゃないと声を大にして叫びたい。もちろん、そんなことはしない。グッと言葉を呑み込んで我慢する。
白い目で見られたくはないからな。
そんな思いを巡らせていたら、早速その本を手に取りレジへ向かうお客がひとり。今時珍しいおかっぱ頭の女の子が手に取った本を大事そうに抱えて笑みを浮かべている姿はほっこりしてしまう。前髪ぱっつんで切り過ぎじゃないだろうかあの子。いや、あれはもしかするととある有名人の真似かもしれない。どことなく似た雰囲気がある。名前は思い出せないが、おそらくそうだろう。
あんな女の子も眠多猫先生のファンでいてくれているのか。児童書とは違うからちょっと難しくはないだろうか。きっと本好きなのだろう。そうだったら問題ないかもしれないけど。
小学生でも大人の長編をサラッと読んでしまう子がいるからな。あの子もそうなんだろうな。
何はともあれ、楽しんで読んでくれたら幸いだ。目の前で購入者を見かけることは、自分のことのように嬉しいことじゃないか。けど、この女の子も猫が書いたとは思っていないだろう。面白い設定で宣伝効果を増しているのだろうと考えているに違いない。いや、この子は大人と違ってそこまで考えていないかもしれない。猫が書いた小説だってウキウキ気分で手に取ってくれたと信じてみるのもいいかもしれない。まあ、真実がどこにあるのかはどうでもいいことなのかも。『猫は寝て待て』と『猫にごはん』は自分が書いた小説ということになっているのだから、それでいい。眠多猫先生もそれを望んでいる。
あいつは不思議な猫だ、本当に。
そんなことを考えていたら、不思議と女の子が猫っぽく見えてきた。そんなことはありえないことだが、眠多猫先生のことを思ったら猫が人に化けることも有りうるのではとアホらしいことが頭に浮かんでしまった。
活字離れのこの時代に、貴重な子を目にして心が温まった。それも、ここが地域密着の愛される書店だからなのかもしれない。
今頃、眠多猫先生は執筆作業に没頭しているだろうか。それとも、ゴロンとなって夢の国へ旅立っているのだろうか。毛繕いに勤しんでいるってこともあるか。
それにしても、猫が小説を書く世の中というのも面白いものだ。
言っておくが、世の中の猫がみんなそうではない。当たり前だ。そんな世の中になったらそれこそ、この世は猫に占領されるなんて事態になりかねない。けど、本当に当たり前だと言えるのだろうか。もしかしたら、猫たちは思っている以上に才能豊かな存在なのではないのだろうか。真一はすぐにかぶりを振り、微笑んだ。
そこまで飛躍した考えをすることはないか。うちにいる眠多猫先生が特別な存在ってだけのこと。
おっと、こんなところで油を売っている場合ではない。早く帰って進捗状況を確認せねば。
眠多猫先生、待っていてくださいよ。美味しい猫缶を買っていきますからね。
「おばちゃん、美樹ちゃん、またくるよ」
ふたりの笑顔に見送られて真一は書店を後にした。
書店に入ってすぐのところに平積みされている話題の本。『猫は寝て待て』と『猫にごはん』のタイトルに思わずにんまりしてしまう。こんな特等席に置かれていると思うと感無量だ。ここの書店員に感謝したくなる。というか、すでに何度もお礼の美味しいスィーツの差し入れをしている。決して大型書店ではなく、街に溶け込んでいるくらい馴染みのある懐かしさを感じさせるこじんまりとした書店だ。人の良さそうなおばちゃんと可愛いらしい女の子の書店員二人だけの書店だ。二人は親子だ。
いろいろとお世話になった書店だから恩返しもしたい。
「あら、来ていたの」
「ええ、まあ」
やってきましたおばちゃんだ。新藤美津子だ。
使い古したエプロンが年季を感じさせる。これぞ下町の書店だ。あまり書籍の在庫はないだろうが、常連のお客の好みを知っていてそのお客の手に取るであろう本は揃っている。
もちろん、自分が好きな作家の新刊本も必ず棚に存在する。そういう気配りが嬉しくてここへ通ってしまう。まあ、それが個人の店が生き残る術なのだろう。
「それで、差し入れは?」
「いきなり、そこですか」
田所真一は『手ぶらですよ』とばかりに両手を見せて頬を緩ませた。このなんでもないやり取りがまたいい。自分の家にでも帰ってきたみたいでホッとする。
「なんだ、残念」
わかりやすく項垂れる。けど、口角は上がっていてどうみても笑っている。いつものことだ。とそこへ、もうひとりの店員が顔を出す。
「あ、田所さん。今日の差し入れは?」
真一は思わず、プッと吹いてしまった。おばちゃんもつられて笑い声をあげる。やっぱり親子だ、同じこと口にする。
「な、なんですか。もう」
新藤美樹は、頬を膨らませて不貞腐れているみたいだった。
「ごめん、ごめん。おばちゃんと同じこと言うもんだからさ」
「そうなんですか」
美樹は顔を赤らめて照れ笑いをしていた。
「今度は持ってくるから、今日のところは勘弁してくれ」
「はい、よろしくお願いしますね」
美樹の笑顔はいつみても癒される。もちろん、おばちゃんの笑顔も負けてはいない。親子だから当然なのかもしれないが。
「それはそうと、あんたの本すごい売れ行きよ。まさに救世主ね、あんたは」
「またまた、救世主だなんて大袈裟だよ」
おばちゃんはかぶりを振って言葉を続けた。
「大袈裟じゃないよ。小さな本屋にとって一冊売るのも大変なご時世に、あの猫の本のおかげで毎日数冊の購入者がいるんだよ。ありがたいってもんだよ。肉球印本様様だね」
そうそう、サイン本ならぬ、肉球印本を配布している書店は数店舗だけだ。限定二十名様というレア本だから、わざわざここに買いにくる者もいるのだろう。肉球印は幸運を呼ぶなんて噂も囁かれているらしい。残りはというと、あと二冊か。確かに売れ行き好調と言える。今日の朝に到着したばかりのはずだ。午前中に残り二冊はすごい。ここはわかりにくい小さな書店でこの売れ行きは快挙だと言えるかもしれない。
「ほんと、真一くんにこんな文才あったとはね。知らなかったわよ」
真一は頭を掻きつつ苦笑いを浮かべた。
自分が書いたんじゃないんだけどな。美津子も美樹も俺の創作したものだと勘違いしている。訂正するのも面倒でそのままにしているけど。
チラッと本の帯に目を向けて少しだけ口角をあげる。
それにしても、この帯は引き付けるものがある。良い帯だ。
『世界初、猫の小説家誕生!』という帯の言葉。猫好きも本好きも目が釘づけになること請け合い。
この文句が気にならない者はいないだろう。だが、この言葉を信じる者が果たしてどれくらいいるのだろうか。おそらく誰も信じてはいない。それでいいとは思っている。ネットではこの本に関して言いたい放題書かれているが、気にすることはない。嘘偽りのないことなのだから。
真実は奇なりというではないか。猫も小説を書く時代なのだ。日向ぼっこして寝転んでいる猫ばかりじゃないと声を大にして叫びたい。もちろん、そんなことはしない。グッと言葉を呑み込んで我慢する。
白い目で見られたくはないからな。
そんな思いを巡らせていたら、早速その本を手に取りレジへ向かうお客がひとり。今時珍しいおかっぱ頭の女の子が手に取った本を大事そうに抱えて笑みを浮かべている姿はほっこりしてしまう。前髪ぱっつんで切り過ぎじゃないだろうかあの子。いや、あれはもしかするととある有名人の真似かもしれない。どことなく似た雰囲気がある。名前は思い出せないが、おそらくそうだろう。
あんな女の子も眠多猫先生のファンでいてくれているのか。児童書とは違うからちょっと難しくはないだろうか。きっと本好きなのだろう。そうだったら問題ないかもしれないけど。
小学生でも大人の長編をサラッと読んでしまう子がいるからな。あの子もそうなんだろうな。
何はともあれ、楽しんで読んでくれたら幸いだ。目の前で購入者を見かけることは、自分のことのように嬉しいことじゃないか。けど、この女の子も猫が書いたとは思っていないだろう。面白い設定で宣伝効果を増しているのだろうと考えているに違いない。いや、この子は大人と違ってそこまで考えていないかもしれない。猫が書いた小説だってウキウキ気分で手に取ってくれたと信じてみるのもいいかもしれない。まあ、真実がどこにあるのかはどうでもいいことなのかも。『猫は寝て待て』と『猫にごはん』は自分が書いた小説ということになっているのだから、それでいい。眠多猫先生もそれを望んでいる。
あいつは不思議な猫だ、本当に。
そんなことを考えていたら、不思議と女の子が猫っぽく見えてきた。そんなことはありえないことだが、眠多猫先生のことを思ったら猫が人に化けることも有りうるのではとアホらしいことが頭に浮かんでしまった。
活字離れのこの時代に、貴重な子を目にして心が温まった。それも、ここが地域密着の愛される書店だからなのかもしれない。
今頃、眠多猫先生は執筆作業に没頭しているだろうか。それとも、ゴロンとなって夢の国へ旅立っているのだろうか。毛繕いに勤しんでいるってこともあるか。
それにしても、猫が小説を書く世の中というのも面白いものだ。
言っておくが、世の中の猫がみんなそうではない。当たり前だ。そんな世の中になったらそれこそ、この世は猫に占領されるなんて事態になりかねない。けど、本当に当たり前だと言えるのだろうか。もしかしたら、猫たちは思っている以上に才能豊かな存在なのではないのだろうか。真一はすぐにかぶりを振り、微笑んだ。
そこまで飛躍した考えをすることはないか。うちにいる眠多猫先生が特別な存在ってだけのこと。
おっと、こんなところで油を売っている場合ではない。早く帰って進捗状況を確認せねば。
眠多猫先生、待っていてくださいよ。美味しい猫缶を買っていきますからね。
「おばちゃん、美樹ちゃん、またくるよ」
ふたりの笑顔に見送られて真一は書店を後にした。
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