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第一章 吾輩は眠多猫である
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しおりを挟むそっと玄関扉を開けて忍び足で進むと、眠多猫先生のいる部屋を覗き込む。執筆活動に励んでいるようだ。いいことだ。
今更ながらに思う、本当にこいつは猫なのだろうか。
背中のどこかにファスナーでも着いているなんてことはないのか。いやいや、ファスナーがあったらあったで怖い気がする。考えてもみろよ、猫の大きさの人間なんていやしない。いるとしたら、中から出てくるのは宇宙人的なものかもしれないじゃないか。化け物かもしれない。真一は想像しただけで背筋に悪寒が走りブルッと身体を震わせた。
こいつが化け物なわけがない。そんなに長い付き合いとは言えないが、出逢ってからずっと一緒にいる。間違いなく猫だ。
ファスナーがないことは確認済みだ。最先端技術を駆使したロボット猫でない限りどこからどう見ても正真正銘の猫だ。猫にあるまじきありえない行動をする以外はいたって普通の猫だ。
いや、普通の猫ではない。小説を書くのだから。
よくよく考えてみたら普通の猫ってどんな猫だろう。猫のことをそこまで知っているわけでもないのに、普通かそうでないかの区別はつかないじゃないか。いや、待て。今そんなことを考えているときではない。今の発言は即座に忘れるべきだ。永遠に考えを巡らすはめになる。『考える田所真一』なる像など誰も見たくないだろう。
とにかく、あいつはすごい猫だ。それだけは間違いようのない事実だ。だからこそ、本物の猫なのだろうかとつい考えてしまう。
誰だって、あんな姿を見たら疑いたくなる。ほら、あれだ。
ノートパソコンのキーボードをカチャカチャ鳴らせて執筆活動中の眠多猫先生。初めて見たときは、あんぐり口を開けて放心状態になってしまった。自分の目を疑った。夢かとも思った。けどこれが現実だ。終わりのない夢を見ていなければの話だが。
要するに目の前でパソコンをカチャカチャいわせて執筆作業をしているのは紛れもない天才猫だ。ソファーの背凭れに寄りかかり腰を下ろして専用の小さなテーブルにノートパソコンを置いて器用に爪を出しキーボードのキーを軽快に叩く姿はどこかのオヤジさながらだ。
誰だ、オヤジはおまえじゃないのかって言った奴。言っておくが自分はオヤジなんて年じゃない。そこのところよろしく。って誰に弁明しているのだろう。被害妄想もいいところだ。
話が逸れてしまった。あいつの話だ、天才猫の話だ。うーむ、本当にそうなのだろうか。どうにも疑念は完全に振り払うことができない。頭の片隅にロボットという言葉が漂っている。今の科学技術でここまでの高性能なロボットができるのかどうか定かではないが、触れれば温もりが伝わってくるし軽快な身のこなしで猫パンチを繰り出す姿は生きた猫だ。ロボットの『ロ』の字も見えてこない。ときどき向ける視線にドキッとしてしまうくらいの眼差しはどこをどう見てもやっぱり生きた猫だ。血の通った生きた猫だ。パソコンを打つ姿とパソコンを通じて会話することを除けばどこにでもいる猫と変わりはない。
いやいや、大いに変り者だ。変な猫だ。やっぱり普通の猫じゃない。小説を書く猫だなんて化け物だ。けど、自分にとっては普通の猫だ。またしても同じことを考えてしまった。
いるよな、あいつ。カチャカチャ音が聞こえるから間違いなく執筆中だ。
一見すると、パソコンに隠れて猫がそこにいることがわからないときがある。初めて見た奴は一瞬怪現象が起きているのかと錯覚するかもしれない。誰もいないのにパソコンが勝手にカチャカチャと音をさせていると思ってしまう。覗き込めばそこに猫がいる。なんだ猫かとホッとするだろう。悪戯しやがってなんて思うことだろう。だが次の瞬間驚愕な事実を知ることになるだろう。猫が小説を書いていたという事実だ。ある意味これも怪現象と言えるかもしれない。
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