小説家眠多猫先生

景綱

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第一章 吾輩は眠多猫である

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 次の日、真一は渡海神社の裏にある鎮守の杜に来ていた。

 なんだかんだ言って、気になって仕方がなかった。現場検証しようと思っていた。ど素人が解決に至るはずもない。そんなことはわかりきっていた。それでも、何か発見があるかもしれないと来てしまっていた。

 確か、鎮守の杜から少し歩いていくと、ちょっとだけ開けた空間があったはずだ。この辺だっただろうかという場所はみつかった。だが、どこも似たような景色でいまいち判別がつかない。

 三毛猫が倒れていた場所はすぐみつかるはずだった。なのに、みつからない。おかしい、おかしいじゃないか。それらしき、場所は何か所かあるにはあった。ただ、昨日見た血だまりの痕跡がどこにもない。一日で消え去るはずがない。どす黒い血の塊がみつかると踏んでいたのに、まったく痕跡がない。そんなことってありえるのだろうか。

 解決どころか新たな謎が増えてしまった。鎮守の杜とは、やはり人の計り知れない不思議なことが起きる場所なのだろうか。それとも、何者かの手が入ったということなのだろうか。

 そんなに奥には入り込まなかったのに、なぜみつからない。人間の記憶とは当てにならないものだ。簡単にみつかるだろうという判断は浅はかな考えだった。そう納得するしかないというのか。

 目の前の椎の大木の幹に手を触れてその木を見上げる。何かこの木が答えてくれたら、真実が見えてくるのかもしれないのに。そんなことありえないけど。

 そのとき、一陣の風が木々の葉を薙ぎ払うかのように吹き荒れた。と思った矢先、背中を鞭でバチンと叩かれたような痛みが走り呻き声を上げた。すぐに背後を振り返ったが、そこには誰の姿もない。ただ、風に揺れる枝葉があるだけ。まさか、椎の木が叩いたというのか。そんなことは……。

 真一は椎の木の無言の訴えを聞いた気がした。この場を早く立ち去れということなのだろうか。神域を犯すなという神の怒りだろうか。いやいや、考え過ぎだ。けど、このままここに居てはいけない気がしてきた。そのときひんやりとする突風が背中を押した。

 ダメだここに居てはダメだ、早く帰るとしよう。諦めることも時には大事なことだ。今起きたことは、ただの自然の悪戯だ。余計な考えをするのはよそう。

 真一は、社の正面に立ち何を拝むでもなく二礼二拍手一礼をして渡海神社を後にした。

 家に戻ると、すぐに三毛猫が擦り寄ってきた。

「おまえ、大丈夫なのか?」

 思わず尋ねていた。「にゃ」と短く鳴き瞬きをしてくる。『大丈夫だよ』とでも返事をしたのかもしれない。なんだか和む。真一はしゃがみ込み三毛猫の頭を撫でた。と同時にゴロンと横になる。

 なんて可愛い奴だ。腹も撫でていいぞと言っているのかも。

 自然と笑みが零れてしまう。腹を向けるなんてそうとう信頼してくれているということだろう。三毛猫の腹を撫でてやったときふと気づいた。

 どういうことだ、昨日あった傷が見当たらない。確かに、腹に浅いものだったがはっきり見て取れる傷があったはずだ。背中のほうもすぐに確認したが、そこにあった傷も見当たらない。一日で治るだろうか。ありえない。

 こいつは何者だろうかと疑念が湧き起こる。見た目はどこからどう見てもどこにでもいる普通の猫だ。三毛猫だ。ものすごい回復力の持ち主だと言うのか。三毛猫の雄だからなのか。真一は首を傾げて、もう一度傷のあった箇所を確認する。やはりない。そこまですごい回復力が備わっているというのか、こいつは。

 真一は黙考した。もちろん、何も答えは浮かんでこない。いや、一つだけ浮かんでいたがそれはないと思っていた。『猫又』という存在だ。

 物の怪だとしたら、渡海神社で聞いた咆哮も、深手の傷であったはずが浅い傷になっていたことも、血だまりの痕跡が跡形もなく消え去っていたことも説明がつく。猫又の成せる業として。でも、猫又なんて誰かが作り出した架空の存在だ。物の怪なんているはずがない。

 果たして本当にそうだろうか。ふとそんなことを思ってかぶりを振った。ない、ない、そんなことないはずだ。猫又はこの世に存在していない。そう自分に言い聞かせた。

 神社で起きたおかしなことも、物の怪の仕業……。真一はすぐにかぶりを振りそうじゃないと心の中で叫んだ。

 何気なく三毛猫に目を向けると、目が合いドキッと心臓が震えた。あの鋭い目力ある眼差しは、『何もかもお見通しだぞ』と訴えてくる気がした。まさか、猫又は存在するというのだろうか。こいつの目を見るとそんな気さえしてくる。

「真一、この子の名前何がいいと思う?」

 突然の母の声にビクッと身体を震わせる。

「なによ、化け物が出たみたいな顔して」
「あ、その」

 真一は苦笑いを浮かべて頭を掻いた。

「おかしな子ね」
「なんだよ、子供じゃないよ」
「ま、そうね。そんなことより名前よ、この三毛ちゃんの名前。何がいいと思う?」
「えっ、名前?」

 そうか、こいつに名前をつけてやらなきゃいけないか。母の顔は、完全に飼うつもり満々な顔している。母のはしゃぎ様は度を越しているかもしれないが、猫がいることで元気でいてくれたらその方がいいだろう。いつまでも『三毛』とか呼んでいちゃ可哀相だろう。いや、『ミケ』って名前でもいいか。

 そのとき大口を開けて三毛猫は欠伸をして丸くなった。そういえば、こいつ家に来てから寝てばかりいる。猫とはそういうものかもしれない。確か、二十時間くらい猫は寝るなんて話を聞いたことがあるような記憶が。本当なのだろうか。眠り過ぎじゃないのか。

 三毛猫の眠そうな顔に思わず微笑む。

 なんだか癒される。目をしょぼしょぼさせて眠くて堪らないという猫の顔っていいものだ。

 ふと頭に言葉が浮かんだ。閃いたという感じに浮かんだ。

『ネムタネコ』と。

 こいつの名前にしたらどうだろう。変な名前をつけるなと睨まれるかもしれない。猫に『ネコ』とつけるのはおかしいかもしれないが、良く眠る猫に『ネムタネコ』とつけるのはいいだろう。いや、ダメかな。

 本人に聞いてみるか。本猫と言うべきか。どっちでもいいことだ、そんなこと。こいつなら何かしらの反応がありそうだしと三毛猫に目を向ける。

「なぁ、おまえの名前だけど。ネムタネコってどうだ」
「にゃん」

 おお、いい返事するじゃないか。なんとなく喜んだ感じの鳴き声に思われた。ということは、『ネムタネコ』でいいということか。そういうことにしてしまおう。

「そうか、気に入ったか」

 よし、決定だ。
 漢字に当て嵌めると『眠多猫』だろう。

「母さん、こいつの名前なんだけどさぁ。眠多猫にするから」
「えっ、ネムタネコ? ふーん、いいんじゃない。なんかこの子にぴったり。私に似てよく寝ているものね。けど、猫はいらないんじゃないの」

「いや、なんか面白いじゃない猫ってついていたほうが。それに、こいつも気に入ってくれたみたいだしさ」
「そうなの。なら、いいわよ。ネムタネコね。早速、一緒に昼寝する?」

 まったく、早速昼寝はないだろう。

 母も本当によく昼寝する。それなのに、夜九時には寝床へ行っちまう。よくそんなに眠れるものだ。もしかしたら
母の前世は猫かもしれない。

「あっ、そうそう。眠るに多いの猫で眠多猫だからね」
「はい、はい。眠多猫ちゃん、いい名前貰えたわね」
「ふにゃ」

 やっぱり、気に入っているみたいだ。勝手な思い込みかもしれないけど。

 それにしても、この感じいいな。猫のいる生活か。俺はいずれ今の住まいに帰っちまうけど。ちょっとはこの感じを味わっていよう。真一はひとりにやけていた。

 ふと眠多猫と出逢うために実家に帰省してきたのかもしれないと思えてしまった。そんなはずないのに。

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