小説家眠多猫先生

景綱

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第二章 消えた眠多猫先生

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 目覚まし時計がけたたましく鳴り響き、引っ付いた瞼をじ開けた。

 もう起きる時間か。ずっと寝ていたいけど、編集長にも確認しなきゃいけないし起きるしかないか。

 朝ごはん、朝ごはん。もちろん、自分のではなくてネムの朝ごはんだ。カリカリのゴハンを用意して辺りを窺う。おかしい、いつもならすでに傍に座り込んで待っているのにどこにもいない。

「おーい、ネム。ゴハンだぞ」


 返事がない。おかしい。嫌な予感がする。まさか具合でも悪いんじゃ。
 ソファーでぐったりして丸まっているのかもと思っていたが、いつものソファーにも姿が見えない。いったいどこへ?

 ソファーに触れてみると温かみを感じた。ついさっきまでここにいた証だ。ふと目の前を見遣るとパソコンの電源がオンになっていた。スクリーンセーバーの機能でいろんな写真がランダムに表示されている。その中に真一とネムのツーショット写真もあり、ふと笑みが零れた。出逢ったばかりの頃の懐かしい写真だ。

 いやいや、今は思い出に浸っている場合じゃない。パソコンの電源が入っているということは、使っていたってことだ。なら、どこかにいるんだろうと思う。パソコンで何をしていたのか気にかかる。新作の小説を完成させた後、いつもなら何日かはどこにでもいる猫のように気ままに過ごしていた。パソコンには見向きもしないはずが、電源がオンに。切り忘れることも、今までなかったことだ。

 いつもと違うことに不安が過る。

 気まぐれだから、気が変わって何か新作でも執筆し始めたのだろうか。いや、それはないはずだと首を捻った。なら確認するまでだ。マウスを動かすとパスワード入力画面になったので、パスワードを入力するとWord画面が表示された。

 そこに書かれていたものは……。


『この記述を新作『能ある猫は爪隠す』のあとがきとして入れてくれるとありがたい』
 そんなくだりから始まっていた。何を改まって――。


『この度、吾輩眠多猫はこの本をもって筆を折ると決めた。個人的な都合で終わりを告げることに対しては申し訳ないと思いつつ、吾輩の本を読んでくれた諸君には感謝をしたい。
 吾輩の身勝手を許してくれ。
 どうしても、やらねばならないことが出来た故、執筆することはできぬと判断させてもらった。万が一、復活することがあるとしたらそれは、うーむ。すまない、やはり期待を持たせるのはいけないことだ。たった三冊の出版となったが終わりにするとしよう。
 いままでありがとう。楽しい日々を送らせてもらったぞ。
 改めてここに書き記しておく、吾輩は猫であると』


 このあとにも文章があった。

 真一は読み進めていくうちに自然と涙が頬を伝って膝を濡らした。


『ここからは、あとがきにせずともよい話だ。
 真一よ。いろいろと世話になった。感謝するぞ。吾輩の創作した小説の著作権はすべて真一に譲ることとする。吾輩の気持ちだ、快く受け取ってくれ。楽しかったぞ。
 訳あっておまえと別れなければいけなくなった。挨拶も出来ずにすまない。
 真一には迷惑はかけられないからな。ちょっとややこしい事情が絡んでしまった。許してくれよ。そうそう、新作の直しはおまえに全権を委ねるから好きにしてくれ。編集長の三田にもよろしく言ってくれ。吾輩は元いた場所に戻ることにする。
 また逢うことがあったらいいのだが。それは難しいことかもしれない。けど、さようならは言いたくない。なので、最後まで格好つけさせてもらうぞ。
 真一よ。See You Again!』


 なんで、どうして。こんなにも突然に別れがくるなんて。
 こんなことってあるかよ。嘘だよな、どこかに隠れているんだろう。

「ネム、こら出てきやがれ。冗談も程々にしろよ」

 真一の叫び声は静寂に吸い込まれていった。誰もいない部屋の中。ネムの気配はどこにもない。本当にいなくなってしまった。けど、どうして。元いた場所ってどこだ。最後まで格好つけやがって。何が『See You Again!』だ。

「ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな」

 真一は膝をつき涙声で自分の膝を殴り続けた。今までのことが走馬灯のように頭の中を駆け巡っていく。ずっと続くと思っていたのに。そりゃいずれは別れがくることはわかっていた。けど、こんな唐突に来るとは思っていなかった。別れるときは寿命が来たときだと勝手に思っていた。やり場のないこの気持ちをどこにぶつけていいのかわからないまま、泣き崩れていた。

 もしや締め切りの三週間も前に書き上げたことも、出ていくつもりでいたからなのか。そうなのか。そう尋ねたいのにその相手はすでにいない。手の甲にある傷が記憶を蘇らせる。もう傷は薄れていて痛みなどないのだが、なんとなく疼く気がした。本当に出ていってしまったのか。

 あの鋭い眼つきを目にすることも、デンと踏ん反り返ってソファーに鎮座する偉そうな姿に笑みすることも、パソコン画面を覗きながら会話することもなくなってしまうというのか。

 そんなこと嫌だ。絶対に嫌だ。けど、ソファーの空席を見遣ればいないという現実を突きつけられてしまう。胸が張り裂けそうだ。

 そういえば、今思えばおかしなことがここ一週間のうちにあった気がする。

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