小説家眠多猫先生

景綱

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第三章 再会……そして失くした記憶

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「編集長、こんな感じでどうでしょうか」

 三田は原稿を手にして、「うむ」と唸った。しばらくの後、「これでいこう」とOKを貰った。
 三作目の『能ある猫は爪隠す』校了だ。後は書店に本が並ぶのを待つだけだ。

「それにしても、おまえにこんな才能があったなんてな」

 真一は頭に手を置き、笑みを浮かべた。
 本当だよな。自分がこんな物語を書けるだなんて。本当のこと言うと自分が一番びっくりしている。けど、何か忘れていることがあるような……。『能ある猫は爪隠す』の原稿をみつめて考え込んだが何も思い出せなかった。まあ、気のせいだろう。

 それはそうと、三田編集長にはきちんと話しておかなくてはいけないことがある。正直気が重い。あんなに笑顔で喜んでいるというのに、水を差すようで気に病んでしまう。

「あの、編集長」
「ん、なんだ?」

「えっと、ですね。次の――」
「おお、そうかそうか。もう次回作出来上がっているのか」

「あ、そうじゃなくて」
「いいから、いいから」

 まったく四作目の構想が浮かばない。三作目で打ち止めにだなんてやっぱり言えない。なぜ、浮かばない。今まで本当に三作も自分で書き上げてきたのだろうかと首を捻りたくなる。別人がこの作品を執筆している姿がぼんやりとだが浮かぶ時がある。どうにも、はっきりしないのだが、やはり何かを忘れている気がする。

 親友のような存在がいたような。このことを考えると頭が痛くなってくる。片頭痛ってやつだろうか。疲れが溜まっているのだろうか。書けない不安からくるものなのだろうか。

 どうしたらいいのか。

 真一は自分のデスクに戻り、大好評の本を眺めた。我ながら、面白いことを考えたものだ。『猫の小説家』だなんて。一種の覆面作家だ。猫が小説など書けるわけがない。けど、なんだろう。胸の奥に何かが詰まっているような変な気持ちがする。靄が立ち込めているようで、落ち着かない。猫か。ずっと猫を飼っていたようにも感じるけど。なぜだろう。今のマンションでは猫を飼ったことないはずなのに。小さいころ実家でなら猫を飼っていた。

 真一は嘆息を漏らして机に伏せる。ふと実家の母の姿が頭に浮かぶ。実家に帰りたくなってきた。ついこの間帰ったばかりのような気もするが、帰ったのはもっと前だ。違っただろうか。
 編集長にちょっと頼んでみよう。これだけ売れているんだから、少しくらい融通してくれても罰は当たらないだろう。

 真一は再び三田のもとへ足を向けて「あの」と声をかけた。

「どうした、次回作のことか」

 口を開けば次回作って。頭が痛い。

「冗談、冗談だよ」

 苦笑いを浮かべて「お願いがあるのですが」と畏まると「休みを貰えないでしょうか」と続けた。

「おお、休みか。そうだなぁ。一応、区切りもいいしな。いいぞ。何日ほしい」

 意外とすんなり承諾してくれた。何日と来たか。
 ならば、「一ヶ月」と大きく出てみた。無理だとは思うが、ゆっくりしたいのも事実だ。流石に三田も目を閉じ腕組みをして黙考している。どう返答するかと、じっと黙って待つことにした。

 数分経っただろうか。三田が瞼を上げると目をこっちに向けて「いいだろう。だが、次回作もしっかり考えてくれよ」と念を押されてしまった。

 困った。書けませんとはやはり言えないか。

 一ヶ月ある。もしかしたら、何かアイデアが浮かぶかもしれないじゃないか。一ヶ月後、何も浮かばなければその時は謝るしかない。

「ありがとうございます」

 お辞儀をして、次回作のことには触れずに自分の席へと戻った。

「おい、真一。今日はあがっていいぞ。休みは明日から一ヶ月だ。だが次回作の取材もかねてだぞ、しっかりな」

 三田の大声が背中にぶつかってきた。職場全員にわざと聞こえるように大声を出したのだろう。

 ああ、困った。完全に、次回作ありきの長期休暇だと全員に知られてしまった感が否めない。そんなつもりはないっていうのに……。
 仕方がない。どうにでもなれ。

 田舎の海の見える癒される空間で過ごせば頭の回転も早まるだろう。子供の頃によく行っていた渡海神社に参拝して、いいアイデアが浮かぶようにお願いするのもいいだろう。神様には勘弁してくれと首を横に振られるかもしれない。間違いなく神様から相手にされないだろう。たまに参拝にくる奴の願いなど聞いているほど暇じゃないだろうし。たまにじゃないか、滅多に来ない参拝者だな。

 何を考えているのやら。神様とは言っても、人が作り出したものだろう。昔の人が創作した物語の登場人物だ。違ったっけ。けど、モデルになるような人物がいたのかもしれないか。

 神様か。天皇を祀っていることもあるし、災いが起こらないように鎮魂のために祀っていることもある。菅原道真みたいに。神も同じ人だったことが多いってことか。

 渡海神社は、確か。綿津見大神と猿田彦大神だったはず。海が近いから、航海と漁業の神として信仰しているのだろうけど。そう考えると、小説のアイデアが浮かぶように願うのはお門違いかもしれない。でも、猿田彦大神は海と関係があっただろうか。

 いったい俺は何を考えているのだろうか。待てよ、神様か。次回作に神様の話を書くというのはどうだろうか。もしかしたら、神様についての話を書きたいと願えば少しは神様も力になってくれるかもしれない。いや、神頼みじゃなく自分の力でなんとかしなくては。いいアイデア浮かぶといいけど。まぁ、なるようになるさ。編集長にあがっていいとの言葉を貰ったから、今日は帰って実家に戻る準備でもするか。

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