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第三章 再会……そして失くした記憶
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石造りの鳥居を見上げてここが渡海神社だと再確認する。懐かしい場所だ。
なんとなく物思いに浸っていたら、突然の突風に煽られて顔を背ける。そのとき、悲痛な猫の叫び声を耳が捉えた。空耳なんかじゃない。慌てて神社の裏手へと駆け出す。なぜ、裏に行くのかは自分でもわからなかったが、そこに猫がいるように思えた。
「おい、いるのか?」
草むらに向けて声を張り上げる。一瞬、血溜まりが目に映った気がした。だがそれは目の錯覚だった。どこにも血溜まりはない。けど、血の匂いを微かに感じる。
なんだろう、同じようなことが以前にもなかっただろうか。既視感というのだろうか。
「お主は……」
真一は動きを止めて耳を澄ます。今、確かに声が聞こえた。どこからだろう。間違いなく誰かがいる。
「誰か、いるのか?」
返事を待ったが風が草を撫でる音しか聞こえてこない。さっきの声はいったい。
「おまえからあの世に送ってやろうか」
突然背後から威圧感ある低い声が飛んで来た。背筋に悪寒が走り心臓の鼓動も早まった。このまま振り返らないほうがいいのではと一瞬考えたが、それは得策ではないと判断した。真一は素早く身体を反転して声の主を探した。気のせいだったのだろうか。誰の姿もない。
「ふん、隙だらけだな」
またしても背後から声がした。いつの間に。
「お主は、早く逃げなされ」
どこからともなく別の叫び声がビーンと響く。
いったいこの鎮守の杜で何が起きているのだ。真一は、混乱する頭を整理できないまま自分の直感を信じて草むらから飛び出して神社の正面へと駆け出そうとした。だが、足元に激痛が走りその場に倒れ込んでしまう。
「行かせはしない。おまえはここで死ぬのだ」
真一の身体に大きなサビ猫が乗りかかってきた。虎に匹敵するくらいの大きさだ。こいつは虎なのか。猫なのか。山猫だろうか。いや、こんなところに虎も山猫もいない。化け猫ってことか。
「スサ、よせ。止めぬか」
「うるさい、黙れジジイ。依怙贔屓するような長の言葉など聞かぬ」
「スサ、戯言をほざくでない」
「戯言ではない、アザ」
スサと呼ばれたサビ猫が、向きを変えてアザという三毛猫を睨み付けて怒鳴り散らした。怒気のオーラが放たれているようにあたりが一瞬赤く染まった気がした。気のせいだろうがそう目に映った。その向こうの三毛猫は血に染まっている。かなりの出血量だけど、大丈夫なのかあの猫は。あんな出血をしていて大丈夫なわけがない。
「今のうちだ、坊主逃げろ」
耳の傍で囁く何者かの声がした。そうか、今のうちだ。このチャンスを逃す手はない。けど、あの三毛猫が気にかかりこの場から逃げ出すことに躊躇してしまう。
「阿呆、いいからさっさと行け。わしがなんとかするから逃げるんだ。殺されたくはないだろう」
確かに殺されたくはない。それにしてもどこから声がするのだろう。近くに誰の姿もない。いや、いた。鼠がいる。下草で真剣な面持ちで睨みつける鼠が一匹いる。まさか……。
「行け、早く行け。本当に殺されちまうぞ」
そうだ、殺されるなんてまっぴらだ。逃げなきゃ。
真一は、足の痛みを庇いつつ出来るだけ急いで駆け出した。舌打ちが背後から聞こえた気がしたが、猫が舌打ちなどするだろうかと小首を傾げつつその場から逃げ出した。それに鼠が言葉を話すなんて。どうにもおかしな世界に紛れ込んでしまったようだ。早く、ここから抜け出さなくちゃ。
神社の社を過ぎて入り口の鳥居まで来たところで振り返ってみた。スサの姿はない。追ってはこないようだと胸を撫で下ろすと膝をつき深く息をする。かなり息も上がっていた。心臓が尋常じゃない激しい動きをしていてこのまま死んでしまうのではないかとさえ思えた。
いったい、今見た光景は現実に起きたことなのか。夢だと思いたい。
深呼吸を何度かして、頭の中を整理する。右足の疼きですぐにこれは現実だと悟った。鋭利な刃物で切り裂かれた三本の線がカーゴパンツの裾にある。しかも血が滲んでいた。まさか、猫の爪で引き裂かれたとでも言うのか。
真一は裾を捲り上げて靴と靴下を脱ぎ、手水舎の水を柄杓で掬い血を洗い流した。水が沁みて顔を歪める。今日は厄日かもしれない。
それにしても、思い出すだけで鳥肌が立つ。
おかし過ぎる。現実だがそう思えない。今更だが、よく考えてみればあそこにいた三毛猫とサビ猫は言葉を話していた。この世の中にそんな猫がいるはずがない。いや、あいつらは猫じゃない。虎と同等な体躯の猫などいない。言葉を話す猫はいない。やっぱり化け猫だ。いやいや、それも現実離れしている。
それに、『坊主逃げろ』と囁いた声。見間違いじゃなきゃ鼠だった。鼠しかあの場所にはいなかった。鼠まで言葉を話すなんて。ありえない。
こんなこと誰にも話せないじゃないか。気が狂ったと病院に連れて行かれてしまう。
思ったよりも疲れているのかもしれない。すべて幻覚だ。ならば足の怪我はどう説明する。もう、訳が分からなくなってきた。頭が痛い。
『スサ』『アザ』『長』、どこかで耳にしたような。『坊主』だって誰かにそう呼ばれたことはなかっただろうか。思い出そうとすると頭がズキンと痛み割れそうになる。さっき聞いた声も知っているような。すべてが思い過ごしなのだろうか。
なんとなく物思いに浸っていたら、突然の突風に煽られて顔を背ける。そのとき、悲痛な猫の叫び声を耳が捉えた。空耳なんかじゃない。慌てて神社の裏手へと駆け出す。なぜ、裏に行くのかは自分でもわからなかったが、そこに猫がいるように思えた。
「おい、いるのか?」
草むらに向けて声を張り上げる。一瞬、血溜まりが目に映った気がした。だがそれは目の錯覚だった。どこにも血溜まりはない。けど、血の匂いを微かに感じる。
なんだろう、同じようなことが以前にもなかっただろうか。既視感というのだろうか。
「お主は……」
真一は動きを止めて耳を澄ます。今、確かに声が聞こえた。どこからだろう。間違いなく誰かがいる。
「誰か、いるのか?」
返事を待ったが風が草を撫でる音しか聞こえてこない。さっきの声はいったい。
「おまえからあの世に送ってやろうか」
突然背後から威圧感ある低い声が飛んで来た。背筋に悪寒が走り心臓の鼓動も早まった。このまま振り返らないほうがいいのではと一瞬考えたが、それは得策ではないと判断した。真一は素早く身体を反転して声の主を探した。気のせいだったのだろうか。誰の姿もない。
「ふん、隙だらけだな」
またしても背後から声がした。いつの間に。
「お主は、早く逃げなされ」
どこからともなく別の叫び声がビーンと響く。
いったいこの鎮守の杜で何が起きているのだ。真一は、混乱する頭を整理できないまま自分の直感を信じて草むらから飛び出して神社の正面へと駆け出そうとした。だが、足元に激痛が走りその場に倒れ込んでしまう。
「行かせはしない。おまえはここで死ぬのだ」
真一の身体に大きなサビ猫が乗りかかってきた。虎に匹敵するくらいの大きさだ。こいつは虎なのか。猫なのか。山猫だろうか。いや、こんなところに虎も山猫もいない。化け猫ってことか。
「スサ、よせ。止めぬか」
「うるさい、黙れジジイ。依怙贔屓するような長の言葉など聞かぬ」
「スサ、戯言をほざくでない」
「戯言ではない、アザ」
スサと呼ばれたサビ猫が、向きを変えてアザという三毛猫を睨み付けて怒鳴り散らした。怒気のオーラが放たれているようにあたりが一瞬赤く染まった気がした。気のせいだろうがそう目に映った。その向こうの三毛猫は血に染まっている。かなりの出血量だけど、大丈夫なのかあの猫は。あんな出血をしていて大丈夫なわけがない。
「今のうちだ、坊主逃げろ」
耳の傍で囁く何者かの声がした。そうか、今のうちだ。このチャンスを逃す手はない。けど、あの三毛猫が気にかかりこの場から逃げ出すことに躊躇してしまう。
「阿呆、いいからさっさと行け。わしがなんとかするから逃げるんだ。殺されたくはないだろう」
確かに殺されたくはない。それにしてもどこから声がするのだろう。近くに誰の姿もない。いや、いた。鼠がいる。下草で真剣な面持ちで睨みつける鼠が一匹いる。まさか……。
「行け、早く行け。本当に殺されちまうぞ」
そうだ、殺されるなんてまっぴらだ。逃げなきゃ。
真一は、足の痛みを庇いつつ出来るだけ急いで駆け出した。舌打ちが背後から聞こえた気がしたが、猫が舌打ちなどするだろうかと小首を傾げつつその場から逃げ出した。それに鼠が言葉を話すなんて。どうにもおかしな世界に紛れ込んでしまったようだ。早く、ここから抜け出さなくちゃ。
神社の社を過ぎて入り口の鳥居まで来たところで振り返ってみた。スサの姿はない。追ってはこないようだと胸を撫で下ろすと膝をつき深く息をする。かなり息も上がっていた。心臓が尋常じゃない激しい動きをしていてこのまま死んでしまうのではないかとさえ思えた。
いったい、今見た光景は現実に起きたことなのか。夢だと思いたい。
深呼吸を何度かして、頭の中を整理する。右足の疼きですぐにこれは現実だと悟った。鋭利な刃物で切り裂かれた三本の線がカーゴパンツの裾にある。しかも血が滲んでいた。まさか、猫の爪で引き裂かれたとでも言うのか。
真一は裾を捲り上げて靴と靴下を脱ぎ、手水舎の水を柄杓で掬い血を洗い流した。水が沁みて顔を歪める。今日は厄日かもしれない。
それにしても、思い出すだけで鳥肌が立つ。
おかし過ぎる。現実だがそう思えない。今更だが、よく考えてみればあそこにいた三毛猫とサビ猫は言葉を話していた。この世の中にそんな猫がいるはずがない。いや、あいつらは猫じゃない。虎と同等な体躯の猫などいない。言葉を話す猫はいない。やっぱり化け猫だ。いやいや、それも現実離れしている。
それに、『坊主逃げろ』と囁いた声。見間違いじゃなきゃ鼠だった。鼠しかあの場所にはいなかった。鼠まで言葉を話すなんて。ありえない。
こんなこと誰にも話せないじゃないか。気が狂ったと病院に連れて行かれてしまう。
思ったよりも疲れているのかもしれない。すべて幻覚だ。ならば足の怪我はどう説明する。もう、訳が分からなくなってきた。頭が痛い。
『スサ』『アザ』『長』、どこかで耳にしたような。『坊主』だって誰かにそう呼ばれたことはなかっただろうか。思い出そうとすると頭がズキンと痛み割れそうになる。さっき聞いた声も知っているような。すべてが思い過ごしなのだろうか。
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