小説家眠多猫先生

景綱

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第四章 ネムと真一、そして神再び

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 ネムは頭を擡げて鼻をヒクヒクさせた。スサとアザの匂いを僅かに感じる。その匂いに混じり合うようにして嫌な臭いもする。焦げ臭いような、いや腐ったような臭いだろうか。どっちも感じるか。これはこの世のものではない。いったいどういうことだろうか。死の臭いということか。アザはやはり黄泉へ旅立ったということか。
 いや、この嫌な臭いは死臭ではない。怨霊かもしれない。今はいないようだが、ここに怨霊がいたのは間違いなさそうだ。

 この臭いは堪らない。吐き気がする。このときばかりは、匂いを溜め込むことの出来る器官があることをネムは恨んだ。すぐに傍に咲いていた花の香りを嗅ぎ嫌な臭いと入れ替えて毛繕いをして心を落ち着かせる。

 行先は、またしてもあそこなのか。人の世と猫の世とを結ぶ場所渡海神社の鎮守の杜。ふと真一の顔が脳裏に浮かび、すぐにかぶりを振った。

 ダメだ、忘れろ。猫の一族の問題に真一を巻き込んではいけない。

 ネムは嘆息を漏らして、空を仰いだ。真一の家でパソコンと面と向かって執筆していたときのこと、真一とパソコンを通して会話していたあの日々のことを忘れられるわけがない。あのマグロの味も脳裏に焼き付いている。

 あれは本マグロだった。もう一度食べたい。いやいや、何を考えている。今はそれどころではないだろう。
 しまった、涎が。涎を拭いかぶりを振った。真一とはもう逢えない。逢っちゃいけない。ネムは自分にそう言い聞かせた。いつまでも懐かしい思い出に浸っている場合ではない。今なすべきことをしなくては。

『父上、今参ります』

 ネムは胸の内でそう思いながら肩で風を切り下草を揺らせて全速力で鎮守の杜へと向かった。

 あっという間に、猫の街が見渡せる丘の上に辿り着く。鎮守の杜はもうすぐそこだ。とそのとき目の前の草が揺れて、見覚えのある顔がひょいと突き出してきた。

「ネムの兄貴」
「ヤドナシか。おまえ、もしや父上の居場所を知っているんじゃないか」
「はい、伝言頼まれました」

 伝言だと。

「父上は、無事なのか?」
「はい、わしがいたときはまだ。ですけど、どうでしょうね。かなりの深手を負っておりましたから」
「よし、ならば急がなくては」
「ちょ、ちょいと待ってくださいよ。伝言、伝言ですよ」
「そ、そうか」

 ネムはひとつ深呼吸をしてヤドナシの言葉を待った。

「『記憶を取り戻せ。そして己の真の力を解放しろ』だそうです」

 どういうことだろう。記憶とは。己の真の力とは。考えたところで、わからない。もし忘れている記憶があるとして、それがなんなのか。それに、今の力は本当の力ではないというのだろうか。もっともっと強大な力が眠っているということなのだろうか。解放しろと言われても、どうしたら解放できるのか、さっぱりわからない。

「他には何か話さなかったのか」
「はい、それだけ伝えろということで」

 そうなのか。

 ネムは目を閉じて黙考した。記憶に関しては、もしかしたらダイに関することなのかもしれない。今ある記憶がダイに書き換えられているとしたら。うーむ。ダメだ、ダイの記憶操作を破るのは至難の業だ。ならば、アザのもとへ今は行くべきじゃないのだろうか。生死を確認しなくては。

「ヤドナシ、吾輩は父上のもとへ行く。おまえは、吾輩の真の力に関することを調査してくれないだろうか。なんの手がかりもないが、おまえのその嗅覚に頼らせてくれ」
「へい、わかりやした」

 ヤドナシは胸をドンと叩き、ニヤッとするとネムの背中に飛びついた。

「おい、何をしている」
「なーに、わしの嗅覚が言うんですよ。行先は渡海神社だってね」

 そうなのか?

「おい、そういうことじゃない。背中に乗るな」
「まあまあ、気にしないでくださいよ。行先はいっしょなんですから」

 そうか、行先が一緒か。
 ふん、まったくしかたがない奴だ。

 それはそうと渡海神社に真の力に関わる何かがあるというのだろうか。行先が同じだからといって、背中に乗るのは違うと思う。途中で振り落してやろうかとも思ったが、今日のところは大目にみてやろう。他の者であったら、噛み殺されているところだぞ。

 背中にヤドナシを乗せたネムは、鎮守の杜へと足を急がせた。途中、小石を踏みつけて肉球に痛みを生じたが、今は我慢して疾走し続けた。走りながらも、『記憶』『真の力』のことが頭から離れずに答えを導き出そうとしていた。もちろん、簡単に答えがみつかるはずもない。

 はたして、ヤドナシは答えを導き出しているのだろうか。渡海神社に何かをみつけたというのだろうか。ヤドナシの第六感的な感覚はすごいものがある。今は、その力を信じるしかないだろう。

 んっ、今のは。目の端に黒い影が通り過ぎた気がして、ネムは突然足を止めた。

「なんだ、急に止まるな。振り飛ばされるところだったじゃないか」
「すまない。だが、今確かに何がが……」
「カラスだろう」
「……」

 カラスだろうか。もうちょっと大きかったような。
 胸騒ぎがする。けど、今は父であり長老のアザが気にかかる。

「おい、早くいかないとおやっさんが危ないぞ」
「そうだな。って、おやっさんってまさか父上のことじゃないだろうな」
「あ、いやその。ほら、ネムの兄貴、いけぇー」

 ヤドナシの奴、ちょっと調子に乗っている。あとで懲らしめたほうがいいのかもしれない。

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