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第四章 ネムと真一、そして神再び
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しおりを挟むそうか鏡か。あそこだ、あそこに違いない。
さっき神様が映り込んでいたじゃないか。まったくなんで気づかなかったのだろうとヤドナシは自分のおでこをぴしゃりと叩く。あの鏡がどこかへ繋がる入り口になっているのだろう。きっとそうだ。ひとつ頷き、鏡に向かって駆け出す。当たって砕けろという強い意志を持って鏡に飛び込んだ。本当に砕けてしまってはどうしようもないが、今回はヤドナシの勘は当たった。
スゥーッと身体に冷気が纏ったように感じたかと思うと、鏡にぶつかることもなく通り抜けることが出来た。
その先に待っていたのは、小さな木製の社とその奥に口を開けた洞窟だった。洞窟の奥は闇と化して内部の様子を窺うことは出来ないようだ。何か物凄い化け物でも住み着いていたらどうしようという思いが過ったが、行くしかないと心を決めた。
ヤドナシは、一歩一歩ゆっくりと足を踏み出して洞窟へと向かう。あたりからは何の物音もしない。無音とは、なんとも薄気味悪く感じるものだ。勝手に心臓の鼓動が早まってしまう。
「怖くなんかないぞ。わしは強いのだ。鼠族の忍びの者だ。下っ端だけどな。行くのだ、行くと言ったら行くのだ。絶対に、引き返すんじゃないぞ」
ヤドナシは独り言を言いつつ一歩一歩ゆっくりと進む。
『よし、洞窟に踏み入れるぞ』と思い暗闇に足を向けると、ガツンとつま先を強打してしまった。
ヤドナシは顔を歪めて片足をあげてつま先に手を添えると、そのまま尻餅をついた。あまりにも痛すぎて声が喉から出てこなかった。いったい何に足をぶつけたというのだ。
痛みを堪えつつ、足元を確認する。これと言って何もない。石もなければ、倒木もない。ならば、何が……。
洞窟の闇を睨み付けて、「なんだって言うんだよ」とやり場のない怒りを吐き出した。同じミスは絶対にしないと意気込み、ぶつかりそうなものはないと確認しつつもゆっくり片足を擡げて前に押しやった。
んっ、足が前に行かない。
なぜだ?
何も見えないのに、何かある。足を下ろして、手を前にゆっくり突き出してみる。やはり何かにぶつかる。掌を見えない障害物に当てて見えない何かを確認した。まるで、パントマイムでもしているみたいだ。
もしや、これは結界なのか。いわゆるバリヤー的なものがあるのかもしれない。
ヤドナシは覗き込むように洞窟へと目を向けた。
この結界をどうにかしなくては。けど、無理そうだ。
うーむ、そうだとしたらこの先に進めないということか。結界が張ってあるということは、この場所はどう考えても怪しい。何か隠されているはずだ。それがネムの探している『真の力』に繋がるものなのかはわからないが、重要な真実がここにあるとみていいだろう。
こういうとき、さっきの神様がちょちょいのちょいって結界破ってくれたらいいのにな。そんな好都合なことは起きないだろうけど。ネムの兄貴、知恵をくれぇ。
ヤドナシは腕組みをして唸り声をあげた。
「ほほう、こんなところにあったとは知らなんだ」
「だ、誰だ」
ヤドナシは、警戒態勢を取り背後へと素早く振り返る。だがすぐに警戒を解いて目を見開いた。
死んだはずだ。なのに、なぜここにいる。そこにいたのは猫の長老アザだった。
「ふん、お主もここがどこだかわかっていないようだな。あまり長居をしないほうがよいぞ」
「な、なにを勿体ぶった言い方をして。おやっさん、幽霊か?」
「まあ、そういうことだな。だが、私のいるべき場所でもあるのだぞ。ここは黄泉の国だからな。お主が居て良い場所じゃない」
な、何? 黄泉の国だって。そりゃまずいじゃないか。思わず、自分の身体を隅々まで見遣る。特に異常はなさそうだが、まさかいつの間にか死んでしまったってことはないだろう。
「わしは生きているよな、おやっさん」
「ふぉふぉふぉ、今のところは大丈夫みたいだぞ。安心せい」
「そうか」
ヤドナシは胸を撫で下ろして吐息を漏らす。おっと、安心している場合じゃなかったと身を乗り出して「ここ通れないんだ。おやっさんなら、通れるんじゃないのか」とヤドナシは早口で話した。
「うむ、ここの結界は厄介だな。破ることはできそうだが、その先に怪しげな影が潜んでいそうだ。私の勘だが、ここはネム本人を連れてくるべきだと思うぞ。あやつはネムでなければダメだろう」
「ネムの兄貴をか。そうか、ならば早速引き返そう」
ヤドナシはその言葉とともに入ってきたあたりに目を向けて呆然とした。入ってきた鏡の入り口がない。いや、この場合出口か。そんなこと言っている場合じゃない。神社の社へ通じる道がないということだ。どう見ても、あるのは岩肌だ。見上げてみればかなりの高さがある。断崖絶壁だ。
「どうかしたか?」
「帰り道がない。どこにもないんだ」
「お主どうやってここへ来た」
「鏡だ、渡海神社の鏡を通り抜けたらここへ来た。けど……」
「ふむ、そんな道というか穴というか、何も見当たらないな」
ヤドナシとアザはふたりして腕組みをして考え込んでしまった。
帰れない、帰れない。帰れないじゃないかーーーーーーー。ああ、どうしたらいい。どうにもならないか。ということは、このまま死んでしまうのか。そ、それは嫌だ。絶対に嫌だ。意地でも帰り道をみつけてやる。
右へ数歩行っては悩み、左へ数歩行っては黙考する。ヤドナシは同じ動きを繰り返す。だからと言っていいアイデアは浮かんでこない。ふと気づくと、アザはいつの間にか姿を消していた。
つれないおやっさんだ。
そう思っていたら背後から「ここにおるぞ」と声がかかり、ビクッとして飛び上がった。まったく、幽霊みたいに。って幽霊だったっけ。
どうにも頭が混乱しているようだ。
ヤドナシは再び、岩肌を下から上へと見上げて眉間に皺を寄せた。
何やら光が漏れているような。目の錯覚だろうかと首を捻った。
もしや、あそこに……。
崖の上を見上げていると、背後から微かにだが歌声が耳に届く。
その歌声に背筋が寒くなる。今にも幽霊が出てきそうだ。
「もうすでにいるではないか。おかしな奴だ」
「う、うるさい。勝手に心を読むな」
「聞こえてきてしまうから、仕方がない。それよりも、この歌は『通りゃんせ』ではなかろうか。人の世で聞いた覚えがあるぞ」
『通りゃんせ』なら知っている。けど、この歌声どこから聞こえてくるのだろうか。
ヤドナシは耳を欹てて歌声の出処を探した。
結界の中からか。だが、そんなことってあるのだろうか。結界が張ってあるのなら、声だって遮断されてしまうはずだ。
もしや、それ程の霊力がある何者かがこの中に存在するということか。
こっちからも歌い返したらもしかしたら通じるってことも。試しに歌ってみようかと、口を開いたところで誰かに尻を蹴飛ばされて壁に顔面を打ち付けてしまった。
「うぅぅ……」
誰だ、不意を衝くとは卑怯な奴だ。顔を手で押さえながら、背後に目を向けると引き攣った笑みを浮かべるアザの姿があった。
「すまん。つい蹴ってしまった。けど、お主が歌を歌おうなんて変な気を起したのが悪いのだぞ」
「ど、どういうことだよ」
「この歌は、人の世では単なる童謡だと思っている者が多いだろうが神歌とも呼ばれているのだ。黄泉の結界の張られた地で安易に歌っていいものではない。力無き者がここで歌うと引き込まれてそれこそ戻れなくなるぞ。ほら、目を凝らして結界の先を見てみろ。お主なら少しは見えるだろう」
いったい、どういうことだ。まったく、歌うことを引き止めたいならもっとやり方ってものがあるだろうに。ああ、むかつく。だからと言って、猫の長に勝てるような力はないから刃向かったりしないけど。
ヤドナシは嘆息をつきつつ、結界の先を見遣った。何が見えるって言うのだろう。
うーむ、確かに何かある。ぼやけてしまってはっきりしない。ヤドナシは集中してじっとみつめる。ヒラヒラした白い紙みたいなものが数本垂れ下がったものがある。
木から垂れているのか?
いや、違う。あ、あれは注連縄だ。そう思った矢先、ドンと身体に風圧が圧し掛かってきた。気づくと目と鼻の先に血に染められたような真っ赤な二つの瞳が現れた。
ヤドナシは、真っ赤な瞳から怒りとも悲しみとも取れる複雑に絡み合った感情が流れ込むのを感じた。その瞬間、金縛りに合ってしまい身動きが取れなくなる。
息が、息が出来ない。
「喝!」
刹那、アザの落雷の如く鋭い声音が背中に突き刺さり、ヤドナシは息が出来るようになった。そして、その場にわなわなと崩れ落ちた。
今見たものは、いったい。
「まったく、危ういところだったな。結界の向こう側だというのに、これほどの妖力があるとは恐るべきことだ。だが、あいつは知っているような気がする。もしかすると……」
「もしかすると、なんだ? おやっさん」
アザは首を横に振り、「とにかく、ネムを呼んでこい」とだけ口にした。
「ネムの兄貴なら大丈夫だと?」
「おそらくな」
ヤドナシはその場に座り込んだまま崖の上へと再び視線を向けた。
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