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第五章 真の力
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しおりを挟む真一は、いつの間にか渡海神社の境内前に立っていた。
隣を見遣ればネム、ミコ、ヤドナシがいる。それともう一人じゃなくて、もう一柱いる。
「久しぶりだな、猿田彦よ」
「うむ、久しぶりだ。猫神ネム復活だな。積もる話もあるだろうが、今は急ぐことだ。道は開いておいたぞ」
猿田彦大神の言葉通り、社脇の銀杏の大樹に洞のように淡い光の穴が開いていた。
「流石は道開きの神だな。ありがたい」
「お主とは古い仲ではないか。気にするな」
どういうことだ。ネムと猿田彦大神は知り合いだったのか。というかネムはやはり神様だったのか。いや、神様はあの獅子だろう。けど、ネムとあの獅子は一心同体なのだろうか。確か真の力だとか言っていたはずだ。なんだか頭の中がぐちゃぐちゃでわからなくなってきた。
とにかく、ネムはあの獅子でもあり神様だってことだ。余計なことは考えるな。
真一は、猿田彦大神と話すネムを交互に見遣る。ミコもヤドナシも同じように今の状況に混乱しているみたいだ。どうやらみんな初耳らしい。
「ネム兄ちゃん、あの、その私……。あっ、ネム兄ちゃんなんて失礼なこと。ごめんなさい」
「どうしたミコ。いつも通りでいい。神様だなんて誰かが勝手につけたものに過ぎない。気にするな」
「で、でも」
ヤドナシも恭しく頭を下げている。
「ヤドナシもそう畏まるな。友であろう」
「そ、そんな恐れ多いこと」
「困ったものだ。真一は、いつも通りでいてくれるよな」
「えっ、俺は」
いつも通りと言われても。神様に馴れ馴れしくするなんて。けど、ネムが望んでいることだし。なんだか、寂しそうな目をしているような。ここは、俺が場を和ますことが大事なのかもしれない。このままではネムが孤立してしまいそうだ。
真一は、笑みを浮かべて「ネム、おまえは大事な家族の一員だよな」とネムの頭を撫でた。ネムは気持ち良さそうに目を閉じて頷いていた。
「真一、ずるい。ネム兄ちゃんを独り占めはダメだからね」
ミコが割り込み、口を尖らせた。
背後ではヤドナシがニヤリと口元をほころばせていた。
そうそう、これでいい。ネムが神様だろうが関係ない。今まで通りでとネムが言っているのだからな。
「いい友を持ったな、猫神ネムよ。いや、ネムと呼ぶべきだろうな」
「猿田彦、世話になったな。吾輩は、神としては生きることはない。どこにでもいる猫とはいかないが、ちょっと賢いただの猫くらいがちょうどいい」
「そうか。お主らしい。異国からこの地へやってきたときは、少しばかり厄介であったがな。今は随分と成長したものだ。封印し力を削いだかいがあるというものだ。今のお主ならば、正しく力を使いこなせるであろう」
「ああ、吾輩の過ちは己の手で納めなくてはな。そろそろ行くとしよう」
ネムは目配せをしてきたかと思うと、光の穴へと飛び込んで行った。
そのあとを追うように、ミコ、ヤドナシも光の穴へと消えていく。
真一も続こうとしたとき、猿田彦大神の引き止める声が届き「ネムを救ってくれて感謝するぞ、人間よ」と言葉を続けた。振り返ると、猿田彦大神はゆっくりと頷き姿を消した。
自分は何もしていない。救っただなんて。
真一は、神様にそんな勿体ない言葉をかけられて感慨深い気持ちになった。けど、すぐにそんな場合でないことに気づき、銀杏の大樹へ目を向けたのだが淡い光の穴が萎んでいき閉じてしまった。嘘だろう。
慌てて銀杏の大樹に手を添える。硬い幹がそこにあるだけだった。
まさかとは思うが、猿田彦大神はわざと引き止めて行かせないようにしたのだろうか。ありえるかもしれない。呆然と立ち尽くし、真一は銀杏の大樹を眺めることしか出来なかった。
もう、ネムと関わってはいけないという無言の訴えなのかもしれない。
猫の街の危機は回避出来るのだろうか。見届けたかった。
ネム、また逢えるよな。神様になってしまったネムとだって家族としてやっていけるよな。ここは待つしかないのだろうか。
どうにも落ち着かない。猫の街へ駆けて行きたい。けど、行ったところで足手纏いになることは目に見えている。おそらく、決死の闘いが繰り広げられるはずだ。なら、やはり待つしかない。
「ネム! 俺は待っているからな。絶対に、戻って来いよ。おまえは小説家眠多猫先生だろう」
なんだか言っていて虚しくなってくる。叶わない夢となるのだろう、きっと。いや、そんなことはない。小説家として戻って来ないとしても、必ずまた逢えるはずだ。
けど、やっぱり待つなんて出来ない。いやいや、ダメだ。心の内で激しく葛藤してしまう。ネムのもとへ駆け付けたところで、何も変わらないというのに。
真一は、自然と社の裏へと足を向けていた。ネムが心配でならない。
鎮守の杜から猫の街へと行く。そう決めたのだが、社の裏手にある鎮守の杜へと入り込むことは出来なかった。あるはずのない椎の木の大樹が行く手を阻んでいた。
これは、猿田彦大神の仕業だろうか。そうだろう、きっと。流石にこの大樹を切ることはできない。登って向こう側へ行くことも考えたが、無駄だろう。神様には敵わない。
帰るしかないようだ。残念だが。猫の街への入り口は閉ざされてしまった。二度と逢えないのだろうか。真一はかぶりを振って椎の木の大樹をしばらく見上げていた。
いつまでも未練がましくここにいても仕方がない。ネム、ミコ、スサ、ヤドナシ、ダイ……。
ひとつだけ大きく息を吐くと踵を返して、家路に向かった。足取りは重い。神社の敷地から離れて、家に続く坂道を登っていく。こんなにもこの坂道はきついものだったろうか。ときどき神社へと振り返りネムがいないか確認してしまう。ミコの「のろま、早く来い」という声が聞こえてきたような気がして振り返ってしまうこともあった。
やっぱりこのまま家に帰るなんて嫌だ。戻って椎の木を登って猫の街へ行く。
真一は決意を新たにして神社へと駆け出そうとした。まさにそのとき、どこからかしわがれたカラスの鳴き声が耳に届いた。一羽どころではない。カラスの合唱の如く騒ぎ立てている。空を覆うカラスの大群に目を奪われる。なんだか不気味だ。この世の終わりなんじゃとも思える異様な光景だった。
ふと、ネムが倒した鴉天狗の姿が思い出された。いや、あいつがいるはずがない。間違いなくヤクは灰と化した。この目で見た。
ならなんだ、あれは。
カラスの群れが鴉天狗に見えるだけなのだろうか。そうかもしれない。けど、このカラスたちはいったい何をしに来た。ただのカラスの可能性もあるが、鴉天狗が関わっているような気がした。この地でカラスの大群を見た記憶は今までない。嫌な予感がする。
ネムの死が頭を過る。すぐにかぶりを振ってネムが死ぬはずがないと自分に言い聞かせた。神となったネムが負けるはずがないじゃないか。
「ふん、それはどうかな」
耳元を一陣の風とともに、怪しげな声が通り過ぎていった。
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