小説家眠多猫先生

景綱

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第六章 最後の闘い

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「どこから話せばいいだろうか」
「どこからやって来たのか。そしてアザ長老との出逢い。そのへんからがよいのではありませぬか」
「ふむ、そうだな行安殿」

 ネムは目を閉じて息を大きく吸い込むと話し出した。

「吾輩がこの地に訪れて、かれこれ千年くらいは経つだろうか」

 千年……。ということは少なくともネムは千歳以上ということか。

「本当に血の気の多い猫神であったな」

 ネムはそう呟き溜め息を漏らすと、ヤマタが肩に手を置き「そこまでではないだろう」と口にした。

「私はネム様のことを心根が優しいとわかっておりましたぞ」
「行安殿の優しさが吾輩をそうさせたのだ。そうでなければ、鴉天狗との話し合いに応じなかったかもしれない。本当にヤタの言う通り皆殺しにしていたかもしれない」

 行安はかぶりを振り、「そんなことはなかろう」と笑みを浮かべた。
 真一は、ネムとヤマタと行安の会話を漏らさず耳を傾けていた。

「あんな悲劇が起こってしまうとはな。おっと、話が先に進み過ぎてしまったようだ。その話のまえに吾輩はこの地のものではない。そのことを知ってもらわねばな。実は……」

 ネムは懐かしそうな顔をしている。
 話によると、ネムは今のエジプトから空を飛んでやってきたらしい。異国の神ということか。そんな猫神が確かにいたって話があったような。エジプトの猫神の末裔がネムなのか。なんだか突拍子もない話だが、真実なのだろう。けど、エジプトの猫神ってもっとスリムなイメージあるけど。そんなこと、どうでもいいか。

 ネムをアザ長老が呼んだらしい。
 この地の猫たちのために、願ったらしい。そのへんは猿田彦大神の力も借りたようだが。ということは、アザ長老も千歳を超えていたのか。
 鴉天狗が取り仕切っていたこの地を話し合いで解決しようと試みたようだ。近くには人の集落もあったようだが、平和的に話が進み、鴉天狗と猫と人とが共存し暮らせるようになるはずだった。がしかし、猫がここに住むことに我慢出来ない者もいた。その筆頭にいた者が、ヤジロウだった。ヤタに嘘を吹き込んだ張本人だ。

 突然、ヤマタがドンと地面を踏みつけて言葉は放った。

「ヤタよ、我を殺めた者はネムではなくヤジロウだ。それだけではない。あやつは、自分の意に賛同せぬ者を皆殺しにしたのだ。鴉天狗だけに留まらず、猫も人も殺めた。あの者は許せぬ。平穏に暮らす世を乱したのだ」
「ヤマタ、心を静めよ。お主たちの仇は吾輩がとったではないか」

 歯を食いしばるヤマタがそこにいた。そんな様子を横でヤタは見つめている。

「すまぬ、取り乱してしまった」

 ヤマタが頭を下げて詫びるとネムはかぶりを振り「気にするな」とだけ口にした。
 するとミコが「で、ネム兄ちゃんの神の力はなんで封印されていたの?」と口を挟んできた。

「それは、すべての責任を取ったんだ。ネムのせいではないのだが」

 行安がネムの代わりに答えた。
 行安の話だと、ネムの神の力が災いを招いたと鴉天狗からも猫たちからも責められたらしい。それだけではなく人からも責められたそうだ。異国の猫神など必要ないと。
 殺せという声が多かったなか、アザ、ヤマタ、行安の三者が皆を説得して神の力のみを封印させた。一番悪いのはヤジロウだというのに。
 よそ者とは、そういう扱いを受けるものだとネムは言うがそんな身勝手なことが許されていいのだろうか。真一は、深く考えてしまった。

「今の話は過去のことだ。同じ過ちを繰り返さなければいい。そうだろう」
「そうだな、ヤジロウのような輩(やから)が再び現れないことを祈ろう」

 行安の言葉に真一は「ヤジロウって本当に亡くなったのかな」と呟いた。

「あやつは間違いなく吾輩の手で葬り去った。間違いない」
「それならいいけど」
「真一、考え過ぎだ」

 どうにも胸騒ぎがする。思い過ごしだといいけど。

「ヤタは、ヤジロウに育てられたんだろう」

 ヤタに一同の目が向けられて話を聞いたところ、ヤジロウに間違いなく育てられと断言した。

 謎だ。

 一同が小首を傾げていたら、突然、葉擦れの音が響き渡り砂煙が舞い上がった。風の悪戯かとも思ったが、何かがおかしい。遠くの空に黒い影が広がっている。暗雲ではない。近づくにつれて暗雲と思われたものがカラスの大群であることがわかった。空を覆い黒く染めていく。いったい何が起きている。
 カラスの一群の先頭にカラスではない何者かがいる。

「あれはもしや、ヤジロウか。まさか生きていたというのか。いやあいつは死したはず。おのれ執念深い亡者め。地獄より舞い戻ったのか」

 ヤマタの一言で、皆が一点に視線を向けた。
 あれが、ヤジロウなのか? 遠くてどうにもはっきりしない。

「ヤジロウ、今度こそ息の根をとめてやる。黄泉に縛り付けてやる」

 ヤマタは余程怨みを持っているようだ。ネムが落ち着かせようとしてはいるが、無理かもしれない。
 本当に鴉天狗のヤジロウなのだろうかと小首を傾げた矢先姿が見えなくなってしまった。どこにいった?
 空を隈なく探したが見当たらない。そのとき、隣から呻き声とともに血飛沫が視界を塞いだ。な、何だ……。
 恐る恐る横に目を向けた瞬間、血の気が引いていき自然と涙が溢れ出す。

 嘘だ、嘘だ、嘘だ。

 真一は、叫び声をあげて身体を震わせた。
 ネムが、ネムが、ネムが……。

 真一が目にしたものは、首と胴体が切り離された無残なネムの姿だった。ネムの見開かれた目と合い、思わず目を逸らしてしまった。見ていられない。血溜まりの中で血染めになったネムの頭部が転がっている。ありえない。確実に絶命している。何が何だかさっぱりわからない。こんなこと起こるはずがない。嘘だ、これは。夢だ、そうだ夢に違いない。これは悪夢だ。目覚めれば、いつもの通りネムがいるはずだ。けど、夢が覚めることはなかった。これが現実だから。そう思うと、気が狂いそうになる。

 ミコの悲鳴もどこか遠くで聞こえているような不思議な感覚だった。

「ふん、何が神だ。もうちょっと楽しませんてくれるものと思っていたが、あっけなく黄泉へ旅立ったか。他愛もない」

 真一は涙を拭い、ヤジロウを睨み付けた。

『俺が、俺が仇を……』

 そう叫びたかったが出来なかった。仇をとれるわけがない。自分にそんな力はない。
 嘆息を漏らして項垂れた。そのとき、風をきるように脇を駆け抜けていく者がいた。スサだ。一瞬だがスサの顔が見えた。物凄く怖い顔をしていた。あれはまさに鬼の形相だ。ダメだ、我を忘れている。あれでは勝てない。

「スサ、ダメだ。止まれ!」

 真一の叫びは届かない。
 スサは腕を振りかぶり鋭い爪を突き立てた。だが、あっけなく弾き飛ばされて地面に叩き付けられてしまった。ヤジロウの一撃は凄まじいものだった。スサはたったの一撃で瀕死の状態に。力の差がありすぎる。

「馬鹿な奴だ。己の力もわからず向かってくるとはな。皆ここで死すのだ。もちろん、ヤタおまえもな。裏切り者は死罪だ」

 ヤジロウの不敵な笑みに身体が震えた。
 もう終わりだ。短い人生だった。ネムが倒されてしまった今、為す術もない。ミコは目を腫らせて涙している。ヤドナシはというと、放心状態で棒立ちになっていた。

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