ちょっと奇妙な小部屋 ホラー短編集

景綱

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8号室 囚われた魂(後半)

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 功は先の見えない長い階段を眺めつつ登っていく。灯台は見えているというのに、階段の終わりが窺えない。こんなおかしなことがあるのだろうか。

 ふと右手にぬくもりを感じて、立ち止まり右手をみつめた。小首を傾げてしばらく立ち止まっていた。今感じたものはなんだったのだろうか。とにかく、登ろうと再び足を進めようとしたとき視線の先にさっきまでなかった階段の終わりが出現していた。

 うれしくて息が弾み、功は思わず駆け出していた。頬を緩ませて登る。ときどき二段飛ばしで登っていった。きっとこの先に出口があるはずだと期待して登る。
 だがしかし、予想は覆されてしまった。

 登り終わり、功は笑みを消した。待っていたのは、荒れ果てた大地だった。灯台はどこへ消えてしまったのだろうか。出口はどこだ。振り返ってみても、階段はなくあたり一面何もない荒涼とした大地がどこまでも続いているだけだった。

「ふふふ、ダメダメ。私からは逃れられないって言ったじゃない。いくら邪魔されようが私はあなたを連れて行くんだからね」

 背筋がゾゾゾッとした。ごくりと生唾を呑み込み、声の主へと目を向ける。
 そこには、白いワンピースを着た女性がひとり。青白い顔をして、引き攣った笑みを湛えている。さっきの雲の化け物と同じ顔をした女性だった。
 危機感を覚えて功は後退った。

「来るんじゃない。おまえは誰だ」
「誰だなんて酷い。私はこんなにも愛しているというのに。まさか、あの女の方がいいとでも言うの。ただ待つだけのあの女が」

 目の前の女性の目がつりあがり朱に染まっていく。やはり化け物だ。逃げなきゃ。

「来るな、来るな。化け物め」
『化け物』という言葉に怯み、元の顔立ちに戻っていく。
「化け物……だなんて。私は、私は違う。ただ一緒にいたいだけだというのに」

 功には女性の言葉の意味がよくわからない。
 自分のことを知っているようだけど。覚えがない。どうすりゃいいのか。

「私のことを本当にわからないの。相田沙里よ」

 功はかぶりを振り「わからない」とだけ呟いた。

「そう、それでも私は連れて行く」
「どこへ」

 沙里と名乗った女性が、ニヤリと笑み指を差す。そこには川が流れていた。向こう側には花畑が。その川に木で出来た橋がひとつ。これって、三途の川。

 ブルッと功は身体を震わせて踵を返そうとした矢先、ギュッと沙里に手を握られてしまった。
 冷たい。一気に体温を奪われていく。ガタガタと身体が勝手に震え出す。

「私のもの。あなたの心はこれで奪ったのだから」

 沙里は空いている方の手に持った鋭いナイフを見せつけてきた。
 ひぃっ。

「そ、それって……」
「ふふふ、あなたを殺したはずだったのに。どうしてかしらね。あの忌まわしい女が邪魔立てしなければ今頃仲良くあの世で暮らしていたというのに」

***

 突然、功が痙攣を初めて亜美は慌ててベッドに備え付けられた呼び出しボタンを押した。すぐに看護師と医師が駆けてつけて処置を始めた。

「功、お願い……死なないで。目を覚まして。ずっと待っているから、目を覚まして」

 備え付けの機械がけたたましく鳴り響いている。どう考えても危険な状態に陥っている。

「先生、心停止です」

 その言葉と同時に医師は心臓マッサージを始めた。功はこのまま天に召されてしまうのだろうか。そんなこと……。
 結婚の約束してくれたのに。あのストーカー女のせいでこんなことに。無理心中だなんて許せない。

***

 功は沙里に木の橋へと強引に引っ張られていく。なんて力なんだ。身体の自由が利かない。冷凍庫にでも入れられているようだ。凍えて死んでしまう。というかもう半分死の国へ足を踏み入れているのだろうけど。

「ふふふ、もう少しよ。そうすれば楽になれるわ」

 橋に足がかかるそのとき、またしても突風がぶつかってきた。橋へ足が踏み入れることなく押し戻された。握られていた沙里の手が離れて、功は右側へ沙里は左側へと飛ばされる。

「功、お願い……死なないで。目を覚まして。ずっと待っているから、目を覚まして」

 起き上がろうとしていたとき、功の耳にはっきりと声が響いた。凍り付いた身体が温かな想いに触れて解けていく。胸のあたりに何か押し当てられているような感覚がしてきた。なんだこの感覚は。苦しい。息が、息が……。

「くそっ、またしても邪魔するのかあの女は。私は功とあの世で添い遂げるのだ。負けてなるものか」

 功は脂汗を額から浮き上がらせつつ声の主を見遣る。沙里の顔は鬼の如く変化しようとしていた。額から角も生え始めている。口からも牙が伸びていた。目が朱色に染まる。

 風が強さを増して沙里の身体を押しやっていく。だが、沙里はその風に耐えてこっちへとじりじりと進んで来る。
 逃げなくては。そう思うのだが、どうにも動きがとれない。呼吸とはどうすればよかっただろうか。息苦しい。胸が痛い。死にそうだ。三途の川の近くにいるせいなのだろうか。
 まただ、誰かの声がする。

「待っているからね。大丈夫よ。きっと助かる。亜美がここにいるからね」

 えっ、亜美⁉

 功の心臓がドキンと跳ね上がった。
 思い出した。
 亜美、亜美なのか。そうか、待っていてくれているのか。死んでなるものか。

「黙れ、黙れ、黙れ。亜美などに渡してなるものか。私のものだ。あの橋を渡ってしまえばこっちのもの。行くぞ、功」

 鬼と化した沙里は、強風にも屈することなく目の前までやってくると袖口を掴み引っ張って行こうとする。功がどんなに諍っても意味がないくらい力強く引っ張られていく。腕も掴まれて万力で締め付けられたような力が加わっていく。

 ダメだ、ダメだ。死にたくなんかない。

「亜美、俺はここだ。亜美」
「黙れ、亜美の名前など呼ぶな。沙里と呼べ。どうせ、すぐにおまえも私のことしか見られなくなるさ」

***

 医師は除細動器を手に取り、電気ショックを与えた。
 あれで心臓が動き出すのだろうか。アイロンみたいなものを胸に押し付けているけど、本当に大丈夫なのかな。功、私をおいていかないで……お願い。

「もう一度」

 医師の声が遠くで聞こえるようだ。
 功の身体が電気ショックに反応する。お願いだから、目を覚まして。
 亜美は両手を硬く握りしめて祈った。

「先生、心拍数が六十に戻りました」

 心電図モニターに波形が映っている。
 よかった。
 安堵した亜美は、大きく息を吐き功のもとへと駆け寄った。

「あ、功。わかる、私よ、亜美よ」

 功が目を薄らと開けていた。
 医師に声をかけられて場所を開け、後ろで待機する。大丈夫なのだろうか。意識が戻ったと言ってほしい。

***

 突然、空に暗雲が立ち込めた。引き摺られながら空を仰ぎ見ると、雲の中で光るものが見え隠れしている。もしや雷か。

 ピカッ、ズドドーーーーーーーーーーン。

 凄まじい轟音とともに、稲光が橋へと落下した。橋は真っ二つに折れて崩れ落ちた。落雷のあったあたりは炎が燃え盛っていた。熱風がこっちへも伝わってくる。

「性懲りもなく邪魔立てするか。クソ女がぁ」

 沙里の雄叫びが耳に響く。

 雷がまだ鳴り響いている中、怒り狂う沙里が天を睨み付けていた。冷静さを失っているのかしっかりと掴んでいた腕と袖口を放した。今のうちに逃げよう。功は音を立てないようにつま先立ちになって後退り始めた。

 気づかないでくれと懇願しつつ沙里から離れていく。
 十分な距離がとれたと判断し、功は踵を返して駆け出した。

「待てぇ、功」

 背後から沙里の叫び声と雷鳴が重なり合った。

「ぎゃぁーーーーーーーーーー」

 絶叫とともに、沙里は炎を纏い完全に絶命した。魂もろとも焼き尽くされてしまった。

 燃えカスが風に揺らめき空へと舞いがっていく。助かったとホッと息をつき、その場に座り込んだとき、右腕をギュッと掴まれたような感覚に目を見開いた。ハッとして腕を見遣ったが、誰の手もありはしなかった。きっと気のせいだろう。

 とんでもない女に好かれてしまったものだ。ここにから早く離れよう。亜美のもとへ早く帰ろう。その思いが通じたのか、遠くに仄かに明かりが灯った。もしや、あそこが出口かもしれない。
 功は、三途の川とは反対方向に見える小さな明かりへと歩みを進めた。

***

 数日後、功は完全に意識を取り戻した。

「亜美、ありがとう」
 功は微笑みかけて、亜美の頬に手を添えた。

「よかった、本当によかった」
 亜美は功の手に重ね合わせるようにして手を添えて微笑んだ。

「あったかいな、亜美の手は」

 功は奇跡的に回復を遂げて数か月後退院をすることに。
 ただ、気になることがひとつだけあった。功の右腕に残る痣だ。だいぶ薄くはなっているが手のような痣を見る度に身体が震えてしまう。

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