【完結】ふたつ星、輝いて 〜あやし兄弟と町娘の江戸捕物抄〜

上杉

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 有島家は、江戸幕府の開闢以前より続く、大名家であった。かねてより江戸の北部に領地を構え、内には立派な屋敷を築き、江戸幕府を内外から支えていたのである。
 有島惣次郎が覚えている限り、祖父はすでに家督を譲り、悠々と屋敷で隠居生活を送っていた。父はというと、祖父から譲り受けた幕府の要職の任を預かり、毎日江戸城での務めを果たしていた。
 そんな彼らは、幼い惣次郎にとって尊敬の的であった。
 将軍にお仕えし、江戸のまちだけでなくこの広い国を守っているのである。それは惣次郎にとって誇りであり、目指すべきところでもあった。
 
 ――私も父や祖父のように、早くお仕えしたい。

 そう胸に強く抱いたのは、八つを超えた頃だろうか。
 まだ幼き少年がそのような願いを志すことになったのは、江戸幕府に対する親たちからの教育が大きな理由であった。しかし同時に、兄の存在も彼に少なからず影響を与えていたのである。

 兄――有島清之進は、惣次郎の四つ年上であっ。しかし生来のからだの弱さから小さい頃から大変病弱で、寝込みがちであった。それは惣次郎が十になっても変わらず、むしろ悪化の一途を辿っていた。
 そのため自分こそが家長としてこの家を支えていかなければならない、幼い惣次郎はそう気付いていたのである。

 そんな状況が一変したのは、今から十五年前の秋のことであった。
 惣次郎が屋敷で書の稽古を終えた昼前のこと。ふと、人の気配を感じ広間を覗くと、なぜか父と祖父が厳しい顔で相対していたのである。
 登城している時間にも関わらず、なぜ家にいるのだろう――そう疑問に思った惣次郎は、普段との違いに嫌な予感を感じた。そして彼らに声をかけようかと、悩んだときであった。
 玄関からばたばたと人の足音がしたと思えば、役人とおぼしき無数の人間が家に入ってきたのである。

「何事か――」

 惣次郎の問いかけは、ひとりの男の怒声にかき消されてしまった。

「改めである!」

 それからのことは、あまりにも突然のことすぎて、何が起こったのか理解できなかった。
 ただ、広間で怖い顔をしていた父と祖父はみるみる彼らに取り囲われ、淡々とした顔で連れられていった。それを見ていた侍従たちは声も上げずに顔面蒼白で、泣いて縋った母はというと、ふたりと同じように連れて行かれてしまったのである。
 惣次郎はわけもわからないまま、ひとり取り残されてしまった。そうしてしばし呆然としたあと、侍従たちの動揺に気付きはっと我に返り、自ら町へ繰り出すことにしたのである。
 当時、十を越えたばかりの彼にとって、なぜふたりが連れて行かれたのか理解できなかった。だからその手がかりを少しでも手に入れたいと思ったのである。
 また、先祖代々徳川に仕え、幕府のために力を尽くしてきた有島家の当主である父と、祖父がなぜ連行されなければならなかったのか。同時に彼らがまったく抵抗もせずに淡々と従った理由を、惣次郎は知りたかったのである。

 奉行所へと向かう道を歩き人波に隠れながら、惣次郎は町民の噂を聞いて回った。
 すると、確かに父と祖父の連行は話題になっており、必死に耳を澄ませたところ、有島家に謀反の疑いありという話を聞くことができた。
 謀反――すなわち、改易である。
 それを知ったとき、惣次郎の全身から血の気が引いた。首謀者は確実に斬首となり、企てたとされる有島家は廃絶となる未来が見えてしまったのである。
 まずいことになった――そう思い惣次郎は必死に家に戻った。家に抱えた侍従たちに、自分が話をしなければならないと、幼いながらに思ったのである。

 静まり返った屋敷に急ぎ足で戻ると、広間にひとつの人影が見えた。
 それは蒼白な顔をして立つ兄――清之進の姿だった。最近は体調が悪く床に臥せっていたはずなのに――そう思いながら惣次郎は近寄り、声をかける。

『兄様……どうされたのですか。体調の方はよろしいのですか?』

 すると、ゆらりとその影は動き、こちらに気付いたのかすっと振り返った。不気味にすら感じるその気配に、惣次郎がじりと一歩後ろに引いたときだった。きらりと光る何かが目に入った。

 ――兄様が手にしているのは……あれは刀だ。

 それに気付いたとき、清之進が口を開いた。

『惣次郎、私たちは終わりだ』

『……え?』

『皆が申しておった。有島家は謀反を企てたと。私は、そんなことを父上たちがするわけないと思っている。この裏にはきっと誰かの思惑があり、陥れられてしまったのだと』

『そんな……』

 侍従たちから話が伝わったのだろうか。惣次郎がひとり焦っていると、兄は乾いた嗤い声をあげて言った。

『もう……もう終わりだ惣次郎。改易が下されれば、祖父と父は切腹だ。母と侍従たちを何とか国元へ逃がすとして、私たちはこれからどうやって生きていけばいい?』

 絞り出すように悲痛な叫びだった。惣次郎は必死に主張する。

『私がいます!兄様……私がお支えします』

 しかし、清之進は悲しげに笑っただけだった。

『そんなこと、無理に決まっているだろう』

 そう言い、刀を手に近寄ってくるではないか。

『あ、兄様――』

 惣次郎が咄嗟に後ろに下がったとき、彼がいたはずの所を、刀が空を切った。

 ――殺される。

 清之進は、きっとこれから訪れる未来に絶望してしまったのだろう。弟もろともと、慣れぬ刀を振りかぶったのである。
 惣次郎は必死に外へ逃げようとした。
 屋敷を抜け、門の外へ出れば誰かが助けてくれるかもしれないと、淡い期待を抱いたのである。
 ただ、力を振り絞った清之進のほうが一歩早かった。

『すまぬ、惣次』

 そんな謝罪と、再度刀を振り上げる音が聞こえ、惣次郎は目を瞑る。
 ただ、その後いくら待っても来るであろう痛みはやって来なかった。代わりにどさりと何かが床に倒れる音がした。

『…………え?』

 それはこと切れ力尽きた兄の姿だった。地面に転がり呆然と宙を眺める視線は、もう自分とは合わなかった。
 惣次郎はなにが起きているのかわからなかった。ただ近付く黒い影に気付き振り返ると、そこにはひとりのおとこが立っていたのである。
 手には血のしたたる刀を持っており、この人物が自分を助けてくれたように見えた。

『あ、あなたさまは……』

 惣次郎がそう声をかけたときだった。おとこは返事もせずに突然膝から崩れ落ちたかと思えば、ばたりと倒れてしまった。
 なにが起きたのかとその顔を見れば、額は赤く汗ばんでいた。惣次郎は咄嗟におとこを屋敷へ連れていき、その後、兄の亡骸も隠すことにした。

 ――このひとの刀があれば、何か変えられるかもしれない。

 惣次郎は突然あらわれ自分を救ったおとこに、そんな淡い期待を抱いたのである。

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