【完結】ふたつ星、輝いて 〜あやし兄弟と町娘の江戸捕物抄〜

上杉

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7 教えて欲しい

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 美しい女性――高門花魁たかかどおいらんに連れられて入った建物は、おりんがこれまで見たことのあるどんな屋敷よりも豪奢だった。
 造りはもちろん、調度品やありとあらゆるところを照らす灯りに、おりんは目が回りそうになった。前を行く花魁の身につけるものも、財を持て余すかのような一級品ばかりで、あのかんざし一本で家計の数ヶ月分になる――そんなことを思っていた。

 花魁は階段をたおやかに上がると、少し奥まった座敷へ通した。
 そこは花魁の個室のように見えた。部屋の奥には銀糸を編み込まれてちらちらと輝く着物が、衣桁にかけられている。また贈り物と思われる調度品の数々も、隅にまとめて置かれていた。

「さあ皆さま方、おすわりなすって。……冷えたでしょう、いまお茶を点てますので、おくつろぎくださいまし」

 そう言われ、道中雨を浴びたままだったことをおりんは思い出した。畳を汚さないように手拭いでさっと拭いたあと、ほかのふたりにならって畳に正座する。
 部屋には火鉢が置かれていて、ほんのりと暖かかった。そのためか、一日中歩いた疲れがどっとおりんを襲い、うつらうつらとしまう。そんな中、襖が開いたと思えば、有島が入ってきた。
 その表情は呆れながらも口元に笑みを浮かべていた。

「おりん。まったく、そなたがこんなところにまでやってくるとは思わなかった。それに……まさか姫様までお連れになるとは」

 すると、脇から千代が声を上げた。

「有島さま。どうかおりんを責めないでやってください。むしろ私が希望したのです。有島さまが、あやしいことをなさっているとちまたで耳にしたものですから」

 せっかくなら、この機会を逃すまいという千代の気概がひしと伝わってきた。どこか棘を感じる言い方なのは、実家であった森本家の件で、いろいろ思うことがあったのかもしれない。
 すると、惣次郎は笑みを崩さずに言った。

「何をおっしゃっているのか分かりませんが、私がここ花街にいるのは、もちろん仕事の所用を果たすためにございます」

「お仕事……」

 そんなおりんの呟きに、惣次郎は頷いて続ける。

「数日前、市中でまた人が切られてしまったのです。佐幕派のとある譜代大名が参勤した夜のこと。道中天候に恵まれず、予定より遅れて江戸に入った彼らは、一晩をたまたますごすことになった宿で倒幕派とかちあってしまった。そして切り合いをする騒ぎになり、両方ともに死者が出る始末。そんな風に、最近の水戸浪人の動きは激しさを増していて、彼らは以前にもまして行動を隠さなくなった。そういう訳で、このようなところで夜な夜な会合を開いていると言うから、知り合いに頼み不審な人間の流れがないか、聞いて回っているのだ」

 惣次郎が話し終えたあとで、そのとなりにたおやかに腰かけていた花魁が言う。

「そういう情報が、女郎にも集まってくるのでありんす。おとこはおんなにいい顔したいのか、寝屋を共にした途端、ぺらぺらと喋る喋る。そんな話を、わっちが取りまとめて、有島さまにお伝えしているのでありんすよ」

 天女の如く美しい声色で、蠱惑的な笑みを浮かべて花魁は言った。その奇妙な圧に、三人はことばを失ってしまった。
 有島はそれを是と受け取ったのだろう。すっと立ち上がり、笑みを浮かべた。

「さ、夜も遅い。千代さまもそろそろお帰りになりませんと、旦那様がきっと悲しむのではございませんか」

「…………わかりました」

 途端、侍従がほっとした顔をした。千代はそれをぎろりと睨んでから、おりんにごめんなさいという顔をして、皆に挨拶をして帰っていった。

「おりん。そなたは私が送ろう」

「お仕事のほうは……」

「一度帰ってから、また戻ればよい。ここで得た話を仲間に共有しなくてはならないからな」

 ふたりは花魁に見送られて、花街を出た。
 先程までのあの光景が嘘だったかのように、門の外は暗く静かだった。
 手に提灯を下げて歩くふたりの間には、沈黙が流れていた。時折、ふくろうの声が響く中。おりんはきっと聞くなら今しかないと思い、意を決して口を開いた。

「有島さま。お聞きしたいことがございます」

「まさか……それが私のあとを追ってきた理由か?」

「はい。そのとおりです。……あたしが気になっているのは、清之進さまのことなのです。あの方のことを、あたしに教えて頂けませんか?」

 すると、惣次郎はぴたりと足を止めた。

「……おりん、かまわぬが……私はそなたに何を話せばよい?」

 その視線も声色も、先ほどはなかった冷たい響きを含んでいることに気付いた。おりんはびくりとするも、そのまなざしを正面から受け止め、言う。

「清之進さまの過去に、一体何があったのでしょうか。刀を持ったときのあの方は、まるで人が変わったようになってしまう。あたしはそれが心配で……。先ほど有島さまが見ていたお墓は、何か関係があるのでしょうか?」

 そう言った途端、有島の顔に驚きの色が浮かんだ。

「そなたらは……そんなところからあとをつけていたのか」

 おりんはこくりと頷いた。惣次郎はそれを見て、なぜか不気味な嗤い声を上げた。

「……くくく。きみは私のことを、信頼してるんだな」

「そんなの……あたり前です!」

「――ならそなたは知っているか?私はそなたが知らぬうちに、酷いことをしているのだぞ」

 そのたたみかけるような圧に、おりんは動じなかった。今ここで負けてしまえば、思いをぶつけられる機会が失われてしまうと思った。

「……困っているあたしを、泳がせた事ですか?」

「!……そなた、知っていたのだな」

「うすうすそんな気はしておりました。ただ疑問に思ったのは、最近のことです。それでも、あたしを助けて、姫様にもう一度合わせてくれて。そして居場所も作ってくれたのは有島さまと清之進さまなのです。だから教えてください!おふたりがたとえどんなものを抱えていたとしても、あたしはついていきます。あたしの命は、おふたりに救われたようなものですから」

 おりんのことばに、有島は呆然としていた。

「そうか……」

 と小さく呟いたあとで、しばらく沈黙が流れる。
 お侍さまに強くいいすぎてしまったかもしれない――そうおりんが思ったときだった。
 有島はふうと息を吐いたあとで、覚悟を決めたように口を開いた。

「今から言うことは他言無用だ。おりん、頼むぞ」

「……はい!」

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