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2章 春雷
4 新しい指導者
しおりを挟む「みんなお疲れ!」
「おつー!」
とあるチェーンの安居酒屋で、優人と三隅とその友人たち数名のグループは、形ばかりの乾杯をしてハイボールをごくりと飲んだ。
それは学科の友人たちが集まる飲み会で、三隅に声をかけられ優人も渋々顔を出したのだった。
狭い掘りごたつのテーブルに女子も数名混ざる中、なぜか三隅はわざわざ隣りにやってきてこう言った。
「なあ、最近どう?」
「まあまあ、かな」
優人が当たり障りなく答えると、三隅は嬉々として大げさに言った。
「やっぱり?最近、確かに調子よさそうだなーと思ってたけど、どうしちゃったの?何があったの優人くん?」
「……何もないって」
そう言葉では言ったものの、実際のところ絶好調だった。
室島と直談判をしたあの日。須藤に指導を取り付けたことが本当なのか信じられなかった優人は、確認しようと部屋から出てくる須藤を待って声をかけた。
「――あの!須藤さん」
正直、無視されると思っていた。
しかし須藤はこちらを見て足を止めると、何か考えるような素振りを見せてぼそりと言った。
「ええと……中谷くんか」
「……あの、すみません。忙しいのに俺のせいで面倒事を……」
「ああ、気にしないでくれ」
その言葉は淡々としていて、少しも感情が含まれていなかった。
――何を考えているか少しもわからない。
さらにこの状況でも須藤と少しも目が合わず、彼の視線は宙へ向かうばかりだった。これではやっていけないかもしれない――優人がそう思ったときだった。
「それより、君の状況を聞きたいんだが」
突然そう言われ、思ってもいなかったやりとりに優人は焦る。
「え?……状況……ああ、俺の研究の進み具合ってことですか?」
「ああ」
「ええと、次の発表までに話そうとしてる内容ってことですか?」
「……違う」
否定の言葉が冷たくなかったことだけが救いだった。ただ何を言いたいのかわからず優人は混乱した。そんな彼に、須藤は意外なことを言った。
「……少し、話そう」
「……へ?」
須藤はなぜかそのまま研究室の奥へと進んで行ってしまった。優人もそのあとを急いで追いかけると、そこには須藤の実験スペース兼デスクがあった。
研究室のもっとも奥に設けられたそのスペースは、優人の席のすぐ裏だった。ただ、背の高い棚の陰になっており、意図して覗かなければ人がいることすらわからない場所だった。
「し、失礼します」
実験用の備品が置かれた棚と、本や書類が乱雑に置かれた本棚に囲われたその場所は静かだった。薄暗いものの人の視線もなく、窓からは外の――もうすっかり傾いた夕焼けが見えた。
――何だか、はかどりそうな場所だな。
優人がそう思っていると須藤はスツールを差し出して言った。
「かけて」
「は、はい」
そうして須藤はメモを手にすると、こんな抽象的な問いを投げかけた。
「……君は、この場所でどこまでの成果を残したい?」
「それは…………どういうことですか?」
優人が答えると、須藤は少し考えたあとで再び口を開いた。
「……説明を変えようか。卒業までの目標をどこに決めるかで、君が目指すゴールが変わるということだ」
ゴールが変わる――それは優人に与えられた新しい価値観だった。
自分の実験は終わりがなくただ淡々と作業をこなしてデータを積み上げていくだけだと思っていたのに。
ゴールはあり、しかもそれは自分で決められるのだという。ということは――。
「……俺がどこまでを求めるかで、これからの進捗も決まっていくってことですか?」
そう聞いたときだった。
須藤の黒い瞳がこちらに向き、ぱちりと合った。
優人は思わず驚いた。
――あれだけ合わなかったのに。
その眼鏡の奥の眼差しは彼の驚きと同時に、少しだけ心を開いてくれたように見えた。
意外と教える価値はあるかもしれない――そんな受け入れる余地を彼は見せた気がした。
「ああ…………その通りだ」
須藤はそう肯定すると、また視線を外してしまった。
しかしその後、優人の中で湧き上がったこの期待が失われることはなかった。実際の須藤の指導は、非の打ち所がないほどきめ細かく丁寧だったから。
きっと好みもあるのだろう。ただ、室島と真逆のマネジメントが行き届いたやり方は、自分に合っていると優人には思えた。
この日、須藤に言われた通り卒業までのゴール――目標を決めることになった。一応、優人は理系学部にいるなら学会で発表したいと思っていたので、あっさりそれが目標となった。
続いて、冬に行われるそれに向かってみるみる中間目標――マイルストーンが作られ、あっという間に研究計画が立てられた。そのあまりの速さと簡潔さに、優人は思った。須藤の言葉数少ない淡々とした物言いは、彼の思考の鋭さと明瞭さを表しているのかもしれない、と。
だからあの日抱いていた不安はすぐに解決し、むしろ順調に卒業研究が進んでいたという訳だ。
須藤の凄さはプランニングだけでなく、説明も細かく丁寧だった。
言われるがままこれまでの結果を記した実験ノートを渡すと、須藤はぱらぱらとめくりながら、抽出があまりうまく行っていないのではと指摘しこう言った。
「実は、こういうのって書いていない細かなノウハウがあるんだ」
そう言って細かい抽出のポイントをフィードバックしてくれた姿は、もちろん無表情だった。しかし優人にはそれで十分すぎるほどだった。
――実は……いい人なのかもしれない。
悪い人なら、そもそもこうして関わろうとすらしないだろう。
だから、自分以外の学生と話す姿を一度も見たことがなかったとしても、この研究室で明らかに浮いていたとしても、別によかった。
優人にとっては、余計なことを言わず最低限のコミュニケーションの方が、有り難くもあり心地よかった。
「……それでも優人、よくやってるよな」
「そうか?」
三隅にそう返すと、真正面に座っていた女子が突然話に入ってきた。
「……なになに、誰の話?」
それに対し三隅は酒を入れたからなのか、饒舌に話し始めた。
「優人さ、今須藤さんっていう室島研の助教の人に面倒見てもらってるんだけど、その人とにかく暗くて怖いんだ。目も合わなくてどこ見ているのかもわかんないし。よくあの人とコミュニケーション取れるよなって言ってたんだよ」
「……え、中谷くん可哀相」
そう返した女子に、優人は適当に答える。
「そんなことないよ。意外と相性いいんだ」
「……まあ、確かに優人の性格だから、室島先生よりは確実に相性よさそうだよな。ただなー、あの人もう少し愛想よければなあ」
三隅の呟きに、優人もふと思った。
――あの人が今も他人とのコミュニケーションを頑なに拒む理由は何なのだろう。
実際優人も、声をかければ返してもらえるものの、あの日以来一度も目が合ったことはなかった。
――あの人本来の性格なのだろうか……それとも、昔何かあったのだろうか。
優人の疑問は周囲の喧騒に飲まれ、静かに消えていった。
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