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2章 春雷
5 夜の邂逅
しおりを挟む――これだから学生の飲み会は。
優人がひとり静かに憤っていた理由は、あの飲み会の後、強制的に二次会に連れてこられたからだった。
そもそも安居酒屋でだらだら飲んでいたはずなのに、突然二次会が決まり断れずに連れて来られた訳だ。
こうなってしまったのは、今はいない三隅のこんな一言によるものだった。
『優人、明日バイトないよ』
そう勝手に情報を漏らした本人はというと、自分はバイトがあるからと言って早々に姿を消してしまった。
結局今は三隅の友人と、一次会で口を挟んできた見知らぬ女子の三人で、なぜかダーツバーにいたのだった。
繁華街の片隅にあるそこは、薄暗くどんよりと淀んだ空気が充満していた。大人の男の社交場を演出するかのように煙草の匂いが漂い、妖しげな照明でぼんやりと照らされていた。
その奥にはぎらぎらと人工的な光を放つダーツが眩しく輝き、まるで夜の街のネオンのように視線が吸い込まれた。
この場にそぐわない学生三人はというと、ゆったりとしたレザーのソファ席に陣取っていた。
バーカウンターで注文した鮮やかなカクテルを片手に、三隅の友人は優人の正面に座り、なぜか優人の隣りにあの女子が腰かけていた。
触れてしまうほど近く、こちらにもたれるように座る彼女に、優人はようやくここに連れてこられた意味を知ったという訳だ。
――……こんなのばかりだ。
顔には出さなかったものの、優人は心の中でため息を付いた。
もう自分たちは大学四年で、時間のある一、二年ではない。卒業研究や就活で忙しい中、まだこんなことを考えている人がいるのだと思うと呆れてしまった。
付き合うとか付き合わないとか。誰が好きとか嫌いとか。優人にとってどうでもいいことだった。
もはや嫌悪感すら感じてしまう――そんな以前より激しい衝動の理由を考えると、思い浮かんだのは須藤の姿だった。
――あの人が指導中に発する言葉は、淡々と紡がれる。
無駄がなく、感情もなく、音楽のようにスムーズに意味だけが耳に届く。
余計なもののない、有意義な時間そのもの。
あの時間がどれだけ自分にとって心地よく、意味のあるものかと思うと、今のこの時間が馬鹿らしく腹立たしかった。
――こんなことしてる場合じゃないのに。
優人はレザーのひやりとした感覚を背で味わいながら、だらりと後ろにもたれ脱力する。
――早く帰りたい。
そんな気持ちなどまるで知らない隣りの女子は、嬉々として言った。
「えー、ダーツあるじゃん。ダーツやってる時の男の人ってかっこいいよね!」
その言葉と上目遣いに、三隅の友人も乗り気で言う。
「だってよ、優人。よしやるか!」
「なんで俺も……」
ふたりでやれよ――そう思いながらも、今回の会に声をかけてくれた三隅の顔を一応立てておかなければならなかった。ただ――。
――三隅……まじで覚えとけよ。
そう思いながら優人はのろのろと立ち上がり、ふたりの後に続いてダーツの前へ向かおうとした。
そのときだった。
優人の目にふっと入ったのは、奥にひっそりと佇むバーカウンターだった。
色とりどりの酒瓶が置かれ、妙齢のマスターが酒を作るその場所に、なぜか目が奪われる。
――あれ?
優人が違和感を感じていたのは、マスターの前にひとり座る男の姿に、既視感があったからだ。
ぼさぼさの長髪と、丸められたスーツの背中が見え、不意に思い浮かんだのは須藤静河だった。
――まさか……でもあの人がこんなところにいるはずがない。
須藤が遊び心とは無縁の真面目な男であることを、優人は知っていた。
無駄のない、堅実そうな彼がこんなところに来るなんてありえない――。
優人がそうして目を離せずにいた、その数秒のことだった。男が席から立ち上がったとき、こちらの視線に気付いたのだろうか、白い頬が見え――。
「……中谷……くん?」
銀縁の真面目くさった眼鏡が、照明にきらりと光った。そして、その奥に隠された瞳がかちりと合う。
その瞬間胸に広がったのは、彼――須藤静河がここにいるという驚きよりも、目が合ったことに対する嬉しさだった。
ほぼ毎日顔を合わせていたはずなのに、ようやく合った反動だろうか――優人は思わず須藤に近寄り、声をかけてしまった。
「須藤さん……ですか?まさか、こんなところで会うなんて……」
「それはこっちの台詞なんだが……」
そうして困惑する須藤の珍しい姿を眺めていたとき、後ろから友人の呼ぶ声があった。
「優人!こっちこっち」
「……いま行くから」
何だか邪魔された気分だ――そう優人が不快感を抱いていると、須藤がおもむろに言った。
「……まさか中谷くんもするのか?」
「いや、俺は全然やったことなくて。……まさか須藤さん、できるんですか?」
思わず言ってしまった――そう優人は後悔したものの、それは須藤の返答で一変した。
「ふふっ。君はなんのためにここにいるんだよ」
それは想像もしていなかった彼の笑顔だった。
こちらを馬鹿にするような、鼻で笑うようなかすかな微笑み。しかし確かに須藤が初めて見せた笑顔だった。
――こんな須藤さんのこと、きっと誰も知らないはず。
優人は心の中で静かに喜びながら、思わず口を開いた。
「俺はただ連れて来られただけで知らなかったんですよ……そうだ!なら俺の代わりにやってくれません?」
絶対拒まれるだろう――須藤を知らない人ならそう思うに違いない。
しかし優人はすでに、彼が頼まれたら断れない優しい性格であることを知っていた。
「僕に混ざれって?……しょうがないな」
「ありがとうございます!」
そう、この人は絶対にそうしないのだ。
この人は怖い人ではなく、優しくて、意外と面倒見のいいきっちりとした人だ。ただ、何か内に抱えているものがある、それだけなのだ。
――そんなの、誰でも生きてれば必ずあるだろう。
優人がそう思っていると、須藤は微笑みながらさらりと言った。
「この貸しはどうなると思う?」
「えっ、そんな……」
まさか――と優人は一瞬驚くも、須藤の柔らかな表情で気付いていた。
「冗談だ」
そんなお茶目なところも、須藤が初めて見せる新しい表情だった。
だから優人は素直に知りたいと思った。
真面目そのものだと思っていたこの人に隠されている、いろいろな顔を。
その後のダーツを投げる姿も優人にとって意外だった。あの特徴的な猫背が信じられないくらい綺麗に伸びて、眼鏡の奥の普段どこを見ているかわからない眼差しは、鋭く的を捉えた。
そして次々と高得点を叩き出していくので、思わず言ってしまった。
「須藤さん、なんでそんなに上手なんですか?」
「昔やってた、それだけ」
そう言われ須藤の学生時代を想像するも、ダーツと結びつく陽気な学生像は少しも思い浮かばなかった。
すると須藤はそれを読み取ったかのようにぼそりと言う。
「きみ……そう見えないって言う顔してるだろ」
「あはは、してないですよ」
「俺だって学生のときは、意外と遊んでたんだよ」
優人は嬉しかった。まさか須藤がこんなにも軽やかに話してくれるとは思ってもいなかったから。
思わず須藤の方を見ると、再び目が合った。
しかしそれはぷいとすぐに逸らされてしまい、優人は疑問に思う。
――あれ、距離が縮まったと思ったのに。
こうして逸らされるのは何故だろう。嫌われているわけではないはずなのに。
優人の胸に湧いたそんな疑問は、この日以降もやもやと彼の胸に留まることになるのだった。
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