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3章 新緑
1 新歓
しおりを挟むダーツバーで会ったあの日以来、心の距離は縮まっているように思えた。研究室の須藤の席で、ふたりはたびたび雑談をするようになった。
もちろんこれまでと同じように、須藤から優人に声をかけることはなかった。ただ、優人が実験やデータ分析について質問をしに行くと、もれなく雑談もするような感じだった。
とある日はこんな具合だ。
「そういえば、きみ、本好きなの?」
「え……好きですけど、何で突然?」
「いや、駅の書店で見かけたから」
その言葉に優人は驚く。どうやら須藤もあの書店の利用者らしい。
辞めるか――思わずそんな考えが頭をよぎるも、優人は続ける。
「……あそこ社販あっていいんですよ。社員さんの教えてくれる本が面白くて、そのまま買って帰ったりするんです」
すると須藤は何かに気付いたように口を開いた。
「……ああ。確かにあそこの書店の選書コーナー、いつもいい本揃えているな」
それも知っているとは、どうやら須藤は結構な利用者らしい。
「そうなんです。メディアで取り上げられた本もすぐに置いてくれますし、ありがたいです」
「それは駅の書店としてはいいやり方だな。大型店にはない機動性は、差別化として重要だ」
「……うちの先生が褒めてたって、伝えときますね」
そんな真面目な話をする日もあれば、コンビニの何が美味しいとか、最近どんな映画を観た、とか。
同級生とすらしない、意味のない会話をすることもあった。しかしそんな話を須藤とするのは、優人にとって意味があると思えたからだった。
実際、距離が縮まっていくたび研究はスムーズに進んでいる気がした。須藤と話すことで、新しい視点やヒントを得るだけでなく、自分の思考がクリアになっていくような気がした。
そんな毎日は充実していて、優人にとって単に楽しかった。
その後行われた研究室の新入生歓迎会にも、須藤は何故か顔を出した。
そのときの先輩たちの衝撃受けた顔を見た瞬間、優人は察した。須藤がここにいること事態があり得ないことらしい。
「須藤さん、こっち」
思わずそう呼んで、一つだけ離れ小島になっていた席にふたりで陣取ることにした。それが自分にも須藤にも、もちろん皆にとってもいいと思えたのだった。
実際、ゼミ長の先輩から乾杯の合図があって、その後は歓迎会にも関わらずふたりで飲むことになった。周りはおっかなびっくりこちらを伺って、うまくやっていることが分かると、彼らは彼らで盛り上がっていた。
どうやら須藤もそれでいいらしく、飲み会の途中に先輩女子や三隅がテーブルに近づくと、彼はすぐに酒を口にして黙り込んでしまった。
そんな様子を見ていると、須藤は自分に対してだけ心を開いているように見えた。そしてこの会に参加した理由も、自分のためではないかと思えた。
――いやいや、考えすぎだって。でも――。
実際、ふたりだけの会は楽しかった。
酒の入った須藤は表情がいつもより柔らかく、そしていつもよりも饒舌だった。
須藤は三杯目の生ビールを飲みながら、呟くようにこう言った。
「きみ、結構いける口だな」
「……そうですか?普通ですよ」
さっき来たばかりの日本酒をお猪口に注ぎながら、優人はそう答えた。
――酒に強いのは、きっと生まれも関係あるかもしれない。
ただ、それは今言う必要はないと思えた。
優人は酒を口の中で味わいながら須藤に言う。
「……これ、美味しいですね」
「そうなのか?少し貰おうか」
余分に貰っておいたお猪口に注ぐと、彼は軽くそれを掲げたあとで口に含んだ。
「……確かに、水のようにさらりとして、軽やかな飲み口だ。うん、美味いな。……それにしても日本酒がわかるだなんて、君は若者っぽくないな」
「そうですか?」
「……ああ。あまり飲みすぎないように」
「わかってますよ」
その静かなやり取りの間も、目が合うことはなかった。あのダーツバーでの一件以来優人は意識的に須藤を見てはいたものの、彼がこちらに視線を向けてくれることはなかったのだ。
ただ、別にそれでもよかった。今ふたりの間に流れるこの時間だけで優人はもう満足だった。
喧騒の中で自分たちの座るこのテーブルの周りだけ、ゆったりとした時間が流れている気がした。
――なんて幸せなんだろう。
酔いが回ってきたのだろうか。朗らかで心地よいこの時間は、今まで参加したどの飲み会よりもずっと居心地がよく感じられた。
優人は空になった自分のお猪口に、手酌で酒を注いだ。それを見ていた須藤は笑いながら言う。
「きみ……わかってないな」
「あはは。わかってますって」
そのやり取りの数分後のことだった。そろそろお開きというアナウンスがあり、周囲がざわめき始めたことに気付いた。
思わず優人が耳を澄ますと、どうやら二次会へ行くらしい。
――……二次会か。
先日の同級生たちとの会といい、これまでなら二次会は真っ先に断るものだった。自分は一次会に出て役目を終えたからもう参加しない――それが優人のモットーだった。
なのに今の優人の胸には、そんなこれまで感じていた嫌悪感とは異なる何かがあった。
それは期待だろうか、それとも――。
優人は思わずその感情に突き動かされるように立ち上がると、数分前に席を立った須藤を追って部屋の外へ出た。
襖を隔て喧騒の小さくなった板張りの廊下を進むと、ちょうど前から帰ってきた須藤と鉢合わせた。
「……あれ、中谷くん――」
「あの……!」
「ん?」
そして何故か須藤と目が合った。だから優人がそれに気付いたときには、すでに口は勝手に開いていた。
「須藤さん……その……二次会行きませんか?」
自分が何故そんなことを言ったのか、このときはよくわからなかった。
ただ確実に言えたのは、須藤と飲むこの時間が楽しくて、終わらせたくないというただそれだけだった。
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