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2章 春雷
3 言い分
しおりを挟む「……あれ、中谷君、どうしたの?」
優人が部屋の中に入ると、室島はパソコンモニターの陰からひょっこりと顔を出して言った。
「すみません、教授。今少しお時間ありますか?」
「いいよ。なになに、何の話?……はいこれ、食べていいよ。椅子はそこの下にあるの使って」
「はい」
室島に言われるがまま、部屋の中央に置かれた机の下から椅子を引き出して腰掛ける。受け取った籠に入ったお菓子に感謝をしつつも、手を伸ばさずにテーブルに置くと単刀直入に言った。
「……あの、俺の研究テーマのことなんですけど」
すると室島はパソコンの前からテーブルの前に向かい合うように移動して言った。
「おお、中谷くんのテーマの話ね……それで?」
「……俺のやりたかったことと、ちょっと違うなーと思っていて」
すると室島はふーむと軽く唸ったあとで微笑んだ。
「なるほど。君がここに来た理由がなんとなくわかった気がする」
まさかそうすんなり言ってくれると思っていなかったので、優人は嬉しくなった。しかし彼の口から告げられたのは、ただの現実だった。
「――だけど、中谷くんさ、君、院行かないでしょ?」
院。それが大学院を指していることはすぐにわかった。
「まあ……そうですけど」
「うんうん。うちの学科ってさ、院進が八割、残りの数少ない二割が学士で卒業なわけ。僕が何を言いたいかそろそろわかったかな?……まあ、つまるところ君たちは、一年で卒業してしまうってことだ。それを把握した上で結果の出にくい難しいテーマを与えることは、教育者としてどう思う?」
「それは……」
「……じゃあ、もしそれで結果が出なかったとして、できませんでしたって卒論書くつもり?僕以外、誰も責任が取れないよね。もし仮に君が卒業できたとしても、研究室単体で見た場合はどうだろう。ちょーっと評判悪くない?」
「…………」
確かに、そう言われれば室島の言う通りだと思えた。
すぐにやめるとわかっている人間と、そうでない人間。その彼らに作業を効率的に分配し最適化するのは、組織として当たり前のことだ。
辞める人間に尽くしたところで何にもならない。だから無理をさせるくらいだったら、比較的結果の出やすいテーマで就活と両立させたほうがいい、そういう考えなのだろう。
――同じ状況に置かれたら、俺だってきっとそうする。
ただ、それを肯定してしまえば、自分はこれから一年間このテーマに取り組み、誰からも何も言われず、忘れられたようにすごすことになるのだ。優人がそう思い、沈黙していたときだった。
不意に扉からノックの音が響き、それはゆっくりと開いた。
「……失礼します」
「あ、須藤くん」
部屋に入ってきたのは、室島ゼミに所属する助教授の須藤だった。
「取り込み中でしたか?すみません」
ぼそりと言って立ち去ろうとしたときだった。なぜか室島が嬉々として彼にこう言った。
「そうだ!須藤くん、君いいところに来たね」
「はい……?」
「ねえねえ中谷くん、きみ、須藤くんに見て貰いなよ」
「ええっ!?それはちょっと…………」
優人が思わずそう言ってしまうのもしょうがなかった。
この男――須藤静河は、このゼミの中で長である室島以上に恐れられる存在なのだ。
まずその理由の一つが彼の見た目だ。
長く伸びてぼさぼさの髪はそのまま放ったらかされていて、前髪も長く表情がよく見えない。助教授として常に大学にいる職だけれど、社会人としてありえないと優人は思っていた。
また猫背で声も小さいので、疲れて無愛想な研究員そのものだ。そもそも優人が始めて室島ゼミに来た時、初対面で挨拶を無視されたことがあり、印象は悪かった。
――ただそれだけなら、こんなに怖がられないだろう。
須藤が恐ろしい存在に早変わりするのは、ゼミの発表のときだ。
まだ優人は自分の発表のときに須藤がいたことがなかった。ただ彼が質疑応答のときに、発表者の心臓を一突きするような鋭い質問を飛ばしていたのは目撃していた。
『……それって、その解釈で本当にあってると思う?』
発表者だって時間のない中で発表をまとめ、不安ながらやっているのだ。そんな質疑応答の中で須藤が手を上げると、場が凍り付くという訳だ。
そのようなみんなから嫌われる存在で、人間性に問題ありの人物が須藤静河だ。だからすぐに断られて終わり――優人はそう思っていたのに。
「……まあ、先生がおっしゃるのであれば」
須藤はなぜかそう淡々と受け入れてしまったので、優人も思わず言ってしまった。
「え…………まじですか」
「うんうん、まじまじ。須藤くんの手にかかれば、きっと君のテーマもぱっと花開くと思うよ。こう見えて俺より凄いんだから」
「……え、それはどういう――」
その問いにふたりが答えることはなかった。
「じゃ、中谷くんはそういうことでよろしく」
室島にそう言われ、部屋から締め出されて終わりだった。
「…………まじか」
学生の少なくなった研究室で、優人はひとり呟くことしかできなかった。
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