【完結】まほろばに鳥はもう来ない

上杉

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3章 新緑

4 一晩すごせる場所

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 結局、須藤がむくりと頭を起こしたのは、完全に終電がすぎたあとのことだった。

 須藤は突然もたれていた身体をぱっと離すと、マスターを呼び勘定をして、ひらりと外へ出て行った。
 その速さに呆気にとられながらも、優人も急いでそのあとを追い、店を出た。
 酔いがすっかり覚めたのだろうか。夜の街を行く須藤の足取りはしっかりとしており、それは駅へと向かっているように思えた。
 ただもう電車は終わっているので、優人は後ろから声をかける。

「須藤さん。終電もう終わっちゃってます」

「…………そうか」

 そう言って須藤は足を止めたので、追いついた優人はちらりと彼の顔を見た。須藤はどこか虚ろな目で、ぼんやりと空を見上げていた。

 ――前言撤回。まだ酔いは覚めていないみたいだ。

 とりあえずどこかへ行かないようにと須藤のジャケットの裾を掴み、立ち止まって優人は考え始めた。

 ――酔っ払いのこの人を連れてどうしようか。

 まず思い浮かんだのは、自分のアパートだった。しかし電車で二十分かかるそこに、酔っ払いを連れて歩いていこうなんて思えなかった。
 もちろん須藤がどこに住んでいるのかもわからなかったし、彼を家に返すのは無理だった。本人は未だ意識を失っているようなものだ。この状態でタクシーを呼んだとしても、無事案内をして家に辿り着けるとは限らない。

 ――俺も……かなり酒が回ってきているし。

 急いで須藤を追いかけたからだろうか。響くような鈍い痛みを頭に感じていると、須藤がまた勝手にどこかへ行こうと動き始めた。

「――須藤さん。勝手に変なところに行かないでください」

「……ははは。中谷君、きみ、いたんだね」

 能天気に、どこか幸せそうな笑みを浮かべる須藤をまじまじと見ながら、優人は呆れるようにため息をついた。

「……いますよ。酔っ払いを放って置けませんから」

「きみも酔っ払いじゃないか」

「……須藤さんよりはマシですよ」

 酩酊状態の須藤と比べれば、思考はクリアで明らかにまともだった。

 ――次に研究室で会ったとき、この人は一体どんな反応をするんだろう。

 ふとそう思い、優人は想像する。
 意外とお茶目なこの人のことだ。きっと呆れたようにため息を付いたあとで『……どこか行きたい店ある?』と言って、口封じとばかりになにか奢ってくれるだろう。

 ――そうすれば、またこうして一緒にすごせるかもしれない。

 証拠写真でも撮っておこうか、そう思い優人がスマホを出そうとしたときだった。
 隣りの須藤の身体が突然傾いたので、思わず彼の腕を掴み腰を支える。

「おっとっと」

「――大丈夫ですか?」

 気付けばまた彼の身体に触れてしまっていた。
 須藤が少しも嫌がらずに、むしろ身体を預けてくるからだろうか。それとも誰かに触れるのが久しぶりだからだろうか。
 人に触れられるのが嫌いなはずなのに、須藤には躊躇なく触れてしまうのだ。
 彼の温もりを感じながら優人は思った。

 ――きっと酒が回っているからだ。

 そんな中須藤はというと、腕の中でぽつりと言った。

「ごめん。……何だか、眠たくなってきた」

 そうしてまた優人に全体重を預けてきたので、本格的に肩を組み支えることにする。

 ――もう、この人は。

 実は素は意外と天然なのかもしれない――そう思いながらも、横になれる場所を急いで探さないといけなくなった優人は、須藤を引き連れ人通りの少なくなった繁華街を歩き始めた。
 そしてきょろきょろと歩いた結果、運良くビルとビルの隙間にひっそりと佇む簡素なビジネスホテルを見つけ、須藤に声をかける。

「とりあえず、ここ入りましょう」

 須藤からは何の返答もなかったので、優人はひとまずここを今晩の寝床に決めたのだった。


 空いていると言われ案内されたツインの部屋は、簡素なものだった。
 二つのベッドとテレビ、シャワールーム、小さな浴槽そしてお手洗いという、最低限のものだけ。そのありふれた光景を前に、優人はなぜか自分が緊張していることに気付いた。
 この狭い個室に二人きりだからだろうか。それとも誰かとこうして空間を共有することが久しぶりだからだろうか。

 ――男同士なのに。

 そう思いながら、今も肩を組み自分に身体を預ける須藤に一応声を掛ける。

「須藤さん、シャワー浴びますか?」

「ん……」

「須藤さん?」

「ん……」

 そうして顔を覗けば、須藤はもう穏やかに目を閉じていた。優人は諦めて寝かせることにし、ツインベッドの奥へと彼を引きずり、重たい身体を優しく横たえようとした。
 そのときだった――。
 
「……えっ」

 何故か須藤にそのまま腕を引かれ、気付いたときには同じベッドに横たわっていた。しかも正面からぐいと身体を引き寄せられ、まるで須藤に抱きしめられるように。
 その仕草に優人は驚きのあまり固まってしまった。

 ――これは……どういうことだろう。

 そうしていても状況は変わらなかった。
 胸に顔を埋め、すっぽりと腕の中に収まる須藤の姿を眺めながら、次第に冷静さを取り戻した優人は不意に思った。

 ――まるで……うちの犬みたいだ。

 強そうな見た目とは裏腹に寂しがり屋で、帰省したときはいつも飛びついて出迎えてくれる実家の愛犬レオ。
 寝るときはいつも一緒で、背中を優しく撫でてあげるとすうすうと寝息を立てるのだ。

 ――でも須藤さんが犬みたいだなんて……俺もかなり酔っぱらっているな。

 そう思いながらも、手は無意識に須藤の背中をさすりはじめていた。次第に腕の中から、小さな寝息が聞こえはじめた。

「あ…………寝た」

 他人の腕の中でまるで無防備に眠る姿を見ながら、こんな人間味のあるところもあるんだなと優人は思った。そんな中で、ちらりと彼の首元が目に入り優人は思う。

「そういえば……苦しくないのか、これ」

 須藤はジャケットを着たままで、その下のシャツの首元も緩めていなかった。
 優人はその身体をゆっくりと起こし、優しく上着を脱がしていく。そして首元のボタンをひとつ、もうひとつと外したときだった。

「………………えっ」

 襟元からわずかに見えたのは、白い首筋とその上で毒々しい色を放つ痣だった。
 思わず目で追いかけてしまい、それがひとつではないことに気付く。須藤の鎖骨から続く胸元には、赤黒い無数の点が散っているように見えた。その中には新しくできたものだけでなく、黄色みがかった治りかけのものも――。

 優人は再び須藤を横たえ、寒くないようにと毛布をかけた。そしてもうひとつのベッドに腰かけ、穏やかに寝息を立てる須藤の寝顔を眺めながら思った。
 この人は、一体この身に何を抱えているのだろう、と。

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