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4章 梅雨
1 残像
しおりを挟む須藤とビジネスホテルに一泊したその翌日。
優人が目覚めると、目の前にはシャワーを浴びてさっぱりした姿の須藤がいた。
上気して顔は赤いもののすでに服を身に着けており、そのあまりにいつもどおりの様子に、昨日の姿は夢だったのかと優人は思う。
須藤はこちらに気がつくと、頭を下げ淡々と謝った。
「すまなかった。昨日はきみにかなり迷惑をかけたらしい」
「あ……全然、大丈夫です。そもそも二次会誘ったの、俺ですし」
「……そうか。まあ、いいだろう」
その後も別に何事もなくチェックアウトして、ふたりで駅まで向かい別れたのだった。
以来、あの夜のことがなかったように、須藤は平常運転だった。
声はいつものように淡々と無駄なく言葉を奏でたし、眼差しも感情がすっかり消え失せて、冷静沈着そのものだった。
まるであの姿がまぼろしのように、すっかり頼れる指導教官に戻っていた。
ただあの日以来、ひとつだけ変わったことがあった。須藤から飲みに誘われるようになったのだ。
何故かは優人にはわからない。酒が強く、いくらでも付き合えることがわかったからだろうか。それとも、あの日に醜態をすべて曝け出したからもういいと思ったのだろうか。
須藤はこちらの実験が終わったあとを見計らって、声をかけてくるようになった。
「……お疲れさま」
「お疲れ様です。須藤さん、もう帰りですか?」
「ああ。本文のかたがついたんだ」
「……そうなんですね」
これまでなら、須藤はお疲れ様さまと言ったあと、すぐに姿を消しているはずだった。なのに最近の彼はこうして、何かを待っているような様子を見せるようになった。
察した優人は思わずこう声をかけてしまう。
「須藤さん、飲みに行きませんか?」
すると須藤はふっと顔を緩ませて――。
「ああ、今日なら構わない」
そうしてふたりで飲みに行くのが、定番の流れになっていた。
大抵、場所は駅裏にある美味しい日本酒のある小料理屋だったり、スペインワインと料理を楽しめる陽気なエスニックバーだった。
料理と酒の味の組み合わせを楽しめるところで、基本は食べて飲んで帰るだけ。
だから須藤はあのときのようになるまで、飲むことはなかった。
同時にあの日のことを口に出さなかったので、やはりあれは見せたくない姿だったのかもしれないと優人は思う。
――それなら、見ていないふりをするのが一番だ。
そう思えるのは、実際自分がそうだったからだった。
とある日のこと。ワインが有名なトラットリアに行ったときのことだった。
コース料理のひとつひとつにワインがついてくるワインペアリングの最中、グラスワインの白を楽しむ優人を見ながら須藤は言った。
「……それにしても、強いな。もう六杯目なのに、同じのいくのか」
「いやー、この魚料理に合いすぎですって。もう一杯飲んでおかないと勿体ないですよ!」
そうして口元にグラスを持ってくる最中、須藤は微笑みながら忠告する。
「……ワインは意外とあとでくるぞ。気を付けておいたほうがいい」
「はは、酒造の子なんで、まだまだいけますよ」
そこでようやく優人は自分が調子に乗ってしまったことに気付いた。
――あ、やばい。
優人は焦った。最近ようやく須藤から穏やかな視線が向けられるようになったのに。
まるでこれまで会った人たちのように、御曹司だと知った瞬間、媚びや憐れみのこもったものに変わってしまうのだろうか――。
けれど、須藤は納得したように頷いてなるほどなと言っただけだった。
それが優人にとってどれだけ嬉しいことだっただろう。
そうして明らかになったのは、須藤静河が自分を酒造の跡継ぎとして見ることはないということだった。同時に彼は自分を「中谷優人」というひとりの人間として見てくれていると思えて、優人は嬉しくなった。
またこれこそがこの人と一緒にいると心地よくて、自然体でいられる理由だと思えた。
この人の隣りにいれば、自分は自分のままでよいい。親の言う理想の中谷優人ではなく、自分の好きな自分でいていいのだから。
だからこそ一緒にすごす時間はますます増えていった。しかし同時に思い出すようになったのは、あの痣のことだった。
須藤の白い身体の上で、禍々しい色を放っていた痛みの痕跡。高校時代、剣道部でしごかれた優人には、あれが暴力のあとだということはわかりきっていた。
――あの痣の理由を聞きたい。
そう思うも、直接聞けるほど優人は心が強くなかった。
あのバーでの失言もあった上、今回の件はそれ以上にこみいった話のように思えたのだ。
またあの日の出来事がまばろしだったかのように、記憶から薄れていたのも事実だった。映像は鮮明に優人の記憶に残っていた。しかしあの日の自分は酔っぱらっており、今こうして一緒にすごす須藤があまりに普通だったから。
――自分はあの日の残像を追いかけているのかもしれない。
そうして優人の疑問が大きく膨らんでいく中で、転機があった。
季節は梅雨を迎えいよいよ蒸し暑くなり、周りのほとんどが半袖に変わり始めた頃。須藤だけは変わらずに白衣の下にタートルネックの長袖を着ていたのだった。
肌を一切露出しないその姿はあまりにも異質で、あの日この目で見たものはきっとまぼろしではない――そう優人は確信した。
しかしその事実を自分から確認する勇気は出ずに、今も悶々とした毎日は続いていたのだった。
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