【完結】まほろばに鳥はもう来ない

上杉

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5章 孟夏

2 まるで、これは

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 ワイナリーは開けた丘の上にあった。
 湖がよく見渡せる日が当たる斜面には、ぶどうの木が無数に列を作り、背丈ほどもないその木々には、鈴なりになったぶどうの房がぶら下がっていた。
 着いたのがちょうど昼時ということもあって、ふたりはワイナリーに併設されたレストランで昼食を取ることにした。
 近場で採れた野菜や、同じ高台にある牧場の乳製品を使っているらしい。そんなパスタランチに合うグラスワインをそれぞれ注文し、味を試してみた。すると――。

「須藤さん、これ……」

「ああ。なかなかいけるな。ボトルの価格も手頃だし、夜用に買って楽しもうか」

 そういう訳で訪れてすぐにも関わらず、夜の宴会用の一本は決まったのだった。

 ワイナリー内は、夏休みであるものの客は老夫婦が数組とまばらだった。シャトルバスに乗っていた客は、みな近隣の観光牧場や農園に向かったのだろう。
 ショップ内を歩き、面白いものがないかと優人が棚を眺めていたときだった。須藤が珍しくつかつかと歩いてきたと思えば、こんなことを言ったのだった。

「中谷君、きみ暑いの大丈夫だろう?」

「え、まあ……これくらいなら俺は全然大丈夫ですけど」

「……こんなの見つけたんだ」

 差し出されたチラシに書いてあったのは、無料の一時間で行われるワイナリーツアーの案内だった。須藤が楽しそうにしているのがわかったので、優人はもちろん首を縦に振ることにした。
 そうしてショップのカウンターで申し込み、老夫婦と買い付けに来ている業者の数名に混ざってふたりはツアーに参加することになったのだった。

 相変わらず外は暑かった。ただ高台にいるからか風があり、いつもよりはましに思えた。
 そのツアーは、木が列になって並ぶ緑の畝のあいだを、ガイドのスタッフに連れられて説明を聞くというものだった。
 皆熱心に質問をしているように思えた。ただ、その声は一番後ろを歩いていた優人の耳には入らなかった。
 彼がそれよりも心を奪われていたのは、目の前に広がる非現実的な光景だった。
 夏の青い空と緑のぶどうの木が、真夏の鮮烈な日差しに輝いていて。
 その緑の壁の間を、満足そうに歩く須藤の姿があって――。
 ほかに誰もいない、そんなふたりだけの世界は、まるでデートをしているかのようだった。

 ワインを調達してシャトルバスに乗り込むと、着いたときにはもうすっかり集合時間だった。
 旅館に向かうと、皆だらだらと集まり始めたちょうどいい頃合いだった。来た人たちから夜の飲み会の準備をしていたので、優人も急ぐ。
 助教である須藤は、今晩自分の部屋があるとのことでそちらに向かった。優人も四年の男子が与えられた部屋に荷物を置いたあと、準備に取りかかったのだった。
 すでにそこには準備に取り掛かる学生数人がいて、その中には濡れた髪をし、どこか疲弊した顔の三隅がいた。

「……お疲れ、疲れた顔してるな」

「おう、優人、おかえり!結構さ、川下りがハードで大変だったんだよ。そもそもあれは川下りっていうより、ラフティングだったなー」

 確かにここらへんの地形は入り組んでいて急勾配だった。ゆったりとした川を楽しく下ると思っていたのなら、絶対に想像とは違うものになっただろう。

「それはお疲れ」

「なあ、優人は結局どこ行ってたんだ?荒浜がお前は参加しなかったんだー残念って、寂しそうにしてたぞ」

 須藤の言葉で、そういえばと優人は思い出す。
 数週間前、同期の女子の荒浜に、川下りがどうとかと聞かれていたのだった。ただそんなことはすでに記憶の彼方に消え去っていた。

「……ああ、そうなんだ。俺は高台のワイナリー見学に行ってたんだ」

 すると三隅は感心したように頷いた。

「はー、そういうところ、優人はさすがだよな。よっ酒造の御曹司!……ちなみに誰と?」

「ああ――」

 須藤さんと――そう言う前に、三隅はぼそりと言った。

「まさか須藤さんと?」

「……そうだけど」

 すると三隅は小さくため息を付きながら、耳打ちをするように小声で言った。

「……なあ、そんなに優人が気を遣わなくてもいいんじゃないの?優人、最近須藤さんの荷物持ちっていうかさ、もう部下みたいじゃん」

 周りからそう見えているんだ――優人はそう思いながら口を開いた。

「別に気を遣ってるわけじゃないから。俺が楽だからそうしてるだけ」

「……まあ、それならいいんだけどさ。実際優人、見ててノーストレスそうだし」

「だろ?だからみんなウィンウィン、最高じゃないか」

 準備に戻りつまみをテーブルに分けながら、優人は周りからそういう風に思われてるのかと思い、そして吹っ切れた。

 ――まあいい。これまでもそうだったじゃないか。

 誰に何を思われようが、別にどうでもよかった。
 なぜならこれまでの同級生達との関係のように、どう思われようが、自分にはまるで関係のないことだったから。

 皆が会場に集まり、いよいよ夜の宴会は始まった。
 最初に室島から乾杯の音頭があって、そのあとはいつも通りもうめちゃくちゃだった。
 学年関係なく賑やかに人が入り乱れるのを前に、室島研らしいなと優人は思った。
 そんな彼も変わらずに、会場の端の方で須藤とふたりだった。

「お疲れ」

「お疲れさまです」

 そう言って先ほど購入したばかりの白ワインを開け、ふたりは口にした。
 グラスは会場に用意された紙コップだった。しかしワインのふくよかな香りはしっかりと立ち上がり、若さ特有の酸味があって爽やかな美味しさだった。
 つまみはワイナリーの隣りの観光牧場で作られたというチーズや生ハムだった。
 学生の宴会では絶対に得られないその味の良さに、優人は思わず言う。

「……うん、この酸味と塩味がよく合いますね」

「あそこはフルコースのワインペアリングができるオーベルジュもあるらしい。だからおすすめに従って正解だったな」

 聞き慣れない単語に優人は思わず聞く。

「……オーベルジュって何ですか?」

「ああ、いわゆる泊まれるレストランだな。美食を楽しめてしかも泊まれる、ペンションみたいなものだよ」

「へー、そんなところがあるんですね」

 そのオーベルジュという聞き慣れない場所では、ふたりで美味しいものを食べて、それに合うとっておきの一杯に酔いしれて。そしてその余韻に浸りながら泊まれるらしい。
 優人の視線は無意識に隣りへと向かった。
 そこには少し日に焼けたのか、赤い顔をして穏やかに酒を飲む須藤の姿があった。

 ――まずい。

 突然始まった邪な妄想に、優人は恥ずかしくなった。そしてたまらずに手のワインをあおる。
 そうして気付いたときには、須藤の骨ばった手が自分の手首を掴んでいた。

「……中谷君、今日ペース早くないか?とりあえずそれくらいにしておけ」

 心配そうな顔をする須藤の手は、ひやりと冷たく気持ちよかった。
 思わずそれに頬ずりしたい衝動に駆られるも、その気持ちを抑えて口を開く。

「……すみません。でも、これだけ美味しかったら止まりませんよ」

「それは分かるが、四年は片付けもあるんだろう?」

 そう言って、優人の目の前にあった白ワインの緑色の瓶を取り上げてしまった。

「そんなー」

 思わず手を伸ばすと、須藤の身体が近付いた。

「……駄目だって」

 そうしてワインを巡る攻防が突然始まった。まるでじゃれ合うように笑いながら取っ組み合いをする中で、不意に漂ったのは須藤の匂いだった。
 一日中炎天下を歩き回ったからだろうか。須藤の汗の匂いが鼻に届いて、優人の胸はざわめいた。
 まるで一度味わったものが蘇るように、悪魔が脳の中でこう囁いた。

 ――このまま……酔っ払ったふりをしようか。

 そうして介抱されるふりして須藤にされたように自分もすれば、もっと近づける。
 触れ合って、抱き締めて。
 しかも泊まりの今日ならば、確実に一晩一緒にいられるだろう。

 優人は未だ正気を保ったままの自分が、酷く腹立たしかった。
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