【完結】まほろばに鳥はもう来ない

上杉

文字の大きさ
22 / 47
5章 孟夏

3 宴会のあと

しおりを挟む

 深夜、ゼミ長の先輩から一言挨拶があって、宴会はお開きになった。以降は各々自由時間らしい。
 一番の下っ端である四年生一同は、このタイミングでゴミをまとめたり片付けを始めた。しかし、この場所自体はチェックアウトまでに片付けておけばいいとのことだった。
 眠いと言って部屋に戻って寝る人もいれば、この場で飲み続けようとしている先輩もいた。もちろん、酔い潰れてそのまま寝ている人も。
 一方女性陣たちはというと、気付いたときには皆すっかり姿を消していた。この宿は露天風呂がすごいらしいからきっとそれだ、と三隅が悲しそうに笑っていた。

 だから片付けに疲れた四年たちが部屋に戻ると同時に、優人も一緒に布団に入ろうとしたのだが――。

 ――まじか。

 四年男子の部屋は、いびきに歯ぎしりにとても眠れる状況ではなかった。
 おそらく昼のラフティングや宴会の片付けで皆疲れていたのだろう。自分以外は皆参加していたはずだから、この状況でもこうして爆睡できるのだ。

 ――どうしよう……寝れない。

 そう思いむくりと起き上がった優人の頭に、不意に思い浮かんだのは、噂の露天風呂だった。
 この場所で無駄に時間をすごすよりは絶対にいい――そう思った優人はすぐさまバスタオルを手に、こそこそと部屋を出たのだった。

 露天風呂は、控えめに言って最高だった。
 夜の風が木々を揺らすざわめきと、川のせせらぎが静かに響くなか。優人はひとり夜空を見上げながら大きく息を吐いた。

「ふう……」

 大自然の開放的な空間の中で温かな湯に浸かることは、何とも比べがたい幸せがあると優人は思った。
 それをこんなにも享受できるのは、きっと今ひとりだけだからだろう。遅い時間だからか、男性側の大浴場には自分以外誰もいなかった。
 優人は温泉の縁に両腕を掛け、身体の力を抜いて全身を湯の中に浮かせた。そうして穏やかな温もりに包まれてリラックスしていると、ぼんやりと頭に思い浮かんだのは昼の光景だった。

 ――今日は……夢みたいな一日だった。

 あれはほんの数時間前のことだった。
 バスに乗って丘をのぼり、ワイナリーでお洒落なランチを食べて。そして太陽の下で、まるでふたりきりで出歩いているような錯覚を覚えた。
 旅行先だからなのだろうか、いつものささやかな幸せとは違う、非現実的で特別な何かで心が満たされた気がした。
 
 ――この関係性を今後も続けられれば、これからもこうして楽しい毎日を過ごせるはず。

 優人は夜空を見上げながらそう思った。まるで自分に言い聞かせるかのように。
 何故ならいま、胸は幸せで満たされているはずなのに、奥底に鈍い痛みを感じていたのだから。
 
 ――俺は……これ以上を望んではいけない。

 これで十分。もう満足だ。
 そう思えたなら、どれだけいいだろう。
 須藤への思いや欲望は、優人の中でどんどん大きくなっている自覚があった。

 ――あの人は男で、結婚していて子どももいる。

 なのにそれでも触れたくて触れたくて、たまらなかった。
 さっきも隣りで須藤の濃い汗の匂いを嗅いだとき、ざわめきとともに腰に走ったのは、ひときわ強い雄の衝動だった。
 それは自分の身体があの人の男の身体を求めてるという証拠であるとともに、この欲望はなんとしても隠さのければならないものだと思えた。

「ああ…………のぼせた」

 優人は顔をお湯でぱしゃりと洗ってから、のそりと湯船から立ち上がった。そうしていまだ静かな大浴場へと戻り、身体を軽く拭いて脱衣場へ向かった。
 ゆっくり浸かったことだし、皆そろそろ静かになっているだろう――優人がそう思いしながら、扉を開けたときだった。
 脱衣場の眩い蛍光灯の下でぱっと目に入ったのは、白い裸体に無数の赤を散りばめた後ろ姿だった。

「………………え」

 なぜ自分は声を出してしまったのだろう。
 男がぱっと振り返った瞬間、優人は酷く後悔した。

「中谷……くん……」

 そこにいたのは、下着一枚身に着けただけの須藤だった。
 優人の目は無論彼のむき出しの全身へと向かった。何故なら首や胸元だけだと思っていた痣は、背中にも足にも痛々しく色を残していたのだから――。
 だから優人は目を逸らすことができなかった。そうして気付いたときには須藤の顔は感情を失ったように青白くなっていて、バスタオルで身体を隠し小さくしゃがみこむと、ぶるぶると震え始めた。
 優人はその姿を前に、言葉ひとつかけられなかった。
 須藤は俯くと、ひとり呟くように言った。

「…………見られたか」

 その声色は優人が聞いたことのないほど弱々しかった。
 いつもの研究者らしい淡々とした物言いは影を潜め、まるですべてを失ったかのような様子に、優人は必死に声を掛ける。

「須藤、さん……」

 そうしてゆっくりと歩み寄って、優人はさらに驚いた。
 ちらりと見えた須藤の白い頬に、一筋の涙が伝っていたのだから。
 咄嗟に優人は叫んだ。

「ごめんなさい……!」

 すると須藤は嘲るように言った。

「……何故、君が謝るんだ」

「いや、だって……」

 ――まさか泣いてるなんて思いもしなかった。

 それだけ須藤にとって見られることはショックだということだ。
 だから一体どうやって声をかけようか、優人が悩み始めたときだった。
 脱衣場の扉の外から聞こえはじめたのは、かすかな足音だった。

 ――まずい。

 俺に対してでさえこうなのに、研究室の誰かにでも見られたら――そう思い、優人は声を荒らげて言う。

「須藤さん、急いで浴衣着てください!」

「…………え?」

 すっかり思考を止めてしまったのだろうか。もたつく須藤に浴衣を羽織らせ、優人もすぐさま同じようにまとい、頭にバスタオルを被った。

 賑やかな青年たちが入ってきたのはその直後のことだった。賑やかな声と口調から、室島研の修士一年の先輩であることがわかった。
 眠いだの貸し切りだのと大浴場を前にはしゃぐ彼らを前に、ふたりはタオルを被ったまま急いで脇を通りすぎた。
 もちろん、優人はぎこちない動きをする須藤の腕を引きながら。
 これからどうしようかと必死に考えながら――。

しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

番を拒み続けるΩと、執着を隠しきれないαが同じ学園で再会したら逃げ場がなくなった話 ――優等生αの過保護な束縛は恋か支配か

雪兎
BL
第二性が存在する世界。 Ωであることを隠し、平穏な学園生活を送ろうと決めていた転校生・湊。 しかし入学初日、彼の前に現れたのは―― 幼い頃に「番になろう」と言ってきた幼馴染のα・蓮だった。 成績優秀、容姿端麗、生徒から絶大な信頼を集める完璧なα。 だが湊だけが知っている。 彼が異常なほど執着深いことを。 「大丈夫、全部管理してあげる」 「君が困らないようにしてるだけだよ」 座席、時間割、交友関係、体調管理。 いつの間にか整えられていく環境。 逃げ場のない距離。 番を拒みたいΩと、手放す気のないα。 これは保護か、それとも束縛か。 閉じた学園の中で、二人の関係は静かに歪み始める――。

経理部の美人チーフは、イケメン新人営業に口説かれています――「凛さん、俺だけに甘くないですか?」年下の猛攻にツンデレ先輩が陥落寸前!

中岡 始
BL
社内一の“整いすぎた男”、阿波座凛(あわざりん)は経理部のチーフ。 無表情・無駄のない所作・隙のない資料―― 完璧主義で知られる凛に、誰もが一歩距離を置いている。 けれど、新卒営業の谷町光だけは違った。 イケメン・人懐こい・書類はギリギリ不備、でも笑顔は無敵。 毎日のように経費精算の修正を理由に現れる彼は、 凛にだけ距離感がおかしい――そしてやたら甘い。 「また会えて嬉しいです。…書類ミスった甲斐ありました」 戸惑う凛をよそに、光の“攻略”は着実に進行中。 けれど凛は、自分だけに見せる光の視線に、 どこか“計算”を感じ始めていて……? 狙って懐くイケメン新人営業×こじらせツンデレ美人経理チーフ 業務上のやりとりから始まる、じわじわ甘くてときどき切ない“再計算不能”なオフィスラブ!

貧乏Ωが御曹司αの将来のために逃げた話。

ミカン
BL
オメガバース

氷の婚約者様に破談を申し出たら号泣された

楽矢
BL
目が覚めると、レースの牢獄のような天蓋付きベッドの上だった。 何も覚えていない出来損ない下級貴族ミラ。無能だクズだと冷酷な罵詈雑言を浴びせてくる氷の騎士セティアス。 記憶喪失から始まる、2人のファンタジー貴族ラブコメディ。 ---------- ※注) かっこいい攻はいません。 タイトル通りそのうち号泣しますのでご注意! 貴族描写は緩い目で雰囲気だけお読みいただけると幸いです。 ハッピーエンドです。 激重感情をこじらせた攻→受な関係がお好きな同志の方、どうぞよろしくお願いします! 全16話 完結済み/現在毎日更新予定 他サイトにも同作品を投稿しています。 様子を見ながらそのうち統合するかもしれません。 初めての一次創作でまだよく分かっておらず、何かおかしなことをしでかしていたら申し訳ないです!

冤罪で堕とされた最強騎士、狂信的な男たちに包囲される

マンスーン
BL
​王国最強の聖騎士団長から一転、冤罪で生存率0%の懲罰部隊へと叩き落とされたレオン。 泥にまみれてもなお気高く、圧倒的な強さを振るう彼に、狂った執着を抱く男たちが集結する。

入社1ヶ月のワンコ系男子が、知らずのうちに射止めたのはイケメン社長!?

monteri
BL
CM制作会社の新入社員、藤白純太は入社1ヶ月で教育係の先輩が過労で倒れたため、特別なクライアントの担当を引き継ぐことになる。 そのクライアントは、女子禁制ミーハー厳禁の芸能事務所だった。 主人公の無知で純なところに、翻弄されたり、骨抜きにされるイケメン社長と、何も知らない純太がドキドキするお話です。 ※今回の表紙はAI生成です ※小説家になろうにも公開してます

執着

紅林
BL
聖緋帝国の華族、瀬川凛は引っ込み思案で特に目立つこともない平凡な伯爵家の三男坊。だが、彼の婚約者は違った。帝室の血を引く高貴な公爵家の生まれであり帝国陸軍の将校として目覚しい活躍をしている男だった。

僕たち、結婚することになりました

リリーブルー
BL
俺は、なぜか知らないが、会社の後輩(♂)と結婚することになった! 後輩はモテモテな25歳。 俺は37歳。 笑えるBL。ラブコメディ💛 fujossyの結婚テーマコンテスト応募作です。

処理中です...