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5章 孟夏
3 宴会のあと
しおりを挟む深夜、ゼミ長の先輩から一言挨拶があって、宴会はお開きになった。以降は各々自由時間らしい。
一番の下っ端である四年生一同は、このタイミングでゴミをまとめたり片付けを始めた。しかし、この場所自体はチェックアウトまでに片付けておけばいいとのことだった。
眠いと言って部屋に戻って寝る人もいれば、この場で飲み続けようとしている先輩もいた。もちろん、酔い潰れてそのまま寝ている人も。
一方女性陣たちはというと、気付いたときには皆すっかり姿を消していた。この宿は露天風呂がすごいらしいからきっとそれだ、と三隅が悲しそうに笑っていた。
だから片付けに疲れた四年たちが部屋に戻ると同時に、優人も一緒に布団に入ろうとしたのだが――。
――まじか。
四年男子の部屋は、いびきに歯ぎしりにとても眠れる状況ではなかった。
おそらく昼のラフティングや宴会の片付けで皆疲れていたのだろう。自分以外は皆参加していたはずだから、この状況でもこうして爆睡できるのだ。
――どうしよう……寝れない。
そう思いむくりと起き上がった優人の頭に、不意に思い浮かんだのは、噂の露天風呂だった。
この場所で無駄に時間をすごすよりは絶対にいい――そう思った優人はすぐさまバスタオルを手に、こそこそと部屋を出たのだった。
露天風呂は、控えめに言って最高だった。
夜の風が木々を揺らすざわめきと、川のせせらぎが静かに響くなか。優人はひとり夜空を見上げながら大きく息を吐いた。
「ふう……」
大自然の開放的な空間の中で温かな湯に浸かることは、何とも比べがたい幸せがあると優人は思った。
それをこんなにも享受できるのは、きっと今ひとりだけだからだろう。遅い時間だからか、男性側の大浴場には自分以外誰もいなかった。
優人は温泉の縁に両腕を掛け、身体の力を抜いて全身を湯の中に浮かせた。そうして穏やかな温もりに包まれてリラックスしていると、ぼんやりと頭に思い浮かんだのは昼の光景だった。
――今日は……夢みたいな一日だった。
あれはほんの数時間前のことだった。
バスに乗って丘をのぼり、ワイナリーでお洒落なランチを食べて。そして太陽の下で、まるでふたりきりで出歩いているような錯覚を覚えた。
旅行先だからなのだろうか、いつものささやかな幸せとは違う、非現実的で特別な何かで心が満たされた気がした。
――この関係性を今後も続けられれば、これからもこうして楽しい毎日を過ごせるはず。
優人は夜空を見上げながらそう思った。まるで自分に言い聞かせるかのように。
何故ならいま、胸は幸せで満たされているはずなのに、奥底に鈍い痛みを感じていたのだから。
――俺は……これ以上を望んではいけない。
これで十分。もう満足だ。
そう思えたなら、どれだけいいだろう。
須藤への思いや欲望は、優人の中でどんどん大きくなっている自覚があった。
――あの人は男で、結婚していて子どももいる。
なのにそれでも触れたくて触れたくて、たまらなかった。
さっきも隣りで須藤の濃い汗の匂いを嗅いだとき、ざわめきとともに腰に走ったのは、ひときわ強い雄の衝動だった。
それは自分の身体があの人の男の身体を求めてるという証拠であるとともに、この欲望はなんとしても隠さのければならないものだと思えた。
「ああ…………のぼせた」
優人は顔をお湯でぱしゃりと洗ってから、のそりと湯船から立ち上がった。そうしていまだ静かな大浴場へと戻り、身体を軽く拭いて脱衣場へ向かった。
ゆっくり浸かったことだし、皆そろそろ静かになっているだろう――優人がそう思いしながら、扉を開けたときだった。
脱衣場の眩い蛍光灯の下でぱっと目に入ったのは、白い裸体に無数の赤を散りばめた後ろ姿だった。
「………………え」
なぜ自分は声を出してしまったのだろう。
男がぱっと振り返った瞬間、優人は酷く後悔した。
「中谷……くん……」
そこにいたのは、下着一枚身に着けただけの須藤だった。
優人の目は無論彼のむき出しの全身へと向かった。何故なら首や胸元だけだと思っていた痣は、背中にも足にも痛々しく色を残していたのだから――。
だから優人は目を逸らすことができなかった。そうして気付いたときには須藤の顔は感情を失ったように青白くなっていて、バスタオルで身体を隠し小さくしゃがみこむと、ぶるぶると震え始めた。
優人はその姿を前に、言葉ひとつかけられなかった。
須藤は俯くと、ひとり呟くように言った。
「…………見られたか」
その声色は優人が聞いたことのないほど弱々しかった。
いつもの研究者らしい淡々とした物言いは影を潜め、まるですべてを失ったかのような様子に、優人は必死に声を掛ける。
「須藤、さん……」
そうしてゆっくりと歩み寄って、優人はさらに驚いた。
ちらりと見えた須藤の白い頬に、一筋の涙が伝っていたのだから。
咄嗟に優人は叫んだ。
「ごめんなさい……!」
すると須藤は嘲るように言った。
「……何故、君が謝るんだ」
「いや、だって……」
――まさか泣いてるなんて思いもしなかった。
それだけ須藤にとって見られることはショックだということだ。
だから一体どうやって声をかけようか、優人が悩み始めたときだった。
脱衣場の扉の外から聞こえはじめたのは、かすかな足音だった。
――まずい。
俺に対してでさえこうなのに、研究室の誰かにでも見られたら――そう思い、優人は声を荒らげて言う。
「須藤さん、急いで浴衣着てください!」
「…………え?」
すっかり思考を止めてしまったのだろうか。もたつく須藤に浴衣を羽織らせ、優人もすぐさま同じようにまとい、頭にバスタオルを被った。
賑やかな青年たちが入ってきたのはその直後のことだった。賑やかな声と口調から、室島研の修士一年の先輩であることがわかった。
眠いだの貸し切りだのと大浴場を前にはしゃぐ彼らを前に、ふたりはタオルを被ったまま急いで脇を通りすぎた。
もちろん、優人はぎこちない動きをする須藤の腕を引きながら。
これからどうしようかと必死に考えながら――。
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