【完結】まほろばに鳥はもう来ない

上杉

文字の大きさ
34 / 47
7章 冬隣

5 光から陰

しおりを挟む

 朝日の眩しさに思わず目を覚ますと、隣りに愛しいひとの姿はなかった。
 代わりに鼻に届いたのは甘いコーヒーの香りと、何かを炒める香ばしい音だった。
 優人は布団の温もりを逃さぬよう、それをまとったまま身体を起こす。

「……ああ、おはよう。お目覚めかい?」

 そう声をかけたのは、廊下から姿を現した須藤だった。
 すでに服を身に付けていて、よく寝たのだろうか肌艶がよく、頬に赤みも差していた。
 まじまじとその姿眺めていると、不意に須藤の顔は不意に迫り、優しく口付けられる。

「おはようございます……須藤さん、それ」

 須藤の手には、すでに盛り付けられたワンプレートの朝食が二皿見えた。

「ああ。昨日鍋の具を買った時に、ある程度準備しておいたんだ。一宿一飯、ぜひ食べてくれ」

 須藤が用意してくれたその朝食は、優人も好きなイングリッシュマフィンとサラダ、小ぶりなオムレツ、そしてコーヒーだった。
 こんがりと焼かれたマフィンにはすでにバターが乗せられており、とろけてよく染みていることが遠目からもわかった。
 またふっくらとしたプレーンオムレツも、焼きめひとつないなめらかな焼き上がりだった。

「……美味そう」

 五感を刺激され、優人は思わずそう呟く。

「僕も一人暮らしが長かったから、この程度なら簡単なんだ。……ああ、バターとかそういうのは冷蔵庫から拝借したぞ。君、意外と料理するんだな」

「はは。最低限ですけどね」

「……さあ、服を着て顔を洗ってくるんだ。早速食べよう」

 そう言われ、急いで準備をして食卓に付く。
 寝起きの頭はようやく完全に目覚めたらしい。須藤の正真正銘の手料理を前に、優人は嬉しくなる。

「いただきます」

 そう手を合わせ、マフィンから口に運んだ。温かなそれはこんがりと綺麗な焼き色が付いていて、断面が手で裂かれているからだろうか。溶けたバターがよく絡んでいて美味しかった。
 またオムレツもサラダも、須藤らしい丁寧な仕事がされているように思えた。
 半熟への火入れは完璧だし、ドレッシングも家にあったオリーブオイルと塩、そしてレモン汁で作ったらしい。シンプルなのによく乳化されていて、サラダによく馴染んでいた。

「……須藤さん、美味しいです」

「それはよかった。作った甲斐があったな」

 そう言って須藤は笑った。
 優人はその美味しさに舌鼓を打ちながらも、口に運びながらふと違和感に気付いた。

 ――きっと、いつもやっていなければできない。

 マフィンも、オムレツも、コーヒーも十分に温かかった。だからあまりにも手際がよすぎる様子に、週末いつも作っているのではと、嫌な思いが浮かんだのだ。

 ――だめだめ。考えるな。

 よく晴れた、いい冬の朝だ。なのに自分から台なしにするのは絶対駄目だろう。
 優人はそう自分に言い聞かせながら、同時に頭に浮かんだ問いを須藤に投げかける。

「須藤さん、その……今日は」

「ああ。午前中いっぱい一緒にいられるよ。一緒に映画でも観ようか」

 須藤はそう笑顔で言った。
 ただこのとき優人は確かに、自分はまだ子どもなのだと気付いた。
 そんな様子を察したのだろうか、須藤はすまなそうに眉を下げて続けた。

「ごめん。君の言いたいこともわかっている」

「……大丈夫ですよ。これネットに繋げてるんで、画面切り替えるだけですぐ観れるようになってます」


 ※※※※


 ふたりですごす休日は穏やかな幸せで満ちていた。
 淹れたコーヒーを飲みながら、須藤のおすすめだという洋画を観る。たたんだ布団をクッション代わりにべったりと横になりながら、ふたりでテレビに視線を向ける。
 須藤はいつも何かを考えながら映画を観ているらしい。たびたび顔を寄せたと思えば、小さな声でこんなふうに言った。

「……これ、端のところで映ってるだろう?後で主人公の謎が明かされるときに、ちゃんと回収されるんだよ」

「ふふっ。なんで今の一瞬で、そんなところまで見てるんですか」

「……そりゃあ、僕は好きなものを何度も観るタイプだから、あるときこれは……って気付いたんだ」

「そういうところ……本当に学者ですよね」

「君、最近悪い意味でそう言ってるだろう?」

 そんな他愛もないやりとりをしていたら、時間なんてあっという間だった。
 映画がエンドロールに入った時だった。須藤もそれに合わせたように静かに言った。

「中谷くん。そろそろ、時間だ」

 確かに、もういい時間で、時計の針はとっくに正午をすぎていた。だから優人は淡い期待すら抱いていた。このまま、午後までいてくれるのかもしれない、と。
 優人は上から被せるように握っていた須藤の手を、自ら離せなかった。
 須藤もそれは同じように見えた。優人が手を自ら上げるまで、待っているようだった。

「…………須藤さん」

「ごめん。そろそろ行かないと」

 そう口に出されたときだった。身体は突然ひしと須藤を抱きしめた。
 いかないで、ここにいて。
 貴方の居場所はここなのだ、と。
 言葉は出なかった。ただ身体はそう主張していた。
 須藤も須藤で、彼から押し返すような力は感じなかった。手は背中に添えられるように優しく触れて、そして――。

「中谷くん……………優人」

 須藤の口から振り絞るように出たのは、今回で二度目の名前呼びだった。
 一回目も二回目も、貴方はこんな時だけ呼ぶのか――思わず聞きたくなるタイミングに、優人はいらいらした。
 こういうときだけ都合よく大人扱いして、聞き分けのいい学生だと思っているのではないか――優人はそう思いながら、腕に力を込めて願うように言う。

「静河さん……ずっとここにいればいいじゃないですか」

「!………………それは無理だ」

「何故?それで、あなたはまた傷を受けに戻るんですか?貴方はよくとも……俺は許せない」

「中谷くん……」

「貴方を傷つける家族なんて捨てればいいんだ!それをしないのは――できないのは…………貴方が弱いからだ。貴方がいけないんだ!」

 感情のままに口から吐き捨てしまった――それに気付いたのは、須藤が黙り込んでから小さな声で呟くように言ったときだった。

「……わかってるさ。僕が駄目なことくらい」

 その心から失望した声色に、この人はこれまで何度も自分を責めてきたことに優人は気付いた。

「!須藤さん――」

 そして咄嗟に謝ろうとしたときだった。
 振動音が響いたと思えば、それは充電したまま放置されていた、自分のスマホの着信音だった。

「……出るといい」

 そう言われ戸惑ったものの、一向に止む気配はなかった。須藤に回した手を離し、スマホを手に取る。
 画面に表示されていたのは母の名前だった。
 嫌な予感がしたものの、渋々それに出る。

「はい。………………え?」

 そうして電話を切ると、須藤は心配そうに声をかけてきた。 

「……何かあったのか?」

「いえ、母からなんで」

「……そうか」

 事実だけを伝えると、須藤は納得したように見えた。
 その一方で優人は母からの連絡に頭がいっぱいになっていた。
 年末、絶対に帰ってこい――それは、今まで逃げていた現実が、ようやく目の前に迫ったように思えた。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

番を拒み続けるΩと、執着を隠しきれないαが同じ学園で再会したら逃げ場がなくなった話 ――優等生αの過保護な束縛は恋か支配か

雪兎
BL
第二性が存在する世界。 Ωであることを隠し、平穏な学園生活を送ろうと決めていた転校生・湊。 しかし入学初日、彼の前に現れたのは―― 幼い頃に「番になろう」と言ってきた幼馴染のα・蓮だった。 成績優秀、容姿端麗、生徒から絶大な信頼を集める完璧なα。 だが湊だけが知っている。 彼が異常なほど執着深いことを。 「大丈夫、全部管理してあげる」 「君が困らないようにしてるだけだよ」 座席、時間割、交友関係、体調管理。 いつの間にか整えられていく環境。 逃げ場のない距離。 番を拒みたいΩと、手放す気のないα。 これは保護か、それとも束縛か。 閉じた学園の中で、二人の関係は静かに歪み始める――。

経理部の美人チーフは、イケメン新人営業に口説かれています――「凛さん、俺だけに甘くないですか?」年下の猛攻にツンデレ先輩が陥落寸前!

中岡 始
BL
社内一の“整いすぎた男”、阿波座凛(あわざりん)は経理部のチーフ。 無表情・無駄のない所作・隙のない資料―― 完璧主義で知られる凛に、誰もが一歩距離を置いている。 けれど、新卒営業の谷町光だけは違った。 イケメン・人懐こい・書類はギリギリ不備、でも笑顔は無敵。 毎日のように経費精算の修正を理由に現れる彼は、 凛にだけ距離感がおかしい――そしてやたら甘い。 「また会えて嬉しいです。…書類ミスった甲斐ありました」 戸惑う凛をよそに、光の“攻略”は着実に進行中。 けれど凛は、自分だけに見せる光の視線に、 どこか“計算”を感じ始めていて……? 狙って懐くイケメン新人営業×こじらせツンデレ美人経理チーフ 業務上のやりとりから始まる、じわじわ甘くてときどき切ない“再計算不能”なオフィスラブ!

氷の婚約者様に破談を申し出たら号泣された

楽矢
BL
目が覚めると、レースの牢獄のような天蓋付きベッドの上だった。 何も覚えていない出来損ない下級貴族ミラ。無能だクズだと冷酷な罵詈雑言を浴びせてくる氷の騎士セティアス。 記憶喪失から始まる、2人のファンタジー貴族ラブコメディ。 ---------- ※注) かっこいい攻はいません。 タイトル通りそのうち号泣しますのでご注意! 貴族描写は緩い目で雰囲気だけお読みいただけると幸いです。 ハッピーエンドです。 激重感情をこじらせた攻→受な関係がお好きな同志の方、どうぞよろしくお願いします! 全16話 完結済み/現在毎日更新予定 他サイトにも同作品を投稿しています。 様子を見ながらそのうち統合するかもしれません。 初めての一次創作でまだよく分かっておらず、何かおかしなことをしでかしていたら申し訳ないです!

貧乏Ωが御曹司αの将来のために逃げた話。

ミカン
BL
オメガバース

冤罪で堕とされた最強騎士、狂信的な男たちに包囲される

マンスーン
BL
​王国最強の聖騎士団長から一転、冤罪で生存率0%の懲罰部隊へと叩き落とされたレオン。 泥にまみれてもなお気高く、圧倒的な強さを振るう彼に、狂った執着を抱く男たちが集結する。

入社1ヶ月のワンコ系男子が、知らずのうちに射止めたのはイケメン社長!?

monteri
BL
CM制作会社の新入社員、藤白純太は入社1ヶ月で教育係の先輩が過労で倒れたため、特別なクライアントの担当を引き継ぐことになる。 そのクライアントは、女子禁制ミーハー厳禁の芸能事務所だった。 主人公の無知で純なところに、翻弄されたり、骨抜きにされるイケメン社長と、何も知らない純太がドキドキするお話です。 ※今回の表紙はAI生成です ※小説家になろうにも公開してます

執着

紅林
BL
聖緋帝国の華族、瀬川凛は引っ込み思案で特に目立つこともない平凡な伯爵家の三男坊。だが、彼の婚約者は違った。帝室の血を引く高貴な公爵家の生まれであり帝国陸軍の将校として目覚しい活躍をしている男だった。

僕たち、結婚することになりました

リリーブルー
BL
俺は、なぜか知らないが、会社の後輩(♂)と結婚することになった! 後輩はモテモテな25歳。 俺は37歳。 笑えるBL。ラブコメディ💛 fujossyの結婚テーマコンテスト応募作です。

処理中です...