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8章 厳寒
3 新年
しおりを挟む年末年始、淡々と実家ですごす間も須藤からの連絡はなかった。
そもそも互いに連絡が多いほうではない上、優人は須藤に家庭があることを知って以来、自分からの連絡を控えるようにしていた。
暖房の効いたむっとしたリビングで、ソファに腰かけスマホを見つめながら思う。
――こうして離れていると、あの人の存在すら幻みたいだ。
窓の外は昼間にも関わらず雲がかかり、薄暗かった。ほろほろと雪が降り続く世界は、須藤とすごす関東の、晴れやかで乾いた冬とはまるで違った。
離れてから、たった一週間しか経っていない。なのに彼とすごした時間は、まるで夢のように思えた。
そうして優人はふと気付いた。
ふたりが付き合っている証みたいなものがないことに。
せいぜい、このスマホの中のメッセージくらいだろうか。彼氏彼女がやるようなプレゼントを送り合った記憶はなく、あちらのアパートにあるのも、須藤の忘れ物や読んでおけと言われた論文くらいだろう。
それを思うと、優人はひとり悲しくなった。
あの人との関係は、このメッセージアプリを消した瞬間に消えてしまう、そんな儚いものだということだ。
また裏返せばそれは、ふたりの付き合いを示す証拠はないと示すようなものだった。
――なんて虚しいのだろう。
ふたりの時間をあらわすものも、痕跡もない。ただひとつだけあるとすれば、自分の中に五感とともに刻まれた記憶だけだった。
優人は嗤った。
これもいつか、時の流れとともに消えてしまうのだと。
おせち、お神酒を家族とともに楽しみ、商売繁盛祈願も兼ねたお祓いをして、正月はいつも通りにすぎていった。
父親はあのやりとり以来、必要以上に距離を取っているように思えた。きっと詰め寄られていろいろと言われたくないのだろう。
なんて卑怯な大人なんだ――優人はそう嫌悪感を抱きながら、早々に帰路につくことにした。
――どうせこのままここにいても、未来は変わらない。
それならば、愛しいひとのもとに少しでも長くいたい――誰だってそう思うだろう。
母にはもう行くのと言われたものの、それが形式的なものだとわかっていたので、適当に相槌を打って家を出る。
すると、追いかけてきたのは弟の幹人だった。
「俺、駅まで送っていくよ」
雪は街路に積もっていたので、ありがたかったと窓の外を眺めながら優人は思った。
雪の轍の上を車はゆっくりと進んだ。
まだ雪道運転に慣れていないのだろう。運転する弟の顔は引きつっていて、それでも申し出てくれた彼に、優人は感謝する。
「ありがとう。助かった」
「ごめん。……今回の件さ、社長が呼んでたのもそうなんだけど、俺も会いたくて常務に呼んでもらったんだよ」
「……そうなのか」
「兄さんには、いろんな未来があるって俺自身わかってる……でも、この家にもこの会社にも、兄さんしかいないんだ」
――わかった風なことを。
優人は一瞬そう思うも、落ち着きを取り戻して言う。
「大丈夫。いつかこうなるって、わかってたから」
それは優人の定型文みたいなものだった。
これまでもやりたいことがある度で、最終的に親の指示に従う形に収まったことは、何回あっただろう。
習い事、部活動、高校進学先、進路。そんな人生の重要な局面を何度も踏みにじられてきた。
どうやら自分は須藤と出会ってそれを忘れ、羽根を伸ばしていたように思えた。
自分は皆と同じように自由で、自由な人生を送れる学生なのだと。
――戻ってきてよかったのかもしれない。
どんなに自由を謳歌しても、断ち切ることのできない鎖はここに繋がっている。家族のいるここに、いつかお前は戻らなければならない。
すっかり忘れていたその現実を、思い出すことが出来たのだから。
優人が皮肉な笑みを浮かべていると、弟は言った。
「……会社に入って、わかったんだ。社長や会長たちが昔から、あれだけ厳しく俺たち子どもに当たっていた理由が」
「え?」
「ここは大きいようで小さな会社で、酒を造りたい人はたくさんいても、その会社を守りたいと思う人なんていないんだ。……だからそれを俺たちがやって、皆を守らないといけない。それには皆ができる酒造りではなくて、また別の知識とか勉強になってくる。だから俺が現場を知ることも大事なんだけど、兄さんみたいな全く新しい視点で全体を俯瞰して見る人も必要なんだ」
そう言った姿はすっかり大人びて見えた。
昔から人の様子を伺ってばかりだった弟は、見ない間に成長し現実に向き合ったのだ。
そんな弟――幹人を前にすると、自分が幼い人間に思えてならなかった。
明るく乾いた世界に戻った翌日、優人は研究室へ顔を出すことにした。
世間は未だ「あけおめ」気分が残っていたものの、研究室に入った途端どんよりと重苦しい雰囲気に襲われ、優人は驚く。
見れば、修士二年の先輩たちが修論に追われているようで、新年とは思えない晴れやかさのない顔で、必死にパソコンに向かい合っていた。
少しも新年が来たと思えない空気の中で、優人にも徐々に重たいものが忍び寄る。
――須藤さんは、来ているだろうか。
突然、進路を変え田舎に戻らなくてはならなくなったことを、本来ならば伝えなくてはならなかった。
須藤は今も自分が卒業後東京に残り、社会人生活を送ると思っているのだ。
ただ、これからも続くはずだった未来が突然消えた今、それを告げてしまえば須藤は絶望するだろう。
顔を正面から見ることができるだろうか――そう心配する中で、優人は自分の席に向かった。ちらりと奥を覗くと、部屋には明かりが付いていた。
とりあえず挨拶だけでも顔を出さなければ――優人が足を踏み出そうとしたときだった。棚の陰から先に姿を現したのは須藤だった。
「須藤さん!……あけましておめでとうございます」
急いでそう声をかけるも、須藤はその足を止めることはなかった。
「ああ……あけましておめでとう」
そう言って軽く会釈をすると、室島の個室へ向かってしまった。
このとき優人は気付いた。すれ違う須藤の顔が、いつもよりも青白く強張っていたことに。
――連絡しなかった間に、何かあったのだろうか。
ぱたりと閉じた扉を見つめながら、優人は自分の席にゆるゆると腰かけた。
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