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9章 惜春
5 後悔
しおりを挟む「須藤さん、ちょっと……ここ覚えてますか?」
そう優人がわざとらしく言ったのは、はじめてふたりで一晩をすごしたビジネスホテルの前だった。
須藤は建物をまじまじ見ると、一度顎に手をあて考えた後で、気付いたように声を上げた。
「……あ、思い出した。ここ一番初めにあのバーにきみを連れて行ったあと、世話になったところじゃないか」
「そうです。あの日の須藤さん……激しかったなー」
にやにやしながら軽口を叩くと、須藤は鼻で笑いながら返した。
「……何言ってるんだ。まだそういう関係じゃなかっただろ」
「あはは」
そう笑い声を上げながらも、優人は胸の奥で静かに這い寄る苦しさと虚しさを感じていた。
今日一日、須藤に別れを知られないように、そして自分の心が納得できるようにと、計画を実行に移してきた。
須藤に気取られないように、彼の好む料亭を選んで研究の話をして。そして今から自分の自己満足のために、彼をコントロールしようとしている。
――この人が、何を言ったらどうしてくれるのか、もう手に取るようにわかってしまう。
だから本来なら、自分こそが彼の側にいなければならないのに。
これからも力にならなければならないのに、そうできずに、むしろそれを利用しようとしているのだ。
そんな自分の弱さに腹が立ち、優人は一瞬思った。もうやめてしまおうか、と。
すべてを須藤に話して、直接別れを告げてしまえば、きっと今すぐ楽になれるだろう。
ただ、そこでぱっと浮かんだのは立石ありさの顔だった。
『未来のことを考えて、自分の幸せのために選ぶの』
そう。今の事ではなく、続いていく先の未来のことを考えて選ばなければならないだろう。
自分の幸せ――すなわち須藤の幸せのことを考えれば、今彼にすべてを洗いざらい話すのは愚論だと思えた。
――だから、俺はこの道を選んだんだ。
須藤の人のよさを利用し、騙しているとわかっている。
これまで彼を傷付けてきた人たちと同じように、自分はこの人の優しさを利用しようとしているのだ。しかも、疑いもせずに心から信頼してくれているこの人を、自らの手で。
――…………それでも。
優人は静かに心のなかで決意し、そして口を開いた。
「俺は…………あのときから意識してましたけどね」
そう言えば、愛する人がどうするのか優人には分かりきっていた。
須藤は想像通りにぱっと顔を赤らめると、こちらを見ないまま腕を掴んだ。そして――。
「……入るか」
そう言って、優人の腕を軽く引いたのだった。
出張帰りでスーツ姿の須藤もあって、ふたりはただの宿泊客としてチェックインを済ませた。
優人の心臓はすでにばくばくと高鳴っていた。
――落ち着け。
目論みを前に、何とか冷静になろうとする優人の前で、須藤は部屋に入ると、荷物を部屋の隅に置いたあとでこう言った。
「そういえば、ツインでよかったのか?」
その、疑念も何も感じられない自然な疑問に、優人は思わず本音を漏らしてしまう。
「はい……あのときと同じがいいんです」
そしてひとり動揺する。
――まずい。
なぜと今返されてしまえば、うまく返すことは至難の業だった。
出張で疲れてると思ったので念のため、とかそれっぽいことを言えばよかった――そう優人は後悔した。
しかし須藤は、不思議そうな顔をこちらに向けて、そうかと笑っただけだった。
その柔らかな笑みを見て、優人は言葉を失った。
ああ、自分はもうこの人を守ってあげられないのだ、と。
会ったときから空気のように何もかも飲み込んで、自分が傷付くことを厭わないこの人。
受け入れたその先には、いいことも悪いこともあるはずなのに、それでも受け入れてしまう、そんな優しくて弱い人。
だから自分はこの人を守ろうと思い、側にいたいと願ったのだ。結局、その役目を果たせずに、去ろうとしているけれど。
――俺はなんて勝手なのだろう。
自分の今の立場を俯瞰してみれば、そんな自嘲の言葉しか浮かばなかった。
ただ今はそれを心の奥へと押し込めなければならなかった。
須藤はこちらへ振り返って、ふわりと笑みを浮かべた。そしてベッドに座り込んで、来ないのかというように、ぽんぽんと布団を叩く。
「ん?」
「…………須藤さん」
優人は近付いて、思わず抱きしめた。
愛しさが込み上げて、もうどうしようもなかった。
そのまま優しく口付けを交わすと、須藤は待っていたというように、受け入れるだけだった。
すべてが始まったこのビジネスホテルで、小さなシングルのベッドの上で、身体を弄り合いながら優人は思う。
初めてここでこの人の身体に触れたとき。
自分の中の感情という火種に、ぱっと火が付いた。
それは時間を重ねるごとに強く燃え上がり、今まさに自分の手で消さなくてはならないほど、大きくなってしまった。
だからこの人から感じた温もりも、いまだ溢れ続ける愛しい想いもすべて。
まるで灰の中の熾きのように、誰からも見つからない自分の奥底に隠して大切にしまっておこう。
この感情の火種は、もう誰にも燃え上がることはないのだから。
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