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6章 勾玉の秘密
2 海
しおりを挟む朝食を三人で囲んだ後、仕事へ行く丈司を見送ったあとだった。
今日はどうしようか考えようとスマホを手に取ったとき、ふと視線を感じ顔を上げると、心配そうに目を細める周吾の姿があった。
「どうしたの?」
思わず聞くと、周吾はおずおずと口を開いた。
「瑞生、体調どう?」
「体調?」
「昨日、倒れかけたから」
どうやら、周吾は昨日のことを気にしているらしい。
「ああ、全然大丈夫」
瑞生自身、先日突然体調が悪化した原因はすでにわかっていた。
焼肉屋で会ったあの男の視線が、イスルの夢で見た現人神ヤオギノカミのものと、よく似ていたからだった。
表面上の微笑みに隠された、殺人鬼のように冷ややかでぞっとする瞳。
今も思い出すだけで、背筋が凍るようだった。
そんな瑞生のことなど知らず、周吾はぽつりと言う。
「なら……海、行かないか?」
「海?」
「……ああ、もしかして、あっちで普段よく行ってたりする?」
「いや、俺が住んでるの内陸部だから、海は遠くて……」
「そうなんだ。八千河は水のまちって言われているとおり、川だけじゃなく海も綺麗で。海水浴場も近いから、せっかくならどうかと思って……」
そう提案してくれる周吾を前に、瑞生は嬉しくなった。しかし、途端に自分の中で声が響く。
――それは、きっと俺のためではない。
オオテキヌシのための、かりそめの優しさだ。
そう思うと、途端に胸が痛くなった。
――それでも。
例え、周吾の優しさを利用することになったとしても。大海原への好奇心を抑えることはできなかった。
準備をしてバスに乗り、周吾に連れて来られたのは、瑞生が泉へ向かうために利用したあの駅の近くだった。
山の方ではなく海の方へと進むと、突然大海原があらわれた。
「うわ、本当に海だ……!」
大滌川の河口の脇は、まるで三角州のように砂浜が広がっていた。
そこは断崖絶壁に囲まれているものの、浜は手入れがよく行き届いているようにみえた。
ごみひとつ落ちておらず、普段着で散歩する人たちや、水着で遊ぶ学生たちの集団がいた。
「ここは、駅から近いけど浜茶屋とか出ないから、地元の人しか来ないんだ。静かで、ゆったり泳ぐにはもってこいだよ」
そんな周吾のことばを聞きながら、柔らかな砂の沈み込む感覚が楽しくて、瑞生は思わず駆け出した。
途端に靴の隙間から砂が入り込み、思わず裸足になって、砂に足の裏を付けた瞬間に飛び跳ねる。
「あ、熱っ!」
「ふふ。瑞生、急ぎすぎ。ぎりぎりまで靴で行ったほうがいいよ」
「だって!」
「あはは。海は逃げないだろ」
ふたりはそうして靴と上着を脱ぎ、波打ち際へ向かった。
波はまるで誘うように穏やかに寄せては返すので、ざぶざぶと入っていく。
水はひんやりと冷たかった。
ただ、何故かはわからないがそれは肌に馴染むように心地よかった。
「ふう……」
顔以外の全身を浸けて、流れる水に身をまかせる。
瑞生は父方の親戚たちに連れられ南仏へバカンスへ行ったとき、こうして村の外れの小さな泉で涼を楽しんだことがあった。
それを思い出しながら、こんなにもリラックスできたかと疑問に思う。
――淡水と海水の違い?それとも、湖と海の違い?
大きな波のうねりがあり、確実に荒いのはこの八千河の海の方なのに、身も心もまっさらにして身を預けられるのはこちらの海だった。
「――瑞生!」
そう自分を呼ぶ声が聞こえ、瑞生ははっとしてあたりを見回す。
一緒に海に入ったはずの周吾の姿は周りにはなく――それどころか自分だけ大きく流され、ひとり沖にいたのだった。
「うわ、流されてる!」
これではまた心配をかけてしまう――そう思った瑞生は急いで泳ぎ、浜の端へと上がる。
そして周吾のもとに走ろうとしたときだった。
「――あれ、瑞生くんだ」
その声が聞こえた途端、瑞生の足はぴたりと固まってしまった。
なんでと思う前に、声の主が近寄ってくる。
顔を上げるとそこにいたのは焼肉屋であった高柳だった。
「なぜここに?ねえ、周吾も来てるの?」
「……はい」
瑞生はその瞳をちらりと見、何とか答えながら思った。
――似ている、レベルじゃない。この人はヤオギノカミそのものじゃないか。
細められた漆黒の瞳の中に燃える、かすかな赤い輝き。
それを確認した途端、突如瑞生を襲ったのは強い寒気と吐き気だった。
なぜ、こんなにも身体が反応してしまうのだろう――そう瑞生が思っていると、高柳は一度連れの学生の集団に向かって何か言ったあとで、再びこちらに戻ってこう言った。
「大丈夫?調子悪そうだけど。ああ、今にも倒れそうな顔してる」
そのときだった。
「瑞生!」
後ろから響いたのは周吾の声だった。
走ってきた彼が、背中を支えるように触れた途端、思わず脱力して身を預けてしまう。
「何、してるんですか」
「そう睨むなよ。何もしてないじゃん。ていうか、青海が連れ回しすぎてるんじゃない?顔色、真っ白だけど」
「……っ」
高柳はふっと微笑み、こう続けた。
「じゃあね。瑞生くん。ああ――君のその瞳を見ていると、俺、なんだか胸騒ぎがするんだよね。ねえ、何でだと思う?」
何故――そう聞きたいのは、正直こちらのほうだった。
何故、そんな目でこちらを見るのだろうか。
そして何故、自分はヤオギノカミの瞳を、こんなにも恐れてしまうのだろうか。
周吾に手を引かれ、砂浜を歩きながら瑞生はぼんやりと考える。
周吾は自分のことを、オオテキヌシだと思ってこうして面倒を見てくれている。
実は、それはあながち間違っていないのかもしれなくて。
こんなにもあの男を身体が忌避してしまうのは、自分がオオテキヌシそのものだからかもしれない。
そう思えてならなかった。
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