【完結】かつて仕えた水神の貴方を現世では幸せにしたい 〜翡翠と大蛇~

上杉

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6章 勾玉の秘密

4 あの泉へ、もう一度

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「いやあ、こんなに興味を持ってくれる人はこれまでいなかったから、話がいがあったよ。瑞生くん、ありがとう」

「いえ、俺の方こそいろいろ聞かせてもらって、本当にありがとうございました」

 瑞生はそう言って後ろをちらりと見た。
 先程まで一緒に話を聞いていた周吾の姿はなくなっている。
 どこに行ってしまったのか、瑞生が気にしているとそれを察した丈司が言う。

「周吾は外だね。あの子は、ここのことはもうよく知っているから。暇を持て余したのかもしれない」

「……そうなんですね」

 ふと思い、それならと瑞生は口を開く。

「あの……丈司さん」

「なんだい?」

「丈司さんは、俺の持ってるこの翡翠の勾玉が、特別なものであること知ってますよね」

 首から取り出して見せながら言うと、丈司は観念したように笑った。

「……ああ。黙っていてごめん。きみも、周吾のものを見たんだろう?」

「はい」

「周吾の持っている勾玉はね、青海の家に古くから伝わっていたものなんだ。ただ、あまりにも珍しい大きさで価値も馬鹿にならなかったから、ここに寄贈して保管しようとした。けど、あるとき幼い周吾がこれを気に入ってしまってね。絶対に嫌だというんだ。それも頑なにね」

 瑞生が呆然と聞いていると、丈司は昔を思い出すように続ける。

「……あの子は、小さい頃から何を考えているかわからない子だった。まだ翡翠を渡す前から、転勤で東京へ行く親たちと離れて、ここで暮らしたいと言ったんだ。そういう訳で、僕はどこか不思議な子だと思ってたんだけど、そんなあの子が泣きじゃくって僕に主張したんだ。この勾玉は自分のものだからって。それで、詳しく聞いても教えてくれないし、これは俺が持っていないといけないものだからって」

 瑞生の中で、頑なに勾玉を渡そうとしない、幼い周吾の姿が思い浮かんだ。
 そんなにも幼い頃からあの光景を見ていたとすると、きっともう自分の人生の一部になっているのだろう。
 その姿は、日本に恋焦がれていた過去の自分の姿と重なった。

「――それから、毎日ここにやってくるんだ。何かを待っているみたいに、ずっと。僕には、周吾がなぜそうしていたのかわからなかった。けれどまるで翡翠のような目をしたきみが来て、そしてあの勾玉とよく似たものを見せてくれただろう?そこでようやく納得したんだ。それがきっとこの地に関わりのあるもの特別なもので、周吾が待っていた誰かはきっときみであるということを」

 瑞生が言葉を失っていると、丈司は微笑みを向けた。

「周吾は、きっと外にいるはずだ。あの子がずっと待っていた場所が、ちょうどこの郷土館の下にあるんだよ」

 その言葉に瑞生は思わず言う。

「……そこって、小さな泉がある場所ですか?」

「うん。よく知っているね。今はもう枯れてしまったみたいだけど、周吾は昔からそこに行くのが日課だった。どんなときも、毎日欠かさずね」

「丈司さん、ありがとうございました」

 瑞生は大きく礼をして、すぐに建物の外へ出た。
 自動扉が開き、生暖かい風に包まれながら敷地を囲う木々を見回す。

 ――あった。

 瑞生は木々の間にぽっかりとあいた隙間を見つけ、駆け出した。
 周吾はきっとこの下にいる――そう思ったときだった。

「瑞生。待って」

 後ろから聞こえた声は、周吾のものだった。
 てっきりあの場所で待っていると思っていた瑞生は、拍子抜けしながら振り返る。
 周吾は木の陰の下で佇んでいた。その顔は青白く、感情が少しも読み取れない。

「……周吾?この下にあの泉があるんだろ?早く行こうよ。あそこで、ずっと待っててくれたんでしょ?」

「…………」

「周吾。俺にはもうわかってるんだ。あの泉は、オオテキヌシとイスルが出会った特別な場所で、イスルがずっと待ってた場所だっていうこと。そこに翡翠を持っていくことが、きっと俺がここに呼ばれた理由なんじゃないかって」

「……俺は、嫌だ」

「なんで?」

 その瞬間、周吾の身体が近付いたと思えば全身を柔らかく包まれた。
 制汗剤のかすかな匂いが漂い、そして回された周吾の腕が震えていることに気付く。

「……瑞生、怖い夢だって言っていただろう?今、あの場所に向かったら、瑞生はその全てを目の当たりにすることになる。また、その苦しみを味わうことになるんだ!」

「……周吾」

「なぜ、また繰り返さなければならない?もう忘れていていいんです!あなた様は……もう縛られていないんだから」

 瑞生は腕の中で思う。
 確かに、思い出す必要はないのかもしれない。このまま八千河でゆったり過ごして、周吾に甘えて、夏休みの終わりを前に帰国すればいいだろう。

 ――だけど、本当にそれでいいのだろうか。

 翡翠を手にした自分が確かにオオテキヌシの思いを継ぐものだとしたら、ずっと待っていたイスルに、何かを伝えなければならないだろう。
 瑞生は周吾の腕に触れ、それを優しく引き剥がす。そして今にも泣いてしまいそうな彼と向き合って、言う。

「確かに……俺も縛られてたのかもしれない。祖母に渡されたこの勾玉も、ここに来たいという幼い頃の思いも、すべてそうだったのかもしれない。それでも……俺は知りたいと思うよ。あの地獄をまじまじと見てオオテキヌシが守りたかったものと、それに叶えたかった願いも」

「……瑞生」

「大丈夫。きっと耐えられるよ。オオテキヌシがどれだけのものを守ろうとしていたのか、イスルの記憶を垣間見て知っているようなものだしさ」

 周吾はもう何も言わなかった。
 ただ、力なく手が伸ばされたので、それを取り微笑む。

「周吾、ごめん。俺、いくよ。この翡翠の導きを信じてみたい」

「……瑞生!」

 周吾の手を離し、木の隙間に向かって進んだ。するとその先は古びた階段になっていた。
 断崖に沿うように作られたそれを降りていくと、次第に開けた森の中に出た。
 木々に覆われたその場所は、祖母に連れてきてもらったあの泉だった。
 ただ、ぽっかりと穴のあいた場所には落ち葉がたまっていて、遥か昔に干上がってしまったように思えた。また、洞窟だったはずの岩壁も、すっかり植物で侵食されていた。
 
 ――それでもいい。

 ここは確かにふたりが出会った場所で、イスルが待っていた場所だから。
 瑞生はそう思いながら、胸の翡翠を取り出した。
 それは手の中でかすかに震えているような気がした。
 不意に風がそよぎ、木々がざわめきはじめた。
 瑞生は誘われるように目を閉じ、そしてゆっくりと開く。
 目の前にあらわれたのは、暗く先の見えない洞窟の入口。
 そして、きらめく水面だった――。

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