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8章 囚われた蛇
3 もうひとつの呪い
しおりを挟む「あー……どうしよう」
木々が風に揺れてかさりと音を立てた。
瑞生はひとりあの泉のほとりに座り、ごろりと天を仰いで唸っていた。
周吾が頭を冷やすと言って、姿を消してしまったあのあと。
暗闇が迫る中、郷土資料館の片付けをしていた丈司を見つけ、瑞生は一緒に青海家へと戻ってきた。
周吾はというと、言っていたとおり晩御飯のタイミングで帰ってきた。しかしふたりの間に言葉はなく、確実に距離を取られていた。
そして今朝も、同級生から部活の助っ人の誘いがあると言い、早々とひとり外出してしまった。
それが本当のことなのかはわからなかった。ただ丈司曰く、よくあることらしい。
「瑞生くん。ごめんね。きっと僕のせいだね」
「いえ、全然そんなことありません。俺が……言えなかっただけなんです」
早く、大切なことを伝えなければならなかったのに。
周吾に拒絶されたような気がして、手を掴むことも追いかけることもできなかった。
それは自分に後ろめたいことがあったからで。周吾がオオテキヌシではない自分の言葉を聞いてくれるのか、心配だったからだ。
――俺は、俺なのに。
なぜ揺らいでしまったのだろう。
瑞生は落ち葉の積もった地面の上に横になる。背中にひんやりとしたものを感じながら、手で顔を覆った。
朝からそういう事情があって、今日はひとりだった。
それを見た丈司が気を利かせて君も来ないかと誘ってくれて、一緒に資料館に足を運んだと言う訳だ。
気付けば足は自然と階段を降り、ここにやってきていた。
頭にわだかまるこのもやもやを払いたい。
そう思い、きらめく水面を見ていたものの、水着はなかったので、しょうがないと靴を脱ぎ、足を浸すだけにした。
鏡面のようなそこにずぶりと足をいれると、冷たさと同時に心地よさがこみ上げる。
積もっていた落ち葉がすべて流れされたのか、足が触れる泉の底は包まれるように柔らかかった。
「……はあ」
思わず口からため息が漏れる。
ふと見上げれは、泉を覆う木々はまるで落ち着けというようにざわめいていた。
「俺は……焦りすぎていたのかな」
自分はイスルの思いも、オオテキヌシの思いもどちらも知ってる。だから周吾の気持ちを理解してあげなければならなかったのに。つい焦って自分の気持ちのままに動いてしまった――。
瑞生がひとり後悔していたときだった。
背後から何かががさりと動く音がしたと思い、身体を起こして振り返る。
そこにいたのは、なんと高柳だった。
「ああ、瑞生くん元気?」
「…………っ」
声をかけられた瞬間、全身の肌が粟立った。
瞳の奥に炎を感じさせる眼差しを感じながらも、瑞生はそれと真っ向から対峙する。
以前とは違い、ヤオギノカミの眼差しに対する恐怖の意味は瑞生の中で明白だった。
――大丈夫。これはヤオギノカミに対するオオテキヌシの反応だ。
大丈夫、俺は川窪瑞生だ――そう言い聞かせて、深呼吸する。
一方高柳はというと、口元に笑みを浮かべたままこちらに近寄ってきた。
「やはり君はそうだったんだね。周吾の待ち人であり、あの水神の片割れだったんだ」
「何か俺に用ですか?」
「はは。怖がらないで。もう何もしないよ。僕達にはもうカミの力はないんだから。ほら、剣も持っていないし、暴力をふるったりなんてしないさ」
手をひらりと振ってそう言ったあと、高柳はなぜか泉の淵までやってきて瑞生の隣に座り込んだ。
そして泉にぼんやりと視線を向けながら言う。
「……ただ、こうして僕達が記憶を継いでいるのは、魂が引き寄せられているからなんだ」
「え?どういうことですか?オオテキヌシが高志にかかわらないでと言ったはずですが……」
「うん、そうなんだけどね。しがらみが残ってるんだよ」
「え……?」
何を言っているかわからず瑞生が驚く前で、高柳は小さく微笑んだ。
その笑みは彼がようやく見せた心からのものに見えた。
「呪いを超える強い何か――念のようなものに縛られていて、俺もこうして生まれ変わり続けてるんだよ。……正直早く解放してほしいんだよね。君もそう思わない?」
ヤオギノカミの魂も強い何かに縛られている。
瑞生はその事実に驚きながらも淡々と答える。
「俺は……確かにオオテキヌシの記憶に引きずられて日本に憧れを持ちました。そうして今ここにいます。だから……あの夢がなかったら、確かに変わっていたかもしれません」
オオテキヌシのあの恐ろしい夢。
ヤオギノカミの呪いを受けていたから日本に来れず、その思いはずっと高まり続けていた。
確かに、それがなかったら自分はここまで強い思いを抱いていなかったかもしれない。
しかし、実際そうだろうかと瑞生は疑問に思う。
祖母とやってきたこの泉が美しいと感じたのも。
広大な水田の広がる大地に身を委ねたいと思ったのも。
きっとただの川窪瑞生でも素晴らしいと思ったに違いない。
そうひとり確信しながら瑞生は気付いた。
周吾はきっといまの自分と同じような気持ちでいるのだろう。
自分の今まで感じていたもの、思っていたことすべてを否定されると思っている。それは一体どれだけ不安なことだろう。
――なら、俺が寄り添わなくては。
イスルの記憶は鮮烈で、あまりに強すぎる。だから周吾がそれに影響を受けているのはしょうがないことなのだ。
自分はイスルの記憶も覗いた上で、青海周吾という人も知っている。
だからこそ、どちらも受け入れて少しずつ伝えなければならない。
そう思い、瑞生は高柳に言う。
「高柳さん……ありがとうございます」
「……え、突然何?」
「周吾への伝え方、俺、わかったかもしれません」
その言葉に高柳は変な顔をしていた。しかし今の瑞生にとってそんなこと気にならない。
すぐに周吾の元へ向かいたい衝動に駆られながらも、それをなんとか押し留める。
高柳は呆れた顔をする。
「まあ何でもいいんだけどさ。じゃあ君が俺を縛っているわけじゃないんだな」
「え?」
「きみが――オオテキヌシが息絶える間際に、僕に呪いをかけたのかと思っていたんだよね」
そんな衝撃的な言葉を前に、瑞生は反射的に返す。
「そんな、それはありません。オオテキヌシは満足して力尽きたんです。ひとつだけ、高志の繁栄だけを願って」
「……ふうん。じゃあそういうことにしておいてあげる。じゃあ、またね」
高柳はそう言って立ち上がると、小道の方へと姿を消した。
ひとりになった瑞生の頭は、彼の言葉でいっぱいだった。
――強い念に縛られているとはどういうことだろう。
魂を縛られている――それは丈司に言われたある言葉を思い起こさせた。
『どうか周吾を解き放ってくれ』
瑞生は泉のほとりでひとり静かに思う。
この縛られた魂を解き放つことこそが、自分に与えられた役割なのかもしれない、と。
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