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第一話 後悔
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芥川龍之介君が自害して五年が経った。
僕は今でも、五年前のあの日、
上野に出張に行ってしまったことを後悔している……
あの日、急遽刷られた新聞を見て、
僕は人目も憚らずに泣いた。
【文豪・芥川龍之介、自宅にて自害】
田端に戻った頃には
当然、芥川君の葬儀は終わった後だった……
喪失感から、何もかも手につかず
やる気も出ないまま、時だけが過ぎていった……
そして、五年の月日が経っても
僕の心には芥川君への後悔が燻ったままで……
「犀星君」
目を瞑れば、芥川君の僕を呼ぶ声が聞こえてくる。
芥川君は、何故、自害などしたのか……
家庭のことでも、金銭的なことでも、文学のことでも
なにかしらの悩み事があったなら相談してほしかった。
……僕が“田端の王様”なんて
祭り上げてしまったのも
原因の一つなら、僕に相談なんてできなかったかもしれないと、今更ながらに気付いた。
僕は芥川君を追い詰めていたのかも知れないと思ったら
後悔に加えて罪悪感も押し寄せてきた……
「ごめん、芥川君、僕は……」
声に出して謝罪の言葉を口にしても、芥川君は
もうこの世の何処にもいない……
「芥川君、会いたいよ……」
会って話がしたい。
愚痴でも悩みでも文学のことでも、何でも聞くから……
もう一度、芥川君と……
止めどなく流れる涙を拭う気力もなく、
僕は文机に突っ伏て目を閉じた。
――
あのまま眠ってしまったらしい。
夢にさえ、出てきてくれないのは、
やはり、自害の発端の一部に僕も含まれているからだろう……
芥川君は優しかったから僕の“田端の王様”という
呼び方も嫌とは言えなかったんだろうな……
“親友”なんて僕の独りよがりで思い上がりだったのかもしれない。
文机に真新しい原稿用紙を置いても何も浮かばない。
妻のとみ子はこんな堕落した僕に文句一つ言わずにいてくれている。
「犀星さん、夕飯よ」
とみ子が書斎の入り口から僕を呼んだ。
「わかった」
重い腰を上げて居間に行くと息子の朝巳と娘の朝子がいた。
「お父さん」
朝巳が僕を見つけて駆け寄ってきた。
家族は大切なのに頭の片隅には常に芥川君がいる。
そして、今更ながらに気付いてしまった。
僕が芥川君に恋慕していたことに……
「とみ子、すまない……僕は……」
「やっと、自分の気持ちに気付いたのね」
“やっと”?
「犀星さんが芥川さんに恋慕していたことは気付いていたわ」
「何で、今まで言わなかったんだい?」
とみ子に問うとふふと、笑った。
「芥川さんに恋慕している犀星さんも私は変わらず愛してるからよ。
“妻”としてはちょっと、複雑な気持ちもあるけど
“人”として、“文学者”としては
犀星さんの気持ちを否定することはできないわ。
ー失って 初めて気付いた 恋心ー
それにね、“友情”でも“愛情”でも
“誰か”を好きになることはいけないことじゃないのよ」
妻が寛容すぎる……
「とみ子は嫉妬しないのかい?」
「嫉妬なんてしないわ。
だって、人は“一人”だけを愛せるわけじゃないもの。
犀星さんだって、私と結婚する前に付き合った女性はいるでしょう?」
「それは……いたけど……」
「そうでしょう?
“愛”が一つでなければいけないなら“最初”に出会って付き合った人と結婚すればいいと思わない?
私にもね、犀星さんと出会う前、教員時代に思いを寄せていた男性がいたのよ」
僕が聞き返すととみ子は懐かしむように話してくれた。
「まだ、教員だった頃、二つ年上の仙波暁という、 先輩教員に思いを寄せていたんだけどね、
彼の家は商家で許嫁がいたのを 知っていたから、
私の気持ちは伝えなかったの」
「許嫁がいると知っていたのに思いを寄せていたのかい?」
不思議そうに訊いた僕にとみ子は柔らか笑みを浮かべた。
「“思いを寄せる”だけなら、誰の迷惑にはならないでしょう。
犀星さんが芥川さんに思いを寄せていることも、誰の迷惑にもなっていないのよ。
それにね、犀星が“今”になって、
芥川さんへ恋慕に気付いたのも犀星が私たち家族に対して
真摯で誠実だからよ。
犀星が不誠実ならいくら亡くなている
芥川さんに対してでも、気付いた“恋心”を隠そうとしたはずよ。
だけど、その気持ちに戸惑いながらも
私に伝えようとしたことは、誠実な証だと思うわ。
ねぇ犀星さん、芥川さんにはもう会えないし、
その気持ちを消す必要はないけど、
今の犀星さんを見たら、 芥川さんが心配してしまうわよ」
六歳も年下の妻に僕は救われている。
「……ありがとう、とみ子」
「どういたしまして」
朝子と朝巳を椅子に座らせて夕飯を食べた。
僕は今でも、五年前のあの日、
上野に出張に行ってしまったことを後悔している……
あの日、急遽刷られた新聞を見て、
僕は人目も憚らずに泣いた。
【文豪・芥川龍之介、自宅にて自害】
田端に戻った頃には
当然、芥川君の葬儀は終わった後だった……
喪失感から、何もかも手につかず
やる気も出ないまま、時だけが過ぎていった……
そして、五年の月日が経っても
僕の心には芥川君への後悔が燻ったままで……
「犀星君」
目を瞑れば、芥川君の僕を呼ぶ声が聞こえてくる。
芥川君は、何故、自害などしたのか……
家庭のことでも、金銭的なことでも、文学のことでも
なにかしらの悩み事があったなら相談してほしかった。
……僕が“田端の王様”なんて
祭り上げてしまったのも
原因の一つなら、僕に相談なんてできなかったかもしれないと、今更ながらに気付いた。
僕は芥川君を追い詰めていたのかも知れないと思ったら
後悔に加えて罪悪感も押し寄せてきた……
「ごめん、芥川君、僕は……」
声に出して謝罪の言葉を口にしても、芥川君は
もうこの世の何処にもいない……
「芥川君、会いたいよ……」
会って話がしたい。
愚痴でも悩みでも文学のことでも、何でも聞くから……
もう一度、芥川君と……
止めどなく流れる涙を拭う気力もなく、
僕は文机に突っ伏て目を閉じた。
――
あのまま眠ってしまったらしい。
夢にさえ、出てきてくれないのは、
やはり、自害の発端の一部に僕も含まれているからだろう……
芥川君は優しかったから僕の“田端の王様”という
呼び方も嫌とは言えなかったんだろうな……
“親友”なんて僕の独りよがりで思い上がりだったのかもしれない。
文机に真新しい原稿用紙を置いても何も浮かばない。
妻のとみ子はこんな堕落した僕に文句一つ言わずにいてくれている。
「犀星さん、夕飯よ」
とみ子が書斎の入り口から僕を呼んだ。
「わかった」
重い腰を上げて居間に行くと息子の朝巳と娘の朝子がいた。
「お父さん」
朝巳が僕を見つけて駆け寄ってきた。
家族は大切なのに頭の片隅には常に芥川君がいる。
そして、今更ながらに気付いてしまった。
僕が芥川君に恋慕していたことに……
「とみ子、すまない……僕は……」
「やっと、自分の気持ちに気付いたのね」
“やっと”?
「犀星さんが芥川さんに恋慕していたことは気付いていたわ」
「何で、今まで言わなかったんだい?」
とみ子に問うとふふと、笑った。
「芥川さんに恋慕している犀星さんも私は変わらず愛してるからよ。
“妻”としてはちょっと、複雑な気持ちもあるけど
“人”として、“文学者”としては
犀星さんの気持ちを否定することはできないわ。
ー失って 初めて気付いた 恋心ー
それにね、“友情”でも“愛情”でも
“誰か”を好きになることはいけないことじゃないのよ」
妻が寛容すぎる……
「とみ子は嫉妬しないのかい?」
「嫉妬なんてしないわ。
だって、人は“一人”だけを愛せるわけじゃないもの。
犀星さんだって、私と結婚する前に付き合った女性はいるでしょう?」
「それは……いたけど……」
「そうでしょう?
“愛”が一つでなければいけないなら“最初”に出会って付き合った人と結婚すればいいと思わない?
私にもね、犀星さんと出会う前、教員時代に思いを寄せていた男性がいたのよ」
僕が聞き返すととみ子は懐かしむように話してくれた。
「まだ、教員だった頃、二つ年上の仙波暁という、 先輩教員に思いを寄せていたんだけどね、
彼の家は商家で許嫁がいたのを 知っていたから、
私の気持ちは伝えなかったの」
「許嫁がいると知っていたのに思いを寄せていたのかい?」
不思議そうに訊いた僕にとみ子は柔らか笑みを浮かべた。
「“思いを寄せる”だけなら、誰の迷惑にはならないでしょう。
犀星さんが芥川さんに思いを寄せていることも、誰の迷惑にもなっていないのよ。
それにね、犀星が“今”になって、
芥川さんへ恋慕に気付いたのも犀星が私たち家族に対して
真摯で誠実だからよ。
犀星が不誠実ならいくら亡くなている
芥川さんに対してでも、気付いた“恋心”を隠そうとしたはずよ。
だけど、その気持ちに戸惑いながらも
私に伝えようとしたことは、誠実な証だと思うわ。
ねぇ犀星さん、芥川さんにはもう会えないし、
その気持ちを消す必要はないけど、
今の犀星さんを見たら、 芥川さんが心配してしまうわよ」
六歳も年下の妻に僕は救われている。
「……ありがとう、とみ子」
「どういたしまして」
朝子と朝巳を椅子に座らせて夕飯を食べた。
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