あの日の後悔を今も……

華愁

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第二話 授業と思い出の齟齬

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夕飯時、朝子が学校での出来事を話してくれた。            
            
「今日、国語の授業に[芥川龍之介について]だったの。            
            
私はお父さんと龍之介おじちゃんが仲良しだったのも知ってるし、私や朝巳といつも、遊んでくれたのも覚えてるから、
ちょっと、不思議な気持ちだった」          
          
確かに朝子や朝巳にしてみれば、芥川龍之介は“父親の友人”で
“よく遊んでくれたおじちゃん”という認識だろう。        
        
「芥川君は朝子と朝巳をたくさん、可愛がってくれたからね……」      
      
そう、芥川君は本当に二人をよく可愛がり、
三人でよく笑っていた。      
      
「先生の話す“芥川龍之介”は私たちの知っている
“龍之介おじちゃん”とかけ離れていて、授業の間、
もやもやしてた。      
      
先生がね、[芥川龍之介は苦悩の末、亡くなりました]
って言ったの……    
    
その言葉を私は信じられなかった。    
    
だって、私や朝巳と遊んでくれた龍之介おじちゃんは、    
いつも、私たちを笑わさそうとしたり、
一緒に笑ってくれてたから……」

朝子のいう通り、芥川君は 僕の家に来た時は全力で          
朝子と朝巳と遊んでくれた。          
          
庭で鬼ごっこをしたり、即興で話を作って聞かせたり          
いつも、楽しそうだった。        
        
「私はまだ、子供だけど、“本当のこと”が知りたい。        
        
龍之介おじちゃんは本当に“苦悩の末”に亡くなったの?」        
        
娘の問に僕はしばし、言葉を失った。      
      
「朝子や朝巳と遊んでいた時の芥川君の笑顔は“本物”だった。      
      
だけど、芥川君は誰よりも繊細で優し過ぎるくらい      
優しかったから、悩みを誰にも打ち明けられなかったんだと思う。    
    
僕にさえ、全ては話てくれなかった……

大人になるとね、色んな悩み事が増えるんだよ」

芥川君は“文豪”といわれ、僕も“田端の王様”と噺立ててしまった……

「確かに、きっと、悩みは沢山あったんだと思うけど
この家で朝子と朝巳と一緒に鬼ごっこをしたり、
物語を話してくれて笑っていた芥川君も芥川君の一部なんだよ。

だからね、朝子と朝巳にはそんな笑っていた“龍之介おじちゃん”を
覚えていてあげてほしい」

「私や朝巳といる時は笑っていたのに
誰にも言えない悩み事があったなんて……      
      
龍之介おじちゃん、無理していたの?」      
      
朝子も十三歳だ。      
    
“子供にはわからない”はもう通じない歳。  
  
「“無理”をしていたというよりは  
朝子と朝巳といる時はその悩み事を“忘れたかった”んだと思う」

「“忘れたかった”?」  
  
十三歳の朝子には少し難しかったかな?  
  
「人はね、“嫌なこと”を少しの間でも忘れられる時間があると“救われる”んだよ。  
  
芥川君は朝子と朝巳と遊んでいる間は悩み事を忘れられていたんだ。  
  
だから、朝子と朝巳が見ていた芥川君の笑顔は  
紛れもなく“本物”だったんだよ」

「よかった……」        
        
朝子の声は安堵の声だった。      
      
「だけど、先生の言う“苦悩の末”っていうのは      
私にはやっぱり、納得しきれないっていうか      
信じたくないっていうか……」    
    
朝子は箸を置いて、膝の上で小さな両手をぎゅっと握った。

「そうだよね。朝子と朝巳にしてみたら“文豪”としての芥川龍之介じゃなくて いつも遊んでくれて笑っていた    
“龍之介おじちゃん”だったもんね」    
    
生まれて初めて、“死別”を経験した朝子と朝巳。    
    
それも、身近な相手の芥川君だったのだから
心が追い付かないのは当たり前だ。

「学校の先生が言っていたのは“文豪”として、“作家として”の芥川君のこと。      
      
だけど、朝子と朝巳はちゃんと、心から笑っていた芥川君を知っている。      
      
どっちも併せて芥川君なんだよ」  
  
朝子は膝の上で両手を握ったまま訊いてきた。  
  
「私と朝巳は、龍之介おじちゃんの“助け”を少しでもできていたのかな……」

十三歳の娘の口から吐き出された言葉はその年齢にしては重い。

本当は十代前半の女の子が抱えなくていい重みだ。  
  
それでも、朝子は朝子なりに必死に考えている。

「芥川君はこの家で朝子と朝巳と遊んでいる時だけは  
全ての柵から解放されていたんだよ」  
  
「柵?」  
  
少し難しい言葉だったかな。  
  
「柵っていうのはね、  
“文豪”として期待されたり、
書いた小説を批判されたり、そういうものだよ。  
  
例えるなら、殻が閉じている状態かな。                          
  
例えば、朝子は絵を描くのが好きで、
皆に見せた絵が  とっても上手に描けて  
誉められたとする。  
  
だけど、次に描いた絵は  
前の程、上手に書けなかったとして、
その絵を見せた時、
皆ががっかりした顔をしたらどう思う?」

「……それはいやだな。    
    
だって、必ず毎回、同じように描けるわけじゃないし    
その時に頑張って、    
その中でも一番上手に描けた絵を見せたのに、    
がっかりされたら 悲しいし、苦しいし    
嫌になっちゃうと思う……  
  
もしかしたら、  
もう描きたくないってなっちゃって
殻を閉じたまま開きたくないかも」

そこら辺の評論家よりも十三歳の女の子の方が  
よほど、人の心をわかっている。

「朝子が感じたその気持ちが“柵”なんだよ。  
  
大人になるとその殻を  
自分では開けにくくなる時があるんだ。  
  
だから、芥川君はこの家に来て、
朝子と朝巳と遊んでいる時だけは
全ての柵を忘れて 殻を解放して 
心の底から笑っていられたんだよ」

生前、芥川君が二人で縁側で並んで      
煙草を吸っていた時に      
「朝子ちゃんと朝巳君は西洋画の天使みたいだね」と      
言ったことがあった。    
    
その時はあまり深く考えていなくて    
「大袈裟だね」と苦笑して流してしまった。  
  
「芥川君は朝子と朝巳を“天使”みたいと言っていたんだ」  
  
あれは揶揄でも冗談でもなかったんだと  
今更ながらに思う。

「天使って、美術館に飾ってある絵の?」  
  
「そうだよ。翼が生えた子供の絵。

朝子と朝巳は芥川君にとって
“救い”であり“灯火”だったんだよ」

芥川君は妻の文さんや息子の比呂志君も    
多加志君も也寸志君も大切にしていたけど    
家族だからこそ、悩み事”を抱えていることを言えないと    
何時だったか話してくれたことがあって、    
僕の家に来て朝子と朝巳と遊んでいる時は    
嫌なことを忘れられると言っていた。  
  
「人は“苦しい”だけでも“笑っている”だけでもないんだ。  
  
程度は違っても、人は皆、“両方”を抱えて生きているんだよ。

朝子も朝巳も大人になれば、理不尽なことや      
嫌なこと、嫌な人と出会うこともあると思う。    
    
それでも、一つだけでいいから          
いつか、自分の灯火になる“物”でも“人”でも  
いいから見つけてほしい」

朝子の両手は膝の上に置かれたままだったが  
先ほどのように力は入っていなかった。  
  
「わかった」

朝子の返事を区切りにして夕飯を再開した。
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