5 / 6
第五話 戦後と再会
しおりを挟む
「比呂志君!!」
僕は人目も憚らすに比呂志君を抱き締めた。
「犀星おじさん……ただいま帰りました」
「うん……お帰り
とみ子も朝子も朝巳も、
ずっと比呂志君の安否を案じていたんだ。
とりあえず、室生家に行こう。
僕たちも二ヶ月前までは軽井沢に疎開していて
一ヶ月前に東京に戻ってきたんだ」
「そうでしたか。軽井沢は空襲は大丈夫でしたか?」
「うん、空襲は逃れたよ。
ただ、終戦がもう少し遅ければ
朝巳も駆り出されるところだったんだよ」
僕は朝巳が戦地に行かなくて良かったと安心する一方で
多加志君の死の知らせの電報を受け取った時の
胸の痛みがぶり返した。
「そうだったんですね、朝巳君が出陣しなくて良かったです。
犀星おじさんに報告があるんです。
僕はいとこの瑠璃子と結婚して
帰還したら、三女の耿子が生まれてました。
弟の多加志の死は悲しいですけど、
妻と母と子どもたちが無事で安心したんです」
まさか、比呂志君が戦前に結婚していたとは。
「そうか、比呂志君も三人の子どもの父親になったんだね。
とりあえず、僕の家に行こう。
とみ子も朝子も朝巳も
比呂志君が帰って来たと知ったら喜ぶよ」
僕は比呂志君の隣を歩きながら色々な話をした。
「三人の子どもの父親になった感想は?」
僕がそう問と比呂志君は表情を和らげた。
「親になって、父さんや犀星おじさんの
ありがたみを改めて実感しました。
子どもを育てるというのは一筋縄ではいかないんですね……」
「親になるということは“責任”が伴うし、出費も増えるけど……
比呂志君も“親”になって、わかっただろ?
腕に抱いた時の愛しさや喜び。
中々寝付いてくれなくて内心焦ったりね……
耿子ちゃんはどんな子なんだい?」
「少し、病弱です……
それから、今は母の実家の別荘にいまして
神奈川県藤沢市鵠沼なんです。
東京には少し用事があって来たんですが
犀星おじさんに会えて良かっです」
芥川君、比呂志君が君と同じ
“三児”の父親になったよ。見てるかい?
天国にいる芥川君に話し掛けた。
子供の頃、弟の多加志君や
朝子や朝巳が怪我をしないように面倒を見てくれていた
少年がいまや、“三児”の父親とは感慨深い。
「東京には比呂志君一人で来ているのかい?」
「はい、耿子がまだ、遠出できないので、
妻と母が鵠沼で看病してくれています。
あの、犀星おじさん、
父さんのことを訊いてもいいですか?
父さんが死んだ時、僕も多加志も小学生で
也寸志は二歳でしたから、記憶が曖昧なんです……」
戦争を体験し、自ら“父親”に
なった今、芥川君がどんな父親で
何故、“死”を選んだのだのか
改めて知りたいと思ったのだろう。
「もちろん。芥川君は家族にも他人にも優しすぎた。
優しすぎたが故に色々と考え過ぎてしまったんだろうね。
そして心が限界を越えてしまったんだろうね……
僕はね、あの日、芥川君が自害した時に
田端にいなかったことを今も後悔しているんだよ。
白状するとね、僕は芥川君を“愛してた”んだよ」
比呂志君はまさか僕が父親の芥川君に“恋”をしていたとは
予想していなかったに違いない。
「犀星おじさんが父さんを?」
「そうだよ……
勿論、芥川君には妻の文さんも比呂志君たち子どもたちがいたし
僕にも妻のとみ子と娘の朝子と息子の朝巳がいたから
ずっと隠してきた。
芥川君の死後、とみ子と朝子に気付かれていたと
知った時は驚いたよ」
「とみ子さんと朝子ちゃんが?」
「とみ子は【芥川さんに恋慕している犀星さんも
私は変わらず愛してるからよ。】と言ったんだよ。
当時、中学生だった朝子に【お父さんにとっては“愛する人”が亡くなったわけだから
何年経っても寂しいのは当たり前なんだよ。
お父さん、泣くことは“愛してた証”だと思うんだ。】って 言われて
僕は初めて、芥川君の死後、思い切り泣けたんだよ。
芥川君の自害から二十年以上経つのに
ふとした時に、自分を責めしまう……」
自傷気味に笑った僕の手を比呂志君が握った。
「犀星おじさんが父さんに“恋”をしていたなんて
全く気付きませでしたけど、
犀星おじさんに愛してもらえて父さんは幸せ者だと思います」
芥川君の息子の比呂志君に言われて
少し心が軽くなった。
「ありがとう比呂志君」
「いえ……本当にそう思ったので。
学生時代は芥川と名乗ると必ず
クラスメートたちにからかわれたんです。
父さんの自害は新聞の一面を使って
全国に知られていましたから……
心ない言葉も沢山言われました。
<家族を捨てた>とか<自分勝手>とか
<家族が嫌いだった>とか
<心が弱かった>とか……」
芥川君の自害に関しては、色々な憶測が飛び交っていたのは
噂程度には聞いていたけど、
当事者である息子の比呂志君が
学生時代にそんな心ない
言葉を言われていたとは初めて知った。
「芥川君はけして家族を捨てたわけでも
心が弱かったわけでも
ましてや嫌いだったわけでもないんだよ。
ただ、芥川君は優しすぎて繊細過ぎた……
悪意に敏感で自分に向けられる悪意が
文さんや比呂志君たち家族に矛先が向かないか
常に警戒していたんだよ。
だけどね、警戒心ばかり抱いていると
段々、疑心暗鬼になって、心が壊れて
さっきも言ったように、
心に限界が来てしまったんだ」
“人”にも“文学”にも真摯に向き合っていた
芥川君はいつも“弱さ”を見せなかった。
「芥川君は誰よりも強かったんだよ。
僕にさえ、弱音を吐いてはくれなかった……」
「世間も学生時代のクラスメートも、父さんの死を
好き勝手に語りました……」
あの当時、“文豪・芥川龍之介の自害”と“読者の後追い自殺”という、二つの衝撃的な
出来事に新聞社や雑誌社、世間は大袈裟に騒ぎたて、
あることないことの噂を囁いた。
「芥川君は家族を愛していよ。ただ、“父親の死”というものに
触れるには比呂志君も多加志君も也寸志君も幼すぎた……
世間というのは戦争程ではないにしろ、時に残酷だ。
比呂志君たちは幼かったから知らないだろうけど、
芥川君の死後、“後追い自殺”が相次いだんだ。
芥川君の作品に心酔や陶酔していた
十代から二十代の青年たちが 次々と自ら命を絶ったんだよ。
新聞社や雑誌社はこの現象を
〔芥川宗〕なんて名付けていた……
僕はそれを聞いた時、怒りで気が狂いそうだったよ」
「〔芥川宗〕?」
「“文豪・芥川龍之介の死”をきっかけに“後追い自殺”が
相次いだことをメディアは真実をねじ曲げ、
面白可笑しく書き立てた……」
[>文豪・芥川龍之介の死を
きっかけに後追い自殺が相次ぐ< ]
[>警察もこればかりは
止められず、滑稽である< ]
そんな見出しの記事が世間に出回った。
何度、抗議文を送ろうかと思ったことか……
「比呂志君たちの母親の文さんは
そんな真実をねじ曲げた記事を
幼かった比呂志君たちには見せないように
配慮していたんだと思う」
「今、思い返すと、母さんが新聞を
隠すような素振りを何度か
していたのを思い出したんです……」
文さんは“世間の悪意”を比呂志君たち子どもたちに
見せたくなかったんだろう。
「自分が親になって、そして、犀星おじさんの
話を聞いて、やっと、納得しました。
母さんは“世間の悪意”を僕たちの目に
触れないようにしていたんですね……」
芥川君亡き後、僕たちが少し手助けをしたとはいえ、
文さんは一人で比呂志君たち三兄弟を育てあげた。
「母さんは、僕の娘三人の中でも耿子を溺愛しているんです。
だからといって、上の二人の娘が
嫉妬したりするわけではないんですけど……
やはり、耿子は病弱だから母さんも心配に
なってしまうんだと思います」
「文さんは病弱な耿子ちゃんを
晩年の芥川君と重ねているのかもしれないね……」
亡くなる少し前のあの痩せ細った芥川君を思い出していた。
「芥川君は晩年、病に冒されていたんだ。
一進一退する病も彼の心を
削る要因の一つだったのかもしれないね……」
「病ですか?」
比呂志君は首を傾げた。
「そう、芥川君は晩年の
胃弱や精神衰弱などの病に冒されていたんだけど、
奥さんの文にも、まだ、幼かった比呂志君たち
子どもたちにも言わなかったんだ。
そんな中でも、必死で執筆していたよ……」
優しかった芥川君は家族に自分が“病に冒されている”とは最期まで言わなかった。
「芥川君が自害した日から僕は全力で芥川君の家族を
守ろうと決めたんだ。
だから、比呂志君が結婚して、父親になったと知って嬉しかったし
守るものが増えたことも嬉しいんだ。
一方で多加え志君を守れなかったことは
ずっと、心に残っているんだ……」
「僕たち三兄弟は犀星おじさんに感謝しているんです。
僕たちが小さい頃、学校行事には
欠かさず来てくれましたし、勉強も遊びも
全部、教えてくれたのは犀星おじさんです。
弟の多加志は“国”に奪われたんです!!」
「けして、犀星おじさん
が守れなかったわけじゃありません」
比呂志君の言葉に涙が出そうだった。
「ありがとう、比呂志君」
「僕はずっと父さんの死に向き合う勇気がなかったんです。
でも、結婚して娘たちが産まれて、
戦争に参加して、死闘を潜り抜けて
帰ってきた時、わかったんです。
“怖い”という本当の意味がわかったんです」
比呂志君は僕の目を真っ直ぐ見て話し出した。
「戦地ではまさに死と隣り合わせでした。
父さんの残した言葉に“ぼんやりとした不安”と
ありましたけど、戦地でその言葉を身を持って体感したんです……
いつ敵に殺されるかわからない恐怖、
次々と死んでいく仲間たち、眠ったら即死という状況で
初めて父さんの残した
“ぼんやりとした不安”というのがわかったんです。
数秒前まで生きていた仲間が数秒後に隣で死んでいく……
“死因”は敵に殺されることだけではありません。
飢え、餓死、脱水、衰弱……
あの状況下で“正気”を保てたのは
帰りを待っていてくれる妻や母や娘たちと室生家のことを
ずっと、考えていたからです。
犀星おじさんは“もう一人の父親”ですから
“家族”の下に帰りたい一心であの地獄のような
戦地から帰ってこれたんです。
父さんを愛してくださってありがとうございます。
僕たち三兄弟の“もう一人の父親”に
なってくれて、ありがとうございます」
比呂志君の言葉に僕は驚いて、泣きそうになった。
「こちらこそ、“もう一人の父親”だなんて光栄だよ、ありがとう。
朝巳が四歳の時に【龍之介おじちゃんは
もう一人のお父さんみたいだから】って言ったことがあって、
朝子が【比呂志お兄ちゃんと多加志お兄ちゃんと
也寸志君のお父さんなんだからそんなこと言っちゃだめ!!】って
朝巳に言った後、朝巳を窘め、どこで覚えてきたのかと思うほど、
小さな身体を綺麗に折り曲げて朝子が芥川君に謝ったんだ」
「朝子ちゃんは小さい頃からしっかり者ですね」
比呂志君が笑って言った。
「比呂志君もだよ。小さい頃から多加志君と也寸志君の
面倒を見ていたのを覚えているよ」
「父さんが亡くなる前は本当に子どもらしく
弟二人と遊んでいただけですよ。
父さんが亡くなた後は夜中に泣き出す弟二人を宥めたり、
あやしたりしていました」
今度は違う意味で泣きそうなった。
「比呂志君、よく、頑張ったね。
父親になった比呂志君に会えて僕は嬉しいよ」
泣きそうになるのをぐっと耐え、比呂志君の肩をぽんと叩いた。
「とりあえず、室生家に帰ろう」
「はい、犀星おじさん」
室生家に着いてと玄関に出て来たとみ子が
僕の隣にいる比呂志君を見て抱き締めた。
「比呂志君、お帰りなさい」
比呂志君はとみ子を抱き締め返し、三人で家の中に入ると
朝子と朝巳も比呂志君を抱き締めた。
つかの間の家族の時間が訪れた。
僕は人目も憚らすに比呂志君を抱き締めた。
「犀星おじさん……ただいま帰りました」
「うん……お帰り
とみ子も朝子も朝巳も、
ずっと比呂志君の安否を案じていたんだ。
とりあえず、室生家に行こう。
僕たちも二ヶ月前までは軽井沢に疎開していて
一ヶ月前に東京に戻ってきたんだ」
「そうでしたか。軽井沢は空襲は大丈夫でしたか?」
「うん、空襲は逃れたよ。
ただ、終戦がもう少し遅ければ
朝巳も駆り出されるところだったんだよ」
僕は朝巳が戦地に行かなくて良かったと安心する一方で
多加志君の死の知らせの電報を受け取った時の
胸の痛みがぶり返した。
「そうだったんですね、朝巳君が出陣しなくて良かったです。
犀星おじさんに報告があるんです。
僕はいとこの瑠璃子と結婚して
帰還したら、三女の耿子が生まれてました。
弟の多加志の死は悲しいですけど、
妻と母と子どもたちが無事で安心したんです」
まさか、比呂志君が戦前に結婚していたとは。
「そうか、比呂志君も三人の子どもの父親になったんだね。
とりあえず、僕の家に行こう。
とみ子も朝子も朝巳も
比呂志君が帰って来たと知ったら喜ぶよ」
僕は比呂志君の隣を歩きながら色々な話をした。
「三人の子どもの父親になった感想は?」
僕がそう問と比呂志君は表情を和らげた。
「親になって、父さんや犀星おじさんの
ありがたみを改めて実感しました。
子どもを育てるというのは一筋縄ではいかないんですね……」
「親になるということは“責任”が伴うし、出費も増えるけど……
比呂志君も“親”になって、わかっただろ?
腕に抱いた時の愛しさや喜び。
中々寝付いてくれなくて内心焦ったりね……
耿子ちゃんはどんな子なんだい?」
「少し、病弱です……
それから、今は母の実家の別荘にいまして
神奈川県藤沢市鵠沼なんです。
東京には少し用事があって来たんですが
犀星おじさんに会えて良かっです」
芥川君、比呂志君が君と同じ
“三児”の父親になったよ。見てるかい?
天国にいる芥川君に話し掛けた。
子供の頃、弟の多加志君や
朝子や朝巳が怪我をしないように面倒を見てくれていた
少年がいまや、“三児”の父親とは感慨深い。
「東京には比呂志君一人で来ているのかい?」
「はい、耿子がまだ、遠出できないので、
妻と母が鵠沼で看病してくれています。
あの、犀星おじさん、
父さんのことを訊いてもいいですか?
父さんが死んだ時、僕も多加志も小学生で
也寸志は二歳でしたから、記憶が曖昧なんです……」
戦争を体験し、自ら“父親”に
なった今、芥川君がどんな父親で
何故、“死”を選んだのだのか
改めて知りたいと思ったのだろう。
「もちろん。芥川君は家族にも他人にも優しすぎた。
優しすぎたが故に色々と考え過ぎてしまったんだろうね。
そして心が限界を越えてしまったんだろうね……
僕はね、あの日、芥川君が自害した時に
田端にいなかったことを今も後悔しているんだよ。
白状するとね、僕は芥川君を“愛してた”んだよ」
比呂志君はまさか僕が父親の芥川君に“恋”をしていたとは
予想していなかったに違いない。
「犀星おじさんが父さんを?」
「そうだよ……
勿論、芥川君には妻の文さんも比呂志君たち子どもたちがいたし
僕にも妻のとみ子と娘の朝子と息子の朝巳がいたから
ずっと隠してきた。
芥川君の死後、とみ子と朝子に気付かれていたと
知った時は驚いたよ」
「とみ子さんと朝子ちゃんが?」
「とみ子は【芥川さんに恋慕している犀星さんも
私は変わらず愛してるからよ。】と言ったんだよ。
当時、中学生だった朝子に【お父さんにとっては“愛する人”が亡くなったわけだから
何年経っても寂しいのは当たり前なんだよ。
お父さん、泣くことは“愛してた証”だと思うんだ。】って 言われて
僕は初めて、芥川君の死後、思い切り泣けたんだよ。
芥川君の自害から二十年以上経つのに
ふとした時に、自分を責めしまう……」
自傷気味に笑った僕の手を比呂志君が握った。
「犀星おじさんが父さんに“恋”をしていたなんて
全く気付きませでしたけど、
犀星おじさんに愛してもらえて父さんは幸せ者だと思います」
芥川君の息子の比呂志君に言われて
少し心が軽くなった。
「ありがとう比呂志君」
「いえ……本当にそう思ったので。
学生時代は芥川と名乗ると必ず
クラスメートたちにからかわれたんです。
父さんの自害は新聞の一面を使って
全国に知られていましたから……
心ない言葉も沢山言われました。
<家族を捨てた>とか<自分勝手>とか
<家族が嫌いだった>とか
<心が弱かった>とか……」
芥川君の自害に関しては、色々な憶測が飛び交っていたのは
噂程度には聞いていたけど、
当事者である息子の比呂志君が
学生時代にそんな心ない
言葉を言われていたとは初めて知った。
「芥川君はけして家族を捨てたわけでも
心が弱かったわけでも
ましてや嫌いだったわけでもないんだよ。
ただ、芥川君は優しすぎて繊細過ぎた……
悪意に敏感で自分に向けられる悪意が
文さんや比呂志君たち家族に矛先が向かないか
常に警戒していたんだよ。
だけどね、警戒心ばかり抱いていると
段々、疑心暗鬼になって、心が壊れて
さっきも言ったように、
心に限界が来てしまったんだ」
“人”にも“文学”にも真摯に向き合っていた
芥川君はいつも“弱さ”を見せなかった。
「芥川君は誰よりも強かったんだよ。
僕にさえ、弱音を吐いてはくれなかった……」
「世間も学生時代のクラスメートも、父さんの死を
好き勝手に語りました……」
あの当時、“文豪・芥川龍之介の自害”と“読者の後追い自殺”という、二つの衝撃的な
出来事に新聞社や雑誌社、世間は大袈裟に騒ぎたて、
あることないことの噂を囁いた。
「芥川君は家族を愛していよ。ただ、“父親の死”というものに
触れるには比呂志君も多加志君も也寸志君も幼すぎた……
世間というのは戦争程ではないにしろ、時に残酷だ。
比呂志君たちは幼かったから知らないだろうけど、
芥川君の死後、“後追い自殺”が相次いだんだ。
芥川君の作品に心酔や陶酔していた
十代から二十代の青年たちが 次々と自ら命を絶ったんだよ。
新聞社や雑誌社はこの現象を
〔芥川宗〕なんて名付けていた……
僕はそれを聞いた時、怒りで気が狂いそうだったよ」
「〔芥川宗〕?」
「“文豪・芥川龍之介の死”をきっかけに“後追い自殺”が
相次いだことをメディアは真実をねじ曲げ、
面白可笑しく書き立てた……」
[>文豪・芥川龍之介の死を
きっかけに後追い自殺が相次ぐ< ]
[>警察もこればかりは
止められず、滑稽である< ]
そんな見出しの記事が世間に出回った。
何度、抗議文を送ろうかと思ったことか……
「比呂志君たちの母親の文さんは
そんな真実をねじ曲げた記事を
幼かった比呂志君たちには見せないように
配慮していたんだと思う」
「今、思い返すと、母さんが新聞を
隠すような素振りを何度か
していたのを思い出したんです……」
文さんは“世間の悪意”を比呂志君たち子どもたちに
見せたくなかったんだろう。
「自分が親になって、そして、犀星おじさんの
話を聞いて、やっと、納得しました。
母さんは“世間の悪意”を僕たちの目に
触れないようにしていたんですね……」
芥川君亡き後、僕たちが少し手助けをしたとはいえ、
文さんは一人で比呂志君たち三兄弟を育てあげた。
「母さんは、僕の娘三人の中でも耿子を溺愛しているんです。
だからといって、上の二人の娘が
嫉妬したりするわけではないんですけど……
やはり、耿子は病弱だから母さんも心配に
なってしまうんだと思います」
「文さんは病弱な耿子ちゃんを
晩年の芥川君と重ねているのかもしれないね……」
亡くなる少し前のあの痩せ細った芥川君を思い出していた。
「芥川君は晩年、病に冒されていたんだ。
一進一退する病も彼の心を
削る要因の一つだったのかもしれないね……」
「病ですか?」
比呂志君は首を傾げた。
「そう、芥川君は晩年の
胃弱や精神衰弱などの病に冒されていたんだけど、
奥さんの文にも、まだ、幼かった比呂志君たち
子どもたちにも言わなかったんだ。
そんな中でも、必死で執筆していたよ……」
優しかった芥川君は家族に自分が“病に冒されている”とは最期まで言わなかった。
「芥川君が自害した日から僕は全力で芥川君の家族を
守ろうと決めたんだ。
だから、比呂志君が結婚して、父親になったと知って嬉しかったし
守るものが増えたことも嬉しいんだ。
一方で多加え志君を守れなかったことは
ずっと、心に残っているんだ……」
「僕たち三兄弟は犀星おじさんに感謝しているんです。
僕たちが小さい頃、学校行事には
欠かさず来てくれましたし、勉強も遊びも
全部、教えてくれたのは犀星おじさんです。
弟の多加志は“国”に奪われたんです!!」
「けして、犀星おじさん
が守れなかったわけじゃありません」
比呂志君の言葉に涙が出そうだった。
「ありがとう、比呂志君」
「僕はずっと父さんの死に向き合う勇気がなかったんです。
でも、結婚して娘たちが産まれて、
戦争に参加して、死闘を潜り抜けて
帰ってきた時、わかったんです。
“怖い”という本当の意味がわかったんです」
比呂志君は僕の目を真っ直ぐ見て話し出した。
「戦地ではまさに死と隣り合わせでした。
父さんの残した言葉に“ぼんやりとした不安”と
ありましたけど、戦地でその言葉を身を持って体感したんです……
いつ敵に殺されるかわからない恐怖、
次々と死んでいく仲間たち、眠ったら即死という状況で
初めて父さんの残した
“ぼんやりとした不安”というのがわかったんです。
数秒前まで生きていた仲間が数秒後に隣で死んでいく……
“死因”は敵に殺されることだけではありません。
飢え、餓死、脱水、衰弱……
あの状況下で“正気”を保てたのは
帰りを待っていてくれる妻や母や娘たちと室生家のことを
ずっと、考えていたからです。
犀星おじさんは“もう一人の父親”ですから
“家族”の下に帰りたい一心であの地獄のような
戦地から帰ってこれたんです。
父さんを愛してくださってありがとうございます。
僕たち三兄弟の“もう一人の父親”に
なってくれて、ありがとうございます」
比呂志君の言葉に僕は驚いて、泣きそうになった。
「こちらこそ、“もう一人の父親”だなんて光栄だよ、ありがとう。
朝巳が四歳の時に【龍之介おじちゃんは
もう一人のお父さんみたいだから】って言ったことがあって、
朝子が【比呂志お兄ちゃんと多加志お兄ちゃんと
也寸志君のお父さんなんだからそんなこと言っちゃだめ!!】って
朝巳に言った後、朝巳を窘め、どこで覚えてきたのかと思うほど、
小さな身体を綺麗に折り曲げて朝子が芥川君に謝ったんだ」
「朝子ちゃんは小さい頃からしっかり者ですね」
比呂志君が笑って言った。
「比呂志君もだよ。小さい頃から多加志君と也寸志君の
面倒を見ていたのを覚えているよ」
「父さんが亡くなる前は本当に子どもらしく
弟二人と遊んでいただけですよ。
父さんが亡くなた後は夜中に泣き出す弟二人を宥めたり、
あやしたりしていました」
今度は違う意味で泣きそうなった。
「比呂志君、よく、頑張ったね。
父親になった比呂志君に会えて僕は嬉しいよ」
泣きそうになるのをぐっと耐え、比呂志君の肩をぽんと叩いた。
「とりあえず、室生家に帰ろう」
「はい、犀星おじさん」
室生家に着いてと玄関に出て来たとみ子が
僕の隣にいる比呂志君を見て抱き締めた。
「比呂志君、お帰りなさい」
比呂志君はとみ子を抱き締め返し、三人で家の中に入ると
朝子と朝巳も比呂志君を抱き締めた。
つかの間の家族の時間が訪れた。
0
あなたにおすすめの小説
白花の檻(はっかのおり)
AzureHaru
BL
その世界には、生まれながらに祝福を受けた者がいる。その祝福は人ならざるほどの美貌を与えられる。
その祝福によって、交わるはずのなかった2人の運命が交わり狂っていく。
この出会いは祝福か、或いは呪いか。
受け――リュシアン。
祝福を授かりながらも、決して傲慢ではなく、いつも穏やかに笑っている青年。
柔らかな白銀の髪、淡い光を湛えた瞳。人々が息を呑むほどの美しさを持つ。
攻め――アーヴィス。
リュシアンと同じく祝福を授かる。リュシアン以上に人の域を逸脱した容姿。
黒曜石のような瞳、彫刻のように整った顔立ち。
王国に名を轟かせる貴族であり、数々の功績を誇る英雄。
雨降る窓辺で
万里
BL
突然の事故で妻を亡くした基樹は、5歳の娘・すみれとの生活に戸惑いながらも懸命に向き合っていた。 ある夜、疎遠だった旧友・修一から届いた一通のメッセージが、彼の孤独な日々を少しずつ変えていく。
料理や家事を手際よくこなし、すみれにも優しく接する修一。 その存在は、基樹の張り詰めた心を静かにほどいていく。
花いちもんめ
月夜野レオン
BL
樹は小さい頃から涼が好きだった。でも涼は、花いちもんめでは真っ先に指名される人気者で、自分は最後まで指名されない不人気者。
ある事件から対人恐怖症になってしまい、遠くから涼をそっと見つめるだけの日々。
大学生になりバイトを始めたカフェで夏樹はアルファの男にしつこく付きまとわれる。
涼がアメリカに婚約者と渡ると聞き、絶望しているところに男が大学にまで押しかけてくる。
「孕めないオメガでいいですか?」に続く、オメガバース第二弾です。
出戻り王子が幸せになるまで
あきたいぬ大好き(深凪雪花)
BL
初恋の相手と政略結婚した主人公セフィラだが、相手には愛人ながら本命がいたことを知る。追及した結果、離縁されることになり、母国に出戻ることに。けれど、バツイチになったせいか父王に厄介払いされ、後宮から追い出されてしまう。王都の下町で暮らし始めるが、ふと訪れた先の母校で幼馴染であるフレンシスと再会。事情を話すと、突然求婚される。
一途な幼馴染×強がり出戻り王子のお話です。
※他サイトにも掲載しております。
そんなの真実じゃない
イヌノカニ
BL
引きこもって四年、生きていてもしょうがないと感じた主人公は身の周りの整理し始める。自分の部屋に溢れる幼馴染との思い出を見て、どんなパソコンやスマホよりも自分の事を知っているのは幼馴染だと気付く。どうにかして彼から自分に関する記憶を消したいと思った主人公は偶然見た広告の人を意のままに操れるというお香を手に幼馴染に会いに行くが———?
彼は本当に俺の知っている彼なのだろうか。
==============
人の証言と記憶の曖昧さをテーマに書いたので、ハッキリとせずに終わります。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる