“最期”なんて言わせない

華愁

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第三話 “最期”なんて言わせない③

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眠っている龍之介君の髪を撫でていると、玄関が開く音がした。

どうやら、妻のとみ子と娘の朝子と息子の朝巳が
旅行から帰ってきたらしい。

「犀星さん、ただいま」   
        
玄関から聞こえて来たとみ子の声。

「お帰り、とみ子・朝子・朝巳、楽しかったかい?」

「うん!! 

これ、お父さんにお土産!!」

朝巳が紙袋を手渡してくれた。

「ありがとう、朝巳」
         
僕は朝巳の頭を撫でた。

数十分後、朝巳と朝子が遊びに出かけたのを見計らって、
僕は妻のとみ子に包み隠さず話した。
         
「とみ子、すまない……
      
僕は龍之介君と関係を持ってしまった……」 

「ふふ、龍之介さんを“抱いた”のね」 

とみ子の声色は“普通”だった。
              
責めるわけでも怒るわけでもなく、普段と変わらない声色。
        
「怒らないのかい?」              

恐る恐る訊いた僕にとみ子は呆れた顔をした。

「怒る要素が何処にあるのかしら? 

犀星さんが家族を“捨てる”なら別だけれど、
龍之介さんは“恋人”なんでしょう?

なら、私は犀星さんが龍之介さんを 抱いても気にしないわ。
        
彼はずっと、危うかったでしょう? 
        
そんな龍之介さんを繋ぎ止められるのが
犀星さんなら私も嬉しいのよ。
        
私の旦那さんは最高ね」      
      
裏切り者の僕を“最高の旦那さん”なんて……

とみ子には一生、頭が上がらない。
    
「人はね、結婚していようといまいと
“誰か”に心が動くことがあるのは当たり前なのよ」

「龍之介君は“僕の女”になりたいと言って、
僕もそのつもりで龍之介君を抱いたんだ……」  
  
妻には隠し事をしたくなくて白状した。  
  
「あら、いいじゃない。  
  
そもそも、犀星さんの龍之介さんに対する愛情は
私たち家族とは別にあるのでしょう? 
  
なら、本来の性別はともかく、龍之介さんは、間違いなく、
“犀星さんの女”なのよ。

犀星さんが龍之介さんを抱いているところを見てみたいわ。

今度、こっそり覗こうかしら」

とみ子の言葉に飲み込もうとしていたお茶を詰まらせて噎せた。      

「けほ、けほ、とみ子、さすがにそれは……」
    
「あら、冗談じゃなく見てみたいと思ったのよ。
     
次に龍之介さんを抱く時は是非、教えてね、犀星さん」
    
僕はもう一度、盛大に噎せた。
    
「とみ子、本気かい?」  
  
夫が違う人を抱いている姿を見たいなんて……  
  
「半分冗談で半分本気よ。

それはともかく、龍之介さんが私たちの
留守の時に来たということは何かあったんでしょう?」    
    
相変わらず聡い。
    
「昨夜、来た時は“自害”する前に僕に抱かれたら
“未練”がなくなるから“最期”に僕に会いたかったと言ったんだ」

今は書斎で眠っている龍之介君。  

「だから、僕は“最期”じゃなくて“生きてほしい”と
思って龍之介君を抱いたんだ。        

それから、毎週三回は抱かれにおいでとも言ったんだ……」         

「いいんじゃないかしら。
         
“最期”に会いたいと思った人が“
一番愛していた人”なんだと思うのよ。

龍之介さんは犀星を愛していたから、“最期”に会いに来た。  
  
だけど、犀星さんが龍之介さんを抱いたことで  
また“生きる希望”を持てたのよ。

次に龍之介さんを抱く時は教えてね。

犀星さんが どんな顔をして“抱いて”龍之介さんが
どんな顔で“抱かれて”いるのか見たいの」

僕と龍之介君の関係に理解を示してくれたことはありがたいけど……  
         
「僕が龍之介君を  抱いているところ見ても大丈夫なのかい?」

「もちろんよ、それに、龍之介さんが“女”として
犀星に抱かれているなら  きっと、綺麗なんでしょうね。

愛する人に抱かれている時は綺麗になれるのよ。  

いい? 犀星さんは龍之介さんに新たな命を吹き込んだの」

さすが文学者
  
普通、事情がどうあれ、他の人を抱いた夫に対して
[新たな命を吹き込んだ]なんて言葉は出てこない。

「犀星さんの愛を龍之介さんと共有できることは喜ばしいことよ。  
  
龍之介さんが起きたら三人でお茶を飲みましょう。

見学希望なことは忘れないでね」

「とみ子!?  
  
わかった……  
  
ただ、龍之介君はとみ子に見られてるとわかったら
恥ずかしがるだろうから、こっそりなら」

根負けしてしまったがとみ子の寛大さを考えれは
些細なことかもしれないと思った。

一時間後、目を覚ました 龍之介君が書斎から居間に来た。        
         
少々寝ぼけていたが、 とみ子を見て覚醒した。        
         
「とみ子さん……ごめんなさい……」        
         
「あら、龍之介さんから謝られるようなことは
されていませんよ?        
         
もしかして、犀星さんが龍之介さんを抱いたことかしら?        
         
そういうことなら 私は気にしていないわ。   
      
“恋人同士”なら愛し合うのは普通のことだもの」      
      
あっけらかんと言うとみ子に龍之介君はあたふたしている。  
  
「あの、その、犀星君はとみ子の旦那さんで  
朝子ちゃんと朝巳君の  父親なのに……

奪ってしまって……」

「奪われてはいないわ。
            
龍之介さんは犀星さんの“恋人”になっただけでしょう?      
      
人は、“誰か一人”なんて無理ですもの。      
      
龍之介さんは犀星さんに[新たな命を吹き込まれた]んですから      
二人で幸せを見つけてほしいわ。 
      
妻として犀星さんの愛を共有できて私は嬉しいのよ」

とみ子の言葉に龍之介君は僕の着物の袖を引いて    
目だけで訊いてきた。    
    
❲目は口ほどにものを言う❳とはまさにこのこのだ。    
    
龍之介君の目はーー 
    
<本当にここにいていいの?>    
    
<とみ子さんは怒っないの?>    
    
そういう主旨の訴えだ。  
  
「犀星さんの着物の袖を引いて上目遣いだなんて  
龍之介さんは可愛らしいわね。

犀星さんの“新妻”かしら?                
                
一世紀前なら“側室”ね」
            
からかい口調のとみ子は愉しそうだ。

「こらこら、とみ子。          
          
龍之介君は純粋なんだから、からかたたら、泣いてしまうよ」        
        
いまだに、僕の着物の袖を握っている龍之介君の頭を撫でた。      
      
「龍之介さんは“犀星さんの女”として胸を張っていいのよ」    
    
「ちょっと待って、犀星君、    
とみ子さんにそんなことまで話したのかい!?」

耳まで真っ赤にして僕の胸に顔を埋める龍之介君。      
      
「とみ子には嘘偽りなく話したかったからね」  
  
無言でしがみついてくる龍之介君が可愛い。

「“犀星さんの女”って独占欲丸出しで綺麗な響きよね」
      
本来なら“独占欲”と“綺麗”とは 真逆な言葉に聞こえるはずだが……    
    
“文学者”だからなのか単にとみ子が寛容だからなのか…… 
  
「“独占欲”と“綺麗”掛け合わせるのはとみ子くらいだよ」

苦笑して肩を竦める僕を見てとみ子はくすくすと笑った。

「“新婚さん”の仲睦まじい姿を見るのは愉しいもの。  
  
我が家だけは“一夫二妻制”でいいじゃない」

僕は危うく湯飲みを落としそうになり、龍之介君は
首まで真っ赤にして僕の腕に隠れた。
          
「義妻って言ったら龍之介さんは怒るかしら?」   

「ぎ、義妻!? 
 
僕にも家庭があるから、その言い方は……」 
        
そうだよね、龍之介にも
妻の文さんと 息子の比呂志君・多加志君 ・也寸志君がいる。      
      
「龍之介さんは昨日、自分の家族さえも置いて  
自害するつもりだったのでしょう?
      
だけど、“最期”に
犀星さんに会いたかったから昨夜、ここに来た」  

とみ子の言っていることはきついが声色は穏やかだ。

「そうだね、僕は自分の家族さえも置いて
自害しようとしたくせに“未練”を残したくなくて、
犀星に会いに来た身勝手な人間さ」

自傷気味な声色で呟いた龍之介君は
また“死の縁”まで逆戻りしそうな空気を孕んでいた。

「龍之介君、自分を責めてはいけないよ。

昨夜、龍之介君は僕に“助けて”と言いに来たんだよ」

僕の言葉に龍之介君は困惑している。  
  
そして、僕は肝心なことを訊いていないことに気付いた。  
  
「ところで、龍之介君はそもそもにして
“自害”しようなんて思ったんだい?

病気で胃が食べ物を受け付けない、だけじゃないんだろう?」  
  
「犀星君ととみ子さんになら……
  
実は、僕には実姉がいるんだけど、半年前に実姉の夫が
鉄道自殺して、義兄の借金やら、
残された姉や姪たちの面倒を見なければならなくなって……

全てが嫌になってしまったんだ」

「龍之介君のお義兄にいの借金はいくらくらいあるんだい?」    
    
「三千円から四千円くらい……」  
    
かなりの大金だ。
    
「わかった、その借金の半分は僕が出そう」  
 
「そうね、教員時代の貯金をおろせば私も幾らか出せるわ」

とみ子なら言うと思った。  
  
「犀星君・とみ子さん、気持ちは嬉しいけど  
僕の家の問題で二人にお金を借りるのは……」 

「根本的な前提から間違ってるよ。
      
そもそも、忘れたのかい?      
      
僕たちはお互いの“所有権”を持っているんだ。      
      
“自分のもの”にお金を出すことは“貸す”とは言わない。  

龍之介君は“僕の女”なんだから、遠慮しなくていいんだよ。

それでも、遠慮するなら、そうだね……              
              
僕が三百円出す度に龍之介が僕に
抱かれているところをとみ子に見せるというのはどうだい? 
          
とみ子は見学したいらしいからね」  
  
僕はとみ子の前で龍之介君に口付けをした。  
  
「それが嫌なら遠慮なんて捨てることだよ。  
  
大金ではあるけど、僕ととみ子と龍之介君の三人で払えば、
返せない額じゃないさ。  
  
それから、龍之介君のお姉さんとも話をしないとね。

愛してるよ、龍之介君」

「うちは一夫二妻制ですから、犀星さんは幸せ者ね」  
  
とみ子はまだ、その設定を続けるらしい。  
  
「“両手に花”とはまさにこのことだね」  
  
妻のちょっとふざけた設定に付き合うことにした。

「君の本当の家族である
文さんや比呂志君・多加志君・也寸志君には
悪いと思うけど龍之介君は僕の“義妻”だよ。

妻の手助けをするのは夫の役目なんだから
龍之介のお義兄にいさんの借金も一緒に返済していこう」

「⟦義妻なんて…… 僕にはそんな資格ないよ……⟧」                        
                        
僕の着物の袖を掴んで俯いたまま小声で言った。
                      
「資格なんていらないけど、どうしても、資格がほしいなら、
僕ととみ子のもとで 生きてくれることだけだよ。
         
⟦龍之介君が“僕の女”だって、今夜も身体に教えて込もうか?⟧」
          
僕の囁きに龍之介君の袖を握る手に力が入った。
   
「とみ子さんの前でなんてことを…… 恥ずかしい……」
      
「最初に龍之介君を“義妻”と言い出したのはとみ子だし
龍之介君は僕の“妻”になるのは嫌?」 

「嫌なわけない……   
   
昨夜、“犀星君の女”にしてほしいと言ったのは本当だし      
抱いてもらって嬉しかった……      
      
だけど、僕は妻の文も息子の比呂志・多加志・也寸志を      
置いて死のうとして、今もこうして犀星君に甘えて  
自分のい家に帰る勇気すらないのに  
“犀星君の妻”になるなんて……    許されるのかな……」

「許されるとか許されないとか、考えなくていいし  
龍之介君がどうしたいかを考えればいいんだよ」

龍之介君を抱き寄せた。                
                
「文の夫で比呂志たちの父親なのに
何日も帰らなかったら  不信に思わないかな……
              
こうして、犀星君に生かされたんだから、
一度、帰った方がいいと思っているけど              
家族を置いて自害しようとした僕は帰るのが怖いんだ……            
            
それから、犀星君の“妻”になったなんて、
文からしたら、ただの“不倫”にしかみえないだろうし」          
          
「龍之介君は文さんや比呂志君たちに対する責任感と
罪悪感で気持ちが落ち着かないんだね。        
        
だけどね、龍之介君の幸せを一番に考えてほしい。  
        
僕の“妻”になることに抵抗があるなら、無理になることはないし、
そうしなかったからと言って、
僕が龍之介君を嫌ったり突き放すことはないから、
ゆっくり考えていいんだよ。      
      
君がどんな選択をしても僕は龍之介君を愛してる」    
    
昨夜、龍之介君は“生きた”と言葉にはしなかったけど、    
僕に会いに来た時点で無意識に“生きた”と心が叫んでいた証だ。  
  
「犀星君…… 僕は……犀星君の“妻”になりたい……  
  
だけど、文や比呂志たちになんて説明したらいいのか……」

「今すぐに説明しに帰らなくてもいいんだよ。  
   
龍之介君の心が落ち着いたら、 
文さんや比呂志君たちに説明すればいい。  
   
龍之介君、いくらでも悩んでいいんだよ。  
   
その度に僕がその悩みを消してあげるから  
   
たから、僕に甘えて甘やかされて抱かれていればいい。  
   
今夜もたくさん、 抱いてあげるから、
可愛い声で啼いておくれ、 
僕の可愛い“義妻さん”」  
   
僕はもう一度、龍之介君に口付けをした。  
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