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第九話 「君に捧ぐ|詩《うた》」
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「芥川君、これを、君に。
僕が君に捧ぐ詩だよ。」
とみ子さん公認でお付き合いを始めて三ヶ月、
酷暑だった七月下旬から残暑が残る十月上旬になっていた。
僕は手渡された封筒を開き、
便箋に綴られた犀星君の文字を追った。
---
「君に捧ぐ詩」
君と出会えたことは
僕にとって幸福なことだ。
前世、僕の知らないところで、
君がもういないと知った時、
激しく後悔をした。
――それと同時に、
君に嫌われても、疎まれても、
自分の気持ちに素直になればよかったと思った。
――一度死んで、目が覚めて
まだ、君が生きているとわかった時、
どれ程、嬉しかったか。
君には“生きて”ほしいと思った。――
もし、君がこの先迷い
歩みを止めそうになったら
僕は何度でも傍に立とう。
君が倒れぬよう
君が孤独に沈まぬよう
僕の声で呼びかけよう。
君の手を握り
ただ「生きよ」と伝えよう。
僕にとっての光は
常に、芥川龍之介という存在なのだから。
---
僕は読み終えて、しばし動けなかった。
文字のひとつひとつが、僕の胸を震わせる。
犀星君は、僕の知らなかった“過去”と、
僕と共に歩もうとする“現在”を繋ぎ、
そして未来へと伸ばしてくれている。
「……犀星君」
僕が言葉を発すると、彼は静かに微笑んだ。
「君がそこにいてくれるだけで、僕は救われる。
だから、これは詩であると同時に、
僕の祈りなんだよ。」
窓の外には秋の陽が差し込み、
風に揺れる木々が金色にきらめいていた。
僕は便箋を胸に抱きしめながら、
心の奥底でそっと誓った。
――僕もまた、この人の祈りに応えたい。
犀星君と共に、
“生きる”という選択を続けていこう、と。
犀星君の便箋を胸に抱いたその夜、
僕は机に向かい、震える手で筆を取った。
便箋に滲む墨は、まるで僕の心そのものだった。
---
「君と生きる覚悟」
――君が“生きろ”というなら僕は“生きる”。
“家族”も“文学”も心に響かなくなっていた時に、
君の言葉だけが“響いた”。――
――“恋文”をもらった時は驚いたけど、
嬉しかったし
自分の気持ちを自覚するきっかけになった。――
――僕も君を愛してる。
ずっと、側にいてほしい。――
君の眼差しは僕を責めない。
君の手は僕を縛らない。
ただ「生きよ」と抱きとめてくれる。
もしも僕が言葉を失っても
君は僕を見捨てないだろう。
だからこそ僕もまた
君と共に、在りたいと願う。
たとえ道半ばで
光を見失う日があっても――
君がいる限り、
僕は“生きる”。
---
書き終えた時、胸の奥に
わずかながらも確かな灯火がともっているのを感じた。
それは、文学でも名声でもなく、
ただ“犀星君と共に歩む”という、
小さくも揺るぎない決意だった。
翌朝、僕は封筒に詰めたその返詩を携え、
犀星君の家の扉を叩いた。
「犀星君……これを、受け取ってほしい」
差し出した封筒を受け取った彼の瞳は、
秋空のように澄み渡っていた。
「芥川君……ありがとう」
その一言に、
僕たちの心は深く結ばれたのだった。
「芥川さん、今日も昼食、食べて行きませんか?」
相変わらず、玄関で話していた僕と
犀星君に奥から出てきたとみ子さんに提案された。
「では、お言葉に甘えても?」
僕がそう返すと、とみ子さんは嬉しそうに頷いた。
「もちろんです。今日は栗ご飯を炊いたんですよ。
秋の味覚を、ぜひご一緒に」
招かれるままに居間へ上がると、机には季節の料理が並べられていった。
湯気の立つ椀、焼き茄子の香ばしい匂い、そしてほくほくと甘い栗ご飯。
その光景は、どこか詩の一節のように穏やかで温かなものだった。
「さあ、どうぞ」
勧められ、僕は箸をとった。
栗の甘さと米の優しい香りが口いっぱいに広がり、思わず目を細めた。
「……美味しい」
心からこぼれた言葉に、とみ子さんは安堵の笑みを浮かべる。
その横で犀星君がからかうように言った。
「どうだい、芥川君。僕の詩より、
とみ子の料理のほうが胸に響いたんじゃないか?」
「もう、犀星さんったら」
とみ子さんが笑いながら彼の肩を軽く叩き、僕もつい口元を緩めた。
――こんな空気があるのか、と。
文学でも名声でもなく、ただ人の温もりに満たされる時間。
その中に、自分が受け入れられている。
食事がひと段落すると、とみ子さんは席を立ち、台所へ向かった。
「お二人で少しお話を。お茶を入れてきますから」
居間に残された僕と犀星君は、湯気の残る器を前に
静かに視線を交わし一瞬だけ口付けをした。
ほんの一瞬のだけ交わされた温もり。
「龍之介君、愛してる」
耳元で名前を呼ばれ、僕は犀星君に寄りかかった。
「僕も、犀星君を愛してる」
再び、耳元で囁かれて犀星君の手を握った。
台所ではとみ子さんがお茶の用意をしている。
「あらあら、二人がいい雰囲気で私も嬉しいわ。
お茶の用意ができましたから飲みましょう」
僕たちはおかしな三角関係だけど
そこに険悪な空気は漂っていない。
むしろ、穏やかすぎる空気が漂っている。
「こうして、一緒にいられることが一番、嬉しいよ」
犀星君がぎゅっと手を握ってくれた。
「僕も、一緒にいられて嬉しい」
手を握り合った僕たちを横目にとみ子さんは
お茶を机の上に置いた。
とみ子さんは湯気の立つ湯呑をひとつひとつ、丁寧に僕たちの前に置いていった。
その仕草には、妻としての柔らかさと、
母としての落ち着き、そして僕たちを
優しく見守る“理解者”としての眼差しが滲んでいた。
「さあ、冷めないうちにどうぞ」
促されて湯呑を手に取り、口に含むと、
香ばしい茶葉の香りとほのかな渋みが広がる。
その温かさは、まるで僕たち三人を
包み込むかのようだった。
「……美味しい」
素直に感想を漏らすと、とみ子さんは
安心したように頷いた。
犀星君もまた湯呑を傾けながら、
ふっと穏やかな笑みを浮かべる。
「とみ子、ありがとう。
君のおかげで僕も芥川君も一緒にいられる」
とみ子さんは僕たちを見ながら柔らかく笑った。
「犀星さん、何言ってるの、
二人が幸せなら、私も幸せなのよ。
龍之介さんも家族だもの」
まさか、僕を“家族”と
言ってくれるなんて思わなかった。
「いいんですか? 」
僕は謂わば“浮気相手”だ。
「ええ、犀星さんが幸せなら私も幸せですし
その幸せの根底に龍之介さんがいるなら
“家族”として迎え入れます」
僕は言葉を失った。
「ありがとうございます」
感極まって、泣き出してしまった僕に
犀星君ととみ子さんは背中を撫でてくれた。
「龍之介君、泣かなくて大丈夫だよ」
犀星君は片手で背中を撫でながら
もう片方の手で頭を撫でてくれた。
「そうですよ、龍之介さん。
私達は“家族”ですから。」
“本当の家族”である妻の文や子供たちには
多少の罪悪感はあるものの、とみ子さんと
犀星君と三人でいることが一番落ち着く。
「僕は……本当の家族を蔑ろにして裏切っているのに、
ここにいると“赦され”ている気持ちになるんだ……」
今も家にいるであろう妻の文と子供たち。
「龍之介君、大丈夫、君の罪悪感も全て僕たちが受け止めるさ。そうだろう、とみ子?」
犀星君はとみ子さんに訊いた。
とみ子さんは微笑みながら頷いた。
「ええ、もちろんよ。龍之介さんのことを責めたりはしません。
犀星さんも言った通り、私たちがちゃんと受け止めますから」
その言葉に、僕の胸はじんわりと温かくなった。
責められるどころか、包み込まれる感覚――
まるで、長く凍えていた心に春の日差しが差し込むようだった。
犀星君は優しく僕の手を握り直す。
「龍之介君、ここにいることに
罪悪感なんていらないよ。
君が笑っていてくれるだけで、僕は幸せなんだ」
僕は息を呑み、彼の瞳を見返す。
そこには、揺るぎない信頼と愛が宿っていた。
「……ありがとう、二人とも」
妻・文と子供たちへの愛情がなくなったわけじゃないけど僕は犀星君を 愛しているし、
“室生家”の一員にしてもらえて嬉しかった。
「……言い方が悪いけど、自宅に帰りたくないな」
“居場所”を見つけた僕は
ずっとここにいたいと思ってしまった。
「龍之介さんの好きなだけいてくれていいんですよ。
うちの子供たちも龍之介さんのこと大好きですし。
ね、犀星さん」
犀星君は微笑んで頷いた。
「そうだよ、僕たちは龍之介君が大好きなんだ。
君が笑ってくれるだけで嬉しいし
ここにいたいなら思う存分いてくれていいから。
ずっと、一緒だよ。愛してる」
僕は犀星君に抱き着いた。
「僕も犀星君を愛してる。
ずっと、一緒にいたい……」
犀星君は抱き締め返してくれた。
とみ子さんは新しいお茶を淹れながら
僕たちを優しい眼差しで見ていた。
僕は涙を拭いながら、差し出された湯呑を再び手に取った。
栗ご飯の余韻とともに、温かな茶の香りが心に沁みる。
「……なんだか、胸の中の氷が解けていくようだよ」
ぽつりとこぼすと、犀星君は優しく微笑んだ。
「龍之介君、君は一人で背負いすぎていたんだよ。
だからこそ、僕も、とみ子も、君に寄り添いたい」
とみ子さんも頷きながら、穏やかに言葉を添える。
「そうです。ここでは無理に強がらなくてもいいんです。
泣きたい時は泣いて、笑いたい時は笑えばいいんです」
その言葉に、僕の胸はまた熱くなった。
これまで“父”や“夫”として、常に責任と役割を背負い、
弱さを見せてはいけないと自分を律してきた。
けれど、この室生家では、
そんな鎧を外してもいい――そう思えた。
「……ありがとう。僕は、本当に幸せ者だ」
ふと、子供たちの笑い声が廊下の奥から響いてきた。
学校から帰ってきたのだろう。
障子を開けて、二人の小さな顔がのぞいた。
「芥川のおじちゃん!」
嬉しそうに駆け寄ってきて、僕の膝に抱きつく。
「まあまあ、龍之介さんが来てくれて、嬉しいのね」
とみ子さんが微笑みながら子供たちをなだめる。
僕はその小さな頭を撫でながら、胸の奥で安堵を覚えた。
――この家では、僕は“受け入れられている”。
それは罪悪感を伴いつつも、同時に救いでもあった。
犀星君が子供たちを抱き寄せ、僕の方を見た。
「ねえ、龍之介君。これが僕の大切な“家族”だ。
そして、君もその一員なんだ」
その言葉は、僕の心に深く刻まれた。
文学仲間でもなく、仮初の友でもない。
“家族”として、共に生きていく――。
僕は子供たちの笑顔を見つめながら、
犀星君の言葉を噛みしめた。
そして心の中で、静かに祈った。
――どうかこの時間が、永遠に続きますように。
心のそこから思った。
僕が君に捧ぐ詩だよ。」
とみ子さん公認でお付き合いを始めて三ヶ月、
酷暑だった七月下旬から残暑が残る十月上旬になっていた。
僕は手渡された封筒を開き、
便箋に綴られた犀星君の文字を追った。
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「君に捧ぐ詩」
君と出会えたことは
僕にとって幸福なことだ。
前世、僕の知らないところで、
君がもういないと知った時、
激しく後悔をした。
――それと同時に、
君に嫌われても、疎まれても、
自分の気持ちに素直になればよかったと思った。
――一度死んで、目が覚めて
まだ、君が生きているとわかった時、
どれ程、嬉しかったか。
君には“生きて”ほしいと思った。――
もし、君がこの先迷い
歩みを止めそうになったら
僕は何度でも傍に立とう。
君が倒れぬよう
君が孤独に沈まぬよう
僕の声で呼びかけよう。
君の手を握り
ただ「生きよ」と伝えよう。
僕にとっての光は
常に、芥川龍之介という存在なのだから。
---
僕は読み終えて、しばし動けなかった。
文字のひとつひとつが、僕の胸を震わせる。
犀星君は、僕の知らなかった“過去”と、
僕と共に歩もうとする“現在”を繋ぎ、
そして未来へと伸ばしてくれている。
「……犀星君」
僕が言葉を発すると、彼は静かに微笑んだ。
「君がそこにいてくれるだけで、僕は救われる。
だから、これは詩であると同時に、
僕の祈りなんだよ。」
窓の外には秋の陽が差し込み、
風に揺れる木々が金色にきらめいていた。
僕は便箋を胸に抱きしめながら、
心の奥底でそっと誓った。
――僕もまた、この人の祈りに応えたい。
犀星君と共に、
“生きる”という選択を続けていこう、と。
犀星君の便箋を胸に抱いたその夜、
僕は机に向かい、震える手で筆を取った。
便箋に滲む墨は、まるで僕の心そのものだった。
---
「君と生きる覚悟」
――君が“生きろ”というなら僕は“生きる”。
“家族”も“文学”も心に響かなくなっていた時に、
君の言葉だけが“響いた”。――
――“恋文”をもらった時は驚いたけど、
嬉しかったし
自分の気持ちを自覚するきっかけになった。――
――僕も君を愛してる。
ずっと、側にいてほしい。――
君の眼差しは僕を責めない。
君の手は僕を縛らない。
ただ「生きよ」と抱きとめてくれる。
もしも僕が言葉を失っても
君は僕を見捨てないだろう。
だからこそ僕もまた
君と共に、在りたいと願う。
たとえ道半ばで
光を見失う日があっても――
君がいる限り、
僕は“生きる”。
---
書き終えた時、胸の奥に
わずかながらも確かな灯火がともっているのを感じた。
それは、文学でも名声でもなく、
ただ“犀星君と共に歩む”という、
小さくも揺るぎない決意だった。
翌朝、僕は封筒に詰めたその返詩を携え、
犀星君の家の扉を叩いた。
「犀星君……これを、受け取ってほしい」
差し出した封筒を受け取った彼の瞳は、
秋空のように澄み渡っていた。
「芥川君……ありがとう」
その一言に、
僕たちの心は深く結ばれたのだった。
「芥川さん、今日も昼食、食べて行きませんか?」
相変わらず、玄関で話していた僕と
犀星君に奥から出てきたとみ子さんに提案された。
「では、お言葉に甘えても?」
僕がそう返すと、とみ子さんは嬉しそうに頷いた。
「もちろんです。今日は栗ご飯を炊いたんですよ。
秋の味覚を、ぜひご一緒に」
招かれるままに居間へ上がると、机には季節の料理が並べられていった。
湯気の立つ椀、焼き茄子の香ばしい匂い、そしてほくほくと甘い栗ご飯。
その光景は、どこか詩の一節のように穏やかで温かなものだった。
「さあ、どうぞ」
勧められ、僕は箸をとった。
栗の甘さと米の優しい香りが口いっぱいに広がり、思わず目を細めた。
「……美味しい」
心からこぼれた言葉に、とみ子さんは安堵の笑みを浮かべる。
その横で犀星君がからかうように言った。
「どうだい、芥川君。僕の詩より、
とみ子の料理のほうが胸に響いたんじゃないか?」
「もう、犀星さんったら」
とみ子さんが笑いながら彼の肩を軽く叩き、僕もつい口元を緩めた。
――こんな空気があるのか、と。
文学でも名声でもなく、ただ人の温もりに満たされる時間。
その中に、自分が受け入れられている。
食事がひと段落すると、とみ子さんは席を立ち、台所へ向かった。
「お二人で少しお話を。お茶を入れてきますから」
居間に残された僕と犀星君は、湯気の残る器を前に
静かに視線を交わし一瞬だけ口付けをした。
ほんの一瞬のだけ交わされた温もり。
「龍之介君、愛してる」
耳元で名前を呼ばれ、僕は犀星君に寄りかかった。
「僕も、犀星君を愛してる」
再び、耳元で囁かれて犀星君の手を握った。
台所ではとみ子さんがお茶の用意をしている。
「あらあら、二人がいい雰囲気で私も嬉しいわ。
お茶の用意ができましたから飲みましょう」
僕たちはおかしな三角関係だけど
そこに険悪な空気は漂っていない。
むしろ、穏やかすぎる空気が漂っている。
「こうして、一緒にいられることが一番、嬉しいよ」
犀星君がぎゅっと手を握ってくれた。
「僕も、一緒にいられて嬉しい」
手を握り合った僕たちを横目にとみ子さんは
お茶を机の上に置いた。
とみ子さんは湯気の立つ湯呑をひとつひとつ、丁寧に僕たちの前に置いていった。
その仕草には、妻としての柔らかさと、
母としての落ち着き、そして僕たちを
優しく見守る“理解者”としての眼差しが滲んでいた。
「さあ、冷めないうちにどうぞ」
促されて湯呑を手に取り、口に含むと、
香ばしい茶葉の香りとほのかな渋みが広がる。
その温かさは、まるで僕たち三人を
包み込むかのようだった。
「……美味しい」
素直に感想を漏らすと、とみ子さんは
安心したように頷いた。
犀星君もまた湯呑を傾けながら、
ふっと穏やかな笑みを浮かべる。
「とみ子、ありがとう。
君のおかげで僕も芥川君も一緒にいられる」
とみ子さんは僕たちを見ながら柔らかく笑った。
「犀星さん、何言ってるの、
二人が幸せなら、私も幸せなのよ。
龍之介さんも家族だもの」
まさか、僕を“家族”と
言ってくれるなんて思わなかった。
「いいんですか? 」
僕は謂わば“浮気相手”だ。
「ええ、犀星さんが幸せなら私も幸せですし
その幸せの根底に龍之介さんがいるなら
“家族”として迎え入れます」
僕は言葉を失った。
「ありがとうございます」
感極まって、泣き出してしまった僕に
犀星君ととみ子さんは背中を撫でてくれた。
「龍之介君、泣かなくて大丈夫だよ」
犀星君は片手で背中を撫でながら
もう片方の手で頭を撫でてくれた。
「そうですよ、龍之介さん。
私達は“家族”ですから。」
“本当の家族”である妻の文や子供たちには
多少の罪悪感はあるものの、とみ子さんと
犀星君と三人でいることが一番落ち着く。
「僕は……本当の家族を蔑ろにして裏切っているのに、
ここにいると“赦され”ている気持ちになるんだ……」
今も家にいるであろう妻の文と子供たち。
「龍之介君、大丈夫、君の罪悪感も全て僕たちが受け止めるさ。そうだろう、とみ子?」
犀星君はとみ子さんに訊いた。
とみ子さんは微笑みながら頷いた。
「ええ、もちろんよ。龍之介さんのことを責めたりはしません。
犀星さんも言った通り、私たちがちゃんと受け止めますから」
その言葉に、僕の胸はじんわりと温かくなった。
責められるどころか、包み込まれる感覚――
まるで、長く凍えていた心に春の日差しが差し込むようだった。
犀星君は優しく僕の手を握り直す。
「龍之介君、ここにいることに
罪悪感なんていらないよ。
君が笑っていてくれるだけで、僕は幸せなんだ」
僕は息を呑み、彼の瞳を見返す。
そこには、揺るぎない信頼と愛が宿っていた。
「……ありがとう、二人とも」
妻・文と子供たちへの愛情がなくなったわけじゃないけど僕は犀星君を 愛しているし、
“室生家”の一員にしてもらえて嬉しかった。
「……言い方が悪いけど、自宅に帰りたくないな」
“居場所”を見つけた僕は
ずっとここにいたいと思ってしまった。
「龍之介さんの好きなだけいてくれていいんですよ。
うちの子供たちも龍之介さんのこと大好きですし。
ね、犀星さん」
犀星君は微笑んで頷いた。
「そうだよ、僕たちは龍之介君が大好きなんだ。
君が笑ってくれるだけで嬉しいし
ここにいたいなら思う存分いてくれていいから。
ずっと、一緒だよ。愛してる」
僕は犀星君に抱き着いた。
「僕も犀星君を愛してる。
ずっと、一緒にいたい……」
犀星君は抱き締め返してくれた。
とみ子さんは新しいお茶を淹れながら
僕たちを優しい眼差しで見ていた。
僕は涙を拭いながら、差し出された湯呑を再び手に取った。
栗ご飯の余韻とともに、温かな茶の香りが心に沁みる。
「……なんだか、胸の中の氷が解けていくようだよ」
ぽつりとこぼすと、犀星君は優しく微笑んだ。
「龍之介君、君は一人で背負いすぎていたんだよ。
だからこそ、僕も、とみ子も、君に寄り添いたい」
とみ子さんも頷きながら、穏やかに言葉を添える。
「そうです。ここでは無理に強がらなくてもいいんです。
泣きたい時は泣いて、笑いたい時は笑えばいいんです」
その言葉に、僕の胸はまた熱くなった。
これまで“父”や“夫”として、常に責任と役割を背負い、
弱さを見せてはいけないと自分を律してきた。
けれど、この室生家では、
そんな鎧を外してもいい――そう思えた。
「……ありがとう。僕は、本当に幸せ者だ」
ふと、子供たちの笑い声が廊下の奥から響いてきた。
学校から帰ってきたのだろう。
障子を開けて、二人の小さな顔がのぞいた。
「芥川のおじちゃん!」
嬉しそうに駆け寄ってきて、僕の膝に抱きつく。
「まあまあ、龍之介さんが来てくれて、嬉しいのね」
とみ子さんが微笑みながら子供たちをなだめる。
僕はその小さな頭を撫でながら、胸の奥で安堵を覚えた。
――この家では、僕は“受け入れられている”。
それは罪悪感を伴いつつも、同時に救いでもあった。
犀星君が子供たちを抱き寄せ、僕の方を見た。
「ねえ、龍之介君。これが僕の大切な“家族”だ。
そして、君もその一員なんだ」
その言葉は、僕の心に深く刻まれた。
文学仲間でもなく、仮初の友でもない。
“家族”として、共に生きていく――。
僕は子供たちの笑顔を見つめながら、
犀星君の言葉を噛みしめた。
そして心の中で、静かに祈った。
――どうかこの時間が、永遠に続きますように。
心のそこから思った。
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