室生犀星の後悔

華愁

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番外編②―② 芥川龍之介と芥川比呂志の回帰❬芥川龍之介視点❭

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物書きはあくまでも、“作品”で勝負するものだ。

前世も言ったけど、どんなに悔しくても
“物理的な暴力”に手を出してはいけないんだよ。」

犀星君が続けて言った。  
   
「僕は比呂志君を庇ったことを最期まで後悔してなかったよ」  
   
〚あの時、命を落としていたとしても〛と最後は小声で言った。

聞き取れてしまった、その呟きに僕は息を飲んだ。

「犀星君!!」

思わず叫ぶような咎めるように名前を呼んでしまった。

胸の奥がぎゅうっと締め付けられ、言葉にならない感情が溢れ出す。

犀星君は一瞬、僕の声に驚いたようだったが、すぐに柔らかい微笑を浮かべた。

「ごめん、ごめん、龍之介君。つい口に出しちゃった。

僕は……守る方が性に合ってるから、無意識に体が動いちゃうんだ」

だからと言って……自己犠牲的な考え方に僕は賛成しかねる。

「犀星君、お願いだから自己犠牲的な考え方は止めてほしい……」

「自己犠牲とは思ってないんだよ。

それから、不本意かもしれませんが、龍之介の妻である文さんも
僕の“守る”対象なんですよ」

待って、確かに文は僕の妻で比呂志と多加志と也寸志の母親だけど……

「言ったでしょう、“芥川家”も僕の家族だって。

だからこそ、“前世”のように、“九人家族”として
一つ屋根の下で暮らしたいんだよ」

“九人家族”、それは“前世”で府中の家で暮らしていた時の話しだ。  
   
「それなら、また、府中で土地探しからだね。  
   
前世と同じ所がまだ、売却されてなければいいんだけどね……」

僕がそう言うと犀星君がくすっと笑った。

「あの場所は都内までの交通の便がよかったけど
たとえ、あの場所が売却されていても別の場所を探せばいいんだよ。

“家族全員”が住めて、子どもたちがのびのび育てばいいんだよ」

犀星君は、いつも“家族”優先だ。  
   
「僕はね、年長者としても家長としても家族を守りたいんだ」

収入額としては僕も犀星君も稼いでいる方だけど、  
犀星君はそれを誇示したりしない。

「龍之介君、家族を守るっていうのは  
なにも“暴力”からだけじゃない。“心の安寧”も入っているんだよ。」

あ、確かにそうだ。  
   
衣食住だけでなく、精神的な部分を守ることも大切だ。

「やっぱり、犀星君には敵わないな……」

年の差だけじゃなく考え方まで僕は犀星君に遠く及ばない。

「僕たちは家族なんだから、      
敵わないとか遠く及ばないとか考えなくていいんだよ。      
       
龍之介君は直ぐ、そういう方に思考が行ってしまうんだから、    
まったく、しょうがないね」  
   
犀星君は文がいるのも気にせず、僕を抱き寄せた。

前世でも犀星君はよく抱き締めてくれた。

「文さん、不快な思いをさせてしまったなら、申し訳ない」    
     
妻の文からしたら夫である僕が別の人に甘えている光景は複雑だろう。

「不快とは思わないけど、目の当たりにすると、驚いてしまって……」

僕たちは互いに家庭を持ちながら、“恋人関係”を築く決断をした。

「龍之介君、ごめん、文さんの前で抱き締めるべきじゃなかったね」

犀星君が僕をそっと放した……      
      
寂しいと思ってしまった。      
      
妻の文の前だが僕は離れたくなくて、犀星君の手を掴んだ。  
  
仕方ないなぁと、耳元で囁かれ、もう一度、抱き寄せてくれた。          
          
「〚龍之介君は本当に仕方ないなぁ、    
甘えたな所も愛しいのだけれど〛」  
  
本当は妻の前で違う誰かに甘えるのは  
よくないとわかっているけど、犀星君には
どうしても甘えたくなる。

「やっぱり、父さんはパパに甘えてる時が一番だよね。          
          
母さんは複雑な心境だと思うけど、父さんにも          
“ただの”芥川龍之介に戻る時間が大切だと思うんだ。          
          
“夫”としてとか、“父親”としてとか、          
そういう柵から解放される時があっていいんだと俺は思うんだ。        
        
前世で家庭を持って、父さんと
同じ立場に立った時に思った。     
    
“芥川龍之介の長男”でもなく“俳優”や
“演出家”の芥川比呂志でもなく、
“作家”の芥川比呂志でもく、
“夫”や“父親”の芥川比呂志でもなく、  
“ただの”芥川比呂志という
俺自身はどこに在るんだろう?と。」

比呂志が言った言葉は僕がずっと抱えていた悩みだ。

「だからこそ、父さんがパパに
甘えている所を見ると俺は安心するんだよ」

犀星君は僕の背中を撫でながら頭を胸に寄せた。  
  
「父さんやパパ、母さんやママが亡くなった後だったから……妹や弟たちには相談できなかったし
 父さんと一緒で妻には甘えちゃ駄目だと思って
仕事の愚痴とか弱音は言えなかった」

“前世”の比呂志の気持ちはよくわかる。  
  
「そっか、だから僕が犀星君に甘えてるのを見て、
安心するって言ってたんだね。」

「うん。父さんと同じ立場になった時、
“役割”に押し潰されそうになって……

“自害”を考えてた父さんの気持ちもわかった気したんだ」

比呂志の声は、少し震えていた。
――彼もまた、前世で抱えていた孤独と責任を、
今になって吐露しているのだ。

「そっか、僕たちが亡くなった後、比呂志も      
僕と同じ思いを抱えていたんだね……    
    
僕は確かに文の夫で比呂志たちの父親だし
文も僕の妻で比呂志たちの母親だ。    
    
だけど、僕たちは“役割”に囚われ過ぎて
雁字搦になって“自分自身”を見失っていたんだと思う」

犀星君の温もりに包まれながら、僕はゆっくりと息を整えた。

言葉にはできない安堵と、胸の奥の軽さ。

ああ、これが“ただの僕”でいられる瞬間なんだ、と噛み締める。

犀星君の胸に額を預けながら、僕は静かに呟いた。

「やっとわかったよ……。

僕が“ただの僕”に戻れるのは、こうして君に甘えている時なんだ」

「うん、龍之介君はそうやっていていいんだよ」

犀星君の声は、低くてあたたかい。

父でも、夫でも、作家でもなく、ただひとりの人間として
受け止めてくれる声音だった。

比呂志がそのやり取りを見つめて、ゆっくり頷いた。

「……父さん、やっと言えたんだね」

「比呂志……」

「俺もね、前世で“役割”に押し潰されそうだったけど、今度は少し違う。

父さんやパパが、こうして“ただの自分”に戻る姿を見せてくれるから……

俺も、役割だけに縛られずにいられる気がするんだ」


文がそっと言葉を添えた。

「……ねえ、龍之介。

私も“母親”や“妻”の役割に縛られてきたのかもしれない。

でも、家族って、“役割を演じ合うこと”だけじゃないんだね」

彼女の言葉に、僕は静かに頷いた。

犀星君が僕の肩を包み込むように抱き直し、柔らかく囁いた。

「みんなが“ただの自分”に戻れる家を作ろう。

父でも母でもなく、夫でも妻でもなく、
肩書きを外して安心して笑える場所を。

手始めに文さんは僕のことは“室生さん”ではなく
是非、名前で呼んでくれると嬉しいです」

犀星君なら言うと思った。

文は犀星君の言葉に動揺している。

彼女は長い間、“芥川龍之介の妻”として、また“芥川家の母親”として
生きてきたのだ。

呼び方ひとつでも、役割の枠に押し込められていたのかもしれない。

「……そうね。私も“ただの文”に戻ってみたい」

彼女はふっと微笑み、柔らかい声で言った。

「じゃあ……これからは、“犀星さん”って呼ばせてもらうわね」

「ありがとうございます。……でも、できれば“犀星君”の方が嬉しいかな」

犀星君が茶目っ気を混ぜると、文は少しだけ頬を赤らめた。

「龍之介に呼ばれているのと同じ呼び方を……?」

「そう。僕は文さんのことも、家族のひとりとして迎え入れたいんです」

文はしばらく考え込んだ後、小さく頷いた。

「……わかったわ。じゃあ、“犀星君”。

なんだか照れるけど、そう呼ぶことで、
私も“役割”から少し自由になれる気がする」

人はいつの間にか“役割”を演じている。

誰かの“妻”や“夫”、“父親”や“母親”、
“兄”や“弟”、“姉”や“妹”、“娘”や“息子”。

「“外”では“役割”を演じざるおえないのかもしれないけど  
“家の中”では皆が“自分自身”に戻れる場所にしたいんだ」

本当に犀星君らしい考え方だ。

数か月後――。

僕たちは、もう一度あの府中の土地に家を建てた。

奇跡のように売却されず残っていたその場所は、
まるで僕たちの“帰還”を待っていたかのようだった。

完成した新しい家は、前世の家と似ているけれど、少し違う。

庭は広く、子どもたちが駆け回れるように芝生が敷かれ、
縁側からは空の広さを一望できる。

障子を開け放てば風が通り抜け、
居間には家族全員が集まれる大きな卓が置かれていた。

――そして、僕たち九人はそこで暮らし始めた。

「父さん、今日は炊事当番だよ」

也寸志に肩を叩かれて、思わず苦笑する。

「まったく……作家に炊事をさせるなんて、贅沢な家族だね」

「いいじゃない。“父親”とか“文豪”の役割を外した
“ただの龍之介”が作る料理も悪くないよ」

比呂志が茶化し、皆が笑った。

文もは縁側に座って編み物をしながら微笑んでいる。

「ここにいると、“母親”や“妻”である前に、“文”でいられる気がするわ」

とみ子さんは洗濯物を畳んでいる。

「私も“ただのとみ子”でいられるわ。

犀星さん、久しぶりに俳句を書いてみたのよ」

「おや、それは是非、聞きたいね。

僕たちの出会いの始まりだ」

「――“春光に 九つの影 笑い合う”」

読み上げた瞬間、縁側から差し込む光が子どもたちの髪を照らし、
庭に伸びた影がいくつも重なり合った。

「いいねえ……」

犀星君が目を細めた。

「とみ子らしい、柔らかい句だ。家族そのものの温かさがある」

僕も胸に沁みて、思わず口にした。

「うん、“ただの僕たち”を見つめた句だね」

比呂志も頷きながら言った。

「ママの俳句を聞くと、演劇の台詞よりずっと素直に心に届くよ。

こういう言葉が、この家を満たしていくんだと思う」

「じゃあ、僕も一句」と犀星君がさらりと即興で詠んだ。

「――“夕風に 机を囲む 筆の音”」

「犀星君……」

僕は少し笑ってしまった。

「やっぱり君は、“家族の光景”をそのまま詩にできるんだね」

「僕は、文学は机の上にあるんじゃなくて、
こういう暮らしの中にこそ宿ると思っているからね」

すると也寸志が首を傾げ、声を上げた。

「じゃあ僕もやってみようかな! ええと……」

小さな声で、少し照れながら言葉を並べる。

「“ごはん前 おなか鳴ってる 猫と僕”」

みんなが吹き出した。

「上出来だよ、也寸志」

比呂志が笑いながら肩を叩いた。

そんな中、也寸志が鼻歌を歌った。

「綺麗な音色だね」

「今、即興で思いついた音色だよ」

也寸志は部屋からノートとペンを持ってきて    
手書きの五線譜と音符、それから、歌詞を書き始めた。

「さっきのパパとママと多加志兄さんの俳句を歌詞に取り入れてと……できた」
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