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バイトを終え、さて帰るかというところでスマホを取り出すと、一ノ瀬さんからメールが来ていた。この前聞かれてメールアドレスを教えたのだが、今時プライベートでメールを使うなんて珍しい。不思議に思いながらメールを開くと、音声ファイルが添付してあった。
なるほど、チャットアプリでは容量オーバーになるためメールを使ったらしい。
しかし文面が一切ないのがなんとなく不安だった。とりあえず外に出て、イヤフォンを挿す。大丈夫だと思いながらも心臓が嫌な鳴り方をしていた。
ファイルの中身は、曲だった。カズの音、カズの言葉、カズの声。これはきっと一ノ瀬さんがこの前言っていた新曲だ。
新曲が聞けて嬉しい。それを世に出す前に聞かせてくれたのはもっと嬉しい。
そのはずなのに嫌な予感が拭えなかった。
素晴らしい曲だ。活動休止直前の曲よりも評価は高いだろう。魂の叫びのような曲だ。
なのに冷汗が止まらないのは何故だろう。
曲を作れなくなったアーティストが世を儚む曲が終わった後、一ノ瀬さんがぼそりと呟いた。
「今までありがとう」
タクシーを拾った。値段など気にしていられない。信号で止まることどころか、車の走るスピードにさえももどかしさを感じる。意味もなく手足を動かす。
運転手はそんな俺のただならぬ雰囲気に気が付いたのか、あるいは普段からそうなのか、何も話しかけてこなかった。
決して長くはないはずの道のりがいつもの三倍くらいに感じられる。
どうして俺は、あのノートについて聞かなかったのだろう。例え本当のことを教えてもらえなくとも、深刻なものなのかどうかくらいは表情から読み取れたかもしれないのに。
どうか杞憂であってくれ。
到着するやいなや、値段をろくに確認もせず電子マネーで払う。今の俺にとってはどうでもいいことだった。
転がるようにタクシーから降りると、合鍵でマンションに入る。エレベーターを待てなくて階段を駆け上がった。どう考えてもエレベーターの方が速いのに。息が切れてもスピードを緩める気にはなれなかった。
「一ノ瀬さん......」
やっとのことで扉を開ける。喉がカラカラに渇いていて、上手く声が出せない。
部屋の中にはある意味で予想通りの展開が広がっていた。
たくさんの薬薬薬。色鮮やかなシートと淡い色のなんだかわからない錠剤が床に散乱している。
しかし一ノ瀬さんはそれらをまだ飲んでいなかったようだ。一先ず安心する。
「来てくれたんだ」
「来ますよ、そりゃあ」
それ以外に何と言えばいいのかわからなかった。息が整わない。
一ノ瀬さんは薬を飲むために用意したであろうペットボトルの水を差しだした。
「ごめんね」
「いえ」
ペットボトルの水をゴクゴクと飲む。こんな状況で水を飲んでいるのがなんだか滑稽に思えた。しかしこれを飲み切れば再び水を用意するまでの時間稼ぎになるかと思った。それともこういうときは水なしでも飲めるんだったか。
一ノ瀬さんは俺を見つめてからちらりと薬を見た。
「本気で死ぬ気なんて無いよ。ちょっとやってみただけ。そもそも、こんな量じゃ死ねないし」
そうなのだろうか。当然ながら詳しくないのでよくわからない。
ちょっと死ぬ振りをしてみただけ、なんて悪趣味すぎるが、本心で言っているようには見えなくて何も言えなかった。
「俺の曲だとさ、自傷行為と言えばリストカットだよな。というか、俺たちの青春時代って自傷と言えばリスカだった。手首に包帯巻いてさ。でも最近は自傷も自殺もオーバードーズがはやってるらしいぜ。まぁ、俺たちの時代にもやるやつは居たし、過去に連なるバンドマンやら文豪やらにも居たと思うけどさ、オーバードーズって結構大変だよな。薬用意するのとか」
そこまで一息に喋る姿がどこか不気味に映る。
「でもさ、良くない? ダークな雰囲気を売りにしていたアーティストが自殺ってさ。ベタだけど、ベタって王道ってことにもなりうるよね」
俺は自殺を止められるような健全な人間ではない。もしそうだったら、カズの曲に惹かれなかっただろう。
そして昔の俺だったら、カズだけが生きる理由だったころの俺だったら、一緒に死んでもいいと言えただろう。今は言えない。他にも大切なものができてしまった。その返しが正解でないことが理解できるほど健全になってしまった。
ただ一ノ瀬さんを抱きしめた。何の意味もない行為かもしれない。でも意味のある行為が今この瞬間に必要だとは思わなかったのだ。
「お前が未練になって、死ねなかった」
ぽつりと、一ノ瀬さんが言った。先ほどまでペラペラ話していたのが嘘みたいにぽつりと。やはりまともな精神状態ではないのかもしれない。いや、まともな精神状態の人はそもそもこんなことしないのか?
「一ノ瀬さん」
「なに?」
「好きです」
これも何の意味もない行為だった。ただ肩越しに一ノ瀬さんの笑い声が聞こえた。
なるほど、チャットアプリでは容量オーバーになるためメールを使ったらしい。
しかし文面が一切ないのがなんとなく不安だった。とりあえず外に出て、イヤフォンを挿す。大丈夫だと思いながらも心臓が嫌な鳴り方をしていた。
ファイルの中身は、曲だった。カズの音、カズの言葉、カズの声。これはきっと一ノ瀬さんがこの前言っていた新曲だ。
新曲が聞けて嬉しい。それを世に出す前に聞かせてくれたのはもっと嬉しい。
そのはずなのに嫌な予感が拭えなかった。
素晴らしい曲だ。活動休止直前の曲よりも評価は高いだろう。魂の叫びのような曲だ。
なのに冷汗が止まらないのは何故だろう。
曲を作れなくなったアーティストが世を儚む曲が終わった後、一ノ瀬さんがぼそりと呟いた。
「今までありがとう」
タクシーを拾った。値段など気にしていられない。信号で止まることどころか、車の走るスピードにさえももどかしさを感じる。意味もなく手足を動かす。
運転手はそんな俺のただならぬ雰囲気に気が付いたのか、あるいは普段からそうなのか、何も話しかけてこなかった。
決して長くはないはずの道のりがいつもの三倍くらいに感じられる。
どうして俺は、あのノートについて聞かなかったのだろう。例え本当のことを教えてもらえなくとも、深刻なものなのかどうかくらいは表情から読み取れたかもしれないのに。
どうか杞憂であってくれ。
到着するやいなや、値段をろくに確認もせず電子マネーで払う。今の俺にとってはどうでもいいことだった。
転がるようにタクシーから降りると、合鍵でマンションに入る。エレベーターを待てなくて階段を駆け上がった。どう考えてもエレベーターの方が速いのに。息が切れてもスピードを緩める気にはなれなかった。
「一ノ瀬さん......」
やっとのことで扉を開ける。喉がカラカラに渇いていて、上手く声が出せない。
部屋の中にはある意味で予想通りの展開が広がっていた。
たくさんの薬薬薬。色鮮やかなシートと淡い色のなんだかわからない錠剤が床に散乱している。
しかし一ノ瀬さんはそれらをまだ飲んでいなかったようだ。一先ず安心する。
「来てくれたんだ」
「来ますよ、そりゃあ」
それ以外に何と言えばいいのかわからなかった。息が整わない。
一ノ瀬さんは薬を飲むために用意したであろうペットボトルの水を差しだした。
「ごめんね」
「いえ」
ペットボトルの水をゴクゴクと飲む。こんな状況で水を飲んでいるのがなんだか滑稽に思えた。しかしこれを飲み切れば再び水を用意するまでの時間稼ぎになるかと思った。それともこういうときは水なしでも飲めるんだったか。
一ノ瀬さんは俺を見つめてからちらりと薬を見た。
「本気で死ぬ気なんて無いよ。ちょっとやってみただけ。そもそも、こんな量じゃ死ねないし」
そうなのだろうか。当然ながら詳しくないのでよくわからない。
ちょっと死ぬ振りをしてみただけ、なんて悪趣味すぎるが、本心で言っているようには見えなくて何も言えなかった。
「俺の曲だとさ、自傷行為と言えばリストカットだよな。というか、俺たちの青春時代って自傷と言えばリスカだった。手首に包帯巻いてさ。でも最近は自傷も自殺もオーバードーズがはやってるらしいぜ。まぁ、俺たちの時代にもやるやつは居たし、過去に連なるバンドマンやら文豪やらにも居たと思うけどさ、オーバードーズって結構大変だよな。薬用意するのとか」
そこまで一息に喋る姿がどこか不気味に映る。
「でもさ、良くない? ダークな雰囲気を売りにしていたアーティストが自殺ってさ。ベタだけど、ベタって王道ってことにもなりうるよね」
俺は自殺を止められるような健全な人間ではない。もしそうだったら、カズの曲に惹かれなかっただろう。
そして昔の俺だったら、カズだけが生きる理由だったころの俺だったら、一緒に死んでもいいと言えただろう。今は言えない。他にも大切なものができてしまった。その返しが正解でないことが理解できるほど健全になってしまった。
ただ一ノ瀬さんを抱きしめた。何の意味もない行為かもしれない。でも意味のある行為が今この瞬間に必要だとは思わなかったのだ。
「お前が未練になって、死ねなかった」
ぽつりと、一ノ瀬さんが言った。先ほどまでペラペラ話していたのが嘘みたいにぽつりと。やはりまともな精神状態ではないのかもしれない。いや、まともな精神状態の人はそもそもこんなことしないのか?
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