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第一章
父からの命令
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小柄な私はフィリオンの背後にスッポリと隠れられるが、父の書斎に入室してそれが許されないことくらい承知である。恐る恐る姿を見せると、真正面から鋭い視線を突き立てる父と目が合った。
「ひっ」と小さく悲鳴を上げる。『アルファ一家の長』と言って相応しい風貌と圧だ。
初めて入る父の書斎には、壁に取り付けられた本棚に収まりきらないほどの書籍が並んでいる。
デスク越しに姿勢を正し、蔑み憐れむ眸でこちらを向いているこの男こそ、父のカスティリオ・ヴェイルハートだ。
私とは全く似ていない。
恰幅の良い体型も、濃いブラウンの髪も、鼻や耳の形さえ全然違う。
こうして改めて見ると、本当に私はこの人の子供なのだろうかと疑ってしまう程に……。
「遅い」
父が一言放っただけで、アルファの威圧に吐きそうになった。
「申し訳ございません。念の為、抑制剤を飲ませていました」
隣からフィリオンがフォローしてくれた。私は声を出すどころか、立っているだけでやっとの状態。咄嗟にフィリオンの腕に掴まり、倒れるのを阻止出来た。
抑制剤を飲んでいたのは嘘ではないし、フィリオンがそうさせていたと言えば、父が怒らないのを知っての配慮だった。
ここにはアルファしかいない。私がヒートでも起こせば大変な事態になる。フィリオンの言葉に納得した父は一つ頷いて納得の意を示した。
「座りたまえ」
父のデスクの前に立っている、長男のシリウスから侮蔑の視線を送られ更に居心地の悪さが増した。
シリウスは昔から『長男らしい』性格だった。
努力家なのは勿論、とにかく父に認めてもらうまではやり遂げる粘り強さを持ち合わせている。フィリオンと違うのは、他人にもそのくらいの努力をして当たり前だと言う価値観を持っていることだ。
きっとシリウスからすれば、働きもせず毎日さ散歩に出掛けている私は家族どころか人間でもない。兄弟だと思われるのも迷惑だと考えていそうだ。
その証拠に、彼とは私の第二次性検査の結果が出た時から一言も喋っていない。
フィリオンがいてくれなかったら、きっと恐怖のあまり失神していた。
促されたソファーに座ると、「単刀直入に言う」少し声量を上げた父が命令を下す。
「お前の結婚が決まった」
「え……」
視界がブラックアウトした。
この人は、今、なんと言ったのだ。
誰が……誰と……どうなると言ったのだ。
父を見詰めても、理解が追いつかない。
そんな父は私に深いため息で返した。
「お前からすれば突然言われたと捉えられるだろうが、私たちはずっとお前の引き取り先を探していた。
シリウスもフィリオンも婚約者がいるというのに、お前がいつまでも伯爵家にいたのではどうにもならん。
しかしオメガの男を娶っても良いなんて、寛大な心の持ち主が早々見つかるもんじゃない。それは重々承知している。貴族とはそういうものだ。私だって、頼まれる側なら即刻NOと言うだろうしな」
どれほど苦労して私の嫁ぎ先を探しまわったかを、淡々とした口調で語る。
その様子を呆然として眺めていたが、焦点は合っていなかった。
父は私に構わず話を続ける。
「かと言って、あまりお前の存在を知られるのも良くない。貴族は第二次性に敏感だからな。シリウスたちの婚約者に、ヴェイルハート伯爵家にはオメガがいるなんて情報が回ってもいけない。
そこからは更に探すのが難しくなった。せめて貴族に嫁がせてやるのが父としての勤めかと思って頑張ったが、いずれ限界は来る。
その壁にぶつかりそうになった時、ある噂を耳にした。
ドミナクス辺境伯閣下が、どうやらオメガを探しているとね。藁にも縋る思いで話を取り付けると、快く結婚を受け入れて下さったのだ」
「はい……」
返事は返しても、内容は全く頭に入ってこなかった。
父が私の結婚相手を探しているとは考えもしなかった。
でも、そりゃそうだ。父が正しい。
いつまでも仕事も出来ないオメガを置いておくわけにもいかない。
二人の兄の結婚を邪魔するわけにもいかない。
私一人がこの屋敷を出れば、全て万事解決である。
そうか、私は結婚するのか。
まるで他人事のように脳内で呟いた。
実感が湧かない。
床を踏み締めているはずの足裏の感覚を失っている。膝に乗せている手も、父の話を聞いている耳も何もかも、身体全体が機能を失ったように硬直していた。
「おい、聞いているのかエクラ。何も嫁ぎ先でお高く止まっていろなんて言っているんじゃないんだぞ。お前にはしっかりと仕事をしてもらうために嫁がせるんだからな。そのために、今まで働きもしないお前を養っていたと言っても過言じゃない。
しかしな、もしもお前がこの仕事をしっかりとやり遂げたなら、オメガでも産んでやった甲斐があると言うものだ」
ほんの僅かに父の機嫌が良くなった。
シリウスも微笑んで父に頷いている。
隣に座るフィリオンの表情が見えないが、膝に乗せている拳に力が入ったのを視界の隅で見届けた。
「ドミナクス辺境伯閣下との子を産むのだ。これは絶対命令だ」
頭頂部から血の気が引いていく。
会ったこともない人との子を産むために、私は結婚をしなければならない。
いや、当たり前だ。政略結婚とはそういうことだ。
頭では理解できる。
でも心が追いつかない。
つい最近、私は私の心を取り戻してしまった。
エルネスト王子殿下の言葉が脳裏を過ぎる。
『青い鳥くらい、欲に忠実に行動しても良いんだ』
そうしたい。私の心はエルネスト王子殿下で埋め尽くされている。
彼のものになれるなら、何もかも捨ててもいいと思えるほどに。
けれど現実は私に甘くなかった。
「いいか、ドミナクス辺境伯閣下は今すぐにでもお前を寄越してくれと仰っている。出発は三日後。異論は認めない」
三日後……満月の夜エルネスト王子殿下と二人きりのパーティーの約束をしている日だ。
あと何度かは王子殿下に会えると思っていたが、それすらも打ち砕かれた。
私の心は完全に押しつぶされてしまった。
しかし、それだけに止まらなかった。
父は続けて衝撃の命令を下したのだ。
「ひっ」と小さく悲鳴を上げる。『アルファ一家の長』と言って相応しい風貌と圧だ。
初めて入る父の書斎には、壁に取り付けられた本棚に収まりきらないほどの書籍が並んでいる。
デスク越しに姿勢を正し、蔑み憐れむ眸でこちらを向いているこの男こそ、父のカスティリオ・ヴェイルハートだ。
私とは全く似ていない。
恰幅の良い体型も、濃いブラウンの髪も、鼻や耳の形さえ全然違う。
こうして改めて見ると、本当に私はこの人の子供なのだろうかと疑ってしまう程に……。
「遅い」
父が一言放っただけで、アルファの威圧に吐きそうになった。
「申し訳ございません。念の為、抑制剤を飲ませていました」
隣からフィリオンがフォローしてくれた。私は声を出すどころか、立っているだけでやっとの状態。咄嗟にフィリオンの腕に掴まり、倒れるのを阻止出来た。
抑制剤を飲んでいたのは嘘ではないし、フィリオンがそうさせていたと言えば、父が怒らないのを知っての配慮だった。
ここにはアルファしかいない。私がヒートでも起こせば大変な事態になる。フィリオンの言葉に納得した父は一つ頷いて納得の意を示した。
「座りたまえ」
父のデスクの前に立っている、長男のシリウスから侮蔑の視線を送られ更に居心地の悪さが増した。
シリウスは昔から『長男らしい』性格だった。
努力家なのは勿論、とにかく父に認めてもらうまではやり遂げる粘り強さを持ち合わせている。フィリオンと違うのは、他人にもそのくらいの努力をして当たり前だと言う価値観を持っていることだ。
きっとシリウスからすれば、働きもせず毎日さ散歩に出掛けている私は家族どころか人間でもない。兄弟だと思われるのも迷惑だと考えていそうだ。
その証拠に、彼とは私の第二次性検査の結果が出た時から一言も喋っていない。
フィリオンがいてくれなかったら、きっと恐怖のあまり失神していた。
促されたソファーに座ると、「単刀直入に言う」少し声量を上げた父が命令を下す。
「お前の結婚が決まった」
「え……」
視界がブラックアウトした。
この人は、今、なんと言ったのだ。
誰が……誰と……どうなると言ったのだ。
父を見詰めても、理解が追いつかない。
そんな父は私に深いため息で返した。
「お前からすれば突然言われたと捉えられるだろうが、私たちはずっとお前の引き取り先を探していた。
シリウスもフィリオンも婚約者がいるというのに、お前がいつまでも伯爵家にいたのではどうにもならん。
しかしオメガの男を娶っても良いなんて、寛大な心の持ち主が早々見つかるもんじゃない。それは重々承知している。貴族とはそういうものだ。私だって、頼まれる側なら即刻NOと言うだろうしな」
どれほど苦労して私の嫁ぎ先を探しまわったかを、淡々とした口調で語る。
その様子を呆然として眺めていたが、焦点は合っていなかった。
父は私に構わず話を続ける。
「かと言って、あまりお前の存在を知られるのも良くない。貴族は第二次性に敏感だからな。シリウスたちの婚約者に、ヴェイルハート伯爵家にはオメガがいるなんて情報が回ってもいけない。
そこからは更に探すのが難しくなった。せめて貴族に嫁がせてやるのが父としての勤めかと思って頑張ったが、いずれ限界は来る。
その壁にぶつかりそうになった時、ある噂を耳にした。
ドミナクス辺境伯閣下が、どうやらオメガを探しているとね。藁にも縋る思いで話を取り付けると、快く結婚を受け入れて下さったのだ」
「はい……」
返事は返しても、内容は全く頭に入ってこなかった。
父が私の結婚相手を探しているとは考えもしなかった。
でも、そりゃそうだ。父が正しい。
いつまでも仕事も出来ないオメガを置いておくわけにもいかない。
二人の兄の結婚を邪魔するわけにもいかない。
私一人がこの屋敷を出れば、全て万事解決である。
そうか、私は結婚するのか。
まるで他人事のように脳内で呟いた。
実感が湧かない。
床を踏み締めているはずの足裏の感覚を失っている。膝に乗せている手も、父の話を聞いている耳も何もかも、身体全体が機能を失ったように硬直していた。
「おい、聞いているのかエクラ。何も嫁ぎ先でお高く止まっていろなんて言っているんじゃないんだぞ。お前にはしっかりと仕事をしてもらうために嫁がせるんだからな。そのために、今まで働きもしないお前を養っていたと言っても過言じゃない。
しかしな、もしもお前がこの仕事をしっかりとやり遂げたなら、オメガでも産んでやった甲斐があると言うものだ」
ほんの僅かに父の機嫌が良くなった。
シリウスも微笑んで父に頷いている。
隣に座るフィリオンの表情が見えないが、膝に乗せている拳に力が入ったのを視界の隅で見届けた。
「ドミナクス辺境伯閣下との子を産むのだ。これは絶対命令だ」
頭頂部から血の気が引いていく。
会ったこともない人との子を産むために、私は結婚をしなければならない。
いや、当たり前だ。政略結婚とはそういうことだ。
頭では理解できる。
でも心が追いつかない。
つい最近、私は私の心を取り戻してしまった。
エルネスト王子殿下の言葉が脳裏を過ぎる。
『青い鳥くらい、欲に忠実に行動しても良いんだ』
そうしたい。私の心はエルネスト王子殿下で埋め尽くされている。
彼のものになれるなら、何もかも捨ててもいいと思えるほどに。
けれど現実は私に甘くなかった。
「いいか、ドミナクス辺境伯閣下は今すぐにでもお前を寄越してくれと仰っている。出発は三日後。異論は認めない」
三日後……満月の夜エルネスト王子殿下と二人きりのパーティーの約束をしている日だ。
あと何度かは王子殿下に会えると思っていたが、それすらも打ち砕かれた。
私の心は完全に押しつぶされてしまった。
しかし、それだけに止まらなかった。
父は続けて衝撃の命令を下したのだ。
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